ルーシー

はな

ルーシー

「いっしょに、手をつないで死ねたらいいわね」


 そう言ったとき、ルーシーは11歳。ぼくはほんの9歳だった。

 それでも、ぼくと彼女の未来はかがやいていた。ぼくらがまだ子どもだってことなんかどうでもよかった。

 ルーシーは世界一の女の子。その彼女といつもいっしょにいられるぼくは特別な男の子だ。

 そばかすだらけで、自転車に乗るのが誰よりうまい。自転車に乗っている時、彼女の顔はかがやき、亜麻色の長い髪はうれしそうにはねる。


「いっしょになんてむりだよ」


 だって、ぼくのおじいちゃんは、おばあちゃんより先に死んでしまったもの。


「わからないわよ」


 いたずらっぽくそう言ってルーシーがウインク。そうすると、もしかしたらそうなるのかもとぼくはいつも思う。

 ルーシーは魔法が使えるのかもしれない。


「ねえ、アレン。じゃあ、わたしたち、ぜったい結婚しなきゃね」


 そう言った世界一の女の子の太陽のような笑顔に、ぼくはよろこんでうなづいた。


「ルーシーとだったらぼく、いっしょに手をつないで死ねるか、やってみるよ」





 ◆ ◇ ◆





 海沿いの道を、少し無理して買ったオープンカーで走る。

 子どもの頃自転車に乗るのが少し苦手だった僕は、自転車のように風を受けられるという理由だけで、オープンカーに憧れていた。

 僕も風を受けて走りたかったのだ。あの頃のルーシーのように。


「とってもいいわ! 凄くすてき! こんな素敵なビーチがあるなら、わたしこの街に住みたかったわ」


 海を眺めていた彼女が運転席の僕を振り向き、笑う。

 風に舞う彼女のブロンドがきらめいて流れる。僕は、それを見るのが好きだ。


「前来た時に、この道を通ってくれてたら良かったのに。そしたら、絶対、この街に住むって決めたと思うわ」


 ここに、彼女と住む。

 悪くない未来に思えた。けれども、きっとそれは無理だ。

 彼女と手をつないで、一緒に死ねるだろうか? それは、試してみなければわからない。その夢が叶うのは、もっとずっと先のこと。

 ただ、それはこの街じゃない。


「そんなに気に入ってくれるなんて思わなかったな。もっと早くにこの道を選んでおくべきだったね」


 それは、小さな嘘。

 彼女とも長い付き合いだ。海が好きな彼女がこのビーチを気に入るだろうことはわかっていた。

 だからこそ、今、初めてこの道を通ったのだ。今ならもう新居はある。海の見えない街に。

 あぁ、そうだ。

 この街を離れて彼女と未来を作る僕には、行かなくては行けないところがある。

 きっと、彼女も一緒の方が喜んでくれるだろう。

 僕を、許してくれるだろうか。

 それとも、最初から許してくれているだろうか。


「ちょっと、寄りたいところがあるんだけど、いい?」






 ◆ ◇ ◆






 海に行こうよ。

 そう言ってきたのはもちろんルーシーの方だった。

 ぼくたちは、いつも自転車に乗って海へ行く。

 ルーシーが前で自転車を元気にこいで、ぼくが後ろで彼女にしがみついている。それはとても危ないけれどスリルがあってぼくは好きだ。


「早く夏にならないかなぁ。早く泳ぎたいね!」


 元気にペダルをこぎながら彼女は空をあおぐ。だから、ぼくも彼女の背中ごしに空を見上げる。

 そうしてしばらく海ぞいの道を走ってから、自転車を道ばたにとめてぼくたちはビーチへと降りる。

 はだしで歩く。

 その時のルーシーは自然で、とてもきれいで、やっぱり世界一の女の子だった。

 まだ夏にならないビーチの砂はひんやりと冷たくて気持ちがいい。

 ぼくらはどちらともなく砂の上に座って、空を見上げる。

 青い空。広い世界。どこまでも続いているかのような海。どれもぼくたちにはふしぎな世界だった。

 そんな世界をながめているのが好きだ。世界にぼくたち二人だけみたいにしてながめているのが。


「ねえ、わたしがママになったら、どんなかしら?」


 よくルーシーはそういう空想にふけることがあった。それは楽しい空想だったから、ぼくはその世界の話を聞くのが楽しい。

