ある国語教師について

 国語教師のムンバ氏は、オチョモビという言葉が好きだった。

 それは南太平洋某所に存在する島に伝わる古い言葉だった。オチョモビは「愛と許し」という意味を持ち、響きが春の息吹を思わせるところもムンバ氏は気に入っていた。何より、オチョモビは愛する母につけられた名前だった。母はその名に相応しく、寛容で慈愛に満ち溢れた人物だった。その言葉を聞くと、子ども時代の優しい思い出が、春の花咲き乱れる裏庭の風景が、学年主任にいびられている彼の心を癒すのだった。


 ムンバ氏が未来幻燈会へ赴いたのは、ようやく新学期の授業計画の立案を終えたときのことだった。

 その得体の知れない催しには一切関心がなかったが、古くからの友人に誘われたのである。数少ない友人との久しぶりの再会のため、氏は誘いに応じることにした。

 ムンバ氏と異なり昔と変わらぬ姿を見せた友人は、今は幼児教育に携わっているとかで、教師の質の劣化を嘆いており、「教師が聖職なんて時代は遠くになりにけりだ。この間のニュース見たろ。なんであんなのを合格にしたのか、教育委員会に聞きたいくらいだよ。おれはそういう連中でも真っ当に教育ができる指導体系のヒントを、今日の幻燈会で掴むつもりだ。お前んとこの学校にだってきっと役に立つと思うぜ」


 幻燈会が始まった。

 映写幕を食い入るように見つめている友人の横で、ムンバ氏は至って冷静であった。未来を可視化について、この帝国アカデミーの技術者を名乗る男はもっともらしいメカニズムを語ってはいたが、その信憑性については疑わざるを得ないものだった。然るべき学術雑誌に論文を投稿、他の信頼できる専門家による査読を経て掲載されて、初めて信憑性が証明されるものだ。幻燈会に誘われた際調べてみたが、未来の可視化に関する論文はどの媒体にも見受けられなかった。友人には申し訳ないが、ムンバ氏は幻燈会を見るのをやめ、新学期に待ち受ける諸々の業務について考えることにした。その時、映写機から聞こえて来る音声がムンバ氏の意識を映像へ引き戻した。


 若い男性の「あいつチョーオチョモビじゃね」と言う声が聞こえたのである。


 その股座が開いた、実に未来的な服を着た男性の口には、嘲りの色が浮かんでいた。オチョモビという言葉には、あの青年の口調に表れるような、侮蔑を含んだニュアンスはないはずだ。思考が追いつかないうちに、映像は妙なハンバーガーの絵に切り替わり、結局真相は分からずじまいであった。


 デモンストレーションが終わると、ムンバ氏は友人への挨拶もそこそこに、未来の映像を販売しているというテントへと向かった。テントにはすでに数名が列をなしており、ムンバ氏を苛立たせたが、そこに大柄な人物が割り込んできたため、ムンバ氏は更に待たされることになった。

 二時間ほど並んだ後、ようやくムンバ氏の順になった。ムンバ氏は前歯の異様に長い男に、オチョモビに関する文献が写っている映像を全て見せろと要求した。幸い、家と職場の往復に人生の大半を費やしているムンバ氏には貯金があったので、代金には困らなかった。


 そこで発覚したのは、以下の事実だった。

 実は二十七年後には、オチョモビは「二度とおれの前に姿を見せるな万年下痢野郎」という意味として使われていたのだ。

 ことの発端はある事件だった。あるワイドショーで話題の喫茶店を生中継していたところに変態が乱入し、ケーキを褒めちぎっていた若い芸能人を文字通り舐め回したのである。その時変態はこの芸能人に対し「オチョモビ」を連呼していたため、この単語はその変態を指すようになり、時を経て凄まじく不快に感じる人物を称する言葉になったのである。

 ムンバ氏はひどく衝撃を受けた。伝統的で美しい言葉が、このような破廉恥でくだらない事件によって下等なスラングとして消費されるようになっていることが辛抱ならなかった。ただでさえあらゆる言語が美しい本来の姿を失っていくのに、大切なオチョモビまで汚されてはたまらなかった。


 オチョモビの劣化を食い止めるには、原因である変態行為を阻止する他にない。ムンバ氏は追加で、その変態の名前と住所、勤務先が有志によって電子上に公開されている時の映像を買った。

 変態の名前はウリョワといって、二 X X X年の時点ではまだ三歳だった。ムンバ氏は両親や級友からの心ない言葉によって、ウリョワの異性に対する認識が大幅に歪んでしまったことを知ると、ウリョワを引き取り、友人に相談しつつ細心の注意を払って養育した。適度に自尊心を育み、欲望の抑制や異性に対する健全な付き合い方を教えた。

 友人が未来幻燈会でヒントを得たという新しい教育法の成果は目覚しかった。ウリョワは異性、同性を問わず好かれる好人物となった。それは二十七年経った今でも変わらず、つまりはオチョモビは未だに愛と許しを表す言葉であることを意味した。

 ムンバ氏は幸せに満ちていた。美しい言葉を守り抜くことができただけでなく、素晴らしい家族も得ることができたのだ。ウリョワは医者となり、多くの人々を難病から救っているだけでなく、その給料で海沿いの丘に家を買ってくれた。そして今は、長らく病床にあるこの手をそっと握って、涙まで流してくれている。

「わたしはあなたに育ててもらえなかったら、何か途方もない間違いを犯していたような気がしているんです。本当に感謝しています。だから、きちんと恩返しをさせてください、家を買ったくらいじゃあ割りに合わないんです…」

 自慢の我が子だ。きっと我が母も喜んでくれることだろう。そうだ。我が母よ、オチョモビよ。僕はあなたの名前を守り抜きましたよ。あなたの名前は美しいままですよ。母の愛にふさわしい美しさを、あなたの名前に留めておくことができたんですよ。病床のムンバ氏には、幼少期の美しい記憶が涙と共に目蓋の裏で煌めいていた。小さな一軒家の裏庭で、オチョモビが幼いムンバの目線に合わせて、あの時と変わらない優しい微笑みを浮かべて待っていた。ムンバは駆け出した。春の花が咲き乱れる庭を、母の胸目掛けて一心不乱に駆けていった。

 X月X日、美しい思い出とともに、ムンバ氏は息を引き取った。


 故にムンバ氏は知らなかった。それから八十七年後、オチョモビは「側溝のドブの中でカサカサもがいているゴキブリ」を表す言葉になっていた。

 言語とは変容して然るべきものなのだ。それは、オチョモビの語源はオチョマムンビであり、古来陰毛を表す言葉だということを、見ないふりをしていたムンバ氏が一番よく知っているはずのことだった。

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未来商会 早川 @hykw4wd

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