第164話約束の終わり
あれからしばらくが経ち、現在アキラは普段になく正装に身を包んでいた。
「なんだか早いような遅いような……随分と待った気がする」
アキラはそう呟きながらも、だがその声に不満はなく、むしろどこか感慨深そうな色を含んでいた。
「それを言ったら、私の方が待ちましたが?」
そんなアキラの言葉にアトリアが答えると、アキラは肩を竦めた。
「そうかもしれないけどさ……でも仕方ないだろ。まさかそっちの方が先に生まれ変わるだなんて思わなかったし」
「そうですね。それは私も予想外でした。大方あの時の魂の損傷があなたの方が酷かったからでしょうけれど……」
二人が話すのは、二人がこの世界に生まれ変わる直前の出来事。
周りに侍女が控えているが、アキラが防音の魔法を使うことで音は漏れず、心置きなく話をすることができている。
「まあ、そのようなことはどうでもいいことです。こうして約束を果たすことができるのですから」
「ここに辿り着くまでに、色々あったけどな」
だが、いつも通りのように話している二人だが、その様子はどこか落ち着かないように見える。
それも当然のことだ。アキラが〝ここ〟にたどり着いたと言ったが、それは何も物理的な場所のことではなく、今アキラ達の置かれている状況のことだ。あるいは、これから起きる行事のこととも言えるかもしれない。
つまりは、二人の結婚式がこの後に控えているのだった。
「本当なら、もっといろんな場所に行ったり、旅とかしたかったんだが……」
「仕方ありません。私は王族として生まれたのですから。ですが、できないわけでもないでしょう」
アキラとしては、生まれ変わったこの世界をアトリアと共に旅をして回りたいと思っていたが、肝心のアトリアが王族として生まれてしまっていたために、それは不可能だった。
それでも、その時の状況が影響したとはいえ二人は国を離れて共に旅をしたことがあるのだが、その程度では物足りないとアキラは考えていた。
「今後私たちが婚姻を結んだ後は、私に与えられた領地に向かうことになりますが、必要なことさえしていれば多少領地を離れようと、国を離れようと問題ありません。旅をする、というのなら、その時に楽しめば良いのです」
アトリアはろくに運営に関わっていなかったが、成人した王族として領地の一つをもらっていた。
あまり自分は関わらないだろうし、王位などにも興味がないということでアトリアは田舎といってもいいようなあまり栄えていない場所をもらっていたのだが、アキラとアトリアが婚姻を結んだあとはその領地に向かうことになる。
本来ならば向かわずに王都で暮らしても問題なかったのだが、好き勝手することができるということで二人は領地に向かうことに決めていた。
好き勝手と言っても限度はあるのだが、アトリアは本当に好き勝手するつもりらしい。
もっとも、旅行をする貴族がいないわけでもないし、民に迷惑をかけるわけでもないのだから問題とまではいえないのかもしれないが、それでもアキラはそんな答えを聞いて苦笑する。
「王女様ってそんなに動き回るもんじゃないだろうに」
「どうせ、死ぬまでの短い間しかこちらにはいられないのです。死んだ後は再び無限の労働へと戻されるのですから、今を楽しまなくては。そうは思いませんか?」
「ま、そうだな。戻される、と言っても俺は初めてになるけど」
「その時は私が教えて差し上げますのでご安心を」
だが、そこで二人の話は途切れ、沈黙が訪れる。
普段ならもっと続くような話だが、それでも途切れてしまうのはやはり緊張しているからだろうか。
「——それにしても、なぜ今なのですか?」
それから数分ほどしてから、徐にアトリアが口を開き、アキラに問いかけた。
「ん? ……ああ。侯爵達のことか?」
「はい。私たちの婚姻のひと月ほど前に突然侯爵家の不評が広まり始め、不正の疑いがあるとして一週間前に調査が入りました。そして……」
「侯爵家は処罰されるのを待っている、だろ?」
アトリアとアキラの言ったように、現在の侯爵家はアキラが流した噂によってさまざまな不正を疑われ、調査を受けていた。
そして、これまたアキラが流した情報をもとにその調査は進められ、証拠を掴まれてしまい侯爵家は罪に問われることとなった。
