第十三話

 リッシモの自宅ビルと、その隣のラボビルは、どちらも同じ高さ、ツインタワーの形をしている。


 ラボの方は、コンクリート打ちっぱなし、各階からは植物が見え隠れして、いわば石と植物できた大地の建物。


 自宅の方といえば、空の雲を取り込むような全面ガラス張りので開放感のある空の建物。


 この二つの建物は、地下で繋がっていて出入り口は自宅の方にある。自宅ビルの裏手には車三台並べる大きな地下への開口部があり、自宅とラボの敷地をすべて使った駐車場につながっていた。


 亀尾神明は、その駐車場の真下、地下三階を右往左往、縦横無尽に駆け回っていた。ストップウォッチを握りしめて。


「よし、準備完了。上に行こう」

 神明はそう言って、階段を駆け上がった。ストップウォッチの表示は、15分15秒。


 駐車場を抜けて、窓のない地上ラボビル一階に戻るとリッシモが待っていた。神明は手に持っていたストップウォッチをポンとリッシモに向けて放り投げた。リッシモはそれを危うく落としそうになりながらキャッチする。


「オーイエス。15分15秒。神明、やるねン。PPCSセッティング競技があれば世界一だヨ」

「しかたないでしょ。サキの脳に負担はかけられないからね」

「でも神明、ミーたちの影響がどのくらいの距離に近づけばどのくらい脳にダメージを与えるのか、正確にはわからないんじゃないですかン?」

「いや、だいたいはわかっているよ」

「ワイ? 動物実験も人体実験もできないってぼやいてたじゃないですかン?」

「簡単だよ。ほら、PPCS脳の影響は、時間とともに蓄積、加速度的に症状が進行するのはわかっていたよね? その加速度がわからなかったわけだけど、それは大ホールの監視カメラを解析して計算できたんだ。接触時間、症状、距離。十分じゃないけど色んな情報があの中にあったよ。

 それより助かった。彼女の搬送と手術ベッドへの固定を手配してくれて。僕らがやったらタイムアウトだからね。アルバイトを実験室に入れるのヤだったでしょ?」

「モーマンタイ。神明のためだからねン」


「よーし、準備はすべて終わった。さて」

 神明は、そう言ってVRヘッドセット一体型のシートに座ると、いったん深呼吸してヘッドセットを装着した。

 神明の眼前に様々なバーチャルウインドウが展開される。その中の一つには、手術台に固定されたサキの寝姿もあった。


「待っていろよ、酒神さま。今叩き起こしてやる」

 するとリッシモが不思議そうに尋ねた。

「ところで神明。能古見病院の超大型量子コンピュータは、間貸しもしてるから閉鎖できないのはわかりますヨ。でも警察は、量子コンピューターの稼働状況もモニターしているんでしょう? 外部から不正使用してるのバレると、即回線しゃ断されるんじゃないですかねン? そうなると、サキさんバッドエンドですよン?」


 ヘッドセットをつけた神明の口元が不敵につり上がった。


「リッシモさん、誰にいっているんですか? この僕がそんなヘマするわけないじゃーないですか。あそこの量子コンピューターは設計から運用まで関わってますからね。お茶の子サイサイサイ! 警察にはダミーデータを見ていてもらいます」

「おーナイス! さすが神明サン!」

 だが神明の表情がすぐに曇った。

「と、言いたいところだけどね。監視データは自立AIが定期的にチェックしているんだよなぁ。脳神経推論には、スキャンデータを送りながら、推論データを受け取る必要があって、トータルおよそ5時間。AIの巡回時間は恐らく24時間毎」

「ノー、なら21%の確率で、バレちゃいますよン」

「いや、それにはAIが巡回して終わったタイミングでスタートすればいいんだ。それが今のこの時間。深夜3時というわけ」

「ならなんの問題あるネン? モーマンタイ?」

「いや、それがごくたまーに、不定期でAIが走るんだよね。そこは運を天に任せるしかない。それになにか他の場所で問題がでれば――セキュリティ事故が起きたとか――そう言うときも同じ、 

