フラスコ住まいでも雨はつめたい

須藤未森

◆ ヒラメを猫にあげてはいけません

 そもそも、愛っていうのは総量が決まってるんだよね。

 理科室で飼っている金魚について尋ねたとき、先生はそう言ったのだった。なぜ雨が降るのか、なぜ植物は光を欲するのか、当たり前の現象を生徒に説明するかのような口ぶりだった。私をろくにふりかえることなく、ガラスをつんつんつつきながら、彼女は事もなげに語りはじめた。

「一人一人で、愛の総量、要するに持ち分は違う。どれくらい重い荷物を抱えていられるかは人によるでしょ?」

 まあ、と私がわざと興味なさげに言っても、“愛”の話は止まらない。それどころか、どことなく先生の声音は嬉しそうなものに変わった。

「たとえば、リュックにいれた愛って名前の荷物を、ちょっと取り出して友達のところに下ろしたとする。それで、荷物がまだリュックに入っていれば、他の人や、犬や猫なんかにまで荷物を配ることができる。でも、持てる荷物の量が少ない人には、そういう事がほとんどできない」

「はあ」

 当時の私はちょっとショックを受けた。先生の、クールでちょっと皮肉屋っぽいところを知っていたとはいえ、さらっとこんな内容を話されると悲しくなる。

 ……いや、悲しい、ではない。私はすぐに気づいた。彼女のつめたい見解を否定できない自分を知って、なんだかんだ彼女を受け止めていることに驚いていた。

 話は続く。

「世にいう研究者や作家はこの荷物を配る場所が偏っているんだよね。世にいういじめ、虐待、その他もろもろを起こす人も、荷物をわたす場所が非犯罪者と違うだけ。何かをうまく愛せないのは荷物を他の場所に配っている、もしくははなから荷物をあまり持っていない、の二択になる。そして私は後者のタイプである。以上」

 私はすでに色々な事情で疲れている頭をなんとか働かせ、首をかしげた。

「それがそうだったとして。愛を持てる上限量をはかる方法ってあるんですか。……たとえば私の、とか」

 先生は、ほうといった顔で振り向いた。胸が思いがけず、ずきっとうずいた。

「面白いね」

 きゅうっと細められた目が、楽しそうなのか、めんどくさそうなのか私にはわかりかねた。ただ、こちらの予想に反して彼女は、すんと黙りこくった。答えに迷ってるんだろうか。先生ともあろう人が? 話しにくい事を聞いてしまったかも、と罪悪感で私が口を開きかけた瞬間。

「ふわぁー」

「……先生、もしかして。もしかしてですけど、眠いんですか?」

「うむ」

「生徒ががんばって真面目に質問したのに大欠伸ですか」

「うーん、昨日ゲームしすぎたー」

「あほなんですか……」

「ま、とりあえず真面目に話したら飽きちゃったから、君の質問はまた今度」

「せんせー……」

 そういう気まぐれなとこも知ってましたけど。あっけにとられて、私はため息をついた。目ざとく先生が眉を寄せるのを見て、ため息をもう一つ追加する。はあぁ。案の定、彼女の眉間のしわも一つ増えた。

 先生は諦めて、私から視線をはずした。授業――6限後に残された実験器具を片付けはじめると、

「うん! というわけで、とりあえず君に正しい金魚の愛で方を指南されるいわれはないな!」

 となぜか自信満々で言い放った。私はさっきと同じ台詞を繰り返した。

「いや、それはないでしょう先生」

「うーん?」

「金魚をフラスコで飼うとはなんたることですか」

 こちらも負けず劣らず堂々と言い放ち、後片付けの手伝いに入った。先生と私の手元で、かちゃんかちゃんとビーカーが鳴る。この日もあいかわらず平和だった。とうの金魚本人は明後日の方向をむいて、二人のやりとりをまるで知らない。


 先生は、変わっている。というより、すごく変だ。

 生物部部長になって以来、私は改めてそれを実感していた。

 まず、先生――長谷川小牧はせがわこまきは理科室のフラスコで金魚を飼っている。厳密には金魚だけではないが省略。問題なのは飼っている事じたいではなく、飼い方である。

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フラスコ住まいでも雨はつめたい 須藤未森 @mimomemo3

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