第十話

 振り下ろされた十手が、

 金属の塊が、

 光の曲線を引きながら、

 頭上めがけ振り下ろされた。


 カキン!


 神明は、頭頂部に鈍い痛みを感じた。

 同時に接触面が、

 柔らかいものだとわかった。


「ダッ、大丈夫ですか?」

 眼の前に現れたのは、今風吟いまかぜぎん。彼はパイプ椅子を、十手の軌道の途中に差し入み、神明の頭部を守っていた。

「こっち!」

 今風は、神明の腕を掴み強引に引っ張った。花菱は、深山の注意が逸れてる間に、転げるようにして脱出、履いていた靴を、深山に投げつけた。


 三人は、深山が硬いヒールを怯えるように避けている間に、他の人達が集まっている演壇の方に向かい駆け出した。すぐに他の人達と合流した。


 まともな判断ができる人間は全員、演壇に集結した。


 神明、花菱、今風と数人。まるで青魚が魚群を作り、外敵から身を守るようにかたまっている。他の人たちは誰もが血まみれで、あちこち床にばら撒かれるようして倒れている。


 三人の大男と深山は、パイプ椅子の列を挟んで魚群と対峙していた。


 今風が神明に耳打ちした。

「彼ら、なんで距離を取っているんですかね?」

 神明と今風は魚群の中で、腰を低くし、じっと四匹の行動を見ている。

「さあ、僕は動物行動学には詳しくないけど、一部の高等生物は、互いに連携して、包囲網を狭めて獲物を追い詰める狩りをするらしいね。いきなり襲うとは限らない」

「高等生物――類人猿ですか?」

「さあね。ただ、この場合、包囲網を狭めているというよりは、どちらかと言うと遊ばれている気がするな」

「そうです……ね。畳み掛けようと思えばできそうですし」

「ね、今風くん」

「なんです?」

「なんか武器、いや威嚇するやつでもいい」

「威嚇?」

「クラッカーとかさ。爆竹でも良いけど」

「クラッカーって誕生日でもあるまいし。あ……そういや亀尾先生、今週誕生日ですよね、持ってないですか?」

「あ……ホントだ。忘れてた。って、そんなの持ってるわけないでしょ。――それよか、なんでしってるのさ?」

「なにいってんですか? 広報にのってましたよ」

「あー」

「クラッカーはないけど、これならあります」

 今風は小型の黒いアーミーナイフを取り出した。指の先程度の大きさで、アーミーナイフの中でも相当小型の部類だ。

「ちっさ」

 神明が小馬鹿にしたように言うと、今風は、

「三つ折りの特殊なやつで、意外と長くなるんですよ」

 と言ってナイフを引っ張り出した。

 確かに親指ほどに見えたそれは、意外なほど長くなった。

 それでも刃渡り四センチといったところか?

「なるほど――ないよりましか。それ貸して、俺がそれ振り回すから、そのあいだに逃げて助けを呼んできてよ」

「だ、だめですよ。囮なら僕が行きます。というか、僕既に通報していますよ。直ぐに警察が来ます。もう数分もないはずです。頑張りましょう」

 神明は一瞬おっと驚いて、そりゃそうだな。と笑った。そして、

「なら一か八かだ」

 すくっと立ち上がると、ホール出入り口に向かい、四人を避けるよう壁沿いに駆け出した。


(僕が囮になって、外におびき出したほうが早い。奴らが追ってきたら残った者は逃げられる。そうでねくても警察を呼んでこれる)


 すぐに、元レスラーが逃げ出した神明めがけ、椅子を投げはじめた。

 元関取はドスドスドスと重たい足音で追ってくる。もちろん手には、パイプ椅子をひねって作った棍棒を持っている。

 それでも、神明の方が足は早い。


 雨あられのように降ってくるパイプ椅子を避けられたのは、恐らく偶然だろう。すぐに大ホール出入り口の前に出るが、そこに立ちはだかっていたのは元柔道家だ。


「まじかよ。動きはやっ」

 神明は急ブレーキをかけ、コケそうになりながらも、体勢を整えた。


 ジワリ、柔道家が近寄ってくる。

 神明には格闘技の経験はない。元プロに立ち向かっても、戦って勝てるはずがない。


 引き返すにもすぐ後ろには、元相撲取り、その上、元レスラーは、神明が立ち止まったことが分かると、パイプ椅子をグルグル回しながら勢いをつけつつ、狙いを定めている。上から落とすのではなく、直線でぶつけるつもりだろう。


