第十一話

 あの日、能古見中央病院で発生した謎の事故は、多数の犠牲者を出した大惨事として報道されたものの、その原因は杳として知れなかった。


 報道は憶測が憶測を呼ぶ形で未だ収束せず、誤報、妄想、捏造など様々な都市伝説を、生み出しながらエンターテイメント化していた。


 また、渦中の能古見中央病院については、原因が救命されるまで、事実上の業務停止処分が下った。


 その一方。

 神明の内縁の妻、伊万里サキは、救急病院に搬送されたものの、二週間経過した今も、未だ意識は戻っていない。


 そして不思議なことに、

 亀尾神明はサキの見舞いに、

 一度も行っていなかったのである。



 それでは、彼は今何をしているのか?

 今日も自宅の遮光カーテン内で延々と作業を続けていた。

 遠くなりそうな膨大な情報を丹念に調べ上げていく、

 そういった作業を繰り返し行っていた。


 そんな彼の元に、ある人物から連絡が入ったのである。 





 品川ラボ。


 リッシモが管理するその研究施設の登記上の所有者は、リッシモの個人会社となっている。


 その会社の大口出資者が能古見病院というわけだ。つまり能古見病院は品川ラボに関して発言権はあるが、決定権はない。


 呼び出しを受けた亀尾神明は、そのビルの前に立って途方に暮れていた。


「どこから入るんだ?」


 コンクリート打ちっぱなしのそのビルは、入口がない。

 本当にないのだ。


 一階部分はぐるり周囲を見渡しても、入口はおろか、窓も何も無い。換気扇の穴さえなかった。ただ、二階より上は大きな開口部がスリット状に開いていて、そこから沢山の植木が見え隠れしている。


「住所はあっているのだけどなぁ」


 神明は、そう言って無精と言うには、かなり長すぎるヒゲをなでながらそういった。


 すると同じ五階建ての隣のビルから、ひと目でそれとわかる外人が出てきて、大げさに両手を広げて叫んだ。


「オー、神明サン、お久しぶりぶりデスねン」

「え? リッシモ? 隣のビル? 間違えた?」

「ノーノーあってますよン。そのビルはラボ。このビルは自宅、ラボの方には入口ありませン。ウェルカム、ツー、マイ、ホーム。ラボの大部分は、地下にありますよン」 


 妙に陽気で、ハイテンションなリッシモに誘われて、自宅に入った神明は、そのまま地下経由で隣のビルに移動、ワンルームのような十畳程度の小部屋に通された。


 そこは窓がない真っ白い部屋で、中心に白い丸テーブルと四つの椅子、少し奥手にサーバーらしきラックとケーブル、それとアタッシュケースを二つくっつけたような立方体、箱が置いてある。

 天井には数台のプロジェクターが設置されていた。


 神明は、言われるがまま椅子に座ると、

 間髪入れず本題に入った。


「それで、伊豆先生のあの事故について、重要な話って何?」


 リッシモは、ウエル、と一言いってほんの少し間を置いた。そして、

「そうですねン。何から話していいか、正しい答えわからないでス。逆に質問して良いですかン?」


 神明が同意すると、次の一言に、神明は激しく動揺した。


「ミー達は、PPCSを使った手術に重大な欠陥があると考えています。ユーもそう考えているのではないですかン?」


 リッシモは、神明の動揺をみて感心したように頷いた。


「イエス、イエス、イエス。ならば神明、まずユーに伝えることあります。ミー、S・リッシモは、現状、世界で唯一、ほぼ100%パーセントに近いPPCS手術を受けた人間ですねン」


 神明は目を丸くして驚いた。


「まじかよ? まさか……あんた、もしや自分の脳を自分自身で、しかも健康な脳細胞を置換したのか? そんな……」


 リッシモは両手を上げて、肩をすくめた。


「イエス。でもひとりではありませン。天明に手伝ってもらいました」

「ならまだ伊豆先生が、ご存命だったころ?」

「イエス。イエス。こにはその設備がありまス。無論、脳神経接続推論演算は、ここでは無理。能古見中央病院にネット接続してやりましたけどねン」


(馬鹿な、確かに理論的にはできるけど、リモート接続なら手術中に接続が切れたらどうするんだ?……狂ってる。まて、なぜそんな話をリッシモはしたんだ?)   


