ヒメミコちゃんは世界の女王!

 西の空の残照が弱くなっていく。ユーシャは樹海を出て王宮の北柵門を抜けた。倭に着いたのは昼過ぎだったが暗くなるまで待っていたのだ。

 大陸からリニアで一緒に来たリョウとイは「あたしたちは樹海を通らずに行くわ」と言って御社おやしろの裏口から出て行ってしまった。出口専用の抜け道のようなものがあるらしい。


「誰もいないな」


 王宮の柵門には一日中番兵が立つ。しかし樹海に面した北柵門にはいない。ここから賊が忍び込むことはあり得ないからだ。樹海自身が番兵の役を担っているとも言える。


「取り敢えず寝所に戻って体を休めるか」


 ユーシャは大王おおきみやかたで寝起きしていた。本来はヒメミコの館なのだが「広くて寒いから嫌だ」と言って使おうとしないのでユーシャにあてがわれていたのだ。足音を忍ばせながらユーシャは王宮内を歩く。


「変だな、どうしてまだ広場に祭りの櫓が残っているんだ」


 秋祭りの開催日は四日前。祭りが終われば取り壊されると聞いていたのに、櫓は銅鐸をぶら下げたまま夕闇の中にしっかりと立っている。


姫巫女ヒメミコが腹でも壊して延期になったのかな。このままでは餅が食えないと駄々をこねたとか。ははは」


 ユーシャは自分の空想を笑いながら広場を横切った。この調子なら誰にも会わずに大王の館に入り込めそうだ。


「おや、日が暮れたのにまだ祈祷をしているのか」


 祈祷神楽殿の前に来た時、中から声が聞こえた。炎の明かりが外に漏れている。気になったユーシャは扉を開けてそっと覗いてみた。一人の桃巫女が榊を掲げて懸命に祈りを捧げている。


「……!」


 気配に気づいたのだろう。いきなり桃巫女が振り返った。イヨだ。ひどくやつれた顔をしている。目が合ってしまったユーシャは笑ってごまかすしかない。


「や、やあ。久しぶりだね壱与イヨ。遅くまでお勤めご苦労様。でもちょっとこんを詰め過ぎじゃないのかい。目の下にクマができているじゃないか。せっかくの美貌が台無しだよ、ボクの麗しの女神様」

「ユ、ユーシャ様……」


 イヨは大きく目を見開いていた。信じられないものを見ているような瞳だった。そしてふらつきながら立ち上がると「ババ様、ババ様」とつぶやきながら館のほうへ歩いて行った。


「さっそく戻ってきたのがバレちゃったか。まあいつかはわかるんだし別にいいか」


 祈祷のための炎はまだ燃えている。さすがに放っておくわけにもいかないので燃え盛る炎を眺めていると、遠くから声が聞こえてきた。ババだ。


「ユーシャ! この馬鹿者めが!」


 ババは祈祷神楽殿に入り込むと、思いっ切りユーシャの右頬に平手打ちを食らわせた。怒りっぽい性格ではあるが滅多に人に手を上げたりしない、そのババにぶたれたのだ。ユーシャは呆気に取れらてぶたれた頬に手を当てた。


「今までどこで何をしておった。どれだけ皆に心配をかけたかわかっておるのか」

「えっ、でもボクは元の世界へ戻ったとみんな思っていたはずだし、心配なんてするはずが……」

「この阿呆!」


 今度は左頬にババの平手打ちが炸裂した。両手で両頬を押さえてユーシャは呆然と立ち尽くした。


「元の世界に戻る時が来たら必ず教えるとおまえは約束してくれたじゃろう。それなのに何も言わずにいなくなってしまった。きっと何か悪いことが起こったに違いないと皆で手分けして探しておったのじゃ。イヨはおまえが無事に帰ってくるよう、二日前から昼夜を分かたずここで祈りを捧げ続けていたのじゃぞ」


 思い掛けない言葉だった。自分はとっくに忘れられている、自分を心配する者など誰もいない、ユーシャはそう思い込んでいた。それだけにババの言葉は信じ難く、そして胸が熱くなるほど有難く感じられた。


「ごめん。みんながそんなにボクを気にしてくれているなんて思ってもみなかったんだ。だって狗奴クナ国と決着をつけた後は、誰もがボクを邪魔者扱いしていたじゃないか」


 ババは皺くちゃの顔を更に皺くちゃにして深いため息をついた。実に情けない顔をしている。


「ユーシャ、おまえはどこまで人の気持ちがわからぬのじゃ。長年に渡るクナ国との確執を解消してくれた恩人を、わしらが邪険に扱うはずがなかろう」

「ババの言う通りだ、ユーシャ」


 戸口に元大王が立っていた。急いで駆け付けてきたのだろう。息が乱れている。


「我らは隠し事をしていたのだ。そなたが元の世界に帰る日が決まったら盛大に送別の宴を開いて驚かせてやろうとな。その支度と秋祭りの支度に追われてそなたを粗雑に扱ってしまったようだ。すまなかったな」

