心の影

 午後四時。家を出た俺は、とある複合商業施設を訪れていた。


 人が集まる場所でさえあれば、特にここである必要はなかった。最近足を運んでいなかったので、なんとなく選んだだけだ。


 主婦と学校帰りの学生達で賑わうこの時間は、目的を果たすのにちょうどいい。





 早速、対象を発見する。


 空ろな目でショーウィンドウを眺める、OLらしき女性。その足元では、影が脈打っていた。


 自分の影をナイフへと変え、影を一突き。影は大きく波打つと、女性の従者へと戻った。いつも通りの光景だ。


「事情は知らねえが、思いつめすぎだ。もっと肩の力抜いて生きろよ」


 聞こえるはずのない一言をポイ捨てして、再び雑踏の中へと紛れる。





 次に見つけたのは、雑踏の中にも関わらず大声でわめいている男子学生、その群れの中の一人。他の三人が心底楽しそうに笑っている中、そいつだけは乾いた声と表情で無理に笑っていた。見ていて痛々しい事この上ない。


 速足で追いつき、足元の影に影のナイフを差し込む。そして、やはり聞こえるはずのない一言を送る。


「そんな顔して無理に付き合うくらいなら、いっそ距離を置いたらどうだ?気の合わない相手に無理に付き合っても、メリットよりデメリットの方が大きかろうよ」


「そうでもないと思いますけど?少なくとも、一匹狼よりはマシなんじゃないですかね」


 返答は、本人とは別の人物からもたらされた。


 相手が誰であるか確信しつつ振り向くと、ここ数日で急速に見慣れた顔がそこにあった。


「こんにちは先輩。奇遇ですね」


「そうだな。自分の不運を呪いたいくらいだ。何の因果の応報なのやら・・・」


 ナオが笑みを浮かべて立っていた。





「先輩はどうしてここに?」


「その言葉、そっくりそのままお前に返そう」


 雑踏の中を歩きながら、ついてくると言って聞かなかったナオの問いに問いで返す。


「うーん、私は何となく人恋しくなったからですかね。人混みの中にいれば、ちょっとは寂しさも紛れるんじゃないかと思って」


「鬱陶しいだけだと思うが?」


 周囲を見回しても、見えるのは人、人、人。幻体のおかげですり抜けることができなければ、絶対に来たくない場所だ。行列や雑踏は、俺の嫌いな概念のワースト20位以内にはランクインできるだろう。


「それに、人恋しいも何もさっきまでクラスメイトと授業を受けてたんだろうに」


 ちなみに、ナオは律義に制服を着て高校へと通っている。どうせ見えないんだから、俺みたく私服でもいいと思うんだが、本人曰く高校に行くなら制服は当然らしい。


「元々雑踏の人って、自分や連れの人以外には割と無関心じゃないですか。クラスメイトといると、かつてのように言葉を交わせない事を意識してしまって逆に寂しくなるんです。でも、ここを行きかう人は私に興味を持たないし、私にとっても赤の他人ですから」


「お前の主張は、相変わらずよくわからん」


「こういうのは、理屈というより感性の領分ですし。先輩にわからないのは、無理ないかと思います」


「・・・俺を、センチメンタリズムを欠片も持たない人間だと言っていないか?」


「最初はそう思いましたけどね」


「今は?」


「さあ、どうでしょうね?」


 はぐらかして、俺の前へと出るナオ。その背に、疑問を一つぶつけてみる。


「お前、今は俺の事を先輩と呼んでるし、欠片ほどの敬意を向けてくれてもいるようだが。最初に会った時はそんなキャラじゃなかっただろ。どっちが素なんだ?」


 はたしてナオは、振り向くことなく答えた。


「さあ?案外どっちも仮面なのかもしれませんね。ただ、先輩と初めて会った夜は、色々切羽詰まってて強がってた面があるのは否定しないです」


「それはつまり、取り繕う余裕がなかったということで、意外にあれが本性だったりするんじゃないか?」


「正直、私にもわかりません。先輩の言葉を借りるなら、自分の心なのに自分でもわからないんですよ」


「そうかよ。ともあれ、今は猫を被っていても、お前にはあんな凶暴な面もあるというのは覚えておくよ」


「忘れてくれてもいいんですよ?可愛い後輩の部分だけを切り取って、心のアルバムに仕舞っておいてくれても」


「一度虎になった姿を見たら、その猫を純粋に可愛いと愛でるのは難しいな」


「むぅ」


「あと、自分の事を可愛いと言う奴に、ロクな人間はいない。これは、俺が培ってきた対人経験から来る結論だ」


「ぼっち主義な先輩が対人経験なんて、説得力なさ過ぎて笑っちゃいますね」


「あいにくと、中学生くらいまではここまで尖っていなかったんでな」


「先輩ってあれですか。もしかして中二病じゃなくて、ギザギザハートな方ですか?」


「例えが古い」


「小さい頃はよく、父親が懐メロってやつを聞いてたんですよ。その中にあったので覚えちゃいました」


「あっそ」


「ああもう!やっぱり素っ気ないですね!」





 きゃんきゃんと吠える後輩を無視して、人混みから外れる。柱に寄りかかってスマホを弄っている若い女性の足元で、影が蠢いていた。


「先輩!急にどっか行っちゃわないでくださいよ!」


 俺が人混みから外れたことに気がついたらしい、ナオが小走りで寄ってくる。


 それを無視して、影へとナイフを突き立てる。


 これで三人目。一日にこれだけ遭遇するのは久しぶりだ。


「そういえば・・・結局聞きそびれちゃってたんですけど、そのうごうごしてる影っていったい何なんですか?」


「・・・・・・うごうご?」


「ええ、うごうご。・・・言いません?うごうごって」


「少なくとも、俺は言わない」


「まあ、それはどうでもいいです。それより、影の話ですよ」


 興味津々といった目をしながら、ナオが詰め寄ってくる。


「と言われてもな、俺もあれが何なのかはよくわかってない」


「よくわかっていないのに対処してるんですか?」


「人にとってよろしくないモノだというのは、なんとなくわかる」


「理詰めの先輩にしては、珍しくふんわりした回答ですね」


「あの影を放置していたら何が起こるのかを見たことがあるんだ。正確には、対象をストーキングして観察していたんだが」


「さらりとストーカーの前科を暴露しないでもらえます?」


「安心しろ、相手は男だ」


「ならよかっ・・・いやいやいや!やっぱり駄目でしょう!?」


「なかなかショッキングな光景だったな。まあ、いくつか立てていた予測の内の一つではあったが」


「・・・どうなったんです?」


 少し恐れを含んだ表情で、それでもナオが訊ねてくる。


「・・・」


「え?何ですか?単純なホラーじゃなくて、もしかしてグロい描写とかあります!?」


「・・・」


「何とか言ってくださいよう!無言を貫かれると余計怖いじゃないですか!」


 あえて無言でいると、勝手にナオがパニックを起こし始めた。なかなか嗜虐心をくすぐる姿だが、これ以上脅かすのも大人げない。


 ・・・まあ、大人げないも何も、俺はまだガキなのだが。


「いずれ、機会があれば教えてやるよ」


 回答保留という選択に、ナオが食ってかかる。


「えー!ここまで引っ張っておいてそれはないでしょう!!このままだと、気になって夜寝られないじゃないですか!」


「恐怖で寝られないよりはマシだろう」


「そんなにヤバいんですか!?」


「さあ、どうだろうな?」


 適当にはぐらかしてまた歩き出す。後ろから散々文句が飛んできていたが、無視を決め込む事にした。

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