キミが、消えた

伊可乃万

キミが、消えた


         1


 同級生の笹川栞が交通事故で亡くなった。それほど親しい間柄ではなかったけど、家が近くでたまに一緒に帰ったり、犬の散歩をする間柄だった。彼女の葬儀はしめやかに執り行われ、会場は陰鬱な空気と悲しみの涙で満ちていた。僕はもう二度と会えない彼女のことを想い、黙祷した。

 「浩二君」

 葬式会場で、僕は栞のお母さんに呼び止められた。

 「どうかしましたか?」

 と僕が尋ねると、栞のお母さんはおもむろにアルバムを持ち出して、僕に手渡してきた。

 「このアルバムにはあなたの写真が沢山収められているの。よかったら持っていって」

 僕がアルバムを開くと、確かにそこには二人で撮った写真や修学旅行での僕と栞が収められている写真が大量に存在していた。この写真の山を見た僕は、何だか胸が熱くなり、栞への想いが募ってきた。

 栞は決して美人とはいえない容姿だったけど、愛くるしい瞳と綺麗な唇をした可愛らしい女の子だった。お互い犬を飼っていたから、早朝よく二人で互いの犬を散歩させたこともあった。

 「ねえ浩二って、好きな人いるの?」

 「いきなり野暮なこと聞くなよ。いるわけないだろ」

 「あは、そうなんだ。早くよい人見つけるといいね」

 たわいのない二人の下校中の会話を思い出した。よく考えると、あの頃既に彼女は僕に気があったのかもしれない。未熟で鈍感な僕は彼女の女心に気づくことができなかった。

 栞のことを考えていたら、次第に彼女に対して特別な感情がわき始めてきた。

 だけど、そんな栞はもういない。


       2


 僕は中学三年生。受験生だ。受験勉強に集中する日々を送っているうちに、次第にあの日、微かに抱いた栞への恋心は薄らいでいった。

 その間、僕には彼女が出来た。もうこの世に存在しない栞への想いを断ち切るため、自分からクラスでも評判の美少女、滝川ゆかりに告白したのだ。ゆかりは僕の告白に二つ返事で了承してくれた。

 「本当にあたしなんかでいいの」

 「ああ、いいんだ。キミが好きなんだ」

 「里山君」

 これでいいんだ。死んだ人間を好きになるなんて間違っている。僕は若者なのだから、今を生きないといけない。今そこに生きている人間と恋をしなければいけないんだ。

 それから僕はゆかりと何度かデートをした。お互い受験生だからあまり遊びまわるわけには行かないけれど、一緒に遊園地に行ったり、

ゆかりが観たがっていた恋愛映画を観に行ったりした。

 「この映画、泣けるね」

 「そう」

 「そうよ。だって死んでしまった人のことを今も想い続けているなんて、素敵よ」

 「そうかな」

 「そう?」

 僕は栞が好きだ。死んでから、好きだと気が付いた。その想いを断ち切るために僕は他の女に走った。こう考えると、僕は人として最低の事をしているのではないかと思わされ、胸が締め付けられてしまう。

 偽りの恋人。心の中の恋人。二人の女性が今、僕の中にいる。

 

