第十二話
ガラスの中に浮いた
目の前のそれを見ながら、リッシモはことの経緯――伊豆天明の身に何が起きたのかを説明しはじめた。
リッシモの脳を使い、すでに百パーセント近い、PPCS手術に成功していた二人の次の目標は、人間の脳の完全なコピーだった。
PPCS技術で人間の脳のコピーを作成、
ネットと接続する。
人工脳細胞とネットをダイレクト接続。
それが研究テーマだ。
無論、はじめから能古見病院として研究するつもりはなかったという。倫理的に通るわけがないと予想していたからだ。
当然だろう。
もう一人の、完璧にコピーされた、
全く同じ自分が、
ネットの世界に存在する。
倫理もかけらもない実験だ。
二人は秘密裏に、そして計画通り実行に移した。
先ず、3Dプリントする出力先を人間の頭蓋の中ではなく、ガラスケース内に置き換えて出力した。そしてネットと接続するため、電気的なブリッジ接続を構築、それを制御する基本ソフトウエアの作成をおこなった。
しかし実験は成功しなかった。プリントアウト自体は成功したが、プリントした疑似脳が動作することはなかったのだ。
それでも二人は諦めず、根気よく実験を続けてた。
そしてあの日、能古見たち、四人で中華料理を食べたあの夜。
実験のトラブルにより、急遽、品川ラボに戻った伊豆は、漏電により感電、意識を失うことになった。
その時、不思議な現象が起きた。
電源復旧後、ついにガラスケースの脳コピーが動作をはじめたのだ。しかし反対に、伊豆の大脳の方は機能を停止した。
「――と、まあ、あの夜起きたことは、そういう真相なんですねン。その後、あらゆるテストを重ねた結論は、PPCS疑似脳の中にいる天明が本物で、肉体の方に天明はいないということですねン」
リッシモは相変わらず愉快そうに、ハイテンションでそういった。
神明は、ヒゲをさすりながらひとしきり考えた後、リッシモに質問した。
「停電事故により、意識の移動が発生した。故に意識は同時に二つが存在できないと考える方が自然だ。すると説明できない謎の存在であるその〝意識〟は、人間の脳とユニーク接続しており、その接続先が変わった――という結論になると?」
リッシモは笑顔で「イエス」と答えた。そして逆に神明に質問した。
「ウェル。ユー神明、驚きませんねン。あるいはふざけるな、いうかとおもいましたねン。なぜですか?」
「もし、仮にどこか別の世界にある〝意識〟――〝魂〟と言ってもいい。それが、脳構造をアンテナ代わりにして、この世界とつながっていると仮定する。その仮定が正しければ十分にありえると思う。
例えば、ネット接続の場合もそうだけど、より高性能な装置を経由するという現象は多く存在する。
つまり生身の脳細胞より、PPCS疑似脳細胞の方がアンテナ特性が良ければ、生身ではなくPPCS疑似脳細胞の方に優先して繋がるということ。
同時に、高性能のアンテナの近くの、低性能アンテナが、高性能アンテナから悪影響をうけるという現象も、同じく現実として存在する。これはジャミングと同じで、PPCS手術を受けていない人の脳の機能低下を説明することができる」
「おー、イエスイエス、流石神明、ミー達二人も、そういう結論に達したねン」
と、神明の言葉に、リッシモが同意した。
「だとすれば」
神明はそういって、 ぎゅっと拳を握りしめた。
「――アンテナを強化すれば、まだ望みがある。いや、きっと回復する」
神明は突然、席をたった。
「先生、すみません。今日は帰ります」
そう言って、部屋を後にした。
神明がいなくなった後、リッシモは、伊豆(スピーカー)に向かって言った。
「天明、ユーの言う通りになったね。神明、血相変えて出ていったよン」
「さて、亀尾君。うまくいくと良いのだけどね」
ガラスケースの中の伊豆天明は、スピーカー経由で、そういった。
◆
品川ラボを出た神明は、その足で能古見中央病院にいる花菱の元に向かった。
副院長室のドアをノックもせずに勢いにまかせて開くと、そこには頭を抱えた花菱が、執務席に座っていた。
