海が太陽のきらり

various(零下)

第1話 二叉の人魚伝説

 坊主頭に浮かんだ汗を、赤色のタオルで拭う。元カノからプレゼントされたタオルは使い古されて、乾燥した唇みたいにガサガサだった。

 赤色のタオルは、どうしても捨てられない、僕の宝物だ。


 野球部の練習は、今日は午後六時をもって終了。空が濃いママレード色に染まり、熱く湿った空気が僅かに澄んだところで、練習は終わる。

 僕は水道の蛇口をひねって、ぬるくて美味くもない水を思い切り飲んだ。頭の汗を流して、ガサガサのタオルで拭く。

 顔を拭きながら、僕は呟いた。


「人魚に会いたい……」


 明日から始まる、夏休み。夏休みの第一日目から、僕は旅行の計画を立てていた。

 元カノとの思い出を捨てに、父の生まれ故郷を初めて訪れる予定になっている。


 父の生まれ故郷は、熱海市本土から南東に約十キロメートルの位置にある、人口百九十人の小さな離島だ。今も父方の祖父母が暮らしている。


 この島の海岸には、人魚が棲んでいる──。


 縄文時代の遺跡が発掘されるほどの古い歴史を持つ島だけど、本当に人魚が棲んでいるとは思えない。少なくとも、僕は人魚の存在を信じていなかった。

 熱海が一大観光地になったとき、観光客を呼び込もうと流したデマだろう。

 僕は今まで、そう思っていた。だから、首都圏から日帰りできる距離にありながら、僕は高校二年生になるまで、祖父母が暮らす離島を訪れた経験がなかった。

 祖父母には東京で会えるのだから、インチキくさい離島に、わざわざ行く理由はないだろう。それに、僕は泳ぎが苦手だった。海なんか大嫌いだ。


 海が嫌いで、人魚の存在を「インチキ」だとわらう僕が、どうして『人魚が棲む離島』に行く気になったのか。

 理由は簡単だった。元カノとの思い出を、人魚に貰ってもらうためだ。


 二叉ふたまたの人魚伝説──。

 この離島の人魚伝説は、ちょっと特殊だった。

 まず、人魚の尾鰭おひれが二叉に分かれているところ。まるで足みたいだ。

 人魚は、人間が不要とする物を食べることで、足を得て、やがて人間になるという。

 ただし、性別が、女から男に変わる。

 離島では男子が家を継ぎ、戸数を現在まで維持してきた。

 男子がいない家は、婿を取る。婿養子になれる男子がいない場合は、人魚に不用品を与えて男になってもらい、婿にする。


 二叉の人魚伝説は、本当に、観光客を誘致する目的で広められた作り話なんだろうか。よくよく考えてみると〝観光〟と〝婿取り〟に、接点がない。


 僕は毎夜、考えた。考えて、二叉の人魚に興味を抱いた。

 二叉の人魚に不用品を与えると、人魚は人間の男に変身する。

 それじゃあ、もしも、二叉の人魚に〝宝物〟を与えたら、いったい何が起きるんだろう。


 琥珀こはくのように輝く夕空を見上げて、僕は、赤色のタオルを握りしめた。


 元カノとの思い出。元カノから初めて貰ったプレゼント。

 明日、僕は離島で宝物を捨てる。

 赤色のタオルは、不用品なんかじゃない、本当は捨てたくない、宝物だ。

 それを、もしも人魚に与えたら──。


 明日、僕は二叉の人魚に会いに行く。

 心の底から捨てたくない宝物を、人魚にプレゼントしよう。

 元カノとの思い出が、違う何かに変身できるように、祈りを込めて。


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