エピローグ 詰んだ将棋
後日の報道によると、纐纈家の押し入れからは二人分の死体が発見された。一人は将棋仙人と呼ばれた纐纈先生の父親、もう一人は母親と推定されている。
どのメディアでも主には年金不正受給の構造的な問題に焦点が当たり、事件自体の詳細な記述は少なかった。事件の当事者たちに深く関わりのある人物がおらず、近隣住民からのありきたりなコメントしか得られなかったのだろう。家で取っている地方紙では、発見された死体は双方とも白骨化が進行していたという短い記述があった。
どちらが先に亡くなったのかは記載がない。
警察なら調べているだろうが、僕は知る由もない。
強いて言うなら、先に逝ったのは母親ではないかと想像している。これについては誰かに説明する必要がないので、根拠を示せと言われることもない。だから、僕がベッドで寝ながらぼんやりとそう思っているというだけだ。
纐纈先生の母親が働いていたかどうかは不明だが、主婦であっても夫が働いていれば第三号被保険者として年金は支給されるらしい。だから将棋仙人が教師で、平均的な年齢で結婚したならば、夫婦共に年金は支給される。
順番としては先に母親が亡くなり、父親である将棋仙人が妻の死亡届を出さずにその年金を不正に受給した。纐纈先生はその事実を黙認し、その後、将棋仙人も亡くなってしまった、というのが、僕の思い描く流れだ。
纐纈先生が実家にいた期間や、母親の死を知った際の状況は一切が闇の中なので、全ては空想に過ぎない。やむにやまれぬ負の遺産が在ったのでは、と弁護するつもりもない。詰んだ将棋を渡されたのかもしれないな、と思っただけだ。
纐纈先生は年金の不正受給を行い、共犯者の老人を殺害し、死体を燃やして損壊し、同時に誘拐犯である。紛れもなく犯罪者だ。一方、学校ではまともな教師だった。別に人気者ではないけれど、評判も悪くない。
担当クラスは勿論、希望者には全員カウンセリングが実施されたが、誰もが非現実的な凶行にショックを受けている様子だった。聖職者の異常な裏の顔と恐怖を煽る声があっても、その声にいまいちピンと来ないぐらい表の顔はごく普通だったのだ。誰も気に留めない程に。
纐纈先生は茂木さんの死体を焼く前に、考えただろう。
目の前にある老人の死体を自分の父親として焼いてしまえば、解放されるのではないかと。
しかし、駄目だった。押し入れには母親の死体も眠っている。年老いた父親が認知症となって徘徊した末、何者かに焼き殺されたというストーリーを描いてみても、家に警察を招き入れれば存命中であるはずの母親はどこですかという話になる。警察なら狂言だと見抜くだろう。死体が一つでは足りない。
棄却したその結論は頭の片隅に黴のようにへばりついたのかもしれない。
極度の不安に襲われる中でハンナさんの誘拐を実行した際に、纐纈先生はハンナさんをどうするつもりだったのか。風呂場で溺死させ口を封じて、その後は?
男性の老人の死体は向かいの纐纈ハイツから調達するとして、ハンナさんがいれば男女のペアが揃う。無論、ハンナさんと先生の母親では身長から人種的な骨格、何より骨年齢が大幅に違っているから、鑑識が調べればすぐに分かるだろう。無理があるな、と自分でも思った。けれど、その『理』は僕の判断にすぎない。
あるいは、今度は『念入りに』焼くつもりだったのか。
人の形をした、消し炭を二つ残せば。もしかしたら。
と、そこまで想像したところで枕元に置いていたスマホを手に取った。将棋部のグループを開き、宝さんから発信されたメッセージを見直す。新入部員の獲得とバルトシュさんの帰還を祝って、二条兄妹の歓迎会をやろうという趣旨だ。高槻さんの奢りでと勝手に記載されていたが、すぐ後で本人が割り勘だと否定している。何を食べたいか今日中にリクエストを送るようにと書かれていた。お店の候補があれば一緒にアドレスを張ること、とも。
情勢は拮抗していた。焼き肉、回転寿司、しゃぶしゃぶの三竦みだ。と言っても、二年生の票が割れているだけで、黒木さんは何でもいいですとだけ返している。高槻さんは将棋が指せるスペースがあればいい、と見当外れな事を書いていた。メッセージに気付くのが遅れたばかりに、僕の票が重要な決定を下す状況に追い込まれてしまっている。
やっぱり焼き肉の気分にはなれない。
そう思って、僕はしゃぶしゃぶに一票を投じた。寝転がったままネットで検索して、条件を絞っていく。
歩在の証明/Who said ”Show me” ? 杞戸 憂器 @gorgon_yamamoto
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