 世界一の女の子の世界。そして、その世界にはぼくが住んでいる。


「ルーシーだったら、きっといいママになるよ! 明るくて、愛情たっぷりなんだ。でも、子どもたちがいけないことをしたら、怖い顔してしかるんじゃないかな」


 よくルーシーのいたずらをしかっている、彼女のママみたいに。


「その時、パパはどうしてるの?」

「きっと、ぼくは、こどもをかばっちゃうよ。だって、大人の言うことをききたくない気分の時だってあるからさ」


 彼女がママで。当然、ぼくはパパで。子どもがいて。


「ずっるーい!」


 大きな声を上げたルーシーの顔は笑っている。


「ねえ、じゃあ、週末はどこに行く?」


 彼女の大きな瞳がきらきらとかがやく。今彼女の心は未来にいる。


「もちろん、ここだよ。家族でバーベキューするんだ」

「そうね、いい考え! きっとそうするわ!」


 楽しそうに笑うルーシー。そんな彼女の姿がぼくは大好きだ。

 大好きだ、ぼくのルーシー。

 ぼくが彼女のほおにしたキスに、彼女は本当に楽しそうに笑った。

 そして、今度は彼女から、ぼくの唇に小さなキスをくれる。


「待ち遠しいわね!」


 手をつなぐ。この手をつないだまま、いっしょに死ねたら。






 ◆ ◇ ◆






「着いたよ」


 そう彼女に声をかけて、僕は車を降りた。すこし固まっていた彼女も、すぐに僕を追いかけて車から降りてくる。


「着いたって……誰かここにいるの?」

「そうなんだ。君を紹介しておかないとと思ってさ」


 目の前に並ぶのは、十字架。白い墓石。

 無数の十字架の中を、僕と彼女は進む。もう何年も来ていなかったけれど、そんなことなんか感じないくらい迷わず歩ける。

 あの日から、どれだけここへ来て泣いただろう。

 そして、いつからここへ来なくなってしまったのだろう。

 僕は、変わったのだろうか? それとも。


「ほら、ここ」


 そして、一度も迷うことなく一つの十字架の前へ。

 風に飛ばされてきた落ち葉が軽くつもる墓石。その落ち葉を軽く手で払う。


「久しぶりだね」


 そこに刻まれた文字を指でなぞって、彼女を呼ぶ。


「ここに居るのは、誰なの?」


 少し怪訝そうな彼女。無理もない。

 彼女が墓石に近づき、その主の名を読む。

 僕の愛した、軽やかな鈴のような声で、その名を。






 ◆ ◇ ◆






 砂をはらって、ぼくたちは夕やけの中、なごりおしくビーチを去ることにした。

 車道に上がり、自転車へとむかう、そのいっしゅんのことだった。

 後ろでルーシーがなにかさけんだ。なんて言ったのかはぼくにはわからなかった。

 彼女をふり向いたぼくは、ルーシーの両手で胸をつきとばされ、足が地面をはなれて。

 ルーシーの亜麻色の髪がゆれる。彼女の必死な顔が見えた。つき出された両手が。

 そして、彼女をのみこむ赤いかたまりが。

 地面に背中から落ちたぼくは、一瞬目の前がまっ暗になった。けれども、ふしぎと痛みは感じなかった。

 なにもかもがマヒしてしまったかのような、気持ちのわるい時間。

 体を起こすと、目の前には赤い車。


「ルーシー……?」


 なにか、とても大変なことが起こった。だけど、ぼくの頭ははたらかない。考えられない。


「ルーシー? ルーシー? ルーシー、どこ!?」


 立ち上がり、赤い車の周りを見る。いない。

 ルーシーは?


「ルー……」


 きょろきょろしながらもう一度よびかけて、気づいた。


「ルーシー!!」


 車からだいぶはなれた場所だった。その時はなにも考えられなくてわからなかった。ただ、そこにルーシーはたおれていた。血を流して。

 かけ寄って、足がすくむ。

 頭から血を流してたおれているルーシー。血の気のなくなった顔。足の様子もおかしい。

 そばにひざまずく。そして、彼女の体をゆすった。


「ルーシー、目をあけて……」


 涙があふれてくる。ぼくはどうしたらいい? わからない。血はどうやって止めたらいい? わからない。レスキューはどうやって呼べばいい? わからない!!


