3Fx2 硬貨

 例の台座は、ひとつの壁の中心位置に接するような形で置かれていた。

 高さ1メートルほどの石造りのアンティーク感があるもので、柱部分に刻まれた数字以外は、これまで見てきたものと変わらないように思えた。

 先輩がその台座を上から眺めては、顎に指を当てながら渋い表情を浮かべている。


「何だこれ?」


 小糸さんとクミが先輩の示すものを確認しようと、すぐさま台座のそばへと集まった。

 僕も遅れを取るまいと昆虫よろしくワサワサと動き出し、台座にたどり着いては樹液を求めるカブトムシのごとくそれによじ登る。

 いざ上から覗き込むと、これまでと同様に球を乗せる凹みがあるものの、その下位置、部屋の内側の方向に見慣れないデザインが施されているのが分かった。

 そこには横に並んだ5つのトランプカード大の長方形とそれぞれの下に小さな窪みが存在していた。窪みの形はひとつづつ違っており、左から○☆□+△と並んでいる。

「これを解かないと、ここから出られないということでしょうか……」

 微かに眉間に皺を寄せた小糸さんを横目に、僕は思いつきを口にする。

「この窪みの形って、もしかして超能力で使う……あのトランプみたいな……」

「ゼナーカードですね」

 頭脳明晰なクミが的確に僕がうろ覚えなものの名称を特定してみせる。

「相手の持ってるカードの記号をESPで当てるっていうやつですね。ただ……あれには波型の記号もあったような」

 僕らの話を黙って聞いていた先輩が、台座の上へと手を伸ばす。

「ということは、やっぱここにはカードを置いてくのか」

 そう言って先輩は長方形の個所に触れるが、その時――

「ん?」

 ゴリッという音と共に、そこに浮き彫りとなった“Q”の文字が現れた。

 一瞬、皆が顔を見合わせる。

 先輩が続けてそれを指でスライドさせていくと、石臼をひくみたいな音と共に、そこには次々と違うアルファベットが表示されていった。

 どうやら5つの長方形はダイヤル錠のようなものらしい。アルファベットの並びはランダムだが、確認するとA〜Zまで全ての文字を網羅しているようだ。

「ここに正解の文字列を揃える必要が……」

「揃えないと、ここから出られないとか?」

 小糸さんとクミが自らダイヤルをスライドさせながら、悲観的なトーンでぼやいている。

 とりあえずは僕が思いついた○:Circle ☆:Star □:Square +:Cross △:Triangleで“CSSCT”とか、RPGでの適当名前選択風に“AAAAA”とか、その他にも幾つもの文字列を試してみたが何も起きる様子がない。

「こりゃますますクソ脱出ゲームだな!」

 先輩が怒りに任せて勢いよく台座を蹴ってみせた。しかしそれは、ビクともしないまま壁際に鎮座し続けている。

 先輩がさらにバールを手にしたところで、この暴れん坊に台座を壊されたらかなわないと思い、その場しのぎの適当なアイデアをぶつけてみた。

「とりあえず全パターン試すのはどうでしょう?」

「はあ?」

 先輩がバールを握る手を止めた。

「どんだけかかると思ってんだ?お前はまともに計算も出来ないアホなのか?おいドクミ、ちょっと所要時間を計算してみろ」

 人を計算出来ないアホ扱いしたのに、先輩は自分ではやらずにクミにそれを任せた。

「さすがに正確な数値はすぐには計算出来ませんけど……アルファベット26文字の5乗ですから、文字列の組合せパターンは1000万を超えると思います。1秒に1パターン試せるとして、交代で24時間フル稼働で1日約86000パターン。ですから、単純に100日以上はかかる計算になります。当然、途中で正解が出せればそこまではいきませんが」

 やはり総当たりは現実的ではない。打つ手がなくなった場合の最後の最後の手段といえるだろう。

「この部屋のどこかに文字列のヒントが……」

 小糸さんがこの小部屋を自信なさげに見渡すと、クミが提案の声を上げた。

「分担して壁を調べましょうか。あ、高いところや天井は難しいですけど……」

「そこは先輩が――」

 そう言いながら先輩をチラリと見れば、例によって猟奇的な表情で僕を睨みつけていた。

 先輩の今の気持ちを代弁するならば恐らくこうであろう。

(めんどくせえな。またあたし頼みかよ。まあ、飛べるのが自分だけだからしょうがないけどさ。天井と壁の高いとこか……あたしの担当エリア多すぎじゃね?それにしても何が一番ムカつくっていったらこのテケ松だよ。テケ松の分際で何でこのマコ様に指図してくるんだよ。お前に出来ることといえば床に這いつくばることぐらいだろ。この下等な虫けらフゼイが!)

