第十五話

 あれから更に二年後。


 能古見中央病院の事故から丸三年が経過していた。



 その細道は、

 桜でできたアーケードのようだった。


 都心から離れた小さな霊園には、めったに人は近寄らない。バチが当たるのを恐れてか、花見をする者もいなかった。考えようによっては穴場である。


 その細道を亀尾神明は、手に一升瓶を抱えながら、足取りも軽く登っていく。白いスニーカーに桜の花弁がまとわりついている。 

 かっての綿が詰まったような太鼓腹も、

 丸い輪郭も、全ては元通り、

 いや、それ以上に引き締まり、

 精悍な顔つき、野生のカピバラになっていた。


 目的の墓の近くに到着すると、先客がいる事に気づいた。


「おや、先生。えらく遅かったですな」

 文彦が言った。


「遅いって、待ち合わせでもあるまいし。僕がこの時間にくるってわかっていたんですか?」 

 神明は少し呆れたように言った。


「いやぁ、あいつと同じくワシも桜が一番好きな花でな。先生来なくても何時間でもこうやってぼーっとしちょられますけ」

 

 二人して墓前で手を合わせた後、文彦が神明に言った。


「先生が辛い決断をされてからもう1年、まだ1年。ワシも先生のことを心配しておりましてな。じっくりお話を。

 というのは半分――今日ここに来たのは半分は公務なんですわ」


「公務? 僕なにか悪いことをしました?」

「先生、学生時代、伝説のハッカー〝バレル(BARREL)〟と言われよったらしいですな」


 バレル――全てことを知る神の目を持った伝説のハッカー。


 知らないことは何も無い、

 あらゆる情報を自由自在にあやつる男。


 その正体は、遊びで作ったウイルスソフトを、たまたま全世界に拡散することができた、ごく普通の医学生だった。

 当初遊び半分だった彼も、つい悪乗りしてやりすぎてしまったのだ。最終的には公安警察の知るところとなる。


 ハッキングの罪は重い。


 しかし、彼の作ったハッキングツールの優位性に目をつけた公安によって、協力することを条件に罪を免れ現在に至る。


「――とまあ、罪がばれて公安の犬になったわけですな」

「文彦さん、それなんで知っているんです? トップシークレットじゃ……まさか」

「お、わかりましたか? ワシ、実は公安に移りましてな。半年ほど前から先生の担当なんですわ。電話の相手、ワシに変わっちょったの気づかんかったでしょう? AI経由の音声は標準語ですからな」


 文彦は照れ臭そうに、

「今後もよろしゅう頼んます」

 そういって右手を差し出した。

 神明は、文彦の右手を握り、ぎょっとした。


「文彦さん、これ義手だったんですね」


 文彦の顔がまた、真顔になった。

 

「先生とは浅からぬ縁なんで言いますがの――先生の立場は非常に危うい、公安ちゅー所は、先生の様な協力者を平気で切りますけね。

 しかも今、先生がやっていることは、黙認されちょりますが、一歩間違うと。いや、全部バレると。ですな。わかるでしょう?」


 神明は覚悟ができている様子でうなずいた。


「ところがじゃ。実はワシも微妙な立場でな」

「え? 文彦さんも?」

「それがまた神明さんに少しだけ……いや、大いに関係があるんですわ。話すと長くなるんですが要点だけいうと――」


 文彦の話を聞いた神明は、そんな馬鹿なと信じようとしなかった。


「まあ、そうなりますわな」


 文彦は笑って足元に落ちている枯れ枝――桜の花に埋もれている、細い棒きれ――を一本、拾い上げると、周りを見渡して、適当な木の幹を目指し、シュッと手裏剣のように投げた。


 枯れ枝は、まるで金属の棒のように真っ直ぐ飛んでいき、樹に突き刺さった。


 神明はそれを見て、

「まじかよ?」

 信じられないという表情になるが、直ぐに、

「それ、研究したいな」

 とつぶやいた。


 そして、これからぼくが話すことは、信じられないと思いますが。と、前置きして切り出した。


「文彦さん。脳科学者である僕がいうのもなんですけどね。事実、魂というものは存在すると僕たちは考えています」

「僕たち?」

「ええ。更にそれは解析可能な物理現象として説明可能です。もちろん魂自体は測定不可能ですが、魂が落とす影といいますか、それは間接的に観測可能なんです。その計測技術を僕たちは、開発しました。

 そして解析を進めるにつれ、魂は細い糸で撚られた〝撚り糸〟みたいなモノだという仮説が生まれました」


「撚り糸?」

「そう。魂の撚り糸、僕たちは、


〝ゴースト・スレッド〟と呼んでいます。


 魂は、どこかわからない世界――仮に天国としましょう――その天国と、現世にある人間の脳が〝ゴースト・スレッド〟を介して繋がっている。そう、ニューロン樹状突起のように。

 そして〝ゴースト・スレッド〟は、人が亡くなる時、ほぐれて二つのグループに分かれます。ひとつは純粋な糸で天国に還ります。では、そうでない糸はどうなると思います?」


 神明の問に、文彦は言葉に詰まったようすで何も答えられなかった。

 

「――その天に帰らなかった不純物を含む糸は、地に残り、友人知人、そして肉親。その人が関わった人たちの魂の一部になる。融合するんですよ。そして、その人の一生の中でまた選別される。そういう具合に、魂は結合と分解を繰り返し、精錬されていく。

 私達が開発したその測定装置、〝ゴースト・スレッド・アナライザ〟を使うと、どうやらそういった動きをしているらしいということがわかってきた――それがここ2年の私達の研究内容なんです。

 流石に学者が真面目にそんな馬鹿なこと研究してるって、頭おかしいって思いますか?」 


 神明がそういうと、文彦は突然、興奮した様子で、両手で神明の肩を掴み、ブンブンブン、と大きく揺さぶりはじめた。


「先生、凄い! 凄い! いや全く、そうか、そうか――じゃけぇ、そねーなことか」


 そして、ふと後ろを振り返った。そこには墓石があった。


 ――亀尾サキ

 

 そう彫られている。


「先生、その話、後でじっくり話しましょう! じゃが今は、痺れを切らしちょる人がいますけーそれ(一升瓶)開けましょう。なにツマミはここに」


 ポケットから、ぐい呑みを三つ、それと木箱をだした。


「越前汐雲丹、今度は一緒に!」


 片目が痙攣したような、下手くそなウインクを文彦がすると、突然のつむじ風が、辺り一面の桜を吹き上げた。


 舞い上がった桜の花びらは、まるで人の形のように舞い踊った。


 ――御膳上等、さあー呑みましょ。



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