 神明は少し考え込んだがすぐにハッとした表情になった。それをみたリッシモは、その答えがわかっている、そんな笑顔で尋ねた。


「あなたは、能古見病院のあの事故の後、誰にも面会してませんよねン?」


「リッシモ、なぜそれを?」


「オーケー! 神明。たぶんユーが考えていること、ミーが考えていること、同じでス。ズバリ言いましょう――」


 リッシモの言葉を遮り、神明が先に言った。


「PPCS手術は、側にいる人の脳機能を著しく低下させる。つまり他人の脳を側にいるだけで老化、いや劣化させる」


 リッシモは大きく頷いて、神明の言葉に付け加えた。


「イエス! 正確には、老化と、退化が同時に進行していると考えていますねン。しかし、PPCS手術を少しでも受けた者は、その影響を受けない。受けていない者の脳だけが、急速に老化、退化――つまり劣化してしまうんでス」


 神明は、椅子に座ったまま天を仰いだ。


「老化と、退化か……なるほど。老化が麻痺に繋がり、退化はせん妄に似た症状か。それで辻褄が合う。いや、事実関係をつなぎ合わせると、そう考えるのが自然だ。

 もしそうなら――PPCSを受けた僕は、知らず知らずのうちに周りに厄災をばらまいていた……いや、そうじゃない。僕が作ったPPCS手術を受けた沢山の人が、その人達が生きている限り、今もこれからも……無数の人を病気にしていく……笑える」


 神明の頭の中を、最近の出来事が泡のように流れていった。日に日に力をなくしていく院長の寝顔、突然狂った深山や今風。そして――。


 神明は、力なくつぶやいた。

「覚悟はしていたんだ。でも……でも、なんてことを……してしまったんだ……」


 ギシリと奥歯が鳴った後、しばらく沈黙が空いた。リッシモが、何度か声をかけたが、神明は椅子の上で、時間が止まったように動かない。


 すると突然、天井に設置されたスピーカーから、聞き覚えのある声がした。

「気持ちはわかりますよ。ですが事実なんです」

 突然降ってきた、伊豆天明の声に、神明はビクッと飛び起きた。

「先生?」

「お久しぶりですね。亀尾君」 


 神明は、キョロキョロと当たりを見回した。

 その部屋にはやはり、二人しかいない。


「――あれから私にも色々あってね。こういう形で再開することになったのは、全くの想定外ですね」


 まるで天明そっくりの声と語り口に、神明は怒りをあらわにする。そしてリッシモに向かい、声を張り上げた。


「リッシモ! 今この状態で、勝手に先生のAIを作るなんて趣味が悪いぞ! やって良いことと悪いことがあるッ」


 リッシモは肩をすくめて首を横に振った。

「天明、神明サンはこう言っているけど、なにかユーからも言ってもらえないかねン」


 すると天明の声は、ははは、と笑った。

「――それは仕方ない話ですね。さてどう言ったら信じてもらえるかな? そうだ少し恥ずかしいが、リッシモ、私の姿を神明に見せてくれないですか?」


「オーケーオーケー、想定内ですねン」

 リッシモはそう言って、部屋の奥にあったアタッシュケースをくっつけたような箱のそばに行き、真ん中にある結合部分にキーを差し込んだ。


「――神明サン、厳密に言うと、真実は立証されていませン。ですが事実を積み重ねると、これが天明という結論に至りまス」 


 神明は、意味がわからないと言ったふうに、混乱した表情をしている。しかし、リッシモが開こうとしている箱から一瞬たりとも目が離せなかった。


「その箱は……」

 神明はそうつぶやいた。


「神明サン、PPCS疑似脳細胞が、周りの脳を劣化させる。原因は人の〝たましい〟の構造、つまり人間の人間たる本質――〝意識〟の正体にありまース。脳構造と意識は別物。そして、その証明がこれですねン」


 その箱はパッカリと、横に分離するように開いた。そして、中から正方形のガラスケースが顔を出した。

 

 たくさんのケーブルが内包されたその、

 ガラスケースの中心には、

 人間の脳が浮いていた。

 

 神明は、震える声で言った。


「違う、これは脳じゃない。PPCS技術で作られたPPCS擬似脳プラスチック・ブレイン。これは伊豆先生の脳のコピーなのか?」


 スピーカーを通じて、天明は言った。


「私は不滅になったのだよ」


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