ep:1 アーバンダンジョン・ベルクブエナ③

 視界の360度はぎらぎらと燃える第四層混種交易区の摩天楼。聖ロルムの大聖堂、鋼人ドワーフ系企業の飛行船、幻術投影プロジェクションマッピングで踊るホログラムの美女、パブに煙る酒気の雲――それらは地の底まで続く広く深いクレーターの淵でひしめき合う。

 クレーターを鉄橋は横断し、その上の軌条を列車は行く。それはさながら空上を駆けているかのようだった。

 見上げれば、四層と同じような階段状の台地が連なっていることがわかる。第三階層工業区の絶えぬ溶炉と黒煙、第二階層自然保護区の新緑、第一階層の聖教区の極光――――。

 見下ろせば、回廊のような台地は連なり、第五階層の暗黒街、姿見えぬ第六階層、そして第七階層――修羅と虚の神ベルクの封じられたる地獄門の、太陽じみた赤熱明光。

 迷宮都市アーバンダンジョン――かつて巨神の御所であった巨大なクレーター。それに階段状に連なる七つの台地を開拓した大都。迷宮を利用した都市は数多いが、ここまでの規模、ここまでの発展を保った街は二つとない。それが、迷宮都市アーバンダンジョンベルクブエナ。

 その巨大な文明を、活きる無数の命の坩堝を、ゲルダは少女のように目を輝かせて見ていた。

「……すごい」

「なんだ?初めてか?」

「実はまだこの街にきて日が浅くてな。綺麗なものだ、この街は」

――――ゲルダの視野の片隅で、蛮鬼オークが静かに微笑んだ気がした。

 バルバロが顔を上げる。視線の先には、飛影。自分たちを補足した亜竜が、こちらへ滑空してくる。

 瞬間バルバロの足が扉を蹴破って、彼はそこから飛び出した。

森人エルフ!降りるぞ!」

「なっ……私は!ゲルダ、だっ!」

 わずかな逡巡の後、ゲルダは列車から飛び降りた。鉄橋に着地した後も、白のキャリーケースは手の内に収まったままだ。

「そして、ここからどうするつもりなんだ?何か考えがあるのか?」

「簡単だ。ここでアイツを、堕とす」

「なっ……相手は兵器だぞ!機動隊でも用意しなければ対処できない!」

「じゃあなんだ?聖堂から機動隊を召集するのを待つか?その間に、街は黒焦げだ」

 ゲルダの言葉が詰まる。つい先ほど一望したあの景色が、極彩混色の街並みが、焔の赤に塗りつくされるのを幻視したのだ。

「だがここから。この鉄橋の上でなら、被害は最小限に食い止められる」

 同じ様を思い描いたのか――バルバロの目にも、灯が宿る。

「『蛮鬼オークならば、戦え。奪うために戦い、奪わせぬために死ね』」

 彼方から竜が迫る。その風圧が軌条を震わす。明確な死の予感を前にして、それでも蛮鬼オークは飛影を真っ向から見据えていた。

蛮鬼オークの流儀。その一条だ。ここは俺の街……俺のモンだ。そうである以上、誰にも奪わせねえ」

「だから……敵わぬ相手と戦って、死ぬとでも?」

「死ぬかもな。だが、その程度の理由で蛮鬼オークは止まらねえよ」

 蛮鬼オーク。略奪と侵略を営みとする戦闘民族。かつてはどれほど劣勢でも戦うことを止めないその蛮勇ぶりから、野蛮な未開人と語られてきた。近代化を経た後も、死を顧みぬ精神を守り続けているとしたら、それはもはや狂気だ。

 そうであるのに、ゲルダには目の前にいる相手が、狂人には見えない。

 狂人の背中は、こんなにも力強く、熱気に満ちていない。


 信念。信念だ。死地でも揺るがぬ鋼柱のような信念を、この男は持っている。つい先程であったばかりのゲルダにも、それは如実に伝わってきた。


「……奴をどう倒すつもりだ」

「逆鱗を突くさ。それを守る装甲を、ぶっ壊す算段はついた」

「本当か!?」

「だがそのあと逆鱗をぶち貫くのは……骨が折れるな」

 兵器の装甲を生身で破壊する。その難行をバルバロはさもなく語って見せる。ゲルダはその背の後ろでしばし黙考し、やがて顔を上げた。覚悟を決めたかのように。

「なら。逆鱗を撃ちぬくのは任せろ」

「あぁ?」

「距離は最大で160フィートから20050mから60m。それと5秒集中の時間がもらえれば、やって見せる」

「マジで言ってんのか?ライフル射撃を拳銃でやろうってんのかよ」

「できる」

 水晶玉で設えたかのような、透き通った藍の瞳がバルバロを見据える。

「こういう時のための特別捜査官パラディンだ。どんな困難を前にしても、市民を守って見せる――戦わぬ道理はない」

 ゲルダの腕はか細く、その整った顔は儚さを感じさせる。多くの森人エルフがそうであるように、希薄で玲瓏としたそれだ。しかし吐き出された言葉は――強かな意志と熱を湛えているのだ。

