ep:1 アーバンダンジョン・ベルクブエナ①


止まれフリーズ

 刃を鞘から抜いたような、冷厳と澄んだ声。その言葉を、男は理解しないわけではない。

 トレンチコートの巨漢は足を止める。右腕はポケットに突っ込み、左腕は“それ”を掴んだままゆっくりと振り返る。

「貴方……」

「!てめえ……」

 二つの視線が、廃液と壊れた街灯の路地で交差した。

蛮鬼オーク……」

森人エルフ。それに、特別捜査官パラディンだな」

 森人エルフの視線は、その緑の顔に。蛮鬼オークの視線は女のスーツの胸元で光る聖ロルムの聖印と、その紅い長髪に向けられていた。

 暗い路地。背後に歓楽街の燐光。その煌めきに交わらぬ、炎を紡いだかのようなくれない

 ――赤髪の森人エルフたぁ、珍しいな。

「どうかしましたか?」

 威圧するように、森人エルフの視線が鋭くなる。

「……どうでもねえよ。そっちこそ用はなんだ」

「私は間階層治安機構≪聖堂警察庁≫の一等捜査官、ゲルダ・ヘイムダル。聖堂警察は全ての階層、全ての自治区において行使できる捜査権限を持っています。そのうえで、貴方に通告します」

 教本の1ページに書いてあるんだろうお決まりの文句を、わざわざ一字一句丁寧に唱え、森人エルフ――ゲルダは通告する。

「まずは身分の開示を。そして、今持っているそのキャリーケースを離しなさい」

「……」

 蛮鬼オークはゆっくりとゲルダに向き直り、手に持つキャリーケースを握りしめた。


「まず、身分だな」

 貫くような視線を前にしながらも、蛮鬼オークは巨岩のように構えていた。右腕の魔晶時計をワンタッチ操作し、空中にホログラムでIDを表示させた。

「俺はバルバロ・ヴェング。種族は蛮鬼オーク。年齢は25。見てわかるように男。住まいは第四層14街区のA。職業は……探偵だ」

「探偵?」

「そうだよ。浮気調査が入用かい?」

 茶化すように肩を竦める蛮鬼オーク――バルバロに、ゲルダは眉を顰める。彼女には、道化た態度は勘に障るらしい。

 ゲルダは耳元に手を当てる。そこに吊るさった魔晶ペンダントの秘文字ルーンが青く点灯した。

「……確認しました。確かに市民登録されています。各種補導歴・犯罪歴があるようですが今回は追及しません。それはさておき……」

 ゲルダはゆっくりと歩み寄る。ブーツの底が、廃液に触れた。

「早くそのキャリーケースを、離しなさい」

「こいつがお目当てか?そんな気に入るデザインかね?」

 真っ白な外装のキャリーケースをバルバロは指で弾いて見せる。彼の腰に届く規格外の大きさから、それはきっと既製品ではない。

「26分前に発生した、第四層14街区北西部周辺での抗争。その渦中にあったのが、貴方の持つ白いキャリーケースです。あの抗争は、それの奪い合い」

「……だから?」

「そのキャリーケースは、紛争の火種となり得ます。故に、聖堂警察庁で確保します」

 成程ね――嘲りを含め、バルバロがその口角を歪めた。

「ギャング達が狙うほどの儲けネタが、この中には入ってるワケだ。そいつを自分らでガメちまおうと。うまい商売思いつくね、騎士様方は」

「なっ……!」

 それは聖堂警察の汚職と収賄への皮肉だ。ゲルダの顔が怒りに歪み。バルバロはほう、と息を漏らす。超然怜悧な森人エルフらしくない、ずいぶんと感情豊かな性分だった。

「否定します。貴方こそ、それをどうするつもりですか?」

「ここは、俺の街だ」

 活火山の奥底で、溶岩が蠢く。それにも等しき重さと熱を蓄えた言葉。

「第四層14街区はな。だから、街を脅かす抗争ドンパチの火種があるってんなら、俺が潰す」

「それは、私たちの仕事です」

「テメーらが小金稼ぎと権力争いで仕事しねェから俺がやってんだろうが」

 迷宮都市アーバンダンジョンベルクブエナにおける治安機構、≪聖堂警察庁≫の汚職は事実――ゲルダは苦し気に顔をしかめる。

「……それをこちらに渡す意志はない、ということで、いいのだな」

 もはや彼女の振る舞いに礼節は無い。威圧的な言葉を恣意しい的に選び、眼前の蛮鬼オークを睨みつける。

女戦士商会アマゾネス.comを見てみな。こんなケースより趣味のいいのがある。ユニコーン毛皮のポーチがセール中だぜ」

 応えるように、バルバロは旺盛な戦意を露わにした。

 蛮鬼オークが巌の拳をポケットから抜く。

 森人エルフがジャケットの内側に、右手を入れる。

 張りつめ切った弓弦のような、緊迫した時間が過ぎ―――。


 乳白の繊手が、ジャケットより抜かれた。

 脇に吊ったガンホルダーより、白金の拳銃を。鋼人ドワーフ系銃器メーカー製の9mmダブルアクション自動拳銃。銃身には法と雷霆の神ロルムの聖印彫刻済み。

 安全装置を外し、銃身をスライド。連動して落ちる撃鉄ハンマー。銃身の聖印を己の額に添え、1秒間瞑目し聖句を唱える。薬室中の弾丸に神聖魔法を付与。

 聖印が燐光を揺蕩わせたのと同時に、左手を添え、放つ。

 ――――背後へと。

 Blam!!Blam!!Blam!!

「Arrrrrrrrrrrrr‼」

 銃弾は背後から迫る襲撃者の手に着弾し、その手の銃を弾き落とした。フードを被った襲撃者は暗器を取り出そうとし――稲妻に、その身を焼かれた。

 銃創に聖印が浮かび上がり、超常の電流が駆け抜ける。白目をむいて、男は仰向けに倒れた。

 瞬間、バルバロが風を切り駆けだす。キャリーケースを小脇に担ぎ、ゲルダへ接近。

 そして彼女の前にて――跳躍。彼女の頭上から迫っていた凶刃を、その拳で受けた。拳の表皮すら傷つけられぬまま砕ける刃。

 ゲルダが驚愕している間に――バルバロの返す拳が、ビルの屋上から落下してきた蜥蜴人リザードマンの顔面に突き立った。

 暗殺者ローグが、路地裏から表通りまで弾んでいく。

「……礼を言うっ!」

「それよりもこの野郎、蜥蜴人リザードマンだ。≪竜種ドラゴ三合会トライアド≫も噛んでるのか」

「そうだ。そろそろそのケースを預ける気になったか?」

「三合会と関係が密な騎士様方こそ」

 二人が互いににらみ合い、互いにキャリーケースの取っ手を強く握りしめた途端、

 膨大な轟音と白光、そして業火が、頭上より二人を包んだ。

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