ep:1 アーバンダンジョン・ベルクブエナ②

「なッんだありゃああああああああああ!!!」

 焔を引き裂いて、バルバロは飛び出した。彼の塹壕外套トレンチコート蜘蛛女アラクネの紡ぐ鋼絹糸で織られている。しかし莫大な熱量に晒された結果、それすらも無残に焼け焦げていた。

「な、ちょ、きさま、降ろせっ!」

 彼の腕の内で、ゲルダが暴れる。彼女は今、キャリーケースごとバルバロに抱えられていた。

「四の五のいうな!俺がコートで覆ってやらなかったら今頃森人エルフの黒焼きだぞテメー」

「聖堂警察の標準制服は人造ミスリル合成繊維だ!あの程度の炎熱なら耐えうる、厚かましく言う……」

 二人の足が、路地裏を抜けようとしたその途端。

 目と鼻の先の通りに、炎の柱が突き立つ。面皮を炙る炎熱。泡を噴き溶解するアスファルト。

「……耐えうるか?」

「……掠めた程度なら」

 二人はゆっくりと、頭上を見上げた。


 そこにいたのは蝙蝠の大翼と、鱗に覆われた頭と尾を持つ、巨大な生物。竜、と形容するに足る雄々しき体躯。そして本来無い器官である鋼の外殻と腹部の機銃二門。両翼の中央に開いた回転推進器プロペラ

龍星ロンシェン重工製、局地制圧用攻撃亜竜ガンシップワイバーン!」

「ハァーーッ!?兵器じゃねえか!」

 二人が駆けだすと同時に、亜竜が咆哮。機銃が火花を噴く。

 驟雨しゅううのごとき弾丸に、アスファルトは木っ端と散った。その弾幕から跳び出した二人は、キャリーケースを滑らせ表通りへ躍り出る。

 歓楽街の迷光のもと、自動四輪や駆動魔獣、原付怪鳥が舞い人馬ケンタウルスが駆け抜ける。その間を、二人が縫うように走るものだから、公道は一瞬でクラクションと罵声に満ちた。しかしその音が、亜竜の機関銃の金切り声に塗り潰される。爆発。破砕。キノコ雲。

「アソコまでやるか!?どんなモンが詰まってんだよこいつは!?」

「わからない……第四層での侵略兵器の使用は“都市律”に違反する。聖堂が神に通告したらば一発で神罰の、あまりに無謀な行為……ええい、考えてもいられない!」

 あの亜龍の所有者を特定したらば、神罰でこの事件は解決できる。だがそれは到底望み薄だ。単純な手口であんなものを出すわけがない。

 亜竜に背を向けていたゲルダが、踵を返し向き直る。銃を額につけ瞑目すると、照星を飛行する亜竜に合わせ、発砲。

 Blam!!Blam!!Blam!! 銃火マズルファイアが瞬き、弾丸は亜竜の頭部、翼、腹部に命中――しかし、黒鉄の外殻や翼膜に刻まれた反射の秘文字ルーンによって、鉛玉は弾かれていく。