「……任せるぜ」

「ああ、任せた」

 亜竜が中空にて旋回、空の中で身を躍らせた後――重力に乗って滑空してくる。殺戮の機影が鉄橋に沿って真っすぐに、二人へと迫りくる。

 その影を真正面に見据えながら、バルバロは走り出し、ゲルダは銃身をスライドした。


 バルバロが突き進む。紅蓮の瞳が光の尾を引いていく。軌条を踏みしめるたび、枕木がひしゃげていく。

 亜竜は滑空し続けていたが――バルバロが接近すると同時、機銃が回頭。銃火が夜を照らす。

「ウオオオオオッ!」

 鋼鉄装甲弾フルメタルジャケットがバルバロの身体に降り注ぐ。彼はジグザグに走り被弾率を減少。だが時に弾丸がその筋肉を引き裂き、時に貫く。

「オ、オオオオ、オオオオオ!」

 亜竜が中空で翻り、ブレードの取り付けられた尾が振るわれる。鉄橋が引き裂かれ、バルバロの肩を刃が削ぐ。血が、弧を描いて噴き上がる。

「オ、オオオ、オオオオオオオオオッ!」

 亜竜の口が開き、溶炉めいた強光が瞬く。数歩ほど離れても伝わる熱量。開いた口の中で、熱力増幅の秘文字ルーンが浮かび上り――爆ぜた。

 宵闇の鉄橋を白昼のごとく照らし、遥か彼方の摩天楼からも目視できるような火焔が――超至近距離で、放たれる。


 だが、蛮鬼オークは止まらない。

「WOOooooooooooorrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrRRrRRRR!!!」

 緑の巨腕が、焔を切り裂く。筋肉が焔に焼ける前に、皮膚に熱が伝わるよりも速く。その腕が、亜竜の牙を掴んだ。

 鉄をも溶かす熱量の中から、蛮鬼オークが現れ――牙を見せて笑う。その身には銃創、裂傷、火傷、それなのに、焔よりも熱持つ生命力に満ちた顔。

 バルバロはそのまま竜の鼻面を掴むと、そこから飛び乗る。そして背後から竜の下顎に手を廻し、

 蛮鬼闘法オーク・クンスト万力絞殺チョークスリーパー

 裸絞め要領で、竜のあぎとを、閉じさせた。

 焔を噴き続けていた竜の口が塞がれる。仰け反った亜竜の口から、止まらぬ炎が漏れ出す。

 途端、露わとなった逆鱗部を覆う装甲に、亀裂。

「へっ……作戦通り……」

 亜竜を絞めながら、バルバロは玉のような汗をにじませていた。今、彼の身体は膨大な排熱に晒されているのだ。

――亜竜の火は竜人や古龍ほど強くない。だから、口の中に刻んだ秘文字ルーンで火力を強化していた。

――だがその一方で、亜竜の身体の耐久力を越えてしまったはずだ。

――もし、口を閉じたまま火焔を放射した場合、熱量は暴走し――。

 逆鱗部装甲の表面に刻まれた秘文字ルーンがひび割れる。そして次の瞬間には、

 BOMB!

 竜の咽頭部が膨張、破裂。皮膚が千切れ、装甲が崩れて落ちた。

 露わとなる逆鱗――咽頭部にある、逆向きの鱗。亜竜の血管と神経が集中する一点――それを、水晶の瞳が捉える。


「……本当に、無茶なことをする」

 だけどあそこまで身体を張られたならば――答えねば、ならない。

 120フィート60m後方。逆鱗は一粒の豆程度にしか見えないその地点から、ゲルダは銃を抜く。身体には、蛮鬼オークの蛮勇に充てられたのか、高揚を伴う不思議な熱気が滾っていた。