 ある日の下校中、僕とゆかりはファーストフード店で一緒に勉強をすることにした。

 一緒に同じ高校に行けるように僕は猛勉強している。数学の成績が足を引っ張っており、ゆかりに教えてもらいながら一つずつ項目を消化していった。

 勉強の休憩中、僕はゆかりに何故告白を受け入れてくれたのか尋ねてみた。その返事は

「勇気を感じたから」だという。実はゆかりはその美貌とは相反して男性に告白された事が一度も無いそうだ。そして、

 「実は浩二君のこと、まだ好きじゃないの」

 と言ってきた。

 「それどういうこと?」

 「付き合ったら好きになるかもしれないって、思って」

 「そっか」

 僕は落胆した。でも自分も似たようなことをしているんだから、おあいこというもんだ。

 僕は勇気を出して、ゆかりに自分が栞を好きになったことを話してみる事にした。

 「実はさ、ゆかり」

 「何?」

 「キミ、栞のこと、覚えてるよね」

 「勿論。残念だったね。」

 「ああ」

 「そういえばあなたの幼馴染だったよね」

 「小学校が一緒だっただけだし、特別親しかったわけじゃないよ。ただ」

 「ただ?」

 「葬式の日に彼女のお母さんからアルバムをもらって、そこには僕の写真が一杯あってさ。それを見ていたら、何だか彼女のことが好きになってしまったんだ」

 「正気? 彼女はもう死んでるのよ。」

 「分かってる。でも、好きになってしまったんだ」

 「それじゃあ何、私は栞を忘れるためだけの女ってこと」

 「そういうわけじゃないよ。でも、こんな経験初めてだから、困ってるんだ」

 僕の言葉を聞き続けていたゆかりは、おし黙っていた。これは別れることになりそうだと覚悟していたが、彼女は予想外の反応を示した。

 「素敵。じゃあ私には恋のライバルがいるんだね」

 「そっそういうことになるのかな」

 「そういうことよ」

 ゆかりはハンバーガーを頬張り、笑っていた。

       3


 僕の家の飼い犬はアストラという。父親がウルトラマンが好きで、そこに出てくるウルトラマンレオの登場人物から取ったらしい。犬自体はパグなので、見た目と名前のギャップが凄い。道で名前を聞かれるたび、僕は恥ずかしい思いをしている。だけど初めて栞と犬の散歩させたとき、彼女はアストラの名前を聞いても笑わなかった。彼女のゴールデンレトリーバーはレオという名前だったからだ。

 「アストラはウルトラマンレオの腹違いの弟なんだって。お父さんが言ってた」

 「子供向け作品にそんなドロドロした設定はないだろう」

 実際のところはわからないが、あのときの彼女の笑顔はよく覚えている。とても愛くるしくて、思わず心が揺れ動いたのを思い出した。

 「これからもずっと一緒に犬の散歩ができるといいね」

 そう言って笑う栞の言葉は、今考えてみると彼女なりの告白だったのかもしれない。

 彼女のことを思い出すたび、栞への想いは募ってゆく。日は過ぎる度に想いは加速していく。

 気が付けば僕の心の中は栞のことで一杯になっていた。

 せめてもう一度、彼女に会いたい。川原をアストラを散歩させながら歩きたい。僕はそんなことを考えていた。


 「彼女のこと、まだ想ってるの?」

 飲食店でゆかりとデートしていたとき、唐突に彼女から厳しい言葉が飛んできた。僕は嘘をつかず、誠実に回答することにした。

 「ああ、なんか前よりももっと好きになってる」

 「そう」

 ゆかりは視線を落とし、容器に差し込まれたストローに口をつけた。

 「死んだ人を死んでから好きになるなんて、なんか切ないね。私にとっては恋のライバルだけど、戦いがいのない相手だわ。だって敵うわけないもの。相手は故人よ。どうやって勝負しろっていうの」