「ちいっ……」

「バカヤロウ。お前、竜の倒し方を知らねえのか?」

 足元に転がるパイプを掴み、バルバロはそれを振り上げた。

「竜の弱点は、咽頭から全長の1/10下の位置にある、逆鱗!」

 槍投げの要領で投擲すると、パイプは推進力を伴い、竜の喉元へと飛んでいき――外骨格と三重の秘文字ルーンの双方によって弾かれた。

「……あり?」

「周知の弱点だ!一番対策されるに決まってるだろ、バカモノッ!」

 顔を真っ赤にしたゲルダが、黙するバルバロを叱咤する。

 途端、飛行する亜竜が憤るように声を漏らし、口を開く。熱量増幅の秘文字ルーンがホログラムめいて煌めいた。

「……まっずいッ!」

 バルバロが横転した魔導四輪を掴む。膂力だけでそれを持ち上げ、前方に向かって放り投げた。

 亜竜の口内より、強光が煌めき、放射――業火が渦巻き地を炙る。道路上を紅蓮が舐め、包み込まれた魔導四輪はその外装が一瞬で溶解していく。

 当然バルバルとゲルダも焔に――焼かれない。バルバロの投げた魔導四輪が盾となり、彼らを火焔から僅かな合間遮ったのだ。

 バルバロはゲルダとキャリーケースを抱え、飛び出した。背後の爆炎が彼の背を焼き、衝撃が身に襲い掛かる。

「……平気なのか?」

 まるで心配するようなゲルダに、バルバロは妙な顔をしたのち――笑って見せる。

「神の戦狂から生まれた種族、蛮鬼オークだぞ。この程度、なんでもねえよ」

 蛮鬼オーク

 主に大陸の西方や南方に起源をもつ戦闘民族。頑健にして怪力。≪大冒涜≫以前であれば略奪と侵略を繰り返し、尽きぬ生命力と“戦狂い”としか形容できない自滅的な戦い方によって諸国を慄かせた存在。

 そして――森人エルフとは血濡れた歴史を共有する。蔑視しあう関係にある。だからこそ、バルバロからすれば森人エルフに身を案じられるなど、不思議な光景であった。


 二人は表通りを横断し、亜竜を尻目に地下鉄の入り口を駆け下りる。

 犬面の獣人コボルドの脇をすり抜け、巨人ジャイアントの下をくぐり、宵時の混雑したプラットフォームへと滑り出た。しばし、二人は息をつく。

「それよりも、だ。森人エルフ

「ゲルダ、だ」

「聖堂警察の機動隊は、もう連絡してあんだろ?あと何分で到着する?」

 白磁の指先が耳元に添えられ、ゲルダは瞑目した。そしてどこか口惜しそうに顔を歪める。

「第八分署から今やっと出動したところだ。連絡系統で混乱があり、だいぶ遅れている。持って、12分は要する」

「はあん。なるほどね」

「攻撃亜竜を撃墜し得る高射砲の到着は、さらに15分だ」

「相変わらずのお役所仕事だな。スラム同然の第四階層なんざ、ほっときたいのが本音なんだろ」

「……すまない」

 か細く漏れた声に目を剥ければ、ゲルダは唇を噛んでいた。まるで、聖堂警察の不手際が、己の不手際であるかのように。

 今も響く爆音と鳴動が、己の無力のせいであるとでも言うかのように。


 ガッと、バルバロがゲルダの細い腰に手を回す。ゲルダが「ひゃっ」と声を漏らす前に――彼は駆けだした。背後では瓦礫が落下。

 天井にはいつのまにか穴が穿たれ、占術索敵機アストラルソナーにより探知した亜竜が地上より見下ろしていた。

「ったく!くよくよしてる暇はねえぞ!」

「きさ、わ、わかったから……下ろせぇっ!」

 ゲルダの叫びはプロペラの轟音にかき消され、バルバロには届かない。ゲルダとキャリーケースを抱いたまま、地を蹴って跳びだした。

 プラットフォームを右往左往する人々の合間を縫って、バルバロは沈黙思考する。開いた穴から伸びた龍の尾が、その背をかすめる。


 ――逆鱗の装甲は単眼印サイクロプスのダマスカス鋼製。そして竜人御用達の血印秘文字ルーン

 ――こいつを真っ向からブチ抜くってんなら魔道兵器でも必要だ。対兵器を視野に入れて作られてるんだから当然だな。

 ――対兵器を想定しているなら、想定していない事態はなんだ?

 ――製品として想定されていない異常バグ。そいつをつけば、あの装甲も――。

 亜竜が口を開く。口腔の中で秘文字ルーンが瞬けば、火弾。バルバロの脇を、火球が過ぎ去る。それはプラットフォームの端に炸裂し、コンクリートを砂塵に変えた。

 その様子を、バルバロの眼光は捉えていた。

「……ハッ!やっぱ勝機ってのは降りてくるもんだな!」

 そこに巨虫列車キャタピラートレインが駆けつける。ドアが開くと同時に、関を切ったように逃げだす人。

 軋みを上げて走り出した階層横断急行に飛び込めば、先頭車と一体化した巨大芋虫キャタピラーが疾駆。列車は軌条を滑り出す。車窓の景色はプラットフォームから、地下トンネルの暗闇へ。

 地下トンネルの暗闇と温い排気を浴び、光へと突き進んでいけば――そこは、空の上だった。


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