 結局リスクは、地震、停電、事故、AI。それなりにある。だから、リッシモも祈っててくれよ」


 するとスピーカーから伊豆の声がした。

「私も微力ながらお手伝いしますよ」

「おーそうだねン。今や天明は、ネットと同化しているようなもンだからねン」

「ありがたい。あっ、そろそろ時間だな」


 神明は、バーチャルモニターに表示される、能古見病院内の量子コンピュータアクセスログを、リアルタイムで確認していた。


「よし、今、警察AIの動作を確認」


 神明の指先に力が入る。その指は〝PPCSスタート〟という名前のバーチャルボタンの上だ。流れるアクセスログから警察AIのアクセスが終了したことを確認した。


「よし、大丈夫そうだな」


 念のため、暫く待って異常がないことを確認し、バーチャルボタンを押してフーッと息をはいた。


「PPCS手術開始」


 バーチャルウインドウに、

〝およそ4時間・59分・59秒〟

 という進捗表示プログレスバーが表示され、一秒一秒減りはじめた。


 神明は、VRゴーグルをつけたまま、胸ポケットからスキットルを取り出して、チビリとやった。


「それはなんです? なにかいい香りしますねン?」


 リッシモが尋ねると、神明は、

「集中力増幅ポーション、別名命の水、その実態は、集中力3倍増幅液」

 と答えた。





 数時間後。

 進捗表示プログレスバーは、

〝およそ12分・45秒〟


「神明サン、もう5時間も休憩なしね。大丈夫ン?」

「AIの監視ならアラートが上がるし、私も見ているよ。常時監視する必要はないでしょう? なにか心配事があるのかな?」


 リッシモと伊豆が神明の身を案じて声をかけた。神明は、PPCS起動後、全く集中力を切らさず、展開されたバーチャルウインドウをチェックし続けている。と、突然、ムクリと起き上がった。

「どうしたネン?」

 リッシモが聞くと、

「ちょっとトイレ」

 とVRゴーグルから、移動可能なVRメガネに付け替えて、トイレに行った。神明がトイレから戻ってきた時、既に進捗表示プログレスバーは、

〝およそ9分・12秒〟

 神明がVRメガネを外し、シートに腰掛けようとした、その時―― 


 ビーッビーッビーッ

 アラームが鳴った。


 神明は、VRメガネのまま、内容を確認する。

「やられた、既にAIがエラー処理中だ。処理完了まで5分もかからない」

「神明、どうするねン?」

「しっ、だまって」

 神明は、バーチャルキーボードを激しく叩き、予め用意したプログラムを起動する。

「万が一の策は講じておいた」

 アラームがなり続ける中、

進捗表示プログレスバーは、

 〝およそ2分・45秒〟 

進捗表示プログレスバーは、

 〝およそ1分・00秒〟 

と、毎秒ごとに減っていく、そして、


 量子コンピュータとの接続を表すバーチャルモニターがついにオフラインになった。


 天明が静かに言った。

「量子コンピューターからの回線が、強制切断されたね」


 神明はかけていたVRメガネを、

 床に叩きつけ、

 力を込めて、


 ガッツポーズした。


「よしっ、ぎりぎり間に合った。PPCS第一フェーズ手術終了。あとはこのラボだけで作業できる」


 リッシモと神明はハイタッチした。


「しかし神明、なんで間に合ったネン?」

「あらかじめ用意していたウイルスだよ。AIがメインフレームに報告することを邪魔する――それを警察庁に打ち込んだんだ。バッチ処理を遅らせるシンプルなウイルスさ」

「亀尾君、それハッキングではないのかい?」

 伊豆が言った。

「まあ、そうなりますね」

 神明は、力が抜けたように座り込み、VRヘッドセットを装着した。サキの状態を確認し、第二フェーズに取りかかった。


「バット。神明サン、そんなこと警察に仕掛けて、大丈夫なのですかン? ミーのラボからのアクセス記録がのこるンでしヨ?」

 神明は自分所の心配かよ。と笑った。


「大丈夫だよ、その点は問題ない。警察にはバレやしないから。問題は公安警察だね。最悪僕は始末されると思う」


「ユー、クレイジー」

 リッシモは肩をすくめて笑った。

「リッシモには言われたくない」

 神明は苦笑した。





 しかし、その後。


 サキが目覚めることはなかったのである。


 そして、神明は能古見病院を退職した。



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