だが、不正の証拠が見つかったとはいえ、相手は侯爵家であるためにすぐに処罰を下しておしまいとはいかない。
加えて、今はアトリア王女の婚姻が迫っているということで、侯爵家のことは後回しになっていた。
「ええ。そのせいで今回の式は取りやめるべき、せめて先延ばしに、と言う意見が城内でもありました。もし取り消しになったらどうするつもりだったのです」
「その時は……一緒に逃げてくれるか?」
「はい。それは構いません」
少し考えた様子を見せたアキラが伺うようにチラリとアトリアへと視線を向けながら問いかけたのだが、アトリアは一瞬たりとも迷うことなく言葉を返した。
「……迷うことなく即答かよ。まあ実際のところ、問題はないと思ってたよ。だって、国王のお墨付きがもらえてるんだから」
今しがた「一緒に逃げる」なんて言ったアキラだが、実際のところはそんな気はなかった。いや、もし逃げることになれば迷うことなく共に逃げるが、そもそも逃げる必要はないだろうと考えていた。
「お父様の、ですか? ……いえ、以前話をしていましたね。『分かれた家は別の家として扱う』と」
「ああ。だからこそ、俺は動いたんだよ。なんだったら、その時の記憶をみんなの前で見せることもできるぞ。国王自身が問題ないと口にする場面をな」
そんなアキラの言葉に納得したアトリアだが、すぐに別の疑問が出てきた。
「ですが、今である必要はありましたか?」
「今回の式の直前に侯爵家に何か起これば、当然今回の式で何か言ってくるだろうな。だが、今日の式の途中で何か不満を口にされたとしても、それに関しては問題がないと国王から説明してもらうことができる。後になってから侯爵家の悪事がバレて問題になった場合、わざわざ弁明の場を用意しなければならない。仮に問題ないのだと国王が判断し、それが広まったとしても、陰口を叩くのが人間だ。その陰口は次第に広まり、悪評として定着することだってある。だが、公式の場で国王が直接問題なしと口にしたのなら、他のやつはそれ以上何も言えなくなるだろ?」
「ええ。陛下の言葉や決断を否定するということは、自身の不忠を喧伝するようなものですからね」
「それに、今は式中だからってことで動かないこともあるだろうが、何か言わないで後になってから文句を言い始めたとしても、どうしてあの時言わなかったんだ、と言うことができる」
「ですが、それでも狡猾なものは動きますよ」
「だろうな。でも、いいんじゃないか? どうせ婚姻を結び終わったあとは、お前の持ってる領地に向かうことになるだろ。王都での騒ぎなんて関係ないさ」
正直なところ、政治に深く関わったり権力が欲しいというわけでもないアキラとしては、他の貴族達が何かしらの邪魔をしてきたところでどうでも良いと考えていた。
多少のやっかみを受けたところで、自分の店を持っているアキラの財源はなくなることはなく、田舎とも呼べる領地に引っ込んでしまうつもりのため妨害は意味をなさない。
故に、大きなところで問題がなければそれで良かったのだ。
「まあ、あなたが良いのならそれでも良いのですが、どうせならもっと平和な式にしたかったところですね」
乙女のような所があるアトリアとしては、もっと平穏で華やかな結婚式にしたかったのかもしれないが、残念なことに政治的なことが絡み少々物騒なことになってしまっている。
そのため、そのことが不満であると示すかのように、アトリアは僅かにだが頬を膨らませて見せた。
「あー、それはすまん」
普段になくわかりやすく不満を見せるアトリアに、アキラは本気ですまなそうな表情をして謝った。アキラとしても、本当ならばもっと普通の式にしたかったとは思っているのだ。
「ふふっ。その謝罪は、私を楽しませてくれることで相殺としましょう。旅に連れて行ってくれるのでしょう?」
「ああ」
そうして話していると、少し離れていた場所に立っていた侍女が近寄り、二人に声をかける。
どうやら、そろそろ式のための準備に取り掛からなければならないようだ。
「殿下、そろそろお時間です」
「ああ、わかりました。それではまた後ほど」
そうして二人はわかれ、お互いに指揮の準備を始めていくこととなった。
——◆◇◆◇——