 「それは・・・」

 ゆかりの正直な告白に、僕は言葉を詰まらせてしまった。

 「私、浩二君のこと、好きだよ。いや、好きになった。だって誠実だもん。ちゃんと言いづらいこと言ってくれたから。そんな男、

世の中に数えるほどもいないよ。」

 「ゆかり」

 「だから余計胸が苦しくなってきた。一体私はどうすればいいの。どうしたら私は彼女に勝てるの? ねえ、教えて、浩二君」

 僕はゆかりの魂の問いかけに応じることが出来なかった。僕の身勝手な故人への恋慕で今生きている人を苦しめている。そんなことが許されるのだろうか。


       4


 僕とゆかりは家の自分の部屋で栞のお母さんからもらったアルバムを眺めていた。

 僕と栞ばかり写っている写真は修学旅行や日常のひとコマがメインの構成となっていた。

 「あら、この写真」

 ゆかりが僕と栞が写っている写真を取り出し、後ろを眺めた。写真の裏には一文が添えられていた。

 大切なキミとの2ショット。 

 と書かれていた。

 「大切なキミ、ねえ」

 ゆかりは唇を尖らせて呟いた。僕は他の写真にも何か書いてあるかもしれないと思い、さっそく調べ始めた。

 二人でおどけている写真の裏には、いつもと同じ、変わらない日常。と書かれていた。    

 「彼女はあなたのことが本当に好きだったのかな」

 「分からない。単に友達として見ていただけかもしれないね」

 「彼女の気持ちがわからないわ。でもあなただけの写真をアルバムに収めているぐらいだからきっと特別な感情を抱いていたのよ」

 「そうかな」

 「そうよ」

 他の写真の裏にも僕を評価するコメントが書かれていた。しかし直接好きとかかれた写真は一枚もなく、それが僕達を困惑させた。

 「ねえ、この写真。やっぱりあなたとの思い出をファイリングしたものじゃないの?」

 「そうだね。でも直接好きと書かれた写真はないから、そうとも言い切れないんだよ」

 「なんだか複雑な展開になってきたわね。残されたライバルのことも少しは考えて欲しいわ」

 「ゆかり、俺、栞の家に行って他の遺品を借りてくるよ」

 「どうして」

 「このままだと気持ちに踏ん切りが付かないよ。次の恋に進めないし。キミにも申し訳ないからね」

 「浩二君」

 僕はゆかりを見つめ、ありのままの気持ちを打ち明けた。

 するとゆかりは唐突にキスをしてきた。僕は驚いたが、そのキスを受け入れた。

 「死んでる人には出来ないものね」

 「ゆかり」

 ゆかりは唇を離して、笑顔を見せた。

 「これが私のファーストキス。あなたは?」

 「僕も初めてだよ」

 僕がそういうと、ゆかりは笑い出した。そして、やった、栞ちゃんに勝ったと叫んだ。 

 「ごめんね。あまりにも嬉しくて、つい」

 「ううん、気にしないで」

 

        4


 ある日の休日。僕は栞の自宅へ向かった。栞の家は新築したばかりで鉄筋コンクリートで出来た見事な建造物だった。僕がインターホンを押すと、栞のお母さんが出迎えてくれた。そして僕はお母さんに栞の僕への遺品が他にないか確認に来た旨を告げると、家に招いてくれた。

 栞の部屋は螺旋階段を上った先の二階にある。僕は階段をゆっくりと登り、二階へと辿り着いた。

 栞の部屋は二階の隅にある。部屋のドアには彼女のネームプレートが掛けられていた。

 僕は一回息を飲んでから部屋に入った。

 こざっぱりとした室内は女っ気がなく、どちらかというと男性的な部屋だった。でも幾つものぬいぐるみがベッドに立てかけられていたり、綺麗なワンピースが掛けられていたりと、僕は彼女の部屋からユニセックスな印象を受けた。現実に存在した彼女は女性らしい容姿の女の子だったから、部屋とのギャップに僕は少しだけ戸惑った。

 早速僕は彼女の机の引き出しを開けたり、本棚の本を調べたりしてみたが、特に遺品らしいものは見つからなかった。やはりあのアルバムだけで終わりなのだろうか。

 そう考えていた僕の視界に、日記帳が飛び込んできた。本棚の本の上に横になってしまわれていた。

 僕は勇気を出して慎重に日記帳を取り出すと、意を決して開いた。

 しかし日記にはページをめくっても何も書かれておらず、僕は落胆した。

 と、そのとき、日記帳から封筒が滑り落ちてきた。僕はその封筒を拾い上げ、誰宛の手紙なのかを確認したが、表面には何も書かれてはいなかった。

 僕は一体何が書かれているのか気になって、つい封筒を開いてしまった。そこにはしっかりと彼女の字で書かれた手紙が入っていた。

 