「副院長、いえ、院長代理、お願いがあります。PPCSの臨床試験の許可をください。内容は以前、院長から許可いただいていた伊万里サキ、外傷による麻痺の治験です」
花菱は虚ろな目線を神明に投げた。
「君は知らないのか? 能古見中央病院は今、事実上の業務停止命令を受けている。そんな許可は出せん」
花菱はそういった後、自らをフッと嘲るように笑った。
「まさか今の時代、政府にそんな権利行使ができるとはな。余程世論が怖いとみえる」
しかし神明は食い下がる。
「そこをなんとか、名目は何とでもなるでしょう? 正式な許可でなくて構いません、院長権限でPPCS装置を起動させてもらえないですか? 電源を入れさせてもらうだけでいいんです。装置の使用許可をください。 1日、いえ数時間で構いません」
PPCS手術用の病棟は丸ごと閉鎖され、電源も入っていない状態であった。あまりの神明の勢いに対し、花菱は違和感を感じ、眉をひそめた。
「サキさんの意識が戻らないことは聞いている。失血とは無関係だったようだな。君は、PPCS手術で状況が回復するとでも思っているのか? PPCSは魔法の杖ではないのだぞ」
花菱の言葉に、神明は力強く答えた。
「私達の推測が正しければPPCSで治療できます」
「私達、だと? 何があった? なぜ断言できる?」
「現段階では言えません」
花菱は、苦々しく笑った。
「話にならんな。ただ君の表情を見ていると、許可したい気になってくる。私とて鬼ではない。可能性が高いなら、いや君がそう思っているなら、なおさらだ」
「では、許可を」
「すまんが、私にその権利はない」
「なんですって?」
「私はすでに代表権を持たない。能古見さんも同じだ」
「そ、そんな馬鹿な」
「今の代表者、院長は納口氏だ。今朝の取締役会で就任した。やりたいなら彼に頼――」
ガチャッ
ドアが開く音がして、神明はいなくなった。
花菱は呆れ果てたように、ため息をついた。
「全く不甲斐ない。命の恩人にも何もしてやれんのか……」
そして少し考え、言い直した。
「――いや、一番つらいのは彼だな」
◆
神明が次に向かったのは、納口の自宅だった。
そこは古い日本家屋の、およそ個人宅とは思えないくらい、呆れるほど大きな豪邸だった。
その豪邸、家屋は古いがセキュリティの為か、正門はコンクリート打ちっぱなしの近代的なものだった。
アポ無しでやってきた神明は、その門前でインターフォンを鳴らした。一悶着あるかと身構えたが、あっけなく部屋に通された。
そこは見事な日本庭園に囲まれた、茶室のような部屋だった。
掛け軸の前で着物を羽織り、腕組みした納口は、神明を見るなり、
「ちょうどよかったですね。今後の事についてあなたと話したいと思っていたのですよ」
いつものように、不必要なほど丁寧に喋りはじめた。
「実はね、亀尾さん。正直なところ、能古見中央は、もう駄目だと思っているのですよ。流石にあんな事故が起きてしまえば、世間体が悪すぎますからね」
呆気にとられる神明。納口はそんな神明の事を、気にも留めず話を続けた。
「そこで私は、看板の挿げ替えをしようと考えていましてね。この製薬会社の買収を計画しているんですよ」
そう言って、カタログ程度の薄い書類を差し出した。
「サワヤ製薬。この会社、古く歴史のある真っ当な会社なんですけどね、今の経営者が無能なんでしょう、業績は右肩下がり、下がりきって買うにはお手頃なんですよ。
そしてこの会社を使って能古見中央病院と、研究所を買収する計画です。およそ一年程かけて、新しい体制を作るつもりなんですよ。そして亀尾さん、貴方には、その研究所の所長になってもらい。と思っています」
急な話に、亀尾は驚きを隠せなかった。
「僕が……ですか?」
納口は、ええぜひとも、と、満面の笑みを浮かべた。
「待遇はあなたが考えている以上のものを用意できますよ。いえ所長といっても、それはあなたが自由に研究できる裁量権を得るための建前と思ってもらって結構です。どうです? いい話でしょう?」