「アキラ・アーデン子爵と、我が娘アトリアの婚姻をここに認める。このことに異議のあるものはいるか」
アキラとアトリア、二人の結婚式が始まり、今は国王からそんな言葉が集まっていた者達へと架けられた。
その様子は結婚式というにはどこか仰々しさが感じられるが、王族の式なので仕方がなかった。
通常であれば、ここで誰も何も言わず、そのまま式が進んでいくのだが、今回ばかりは違った。
集まっていたもの達の中から、手を挙げるものがいたのだ。
「グロン子爵家より、このような慶事の場にて疑を呈することをお許しください。その者、アキラ・アーデンは現在問題を抱えております侯爵家の家紋のものでございます。ですので、その繋がりがある以上は罪に問われることになりましょう。此度の婚姻は、取り止めとは行かずとも先延ばしにした上で改めて考える必要があるのではないでしょうか?」
「グロン子爵か……。確かにアキラ・アーデンの父親は現在不正の露見が問題となっておる。故に、この場にも来ておらぬわけであるが……」
国王の言うように、当たり前の話ではあるが現在罪に問われている侯爵家は、お家断絶などはないもののその処理が終わるまでは謹慎となっていた。
故に、本来ならば王族の結婚相手の親類として呼ばれていてもおかしくはないし、そうでなくても侯爵家なのだから呼ばれていて然るべきであるにも関わらず侯爵家の関係者は一人としていなかった。アキラ以外は。
「だが、この者はすでに家を離れ自身の家紋を持っておる。法律上、血のつながりがあったとしても家を離れたのであればそれは別の家の者となる」
それは国王が以前アキラと約束したこと。口約束であるために誤魔化すこともできたようだが、国王はアキラとの約束を守り、罪には問わないこととした。そして、そのことをアキラが考えたように今この場で伝えたのだった。
「し、しかしながら、問題の可能性があるのであれば調査だけでもすべきではないでしょうか。血のつながりがある以上、悪事に関わっていないと言い切ることはできないのではないでしょうか」
だが、それで聞いたものが納得できるかは別だ。
普通たかが子爵家程度がこれほどまでに国王の言葉に反論するのは異常だと言ってもいい。
どこか別の貴族の息がかかっていると見るべきだろうが、それは今はどうでもいいことか。
「できる。私が、国王としてこの場で断言しよう。アキラ・アーデンは此度の侯爵の不正には何一つとして関わっておらぬと。何せ、此度の不正の証拠を全て集めたのは他ならぬアキラ・アーデン本人なのだからな」
はっきりと国王が断言したことで、あたりにはざわめきが起こる。当然だ。たとえ娘の婚姻相手だとしても、国王が一個人を相手にこれほどまでに肩入れすることなど、普通はありえないのだから。
そんな国王の言葉に動揺しつつも、グロン子爵はなおも口を開くが……
「で、ですが、証拠を用意したのが本人であるのだとなれば、尚のこと何か改竄を施したのだと疑うべきでは——」
「グロン子爵。それは、国王としての私の判断を疑う、ということで良いか?」
その言葉を遮り、国王がそれまでよりも、強く重い『圧』を込めて問いかけた。
「い、いえ! いえけっしてそのようなことはございません! 愚かなことを申したことをお許しください!」
そんな声を聞いてしまえば、裏にどんな思惑があったのであろうと更に言葉を重ねることなどできるはずもない。
グロン子爵はそれ以上何もしゃべることはなくなり、肩を小さくしながら参列者達の中へと戻っていった。
「それでは、他に異論のあるものは?」
たった今目の前で行われた国王と子爵のやりとりを見てしまえば、自分の意見があったとしても何かを言えるものなどいるはずがなく、今度は誰も言葉を発することはなかった。
「——ここに、新たな夫婦が生まれたことを祝福し、神に祈りと感謝を」
そうして国王の言葉の後は特に問題というほどのことはなく式が進んでいき、最後はアキラとアトリアを筆頭に、他の者達も神像に向かって跪き祈りを捧げることになった。
だが……
『俺たちが神に祈りをだなんて、なんだかな……』
『良いのではありませんか? 他の神ではなく、あなたに祈れば良いのですから』
『……ふっ。なら、俺はお前に、か』
