八.

 と、いうわけで、結局、なにかに開眼した、というようなことはなかったのだけれど、次の週、女の子と呼ぶのは本当は正しくない女の子は、オーディションのために旅立った。

 会場は、どこか遠くの小島にあって、そこまでは川と海づたいに泳いでいきます、と言うので、葉初と私は彼女を丸太町橋のところまで見送りにいった。

「ごめんね、あんまり修行にならなかったかもしれないけど」

「いえ、でも、とっても楽しかったです」

「終わったら、必ず結果を教えてね」

「はい、わかりました」

 そう言うと彼女は、岸辺近くの静かな水に足――ではなくて正確には触手だけど――の先をつけた。

 葉初と私は、流れの真ん中のほうまで泳いでいった彼女の頭が、川面から突き出した黒い一点のようにしか見えなくなるまで、その姿を見送った。


  ○


 終わりの刻が迫っている。

 玄関から音が聞こえる。

 まるで、巨大な、ぬめぬめとした体の持ち主がドアに体当たりを繰り返しているような音だ。

 だが、私のところまでたどりつくことは、できないだろう。

 それにしても、しつこくうるさいな……。

 絶え間のない、ばん、ばん、という音で夢から現に引きもどされた私は、しぶしぶ起き上がり、音の原因の方向に目を向けて……驚いてベッドから転げ落ちそうになった。

 というのも、窓に……窓に、ベランダに出る窓の外側に、人影がふたつ、貼りついていたからだ。

 いや、より正確には、ひとつは「ヒト」の影ではないか。

「もうっ、どうして今日にかぎって、鍵、閉めてるん」

 私が窓を開けて部屋に入れてやると、葉初は開口一番、文句を言った。

「びっくりさせよ思うとったのに」

「……びっくり、ということだったら、十分にびっくりしたけどね」

 それから私は、葉初につづいて入ってきた、ヒトじゃない人影のほうに向きなおった。

「おかえりなさい」

「はい」

 背の低い彼女は、私を見上げて微笑んだ。

 私たちが丸子橋のところで彼女を見送ってから、もう、一ヶ月近くがたっていた。

「それで、結果はどうやったん?」

「あれ、葉初もまだ知らないの?」

「うん。ミドリちゃんといっしょに聞こうと思ってん」

 女の子とは呼び難き女の子は、葉初と私の注目を受けて、うつむいて、もじもじと体を動かした。

「ほ、ほら、受かってへんくても、参加したことに意味があるねんで」

「そ、そうだよ。それに、マルちゃんと、マルちゃんのお母さんたちのこと、私たちはもう絶対に忘れないよ」

 けれども、彼女は、ふるふる、とちいさく首を振った。

 そして、ワンピースのスカートの中に腕――というより触手か――を入れて、そこに隠して運んでいたらしい封筒を一通、取りだし、私たちに差し出した。

「中、見てもいいの?」

「はい」

「…………」

「……えーと、これは」

「そういうことになったらしいんです。つまり、今回は全員合格で、これからその全員で活動して、一年後に総選挙をして順位を決める、ということに」

「そもそも、四十八人もエントリーしてたのがびっくりや」

 葉初が言った。私も同感だった。

「これ、なんて読むんだろう、ユニット名」

「じー・おー・わん・よんじゅうはち、ちゃう?」

「微妙……」

「でも、これから一年間、活動するってことは、やで」

「はい、そうですね。これからも、ときどきお世話になることがあるかもしれないです」

 よろしくお願いします。そう言って彼女は、ぴょこん、と頭をさげた。

「催眠術も練習しないとだねえ。公式プロフィールにも載るみたいじゃない」

「はい! がんばります」

 外はもう、夏真っ盛りだ。

 開け放ったままになっていた窓からは、河川敷ではしゃぐひとたちの声が、バーベキューの煙とともに、風に乗って入ってくる。

「手はじめに、あのリア充たちを沈めてくる、っていうのはどうやろ?」

 葉初が、その方向を親指で指し示しながら言った。

「え、えと、それは……」



 ……これが、あまりの奇妙さから、報道で取り上げられることもなく闇に葬り去られた、丸太町橋の恐怖ホラー・アット・ザ・マルタマチ・ブリッジの全貌である。

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丸太町橋の恐怖 ギルマン高家あさひ @asahit

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