 前方の柔道家、

 後方の関取、

 飛び道具のレスラー。


 万事休すだ。


 その時、ホール出入り口の自動ドアが開いた。そこにいた人影を見た神明が、思わず息を呑んだ。


「サキッ」


 そこに立っていたのは、サキだった。どこから持ってきたのか、掃除用のモップを手にしている。


「危ない! こっち来るな、逃げてくれ!」


 ところがサキは、神明の言葉をまるで聞こえないかのように、スタスタと柔道家の前に歩み出る。

 柔道家は、新たな獲物に一瞬警戒する。しかしすぐに油断なく構えると、向かってくるサキの正面から飛びかかった。

 素早くサキの襟元と片腕を掴むと、そのまま腰を差し込むようにいれ、投げ飛ばした。


 サキは軽々とふっ飛ばされ、並べられたパイプ椅子の上に激しく落下した。パイプ椅子がドミノの様にバタバタと倒れていく。


「大丈夫かッ」

 叫ぶ神明。


 サキは、ムクッと立ち上がると、神明ではなく、花菱たちの方を向いて人差し指を差し向けた。


「そこのあなた、正当防衛、証言していただけますね?」


 指さされた看護師が、訳が分からず半ば反射的にブンブンと首を縦に振った。


 サキは頷く看護師を確認すると、ゆらり立ち上がった。

 そして身体を斜めに傾けたと思った――その瞬間、いつの間にか柔道家の前に立っていた。


 今風がハッとした表情で叫んだ。

「瞬歩ですよ! あれ、古武術の!」

 その声に一瞬、皆の気がそらされた。

 ドサッ

 という音がして元柔道家が崩れ落ちた。

 何が起きたのかはわからない。

 

 それを見て、元レスラーと元関取が警戒をあらわにする。


 サキは、投げ飛ばされた時、自ら手放した清掃ブラシを再び手に取ると、スタスタスタと元レスラーの方に向かい歩きはじめる。


 レスラーは、向かってくるサキが間合いに入る前に、近くにあったパテーションの鉄棒を引き抜いた。


 それを見たサキは、

「この私に槍を向ける?」

 不敵に笑った。


 元レスラーは、サキの言葉を無視。上体を低くし、槍を構えたまま一気に距離を詰める。疾風のような目にも止まらぬ速さでサキの前に出て、突きの速さにその勢いを乗せた。


 それは素人のものではなかった。ひねりの加わったその一撃はサキの顔のど真ん中を突き刺した。


 筈だった。


 サキは涼しい顔で、ギリギリ避けた。しかし金属の槍はサキの耳をかする。

 ビシュッ!

 耳たぶから血が吹き出した。


 サキは、また看護師を指さして、

「そこのあなた、正当防衛、証言していただけますね?」

 といった。

 そして同じようにブンブンと首を縦に振った。

 その瞬間。

 突然、レスラーの額が、ボッコリと陥没したように凹んだ。


 ゆっくりと直立姿勢のまま後ろ向きに倒れる。その場にいた人間は、レスラーが倒れたことにより、恐らくサキがモップの柄の先を突き出したのだろう、と思った。しかし誰もサキの動きを視認できていなかった。

 

 ウゴガガガーッ


 獣のような咆哮をあげたのは元関取だ。

 ドスコイ!

 と、彼が言ったわけではないが、そんな音がしそうなほど、すり足を使い、猛烈に突撃してきた。

 力士らしく、踏み出すごとに張り手を左右交互、激しく繰り出している。

 軽量なサキは、一発でも当たればひとたまりもないだろう。意外なほど早く、関取は間合いの中に入った。


 危ない!