 クミの提案により、未だに寝ているうさぎを除いた皆で分担して、部屋を調査することとなった。

 なお、僕の担当は必然的に床である。


 しばらくの間、皆が黙々と壁や天井を調べていたが、何の発見もない様子だった。

 僕も床を隅から手探りで隈なく調査していった。しかしほとんど終わった段階となっても、ひとつの手掛かりさえ見つかっていない。

 最後に、うさぎが寝ている場所については調査を飛ばしたことを思い出して、再度そこへと向かう。

 眠ったままのうさぎの位置をずらそうと、脇腹あたりに両手を添えると――

「キシャアアアァァァ!!」

「うわあああ!!」

 うさぎが突如襲いかかってきて、僕は叫びながらその場にひっくり返った。

 倒れた僕の胸の上に馬乗りになると、うさぎは噛みつかんばかりに顔を近づけてくる。自分の喉元を守ろうと急ぎ手で防ごうとするも、子パンダのものとは思えない腕のスピードで、それはあっさりと振り払われた。あわや噛みつかれる!と思った時――うさぎのその凶暴な表情は突然キョトンとしたものに変わった。


「何だ、ミチスケじゃん」


 すんでのところでうさぎは我に帰ったようだ。助かった。

「犬のお化けかと思ったよ」

 うさぎは何やら怪物と戦う夢を見ていたらしい。頭が三つある犬型のモンスターが相手だったそうだ。

 その話を聞いていた小糸さんが興味深そうに近づいてくる。

「それはケルベロスですね。ギリシャ神話に登場する地獄の番犬です」

 うさぎは小糸さんの話を聞いてか聞かずか、馬乗りをやめて立ち上がると、辺りをキョロキョロと見回し始めた。

「で、ここはどこ?もしかして……地獄なの?」

 小糸さんがうさぎに対し、今の状況を丁寧に説明してくれた。やはりうさぎにはよく理解出来ない様子だったが、説明するほうも分からないことばかりなので致し方ないといえる。

 ところで僕には一点気になることがあり、ここでそれをどうしても訊かざるを得なかった。

「うさぎちゃん、“4階”から何か持ってきてない?」

 うさぎは僕の言葉の意味が分からなかったようで、ポカンと僕の顔を見つめていたが、やがて自分の身体をパタパタと両手で叩き出した。

「あ――」

 うさぎが腰に手をやった時、何かに気づいた様子でその手を止める。着ぐるみの腰の位置には両側に切れ込みがあり、そこがポケットになっているようだった。うさぎは恐る恐るそれに両手を差し入れる。

「なんか……入ってたよ」

 ポケットの中のものを取り出したうさぎは、それを両手で掲げてみせた。直径3センチほどの銀色のコインだった。両手に1枚づつ計2枚ある。

「ちょっと見せてください」

 小糸さんはうさぎからコインを預かると、それを時折裏返したりしながらしげしげと眺め始めた。

「これは……レプリカかも知れませんが、古代ギリシャで使われていた硬貨のようですね。こちらは表には女神ヘラ、裏はクノッソスの迷宮の図案が刻まれています。もうひとつは女神アテナで裏にはフクロウが描かれてますね。ドラクマ銀貨でしょうか」

「小糸さんって、随分詳しいんですね。コイン収集が趣味とか?」

 コインについて詳しい解説をする小糸さんを不思議に感じて尋ねてみると、彼女はニッコリと微笑んでみせた。

「いえ、私ギリシャ神話が好きで、その辺ちょっと詳しいんです。コインについてはその関連で画像を見たことがあって」

「そうか、奥さんはギリオタか」

 天井調査に飽きたのか、先輩が地上に舞い降りて来た、というか床に降りた。ギリシャ神話オタクのことを“ギリオタ”って言うんだ。初めて聞いた。

「で、そのコインが何か5文字のヒントになるとか?」

 先輩の問いかけに小糸さんは難しい表情になる。

「う〜ん……それについては特に……」

 それを聞いた先輩は「そっか……」とつぶやきつつ天井を見上げた後、急に思いついたように僕へ顔を向けた。

「お前、サボってたみたいだけど、床は調べたのか?」

「サ、サボってませんよ。床については隈なく調べました。特に何も見つかりませんでしたけど……先輩のほうは――」

 僕の話に途中からまるで興味を失った様子で、先輩はふらっと台座の対面の壁際まで歩いていった。そして一切飽飽経を唱えては、寝釈迦像のポーズでその場に横たわってしまった。

 クミのほうを見ると、明らかに収穫ゼロの模様であり、疲れた表情で壁にもたれて座り込んでいる。

 薄暗い部屋の中に、行き詰まった空気が澱んでいた。

 そんな中、小糸さんがおもむろに台座へ向かい、文字列ダイヤルの操作を始めた。特に何か思いついたわけではなく、とりあえずやってみているという感じのようだ。彼女についていったうさぎも、台座の上に乗って面白そうにそれを眺めているが、これまで同様すぐに飽きるだろう。

 僕はといえば、床に仰向けになってただ溜め息をつくばかりだった。

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失われた下半身を求めて まずい水 @temoashimodenai

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