皆が祈りを捧げ、あたりが静寂に包まれている中で、アキラとアトリアは他の者達には気付かれないよう、思念での会話をしていた。
実際、二人は今皆が祈りを捧げている対象である神様。その生まれ変わりなのだ。ある意味自分自身に祈りを捧げていると言っていいかもしれない。故に、事情を知るものからすれば苦笑できてしまうものだろう。
「それでは、新たなる道を進む二人に……」
と、皆が祈りを捧げ終え、親父がアキラ達が外に出ていくための言葉を紡ぐ最中、俄に外が騒がしくなりだした。
その騒がしさはだんだんと大きくなっていき、ついには会場となっている広間に続いている扉の外から銭湯音が聞こえ始めた。
「……なんだ?」
そして、そばにいた国王がそんな声を漏らした瞬間、広間の扉が破られ何者かが強引に中へと入ってきた。
その何者かとは……
「侯爵家の……? なぜここに」
本来ならば自宅にて謹慎を受けているはずの侯爵家の嫡男。ダグラスだった。
だが、その表情は尋常ではなく全身は血で赤く染まっている。
そして、その手には一本の禍々しい力を放つ剣が存在した。
ダグラス程度の実力では扉を守っていた騎士を倒すことなどできないはずだ。にもかかわらずこうしてここにやって来れたのは、その剣の力だろうとアキラは判断した。
いかにも怪しげな雰囲気を見に纏うダグラスはその場を見回すと、すぐにアキラの姿を見つけたようで歯をむき出しにして睨みつけた。
その瞳には憎悪がこもっており、なぜこの場に来たのか明白だった。
「お、お前だろ! お前がやったんだ! お前のせいで我が家は……俺はあっ!」
そして、ダグラスが剣を構えながら叫ぶと、剣からは天をつくかのごとき炎を立ち上がらせた。その広間には防御用の魔法がかかっているとはいえ、流石にあれほどまでの炎を防ぎ続けることは難しいだろう。
「あれは、魔剣の類か?」
「騎士達よ! 奴を止めろ!」
壁際に控えていた騎士達だが、本日が婚姻という祝いの場であるために、景観を損ねないよう最小限の数だけが控えていた。
本来であればそれでもよかったのだろうが、この場に限ってはそれが仇となった。
「どうせもうおしまいなんだよ! 我が家は家格が落ちることが決まり、俺は父上からは失望された! 何もかもお前のせいだ!」
アキラへ独断で襲いかかったことが父親である侯爵にバレたダグラスだが、侯爵は今回の件はその報復であると考えていた。
故に、息子であるダグラスが余計なことをしなければこんなことには、とダグラスを見限ることとした。
どうせ、前回のことがあって以来またダメになったことを考えて予備などすでに用意していたのだ。直接の血統が途切れてしまうのは屈辱ではあったが、家紋が潰れるよりはマシだと判断した結果だった。
だが、当然ながら見捨てられたダグラスとしては認められるものではない。
とはいえ認められないと言っても、当主の決定はどうこうできるものでもなく、その怒りの矛先をアキラへと向けることにしたのだった。
本来ならばたとえ父親から虐げられたとしてもこのようなことをしなかっただろうが、ダグラスは以前にアキラから欲望の肥大化の魔法を受けている。その影響で、今も理性のたががはずれやすくなっていたのだ。
本来ならばなんの問題もなかったはずだが、一年と経たずに感情を暴走させたせいでそのようなことになってしまった。
「……はあ。せっかくの場に邪魔を……」
そんなダグラスを見て、結婚式というものに憧れを抱いていたアトリアは、不快感を隠すことなくため息を吐き出し、スッと目を細めるとその体から武威を放ち……
「まあ待てよ。こう言うのは、男がやるべきだろ? そんなドレスで動き回ろうとするなよ。せっかく綺麗に着飾ったんだからさ」
と、そこでアキラからの制止が入った。
アトリアに任せておけばほんの数秒で終わるだろう。ダグラスなど、道具で強化しようが所詮はその程度の相手だ。
だが、今は式の最中で、アトリアは綺麗に着飾って花嫁衣装を着ている。
そんな相手に荒事をさせるわけにはいかず、元々がアキラ自身の問題であることも加え、アキラは自分が対処するべくアトリアを庇うような位置どりで前に出た。
「しねえええええっ!」
そんなアキラに向かって、騎士を切ったダグラスは一直線に走り、剣に炎を纏わせて振り下ろす。