 大切なあなた、浩二君へ。

 この手紙が読まれているということは、私は何らかの理由でこの世にはいないのでしょう。

 でもそんなことはどうでもいいんです。あなたに直接気持ちを伝えられるのが嬉しいです。私は浩二君のことがずっと好きでした。  

 きっかけは小学校のとき。下校中に雨が降って雨宿りしていたら、あなたが私に傘を渡して、自分はフードをかぶって全力疾走していったときのことです。心が揺れ動きました。これが恋なんだ、と思いました。それから私はあなたと一緒に犬の散歩をするのが楽しみで楽しみでしようがありませんでした。

 この恋は実る必要は無いんです。ただ少しでも長くそばにいられたら、それでいいんです。それが私の正直な気持ちです。もし私の遺品を見つけたら、一つ残らず燃やしてください。未練を現世に残したくないし、あなたに私の気持ちを知られるのは恥ずかしいので・・・。

 でも最後にこれだけは言わせてください。あのとき傘を貸してくれてありがとう。あなたに教えられたこと、言いたかったこと、沢山あったけど、全て墓まで持っていきます。浩二君はこれから大人になって、私よりも素敵な人と出会って、素敵な恋をしてくださいね。あなたの幸せを祈っています。さよならは言いません。いつか何十年後かに天国でまた会いましょう。栞より、想いを込めて。

 手紙を読み終わったとき、僕の瞳からは熱い水が流れて落ちてきていた。これが涙という奴か。とめどなく溢れてくる彼女への想い、

栞の僕への愛情に僕は胸をわしづかみにされた。

 僕が手紙を読み終えた頃、栞のお母さんがトレイに茶菓子を持って部屋に入ってきた。泣いている僕は必死に袖で涙を拭い、栞の母親と目を合わせた。

  「本当はその日記帳も見つけていたんですよ」

 と栞のお母さんは僕に言った。

 「でも流石に日記までは、故人のものだから渡せなくて。手紙の中身も私は知らないのよ」

 そう言ってうっすらと瞳に涙を滲ませるお母さんに、僕は栞の手紙を手渡した。

 手紙を読んでいた母親は、瞳に大粒の涙を流した。そして僕に、

 「栞は本当にあなたのことが好きだったのね。こんな手紙を残していくなんて」

 お母さんの心の堰が決壊したのか、彼女はしゃがみ込み、手紙を抱きかかえて号泣した。僕はお母さんの傍に寄り添い、一緒に涙を流した。

 「浩二君、栞の最後の望みを叶えてくれない」

 栞の望みは遺品を燃やすことだ。僕には考えられない選択だったので、最初は断ったが、お母さんがどうしても、というので受け入れることにした。


         5


 栞の手紙を読んでから一週間後、僕はゆかりを連れて、海岸にやってきた。栞の遺品を浜辺で燃やすことにした。

 「本当にいいの?」

 「これが彼女の望みだから。それに僕も未練を断ち切りたいし、故人よりも、今生きているキミのことを大切にしたいんだ」

 「本当にそう思ってるの」

 「思ってるさ」

 鉄製のバケツに栞と僕が写った全ての写真と手紙を入れ、僕はチャッカマンを取り出して火を付けようとした。しかし、なかなか手が動かず、火をつけることができなかった。これを燃やしたら、栞が消えてしまう。

 大切な、キミが消える。

 気が付けば、僕は号泣していた。この涙は別れを覚悟した涙だ。隣にいたゆかりは何も言わずにハンカチを取り出し、僕に差し出してきた。

 「ありがとう」

 「いいの。泣きなよ。これが最後の涙だよ」

 よく見ると、ゆかりも涙腺をうるませていた。

 さようなら、栞。僕はキミに何もしてあげられなかったけれどキミとの想い出を胸にこれからも生きていくよ。

 栞の遺品を燃やした後、残った灰を僕達は風に運ばせた。

 大切だった、キミが消えた。

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