匿名短文おバカ上司企画/本庄照擬態杯
はじける給湯室
異動初日、始末書の書き方を習った。
「今から書くから見てて。始末書の雛形、取り揃えてるから」
法務部課長の
〝今後は給湯室でカツ丼を作りません〟
「そんなノリでいいんですか」
「それがね、いいんだよ」
丹羽さんは過去に書いた始末書を並べて私に見せた。
「……雛形を作ってあるんですか?」
「仕事を減らすためなら、僕は何でもする。
十月
§
「またか丹羽ァ! 社内で揚げ物する奴初めて見たわボケ!」
給湯室から大量の煙が出ているという経理部の苦情を聞きつけ、飛んできた
「前に肉じゃが作った時よりはマシでしょ。環に怒られて反省したよ」
「どこが反省だよ! 給湯室は台所じゃねぇ!」
正論も正論である。
「掃除くらい、僕がやるのに」
「丹羽の掃除ほど信用できんもんねぇわ。そこに立っとれバカタレ!」
掃除を始めた環さんを私も手伝う。
「サンキュー。小関さん、丹羽の課に来たの? 可哀想に。こいつの言うこと、聞かなくていいからね」
気まずそうに丹羽さんが立つ前で、私と環さんは懸命に給湯室を掃除する。下半期初日から、えらい目に遭わされた。
「なあ丹羽。見な、経理部の皆さんを」
環さんが丹羽さんの背後を指さす。丹羽さんが振り向いた。私も振り向いた。経理部の皆さんが総出で並んでいる。
「煙が全部
「二回目ですね」
蛙の面に水だった。経理部の誰かが舌打ちをした。
「丹羽ァ、経理部がいかにお怒りか分かるか?
「お怒りって、どうせ営業の前田君が飛んだ件の八つ当たりですよね。分かりますよ。
丹羽さんは罪のない経理部を煽る煽る。カツ丼作ったくせに。
「怒るなら前田君にした方がいいですよ。割とマジで」
噂では、前田さんは引継ぎも殆どしなかったという。尻拭いで満身創痍の経理部に、丹羽さんが追い討ちをかけている。顔が凍り付く経理部の皆さんが気の毒で仕方がない。
「
「大変ですねぇ」
「丹羽よりやべぇよ」
環さんのシンクを擦る手に力がこもる。恨みがあるらしい。そりゃそうだ。
「丹羽、始末書と一緒に反省文も出せ。俺宛てだぞ」
いつの間にか経理部の人は帰っていて、掃除を終えた環さんは棒立ちの丹羽さんに反省文を命じた。環さんを見送ってデスクに戻った丹羽さんは、パソコンで『秘蔵』ファイルを立ち上げる。
秘蔵ファイルには百を超える定型文が並んでいた。丹羽さんがエンターを押すと、定型文が組み合わされて反省文が印刷される。反省の色が、出がらしのお茶よりも薄い。
「環には内緒ね」
指を一本立てて、丹羽さんはウインクをした。
「あの、丹羽さん」
「これもあげようか?」
「いりません。それより、一つ質問があります」
丹羽さんは寂しそうに秘蔵ファイルを引っ込めた。
「丹羽さん、わざとカツ丼を作りました?」
私がそう言うと、丹羽さんの目がきゅっと細くなった。
「わざとだね。勝手にカツ丼はできないし」
さり気なく話題を逸らされた。ビンゴだ。
違います、と私は首を横に振った。
「経理の方、文句言いに来てたのに、途中で姿が消えましたよね」
「仕事に戻ったんじゃない?」
経理は総出で丹羽さんと喧嘩をしていた。あんなに丹羽さんに煽られたのに、急に怒りを引っ込めて一斉に帰るとは思えない。
—―仕事に戻らざるを得なかったのではないか。
「小関さん、来たばかりなのに察しがいいね」
今日は十月一日。引継ぎなく飛んだ前田さんの後始末に、各所が追われている。
「僕は善意で教えてあげただけだよ。たぶんまだ前田君の仕事残ってるよって」
中間決算の発表日は近いが、まだ間に合う。売り上げの把握漏れになれば、国税局すら動きうる。経理部は何としても、前田さんの仕事を完全に把握する必要がある。
都の補助金。その耳馴染みのない一言で、聡明な経理部は察した。
もしや、まだ経理部が把握していない余罪があるのではないか。
彼らの顔が凍り付いたのは、きっとそのせいだろう。
「直接言えばいいのに。環さんも不憫ですし」
「直接言ったら、首を突っ込んだ僕が尻拭い担当になるに決まってるじゃん」
「……都の補助金の件ですか?」
「そう。気付かなかったふりをしても良かったけど、罪のない経理部が哀れで放っておけなくてさ。こうするしかなかったんだ。仕事を減らすためなら、僕は何でもする」
丹羽さんは悪戯っぽく笑った。
§
「でも、カツ丼でなくてもよかったのでは……」
「それは僕の好み」
「環さんが可哀想……」
本庄照の短編集 本庄 照 @honjoh
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