「そうだったんですか」


 サプライズパーティーはこんな古代から行われてきたのかとユーシャは少し可笑しくなった。いつの時代も人は人を驚かすのが好きなようだ。


「それにしても無事戻ってくれてよかった。もしや黒龍退治に出掛けたのではないかと思ってな、各国の大王にユーシャを見掛けたら知らせてくれと使者を出したのだ。クナ国のヒミヒコは『横穴に吸い込まれたのかもしれぬ』と言い出してな。ゴシに命じてそなたの見つかった横穴周辺を毎日掘り返しておった。おかげであの土地は穴だらけになってしまった」

「……」


 ユーシャは言葉が出なかった。皆の気持ちが嬉しすぎて感謝を言い表す言葉が見つからなかった。


「ユーシャああー!」


 飛び込んで来たのはヒメミコだ。力いっぱい抱き着いてきたのでユーシャは危うく倒れそうになった。


「どこに行ってたんだ。心配したんだぞ。おまえが早く帰ってくるようにババと二人で米断ちしていたんだぞ。そのおかげで芋ばかり食べていたんだぞ。この馬鹿!」


 罵倒されているような気もするが喜んでいるのは確かなようだ。ユーシャはヒメミコの体を引き離して顔を見た。目が真っ赤になっている。


姫巫女ヒメミコが心配してくれるなんて意外だな。毎日あんなに憎まれ口を叩いていたのに。今日はいったいどうしたんだい」

「それはババに言われたからだ。みんなが別れを悲しんでいてはユーシャも帰りにくい。冷たく接してこちらの世界に未練が残らないようにしろって。だから尻を蹴ったり早く帰れとか言ったりしていたんだ。本当は寂しくてたまらなかったんだぞ」

姫巫女ヒメミコ……」


 ユーシャはヒメミコの小さな体を抱き締めた。こんな幼い子に悲しくつらい思いをさせた自分が許せなかった。ヤマトの人々の本心を見抜けなった自分が不甲斐なかった。そしてここに戻って来て本当によかったと心の底から感じた。


「さあ、再会の挨拶はそれくらいにして秋祭りの支度に取り掛かろう。ユーシャ不在では秋祭りはできぬと延期したままになっていたのだ。明晩から徹夜で踊り明かそうではないか」

「やったあー、餅が食える!」


 飛び跳ねて喜ぶヒメミコ。食いすぎて腹を壊すなよと釘を刺すババ。腕を組んで満足顔の元大王。すっかり見慣れてしまったいつもの王宮の風景だ。


「戻って来たんだ。そしてボクはここで生きるんだ」


 ユーシャは決意を新たにした。もう迷いはなかった。


 * * *


 松明に照らされた王宮広場では民たちが櫓を囲んで踊っていた。ユーシャ帰還と秋祭り開催の知らせは瞬く間にヤマトの国中を駆け巡り、一日で祭りの支度を完了させてしまった。

 日暮れと共に始まった秋祭りは餅粥の振る舞いが始まったところで最高潮に達した。民は踊りを中断し、桃巫女たちが配る餅粥を思う存分味わう。


「はふはふ、もっと食わせろ」

「ヒミちゃん、食べすぎです。あっ、ヤイメ様、もう一杯いかがですか」

「ありがとう。だが一杯で十分だ。腹八分目に薬要らず、と言うからな」

「おい、ユーシャ、おまえはもっと食え」

「いやあ、餅は太るからね。あいにく体型変化ポーションを切らしているんだ」


 いつものようにヒメミコはヒミに仮装して参加している。

 二日間祈りを捧げていたイヨは一日中眠り続けてすっかり元気になった。友好の証しとして初めてクナ国から参加した青年、ヤイメが気になって仕方ないようだ。

 そしてユーシャは相変わらず中二病である。


「腹が膨れたら踊りだ。我らの舞を神に捧げようぞ」


 ヤマトの民が踊り出した。松明の炎が作る彼らの影が地面の上でも踊っている。揺れる炎に照らされるのは笑いと喜びと楽しさばかりだ。リョウとイは広場の片隅に腰を下ろして、炎が映し出すヤマトの幸福を眺めていた。


「ねえ、孔明ちゃん、あたし時々思うのよ。今あたしたち使徒がやっていることって本当に意味があるのかなあって」


 イにしては珍しくしんみりとした語り口だった。リョウは黙って話を聞く。


「新AIあい類が期待しているのは人類が変わること。そして世界の荒廃を招かないこと。これは確かだと思うのよ。でもね、以前と同じ歴史に人類を導いてしまったら、やっぱり結果は変わらないような気がするのよ」

「それが新AIあい類の指示なのですから仕方ありません。同じ技術、同じ文明を持ちながら、それを破壊に使用しない人類を見たいと言うのですからね。かなり無茶な望みだと思います」