「ルーシー!!」

「……アレン」


 かすかなルーシーの声。しぼり出すような、苦しい声。


「ルーシー!!」


 ゆっくりと彼女の瞳がひらく。ぼくの大好きな、きらきらした瞳が、今はくすんでいる。


「あぁ……アレン。なに、泣いてるの?」


 のどをふるわせて、本当に虫の息をはいて、ルーシーはかすかに笑った。


「けが、しなかった……?」


 ぼくに答える時間はなかった。小さな笑顔をのこして、彼女の瞳はとじた。永遠に。

 ぼくが何度よんでも、体をゆすっても、もう瞳を開けてくれることも声をきかせてくれることもなかった。

 わからなかった。どうしてこうなってしまったの?

 手をつないでいっしょに死ぬ約束だったのに。

 どうして。

 ルーシーは魔法が使えるはずなのに。

 世界一の女の子なのに。

 どうして。どうしてぼくは置いていかれたんだろう。






 ◆ ◇ ◆






「ルーシー・アンダーソン……?」


 僕にとっての太陽で、僕にとっての風で、僕にとっての海だった、世界一の女の子ルーシー。

 僕の幼い日々の全てだったあの少女。

 僕より二つ年上の、そして永遠に11歳の、世界一の女の子。


「彼女、幼なじみなんだ。11歳で亡くなった……暴走車から僕を庇って」


 彼女が鋭く息を飲むのが聞こえた。


「彼女が、僕を突き飛ばしてくれてなかったら、死んでたのは僕の方だったんだ」


 僕なんかを庇うなんて、ルーシーは馬鹿だ。

 そう言って、この墓石の前で何度泣いただろう。

 彼女は太陽だった。僕以外の人にとっても、彼女は太陽だった。それなのに。


「だから、レベッカを紹介したいと思って。君と出会えたのも、ルーシーが僕を救ってくれたからだから」


 一緒に死ねたらと願ったのに、僕はまだ生きている。そして、人生を歩いている。ルーシーには来ることのなかった明日を。

 そっとレベッカが墓石の前にかがみ、ルーシーの名を指でなぞる。そして、静かに胸で十字を切った。

 一緒に手をつないで死のうと約束したのに、今、レベッカと新しい未来を作ろうとしている僕をルーシーはどう思っているだろう。

 悲しむ? 裏切ったと怒る? それとも、良かったねと喜んでくれる?

 わからない。けれど、きっと彼女なら喜んでくれている気がした。だって彼女は太陽なのだから。僕を救ってくれたのだから。僕に未来をくれたのだから。

 僕の続く未来を望んでくれたのだから。


「あなたが亡くなってしまったのはとても辛いことだわ……でも、なんて言ったらいいかわからないことだけれど、あなたが居なかったら、アレンも今のわたしもいないのね……ありがとう……」


 小さくつぶやくようにそう言いながら、レベッカの手が優しくルーシーをなでる。そして、僕を見上げる。


「ルーシーに紹介してくれてありがとう。知らなくても生きて行けるけれど、彼女の存在がわたしたちの奇跡をよりいっそう感じさせてくれたわ」


 レベッカの瞳は少し潤んでいる。


「彼女の分まで、幸せにならなきゃね」

「そうだね」


 ルーシー。

 僕は、君がくれた続く未来をレベッカと生きる。

 君と望んだ未来を、君じゃない人と歩む。

 君を愛してる。それでも、レベッカを愛する気持ちは変わらない。

 僕は変わったのだろうか?

 そうだ、変わったのだろう。僕はもう、9歳の特別な男の子じゃない。

 そして、君は変わらず11歳の世界一の女の子。

 変わった僕をどうか許して欲しい。

 君が望んでくれた未来だから、僕は歩んで行きたいんだ。

 君は太陽。

 全ての者を平等に明るく照らす太陽。

 だからきっと君が望んでくれた僕の続く未来も明るく照らしてくれるのだと信じている。

 変わっても、変わらなくても。

 だからいつか君のことを僕が忘れてしまっても責めないでくれないか?



 世界一だった女の子、ルーシー。

 僕はもう、君の声が思い出せない。




 END


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ルーシー はな @rei-syaoron

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