 と神明が声を出す前に、

 サキはさっと半身を躱した。

 と、同時に、すっとしゃがみ込み、

 関取の片足足首を両手で掴んだ。

 そして掴んだ瞬間、

 上に向かって一気に

 グイッ

 と、持ち上げる。

 関取は、おのれの自重と突進の勢いで、

 くるり! と上下反転。

 おでこから、床に激突した。

 ボキリッ

 という骨の砕ける音が、辺りに響いた。


 神明は、眼の前の大きな物体が、コマのようにくるりと回る光景を見て、

「まじかよ」

 と、あっけにとられた。

 サキの方はというと、

 あちゃーと頭を抱える。 


 三人が完全に動かなくなったことを確認すると、

「「うおーーーっ」」

 と残された人達から歓声が上がった。


 神明はサキのもとに駆け寄り、安堵の表情で言った。

「勘弁してくれよ。寿命が縮まるだろ」

「相撲取りみたいな人、大丈夫かな? 骨、折れてるよね? 診てあげて――」

 そういった、その時、

 サキの背後に人影が突然現れた。

 今風だ。

 彼の瞳には既に理性の色はない。

 大きく開けた口元からは涎が垂れている。

 サキの肩口からにゅっと現れた今風は、まるでドラキュラのようにサキの首筋に噛みついた。しかし――


 サキの手の甲――目にもとまらない裏拳が、今風の顔面を捉えた。

 彼の鼻が潰れ、血煙が吹き出した。

 今風は顔面を抑える間もなく、

 もんどり打って倒れ、そのまま動かなくなった。


「い、今風君――君まで」

 神明は驚きを隠せない。

 しかし、まだひとり残っていることに気づいた。

「あ、深山くんは?」

「あそこに、ひとりいるね」


 神明はサキに言われて、彼女の目線の先を凝視する。

 深山はパテーションの影に潜むように隠れていた。

 身体は見えないが足首がしっかり見えている。

 頭かくしてなんとやらだ。

 神明は、

(深山くんは、プロ格闘家の三人とちがう、普通の人だ。サキなら大丈夫だろう) 

 そう思い、サキに、

「サキ、彼お願いできる? 彼は十手を持っているから気をつけて」

 そうお願いした。

「十手って、あの時代劇で使うやつ?」

「そう、鉄の塊だからあたったらヤバい」

 サキがうなずくと、神明は倒れている人たちの怪我の状況を確認して回った。


 神明は、改めて状況を俯瞰し、ことの重大さに驚愕した。


 ほとんどの人は倒れ込んだり、座り込んだりと、立っているものは神明とサキだけだ。

 先程、歓声を上げた者たちは、お互いにスクラムを組むように肩を寄せい、声を掛け合っていた。

 花菱はこの世の終わりといった表情で、へたり込んでいる。


 一人ひとり確認していくと、何人かは既に手遅れのようだった。花菱がああなるのも無理からぬ事だ。


 神明が今後のことを思案していると、サキが深山の襟首を掴み、引きずってきた。


「気絶させた。命に別性はないよ。そっちはどう?」

 神明は首を横に振った。

「関取の人は手遅れだね。骨が圧壊、動脈破裂してると思う」

「やっぱり。手加減できなかったからね。面倒がなかったら良いけど」

「サキは大丈夫だ。皆証言してくれる。本当にありがとう」

 

 ファンファンファン

 警察のサイレンが聞こえてきた。


 すると、神明は、

「え?」

 サキの足元が赤くなっていることに気づいた。

「サキ、ちょっと見せて」

 彼女の後ろに回る。腰のあたりから真っ赤に染まっていた。

 今風が持っていたアーミーナイフの鋭利な刃が思い出された。

 そして斬られた場所が、

(右側、感覚が麻痺している方だ)

 と気づいた。

 その時――


 ドサッ。


 サキは突然、倒れ込んだ。


 神明は大声で、サキに呼びかけ続けた。

 しかし、返事は返らなかった。

 

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