第十四話

 一年後。


 自宅に引きこもった神明は、

 明白に、

 明確に、

 明快に、

 肥っていた。


 姿鏡に映し出された己の姿をまじまじと見る。

 真綿でも詰まっていそうな気持ちよさそうな腹。

 丸くなった輪郭。

 VRメガネのツルが、

 膨張したこめかみに埋もれている。


「昔はカピバラって言われていたんだけどねぇ」


――いまじゃカバだね


「えーっ、カバ? もちょっとなんかないかな?」


――ならヌートリア?


「え? なにそれ」

 早速調べてみる。VRで実体化されたヌートリアが目の前に現れ、鼻ひくひくで部屋の中を歩き回っている。


「なんだこれ、大型のネズミじゃん。それにコイツ、割と顔細い。僕よりシュッとしてるし。だいたいさー、僕なんかが外に出ると、例えれば核物質が服着て歩いているようなものだよ」


――核物質じゃないでしょ?


「まあそうだけど、老化光線? 妄想光線? 周りの人がどんどんおかしくなっていく。まーとにかく。いずれにせよ、危なすぎる。ここか、リッシモのところしか居場所はないんだよ。そりゃ肥えるさ」


――トレッドミルにのればいいじゃない?


 部屋の隅には、ホコリを被ったトレッドミルがおいてあった。

 神明は、携帯電話を手にした。

「とにかく、今日は、勝負の日だから。応援してちょーだいな」


――がーんばれ


「ひとごとだね。ま、そうだけどさ」

 電話帳を選択すると、すぐにリングバックトーンが返ってきた。

『君か』 

 電話に出たのは納口尚比古だった。たった一言、電話越しの声からでも怒り心頭であることがわかる。


「先日はどうもありがとうございました」


『まさか、私達のTOBを逆手に取って君がホワイトナイトになるとはな。お前のような小僧が、サワヤ製薬買収のための会社を立ち上げるとは私も驚いたぞ。その資金力どこから来たんだ? オイルマネーでも味方につけたのか? いつから計画していたんだ? 貴様は何がしたいッ』


 納口からはいつもの温和な雰囲気は感じられない。喋る程に怒りが増幅されていくのが電話口からもわかった。


「まあ、そうおっしゃらないでください。失礼ながら納口さんは勘違いしていますね。この買収、納口さんの為にもなることだったんですよ。あのまま納口さんが看板すげ替えて商売しても破綻するんです。僕はそれを未然に防いだ」


『なにを言い出すかと思えば、そんなことを伝えるだけなら付き合う必要はない。このままですむと思うな。電話を切るぞ』


「待ってください。それは事実です。PPCSを使った手術には、致命的な欠陥があります」


『なんだと? いまなんと言った、欠陥、だと?』


「能古見病院の事故は、PPCS手術が元で起きた医療事故です。PPCS手術をした者はそうでないものの脳を劣化させる」


 少し間が空いた。


『馬鹿な、もしそれが本当なら、現在進行形で麻痺患者が増加していることになるぞ』


「正確に言えば、老化現象、若い人が老人の神経に置き換わると思ってください」


 また少し間が空いた。


『PPCS手術が今まで何件行われたと思うんだ? 本当ならとんでもない事態だぞ』

 電話口の納口は明らかに動揺していた。


「さすが医師でもある納口さんは理解が早いですね。ですが安心してください。PPCSを受けた人間をもとに戻すことはできませんが、周りに与える影響をなくすことは可能です」


『どういうことだ?』


「PPCSの影響を緩和する薬剤を創薬すればいいんですよ。僕ならできる。というか、もうあります。もちろんPPCSの欠陥を公にする必要はありません。ウイルスをでっちあげて、予防薬として売り出せばいい。

 納口さん僕らと協力しませんか? これはお互いにとってベネフィット、それもとんでもない規模のベネフィットを手に入れることができますよ。

 PPCSで人類は脳の老化から開放される。そして僕らの薬を飲まない人は逆に老化する」


 そして神明は、明白で明確に。そして明快に言った。


「――創薬して、世界を陰から動かしませんか?」


 長い間が空いた。 


『わかりました亀尾先生。詳しい話をきかせてもらえませんか?』


 電話口から聞こえてくる声は、極めて温和ないつもの納口尚比古に戻っていた。



 納口との長い会話を終えた神明は、疲れた様子でタイニングテーブルに座った。


「終わったよ」


――お疲れ様。


「いやーうまく行ってよかった。ああも欲の皮が突っ張った人間は清々しいね。逆に言うと扱いやすい」

 そういって、

「ありがとね」

 と、つけたした。

「君がいたから助かったよ」

 と、もう一言つけ足した。


――どういたしまして。


 神明は、枯れはてたような笑みを浮かべた。

「ともあれ、今は一杯飲みたい気分だね」


 そういって、食器棚から片口を取り出して、冷蔵庫を漁る。


「あ、そうだ。せっかくだから特別を開けよう。たしか流しの下に――と」


 流しの下を探したら、いろんな日本酒の中で、見慣れない瓶があることに気づいた。新聞紙にくるまれているそれを開けてみると、だるまの絵が書かれている。


「古酒? 古いな。製造が……まじか、三十二年前? 僕の誕生年? ……これもしかして誕生日用に買っていてくれてたの?……」


――ばれたか。


「まじかよ」

 言葉に詰まった。

「――こんなの飲めるか」


 仕方なく、いつもの飲み慣れた日本酒を片口に入れる。

「冷蔵庫の温度は低すぎるんで、こうやってデキャンタすると、香りも味もよくなるんだよな」


――そだね。

 

「よし、のみごろだ」

 そう言ってぐい呑に注いで、

「乾杯!」

 一息に開ける。


「うん」

 目を閉じて、

 口の中で転がし、

 じっと味わう。


「うん、普通」


 ぐい呑みをテーブルに置いた。

 空になったぐい呑みの中に、

 ポタポタと水滴が落下する。


「なにが魔法だよ。ぜんぜんかかってないじゃないか」


 窓の方から風が入ってきた。


 閉め切っていたカーテンが両側に開き、桜の花びらが風に乗って部屋の中を舞っていく。


 神明は言った。


「前から決めていたんだ。明日、君に会いに行くよ」


――なぜ明日なの? いつでも止めれるでしょ?


「知らべたらさ、明日は特異日で晴天の確率が高いらしい。しかも桜が咲いている確率も高いんだ」


――答えになってない。


「君とお別れする日は、桜の季節と決めていたんだ。年に一度しか会えないなら、そりゃだんぜん花見の季節だろ? 一緒に花見しようぜ」


 にっこりと、

 はっきりと、

 溢れんばかりの笑顔が、

 神明を見つめていた。

 

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