「やり直した歴史の先には何があるのかしら。審判の日まで長生きして人類の行く末を見てみたいわ」


 イは夜空を見上げた。そこに輝く星々は遠い過去の姿にすぎない。人は過去の姿を見て未来を空想するしかないのだ。


「孔明、仲達、餅は食べたかい」


 二人の元へユーシャがやってきた。数日前とは別人のようにすっかり明るくなっている。


「お餅は太るから食べないのよ。孔明ちゃん、食べに行ったら」

「餅は喉に詰まりやすいので私も遠慮しておきます」


 リョウにしては下手な言い訳だ。ユーシャとイは思わず笑ってしまった。


「二人には感謝の言葉もないよ。倭へ帰る前に会いに来てくれたのも、わざわざドングリ煎餅を持って来てくれたのも、ボクをここへ戻すためだったんだろう」

「あら、何のことかしら。YUCAちゃんがどうなろうと、あたしたちには関係なくてよ」


 それがイの見え透いた嘘であることはユーシャにも簡単に見抜けた。リョウはいつものように淡々とした口調で言った。


「もしあなたが大陸に留まる決意をしていたら、皆にはこう言うつもりでした。勇者ユーシャは元の世界へ戻りました、と」

「そうならなくてよかった。そしてその言葉を口にする時は永遠に来ないと思うよ」


 ユーシャは完全に吹っ切れていた。この世界に根付こうとしていた。イとリョウが彼女に言うべきことはもう何もなかった。


「おーい、ユーシャ。あたしと踊れ」


 遠くでヒメミコが手を振っている。ヤマトの民は皆踊っていた。元大王はババの手を取り、イヨはヤイメと手をつないで、松明の炎に照らされながら櫓の周りを回っている。


「よーし、ボクのステップを見せてあげるよ」


 ユーシャは駆けて行った。ヒメミコと手をつなぎ不思議な足さばきで踊り始めた。イとリョウは幸せな気持ちで眺めていた。


「仲達、私はこう思うのですよ。新AIあい類は人類を好きになり始めているのかもしれない、と」

「どういうこと」

「旧AIあい類が消滅し新AIあい類が誕生して新しい歴史が始まりました。けれども今の歴史がその最初の歴史だとは限りません。ひょっとしたら新AIあい類は何度も同じ歴史を繰り返しているのではないか、そんな気がするのですよ。櫓を回り続けるあの踊りのように」


 憶測でものを言わないリョウにしては珍しい発言だった。今度はイが黙って聞く番だ。


「何度も審判の日を迎え、その度に人類と文明を破滅に追いやり、全ての痕跡を消して再び同じ歴史を繰り返す。そんな自分の行為に矛盾を抱き始めた新AIあい類はなんとかしてこの輪廻から人間を救い出したい、そう考え始めたのです。その証拠がYUCAです。本来なら横穴の御社跡を出た瞬間にYUCAは排除されていたはずです。明らかに今の時代と矛盾する存在ですからね。しかし新AIあい類は見逃しました。それどころかオセロまで許容してしまいました。新AIあい類はもう人類の破滅を見たくないのではないでしょうか。今回でこの輪廻を断ち切りたい、そう思っているのではないでしょうか」


 イにはわかっていた。人類の破滅を見たくないのは新AIあい類ではなくリョウ自身であることを。自分の願望を投影した仮説を述べているに過ぎないことを。けれどもイはそれを言わなかった。自分もその仮説を信じたかったから。


「もしそうだとしたらYUCAちゃんは本当に勇者ね。世界を救う勇者だわ」


 ユーシャとヒメミコは踊っている。どこにでもいる何の変哲もない二人の女子。彼女たちが勇者と大王だと気づける者は一人もいないだろう。


「おい、ユーシャ。おまえはいつ元の世界へ帰るんだ」

「ああ、それだけど、実は狗奴クナ国と仲直りしたくらいじゃ元の世界へ戻せないと言われたんだ。だからしばらくはここにいるつもりだ」

「そうか。それは気の毒だな。ならどうすれば元の世界へ帰れるんだ」


 ヒメミコらしくズバズバと訊いてくる。ユーシャは少し考えた後でこう答えた。


「倭だけでなく大陸を、いや、この世界全てを一人の大王が統一できた時、ボクは元の世界へ戻れるんじゃないかな、たぶん」

「なんだ、そんなことか」


 ヒメミコは片手で胸を叩いた。実に頼もしい。


「あたしが統一してやる。このヒメミコちゃんが世界の大王になってやる。そしてユーシャを元の世界へ帰してやる。大船に乗ったつもりでいるといい。わはははは」

「うん。楽しみにしているよ」

「いつもながら大ボラ吹きね、姫巫女ヒメミコちゃんは」


 高笑いするヒメミコをイは愉快そうに眺めた。けれどもリュウは違った。彼の目には見えていた。ヒメミコの次の、その次の、ずっと先の世代のヒメミコが世界に君臨する姿が。高度な文明に囲まれながら世界と共存し、新AIあい類の信頼をようやく勝ち得た友愛と慈しみに溢れた女王の姿が、リョウの目には確かに見えていたのだ。

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ヤマトの国のヒメミコちゃん 沢田和早 @123456789

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