第2話 

「エアコンかけてくからちょっと待っててね。たいちゃんの好きなハピハピキッズミール買ってくるから」

運転席のシートベルトと外しながら後部座席に声をかけたが返事がない。ミラーを覗くと息子の大智(たいち)はほんのり赤い頬をしてチャイルドシートにもたれるように眠りに落ちていた。7月の暑い夏のさなか、39度の熱に昨夜襲われた我が子は熱の不快さと朦朧とした意識と戦い、ほとんど眠っていなかった。ぐずり続ける大智と母の智子のふたりだけが真っ暗な夜のなかに閉じ込められていた。

朝一番に予約を取った小児科でインフルエンザの検査をした。しかし、今朝は平熱になっている我が子からはインフルエンザは検出せずと診断され、安堵と不安のダブルパンチで智子も本当は朦朧としている。ただ、緊張からか昨夜から眠れない時間が継続し続け、心も身体も飢餓状態だ。

「まずは腹ごしらえだよね」

車から降りた智子はバッグを持ってファストフード店内に向った。

「チーズバーガーのハピハピのセットふたつ、持ち帰りで」

番号札のナンバーが表示されるモニターの前からガラス越しに駐車場を覗き見る。特に変化の見られない智子のオレンジ色の軽自動車を確認した瞬間、窓にうっすら映った自分の姿にはっと息を止めた。白のカットソーにくたびれたパーカーを羽織っている自分はノーメイクで明らかに疲れが見える顔をしていた。うわぁーと声を上げそうになったのをぐっと堪えて呑み込んだ。大智の看病と小児科受診で気を張っていて自分の身支度もままならなかったのは明白だった。

「…いやいやいや、しょうがないでしょ。寝てないし、化粧してないし仕方ないよ。」

はぁっとため息とも気分転換の深呼吸とも取れる大きな息遣いをしたところで自分の番号札を呼ぶ声がした。


「大ちゃーん、ハピハピセットだよお。」

後部座席のチャイルドシートに縫い付けられたような大智がむっくり起き出した。

「…ハピハピセット、食べる。」

絞り出した声は語尾が掠れている。夜中じゅう しんどさを訴えていた小さな体はエナジーを欲していた。


インフルエンザ陰性とはいえ、大智が店内で食事するのは時期尚早、こんな時には車内ピクニックが最適解だ。後部座席に大智と並んで座って、前列背もたれに付けてあったお食事テーブルを開く。ペーパーナプキンを敷き温かいチーズバーガーを並べると虚ろな大智の瞳が輝き、大きく開いた。


幼稚園の春の遠足に持っていったお気に入りの恐竜のタオルを膝にかけ、大智はひとくちずつゆっくりとチーズバーガーを食んでいた。紙パックにストローを刺して大好きなりんごジュースを含んでコクッと喉で軽い音がする。

そのうち腕がゆっくりと膝まで落ち、頭を下げた。眠さが食欲に勝った瞬間大智の小さな手から滑り落ちた紙パックジュースを智子は両手で受け止めた。


明日またインフルエンザの検査をしなければならない。予定はとりあえずひとつ決まっていた。陰性か陽性か、予想はつかないけれど智子は大智の穏やかな寝顔に心底安堵していた。

「明日は明日の風が吹くもんね。食べたら眠いよねぇ大ちゃん。」

寝汗で少ししっとりしてきた前髪の生え際をゆっくり撫でる。

智子の鼻にちょっぴり汗の匂いが届く。夏の匂いだ。その瞬間、智子のお腹がグルッと鳴った。

「わたしも食べなきゃね。」

湿気のある紙袋からもう一つのハピハピセットを取り出して、智子はチーズバーガーを少し大きな口を開けて頬張った。

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ファストフード+クロスロード @inagesan0729

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