「婚姻の式にしては物騒なものだが……」
が、そんな襲いかかってきたダグラスの剣を、アキラは指先一つで止めて見せた。
「なっ——んだとおおお!?」
決して力を入れているようには見えないにもかかわらず、全く動かすことができないダグラスはさらに力を入れるが、それでもアキラは堪えた様子なく佇んでいる。
普通なら、たとえ格上の相手であろうとできるわけがない。仮に防げたとしても、こうも易々と防げるわけがないのだ。
だが、ダグラスにとっては残念なことに、アキラは『普通』ではなかった。
「祝いの品、ありがとう。次期侯爵様」
そして、そう口にしながらダグラスが持っていた剣を奪い取った。
「か、返せっ! 返せえっ! それは我が家の家宝だ! お前如きが触れていいものではない!」
「家宝をこんなところに持ってきて使うなよ」
いくら理性に問題があるとはいえ、こんなところに攻め込んできたこともそうだが、それに家宝を持ち出してくるというのも問題があるだろうとアキラはため息を吐く。
「でも、先に手を出したのはそっちだから、これで契約は無効だな」
アキラからは公爵家のものに害を加えられないということになっているが、本人から先に害を加えられたとなれば話は別だ。
自己防衛のためにダグラスを攻撃してもなんの問題もないようになったため、アキラはダグラスの頭に手を当て、魔法を使う。
「殺さないさ。こんな華やかな場所で血なんて見せたくないからな」
そうして気絶させられたダグラスは警備に連れていかれることとなった。
だが、特に手間取ることもなく終わらせたとはいえ、その場が荒らされたのは確かだ。
王族の婚姻の式に相応しく整えられた場所であったが、今はダグラスが暴れたことと、それを取り押さえるために戦った騎士達の戦闘の痕跡によって荒れてしまっている。
会場となっている城の広間そのものは問題ないのでこのまま式が続けられる。そもそもすでに式そのものは終わっていて、あとは退場するだけなのだから問題はない。
だがしかし、問題がないとは言っても、式の最後がこれでは思い出としては片手落ちどころの話ではないだろう。
事実、アトリアはそれが気に入らないようで眉を寄せて不満げな顔をしている。
「そう不貞腐れるなよ」
そんなアトリアの様子に苦笑しながら、アキラは追加で魔法を使用した。
その魔法の効果は劇的であり、怪我人は負傷した傷が治り、辺りに撒き散らされていた血は浄化された。加えて、傷ついていた建物も修復し、見かけ上では元通りとなった。
しかし、それだけでは場の空気を元に戻すことはできないと判断したのか、アキラは軽く風を吹かせてその場にいたもの達の意識を一瞬逸らし、その意識が逸れた間に、建物の空にほのかに光る華の幻を投影して見せた。
先ほどまでとは一転して幻想的と言ってもいい空間に変わり、参加していた者達は心を奪われたようにアキラの魔法に魅入っていた。
「いかがでしょうか、お姫様」
「褒めてつかわします」
冗談めかして笑いかけるアキラに、アトリアはそう言って満足げに頷いてみせた。
——◆◇◆◇——
「——ですが、よろしかったのですか?」
式が終わり、その後のパーティーも終わった後、アキラとアトリアの二人は城にあるアトリアの部屋にて向かい合って座っていた。
「何がだ?」
「今回の婚姻について、です」
「?」
アトリアが尋ねる言葉の意味が分からないアキラは首を傾げるしかないが、そんなアキラの様子を見てもアトリアはその言葉の意味を話そうとはしない。
いや、話そうとはしているのだが、何か迷いがあるようで話せずにいるのだ。
だが、そのままずっとというわけにもいかず、ついにはアトリアは口を開き、ゆっくりと話し始めた。
「……私の他に、あなたの婚姻対象はいたでしょう。あなたの従姉妹、コーデリア、アーシェ。あなたのところの夢魔達もそうですし、剣の勇者も候補に入るでしょう」
アトリアは、今日という日を待ち望んでいた。
それは神としてただ時間を消費し続けてきただけの彼女にとって、初めての約束だったから。だからその約束を大事に思っていたし、どうしても叶えなければならないと思っていた。
だが、こうして実際に叶ってしまうとなると、本当にそれでいいのかと不安にも感じてしまっていた。