 これを勇気――――というのだろうか。

 そして額に銃身を触れさせ、瞳を閉じ唱える。特別捜査官パラディンとして、神聖魔術行使のための聖句を。

「≪反動補正1.5度から3.5度まで拡大、制限術式第三段階まで解除 騎士勲章:赤獅子クリアランス:レッドを持って誓願「対象をBクラス重犯罪要因と断定」≫」

 瞳の奥に映るのは暗黒ではない。聖句を通じ、散っていた魔力が一つの流れに収束していく感覚。

 銃身に刻まれた聖印が、白光を曇らす。

 どこからともなく、遠雷のとどろき

「≪聖句コード:彼方に遠雷あらば 正しき業を為せ 神託「上位神聖魔法の行使認可」確認――照準確定、装填完了――――執行ジャッジメント!≫」

 瞬間、天上のはるか彼方から、一擲の雷霆。雷霆は銃身に降り、十字の聖印に走る。

 その紫電の圧を掌中に感じながら、ゲルダの指が、引き金を引けば、雷鳴。

 彼女が反動で弾き飛ばされるほどの威力。銃弾は稲妻となって、一縷の光が空間を切り裂いて、亜竜の喉元へ―――――。


 その日、第四階層の空洞地点。大鉄橋上空にて、雷の烈光、膨大な魔力の余波、そして堕ちる亜竜の姿――を確認。翌日堕天する竜の美しいスナップが朝刊を飾ることとなる。


 *


「……上位神聖魔法≪執行ジャッジメント≫か……こりゃ、たまげたぜ」

 バルバロは軌条のど真ん中に寝そべっていた。その身からは、しゅうしゅうと煙が立っている。

「大丈夫か!?」

「アー、元気元気」

 駆け寄ってきたゲルダを手で制し、のそりと起き上がる。亜竜の猛攻を一身に受け、息吹の熱と雷の残滓を浴びたのだ。しかし尚も動くその頑健さに、もはやゲルダは驚き疲れていた。

「しかしあんなすげえ魔法撃ってよかったのか?」

「赤獅子勲章は第三位。非常事態ならば独断で神託を誓願、“都市律”違反が認められれば強制執行が認可される」

 つまり相手が犯罪者ならば、神の兵器をいただける程の神聖魔法――バルバロは目の前にいる森人エルフが、ただの新参者の見習い騎士ではないと理解した。

「さて」

 ぼん、とバルバロがキャリーケースの側面を叩く。それに気づくと、ゲルダはキャリーケースを引いた。

「あー!?まーだ意地はるか騎士テメー」

「話はまだ済んでないのでな。亜竜を動員するレベルの機密がこの中にあるのならば、なおさら私の意志は固いぞ」

「めんどくせえヤツ……オッ、あそこに引ったくり犯」

「なにっ‼」

 まったくもって予想通り――視線を逸らしたゲルダからバルバロはキャリーケースをひったくる。

「なっ、き、きさまぁっ!」

「バーカバーカ!鈍鬼トロールだって騙されねーぞ今のは!」

 顔を紅潮したゲルダと揉みあいになってるうちに、キャリーケースは軌条に転がり、酷使され続けていた留め金が――外れた。

 上向きに、キャリーケースが開く。そして、瞳に映った光景に――バルバロとゲルダは幻術の類を疑った。


 そこに身を折りたたむようにして収まっていたのは――白髪白面の少女だった。一切色素がないかのような真っ白な裸体。雪で形作ったかのような、生命感のない美しさ。

 眠るように閉じた瞼にも、身を包む繭のような長髪にも、雪の粒が纏っている。それは、きっとキャリーケースの内壁に施された冷気の秘文字ルーンによって内部が冷凍庫に変えられていただろう。

 少女の唇に浮かぶ、低体温症特有の痙攣を目にしたとき――二人は同じ行動をしていた。

 ゲルダは少女をケースから引き揚げ、抱き寄せる。バルバロはゲルダごと自分の身体で包む。

 二人の体温が、少しずつ少女に熱を与えていく。

「どうして――――」

 無意識的な行動から覚め、ゲルダは驚愕に震えた。バルバロも、同じだった。少女の姿を見たら、この街、いやこの世界が同じ程驚愕するだろう。

 それは、もはや太古の時代の話。≪大冒涜≫の折に神罰を受け、失われし種族。

 少女には長耳が無く、角が無く、背丈は森人エルフ小人ハーフの中間に。逞しき腕も獣の相もない――神の祝呪なき種。


「どうして――この世界に、“人間ヒューマン”が」

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アーバンダンジョン・14デットエンド あほろん @ahoronn

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