スピカ・ウル

綴方 八雲

第1話 小窓を開けた時、君はいつも満面の笑みで手を振って笑ってくれた。1

 アル大陸の田舎町スピカ。沖合漁業が盛んなこの地では、中規模港の沿岸埠頭ふとうが町全体に伸びている。当然漁業中心の町である故、日も出ていないというのにパパッと真っ暗闇の中で照明が点いていく。それは漁師達によるもので。

 三原色からなる新鮮な魚介を引き上げるべく、今日も変わらず各々が準備をしている。また船舶の頭で光り連なって出来る光球の列は、スピカを訪れた観光客が春の大曲線をスピカになぞらえ、スピカの大曲線などと呼ぶようになり、いつしかアル大陸観光名所の一つとさえ言われるようになっていった。

 

 そんな田舎町で一番の大きな船。それが私の父、ラグルの船だ。

 幼い頃からずっと見て育ってきたその大きな船は、私の自慢であり、憧れでもあった。

 でもいつからだろう。

 その憧れを、嫌になったのは――――。

  





「お父さん、ご飯持った?」

「おお、持った持った。いつもありがとうな。ラズリ」


 午前4時、今日は少し遅めの出向だ。などと思いつつも、お父さんのお弁当の確認をする。

 返事と共に返って来るのは変わらぬ笑顔で私の頭を撫でてくれる。大きくて温かい、大好きな手。

 お母さんは私を産んだ時に亡くなっちゃったらしい。

 だからお父さんは一人で私を育ててくれて、色んな事を教えてくれた。

 優しさは厳しさで伝えるような人だから、褒めてもらったことの方が少ないけど、そのおかげで今は学業も家事も何だって出来るようになった。


「じゃあ、行って来る」

「うん、いってらっしゃい。気を付けてね」


 玄関の扉が閉まり、お父さんの姿を見届けると、私は再び布団の中へと潜る。

 そうして既に冷え切った布団の温もりが、再び戻った頃、いつも意識を落とす。

 最初は凄く寂しくて、何度も泣いたことがあった。でも成長したのかな、今では二度寝を出来たと、ちょっぴり得した気分になることの方が多かったりするのだ。


「うぅ~ん、んんっ! ぷはぁっ!」


 差し込む陽光に起こされて、何度も大きく屈伸運動。猫みたくグググーッと伸ばした瞬間の寝覚めの良さには自信がある。

 起きたら学校の準備とお父さんが帰って来た時の朝食を並べ。


「いってきます。お母さん」


 お母さんのお墓に両手を添えるのが日課。その頃には学校へ行く時間になるので、一貫してルーティーン化している。


「ラズリー! はやくー!」


 朝は学校の校門でいつも同じ声に呼ばれる。

 付き合い自体は14年にもなり、毎年家族ぐるみでパーティーをする大親友のケイネだ。

 明々快活、友達も多く異性からも人気で私とは真反対の男の子。そんなケイネだけど、どういうわけかよく私と一緒に居たがる。

 手を取って「いこいこ~!」と誘われるようにクラスまで行っても掴んだ手を離すことはしない。

 お弁当を食べる時は「ちょうだい!」「これあげる、はいあーん♪」など、これは親友という距離感ではなく、恋人同士に近い。

 昔は別に気にもしなかったけど、さすがに今は思春期。周の目を気にするなという方が無理な話で、だけど何と伝えればいいのか分からず踏み出せずにいた。


「ラズリ~」

「な、なぁに? ケイネ」

「あのさぁ、ラズリって将来の夢とかってある?」

「と、唐突だね……」


 ふと、学校の帰り道を歩いていたらいきなりケイネに聞かれた。

 唐突だけど、いざ問われると何とも答え難い質問だ。


「そういうケイネはあるの?」

「あるよ~」

 

 意外。将来設計なんて全く考えていないと思っていたのに。


「それってなあに?」

「ナイショ~」

「何で?」

「ナンデモ~」


 言うのが恥ずかしいのか顏を赤くしてはぐらかしてる。

 とはいえ、私はそもそもそんな夢も抱いちゃいない。同じ土俵に上がれていないだけでもケイネの方がやっぱり凄いや。

 とても卑屈な考えかもしれないけど、私は先を考えるのが苦手らしい。

 

「ケチんぼ、いいよーだ。帰ってご飯作るから~」


 雑に手を振ってケイネと別れると、家までの帰路。もうすぐで着くという所で、お父さんがいつも船を着けている定位置に顏を覗かせようと思い立った。

 小さい頃は散々遊び場として駆け回ったパステルカラーの石畳。

 毎年春先になると、数十キロ東にある『アークトゥルス』と、その中間から少し南にあるプレアデス最南の町『デネボラ』、そしてここ田舎町『スピカ』で執り行う『春の大三角祭』、よくお父さんと行ったっけ。

 随分と昔の話だ。ここ数年は家事と学業、漁師の仕事で入れ違いの擦れ違い。

 甘えたくないといえば嘘になるけど、今さらこんな歳になってまで甘えたくない。恥ずかしい。


「あ、お父さんの船だ。ってことはもう家に帰ってるかな……」


 埠頭から見る夕焼け空が懐かしい。

 その水平線に並ぶ半円の陽を眺め、ふと昔のことを思い出した。いつもここでお父さん帰りを、組合のおじいちゃんおばあちゃんと一緒に待っていたっけ。それでこっちに気付くと、よく船の小窓からお父さんが手を振ってくれた。

 最後に見たのはいつだったかな。


 そう思い出そうにも、今となっては遠き日々。

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スピカ・ウル 綴方 八雲 @tsuzukatayakumo

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