だが、それを話してしまえば、言葉にしてしまえばそれが現実になってしまうようで話せなかったのだ。
だがそれでもアトリアは切り出した。そのことを問わないままでいては、自分は心から喜べないような気がしたから。
「……まあ、可能性で言えばそうだろうが……本気か?」
「あの時の約束を果たすため、と考えているのでしたら、別にそこに固執しなくても私は構いません。あの時は、まだ生まれ変わる前。いわば前世です。生まれ変わった今回の中で、わざわざ私を選ばずとも……」
だが、その言葉は続かず、アトリアの口はつぐまれてしまった。
「かの『剣の女神』様も、そんなことで悩むんだな」
そんなアトリアの言葉に、アキラは冗談めかして肩をすくめてから、真剣な目をして問いかける。
「もしかりに俺が今からお前との結婚をやめると言い出したら、お前はそれでいいのか?」
「ええ。愛していないわけではない。けれど、どのみち数百年も経てば最後には二人とも神の座に戻ることになるのです。それからでも遅くはない、とも思います。ここで無理に縛らずとも、と」
どうせアキラも自分も、死ねば神としてその後を生きることになるのだ。ならば人間として生きている間の百年くらい、アキラの好きにさせてもいいのではないか。アトリアは、そんなことを考えていた。
もちろんそうなってほしくはないが、それでも構わないと、本気で思っていたのだ。……だって、嫌われたくないから。
だが、そんなアトリアの言葉に、アキラは迷うことなく答える。
「俺は俺の意思でここにいて、約束なんて関係なくお前を選んだ。そりゃあ最初は約束だから探さないとって思ってたさ。執念や意地ってのもあった。でも、今はそんなの関係ないさ。お前といて楽しい。だからここにいる。それでもまだ不満か?」
「不満、ということはありませんが、心のどこかで信じきれない自分がいるのは確かです」
信じたい、信じている。だが……どうしたって不安は残ってしまう。それがアトリアの本心だった。
自分を信じさせて欲しい。アトリアの瞳は、まるでそう言っているかのようにアキラには思えた。
「なら、どうすれば信じてもらえる? 魔法で契約でも結ぼうか?」
「それは流石に無粋というものでしょう。そうですね。では——」
アトリアは、楽しげに微笑んでアキラを見つめながら一歩前に踏み出し……
「——剣を交えましょう。そうすればわかります」
剣を取り出してそう言った。
「……それはそれで無粋じゃねえかなって思うんだが……まあ、お前らしいか」
普通、こういった場面ではキスをしたり抱きしめたりするものではないかと思うアキラではあったが、この女神の場合にはそんなものよりも剣を交えるというのが相応しいと納得できてしまった。
そうして二人は王女とその婚約者——否、夫に相応しくなく窓から外へと飛び出し、剣を交え始めた。
「子供は何人作りましょうか?」
「っ!? はあ!? な、にを……?」
「何を、とは? 結婚したのですから、子を残すのは生物として当然のことでしょう?」
剣を交えながらの突然のアトリアの言葉に、アキラは思わず体勢を崩してしまうが、アトリアはまるで当然のことを話しているとばかりに動じることなくアキラの隙をついて剣を振るう。
この辺りの羞恥心の違いは、元が人間か神様かの違いだ。神としての視点を持っているアトリアとしては、たとえ王女としての意識があろうと、生殖行為を恥じるものだとは考えていないのだった。
「せっかくですから、騎士団が作れるくらい欲しいですね。きっと楽しいでしょう!」
「そんな野球チームを作れるくらい、みたいなことを言われても……」
まるで王女が言うような言葉ではないアトリアの言葉に、アキラは苦笑とともに言葉を漏らす。だが、その言葉に反論することはなかった。
「私は、今がとても幸せです。この想いは、たとえ女神として戻った後であろうと忘れることはないでしょう」
「当たり前だ。お前が女神として戻っても、その時には俺も同じ場所に行くんだ。忘れさせてなんてやるもんか」
〜〜終〜〜
外道魔法の使い手は女神と共に 農民ヤズー @noumin_00
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