7話
◆◇◆◇◆◇◆◇
世界は暗く淀み、沈んでいた。
夏の日差しを受けても、美緒の周囲は暗く沈んでいた。
思うと、最近誰とも会話をしていない。
美緒は友達がいなかった。
克巳、昌利、詩織。その三人から離れて、初めて美緒には誰も居ないことに気がついた。家に帰っても、家族もいない。母親は仕事で家に居たとしても自室に閉じこもってばかりだ。朝食も、夕食も一人きりだ。
孤独だった。今まで、そんな事を考えた事はなかった。だが、改めて一人になってみると、自分が薄っぺらで惰弱な存在だと言うことがよく分かる。
濡れた髪を拭きながら、美緒は小さくため息をついた。
体が冷えている。それが、水泳の授業の影響なのか、自分の代謝が下がっているだけなのか、判断ができない。そう言えば、今日は朝食と昼食を抜いていた。
水着を脱ぎ、体を拭く。
形の良い、張りのある大きな乳房。この乳房を圓治は幾度となく触り、口に含んだ。
「…………」
何処で間違ったのだろうか。スマホを与えられた時からだろうか。SNSを始めた時からだろうか。
あの日から、圓治とは会っていない。会う気も起きない。不思議な事に、圓治からの連絡もない。もしかすると、このまま自然消滅してしまうのだろうか。
それも良いかもしれない。お金には困っていなかった。ただ、温もりが欲しかっただけだ。誰かの愛が、両親の愛が欲しかった。美緒は、圓治に父親を見ていた。彼に抱かれて居る時は、父親と居る時のような温もりを感じられた。
それは、幻想で美緒の勘違いだ。圓治は、美緒を都合の良い女。良い性欲処理と思っているのだろう。知っていた。だけれど、その歪な関係を断ち切れなかった。美緒には何もなかった。だから、どんな繋がりでも欲していた。
同じように、美緒は克巳達がどんなに悪い友人だとしても、微かな繋がりに縋り付いていた。彼らを拒否したら、一人きりになってしまうからだ。
『結局、一人きりだけれどね』
更衣室に『少女』が立っていた。『少女』は、ロッカーの前に立ち、こちらを見つめている。
「…………」
唇を噛み、美緒は『少女』の言葉を無視した。
幻聴だ。幻だ。実際、クラスメイト達は彼女の存在を認知していない。
『私は実在するわよ』
心を見透かしたように、『少女』が言う。
『彼は、私を分かっていたし』
那由多の事を言っているのだろう。黛那由多。彼は『少女』の事を分かっていた。元々、不思議な奴だったが、余計に彼の事が分からなくなった。
「…………五月蠅い」
美緒はパンティーを穿きながら、口の中で呟いた。
「ねえ、上倉さん、最近、あの子と仲いいみたいだけれど? もしかして、付き合ってるの?」
「え? そんな事ないよ。お友達だよ」
暗く沈んだ瞳をあげる。視線の先には、先ほどの授業で慧と仲良くしていた女子生徒がいた。上倉栞。友人だった(・・・)山崎詩織と同じ名前。『栞』と『詩織』と感じは違うが、同じ読み方だ。当然、人間としても詩織とは正反対だ。見るからに純情そうで、理知的な輝きを目に宿す女の子だ。
『もしかすると、取られちゃうかもね』
「静かにして」
『まあ、関係ないか。元々、嘘の恋人どうしだったんだものね』
「……黙れ」
『佐藤慧も、彼女と付き合った方が幸せになれるわよね?』
「五月蠅い」
『あなたも、そう思うでしょう? 自分よりも、彼女の方が相応しいって』
「五月蠅い! 黙れって言ってるのよ!」
美緒は声を荒らげる※。
更衣室が静まりかえる。
皆の視線が美緒に刺さる。栞の視線が、美緒に突き刺さる。
「…………ゴメン」
美緒は小さく呟くと、手早く荷物をバッグに詰め込み、逃げるように更衣室を後にした。
調子がおかしい。最近、頻繁に『少女』が現れる。あれは幻だ。声も幻聴だ。だが、いくら否定をしても、彼女は美緒について回る。まるで、背後霊のように。慧と付き合っている時は、彼女は現れなかった。きっと、精神的に不安定になっているからだろう。
「どうしちゃったんだろう……」
自分でも分からない。心の浮き沈みが激しく、ちょっとしたことでも、カッとなってしまう。
心に余裕がない。心の中に感情が押し寄せ、それが溢れかえっているのだ。自分ではどうしようもない。このままでは、自分がおかしくなってしまう。
冷や汗が止まらない。日の光から逃れる様に、美緒は校舎に駆け込む。
いいや、もしかすると、もう自分は壊れているのかも知れない。
『壊れているのよ。ずっと前から』
声が降ってきた。階段を見上げると、『少女』が踊り場に立っていた。
『気がつかなかったの? とっくに壊れているのよ? あなたは、壊れた玩具。もう、直すことができない玩具なのよ』
「黙れ!」
美緒は大声で叫び、バッグを投げつけた。『少女』はクスクスと笑いながら、ヒラリとバッグを躱した。
『終わりが近いわ。あなたの終わりが』
『少女』は不吉な笑いを浮かべると、スッと壁に溶け込むように消えてしまった。
終わりが近い。一体、何が終わるというのだ。これ以上、どんな酷いことが起こるというのだ。
『試練の時』
那由多の言葉が甦る。
これは、今置かれている状況こそ、試練ではないのか。もしかすると、これからその試練が起こるというのだろうか。
呼び出しです。二年生の鹿島美緒さん。至急、校長室まで来てください。
アナウンスが響いた。職員室ではなく、校長室とは、一体何事なのだろうか。
「これが、試練……?」
緊張で吐きそうだ。胃液が込み上げてくるが、美緒は何とかそれを押さえ込んだ。フワフワとした足取りで、美緒は校長室へと向かった。
明日は屹度、晴れるから 天生 諷 @amou_fuu
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