神明は、お願いがありますと、力強く言った。
「お願いとは? 大抵のことは叶えて差し上げますよ」
納口は張り付いたような、気味の悪い笑顔でそういった。
「PPCS手術の治験を一件、今すぐ実施させてください。一日でいいので、PPCS装置を稼働させてください」
神明の言葉に納口の顔から笑みが消えた。
「ダメです」
「どうして? 先程はなんでもいいと言われたじゃないですか?」
納口は、ふう、と息を吐いて、首を横に振った。
「いいですか、亀尾さん。能古見病院の業務停止は、私が政府と掛け合ってやっと折り合いがついた妥協点なんですよ。反故にはできません」
「そこをなんとか。一日ぐらいならバレないでしょう?」
「警察の監視がついています。バレますよ」
神明は、突然納口の眼前で土下座した。
「なんのつもりです?」
「お願いします」
「駄目なものは駄目です。あなたもいい大人だ。物の分別はつくでしょう?」
納口はそう言ってまた、ふう、と息を吐いた。そして諭すように、声のトーンを下げ、ゆっくりと丁寧に説明しはじめた。
「亀尾さん、PPCS技術は、今後、世に生きる人、全てに希望を与える夢の塊なんですよ。
ところが、全く関係のない病院不祥事から、そんな夢の塊と、その夢を作ってきた、数多の努力が泡のように消えてなくなる、その瀬戸際なのです。
さあ、お顔を上げて。前を見ましょう。つまらない私情は捨てて、一緒に人類の未来に貢献しましょう」
神明は伏したまま口を開いた。
「私情、だと?」
畳に向かって発した声は、くぐもっていて、納口には聞き取れなかった。
「今なんとおっしゃいました?」
畳に上に添えた神明の手のひらが、
握りしめられ拳に変わる。
「未来に貢献だと?」
神明は突然顔を上げて、
「――私情で何が悪いっていってんだ!」
大声で叫んだ。
納口は驚きのあまり、口が半開きになった。
「そんな綺麗事、俺は要らない。人類の夢や幸せなんてクソ食らえだ!
そりや、世の中に病気で苦しんでる人がごまんといるんだろうよ。だけど見えもしない人は、俺にとっては存在しない人と同じなんだよッ
存在しない人の為に、目の前にいる人を見捨てろっていうのか? アンタぁ、馬鹿じゃねえのかッ」
目を丸くして唖然としている納口に、浴びせるように罵った。
「結局アンタが気にしているのは、世間体――いや地位と名誉、それと金だっ。もしそうじゃないなら、そんなに世の中が大事なら、特許も論文も書いてない、脳神経推論アルゴを無料で開示すればいい。なんなら俺がネットにばらまいてやろうか?」
納口の顔が魔神のように変貌した。
その目は怒りに燃えている。
握りしめた拳がブルブル震えていた。
しかし神明はそんな納口を一瞥もせず、踵を返しドカドカと音を立てて部屋から出ていった。
あとに残った納口は、握った拳を着物の袂に収め、目を閉じた。ほんの少し瞑想した後、目を開け、ゆっくりと呟いた。
「まあいいでしょう。どうせ何もできません。
若い彼もいずれ現実を知るでしょうから。有能な彼にはまだ働いてもらいたいものです。
できれば、天寿を全うして、長生きして頂きたいところですが……ねぇ」
◆
外は曇天、あいにくの天気だ。鉛色の空からは、今にも雨が落ちそうだった。
納口の私邸をでた神明は、そんな天候のことなど気にもとめず、携帯端末を取り出すと、電話をかけた。
電話口からいつものハイテンションな声が返ってきた。
『イエス神明サン、電話嬉しいでス。して何用ですかン?』
「頼みたいことがあるんだけど」
電話を切った後、神明は最寄り駅に向かって歩きはじめた。それを待っていたかのように雨がぽつりぽつり落ちはじめ、やがて土砂降りになった。それでも神明は歩みを止めない。走り出しもしない。ただ、
「チャンスは一回しかない」
決意を込めてそういった。
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