第36話 隠蔽術を覚えたいイワシ3

 七曲がりの道の先、巻松林を視野に捉えた直後、驚愕の声が辺りにこだました。


「KOKO!?」


 カルチャーショックにこらえきれず叫ぶ宇宙人の如く、シガラマンの発音が変調を来す。間違ってもノックアウトの略ではない。が、ノックアウトされたボクサーのように今にも引っくり返りそうだ。


 ぐるぐるととぐろを巻く松の木。うねうねと曲がる枝の先には、蜘蛛の巣が垂れ下がっている。道端に並んだお地蔵さまは、斜めに傾いていたり半分埋もれていたりと、長らく手入れされずに来たのだろう、荒れ果てた有様だ。焚き火の燃え滓から立つ煙は、おどろおどろしい紫色で、どんよりと淀んだ空気を生み出している。


「GYOGYO!?」


 シガラマンと同じように、イワシの発音も変調を来した。予想外の方向から繰り出されたパンチに、思わず口からローマ字が飛び出してしまう。


 コタロウだって、こんな状況は思いも寄らなかった。少年の記憶にある巻松林は、巻松の奇景がほのぼのとした石像と共に作り出す風光明媚な土地である。


 おまけに、本物の鴉が数羽、地面を突っ突いている。周囲の場景と相まって、埋められた死骸を掘り返しているかのように見える。


「かあぁ、かあぁ、かあぁ、かあぁ」


 不気味な風情に輪をかけている彼らは、いったい何を啄んでいるのか。と、目を凝らしたコタロウは、なるほどと合点が行った。鴉が啄んでいるものは、お弁当の残り物だった。もちろん、映像ではなく実物である。


 おそらく、ここでピクニックでもしていた冒険者が、お弁当を盛大に引っくり返して、中身を地面にばらまいてしまったのだろう。お弁当箱はそのままほったらかしにせず、ちゃんと持ち帰ってくれているようだから、良心的だ。


 本物の鴉の登場に、マホロバの環境を司るAIは、巻松林を身の毛立つホラー色に塗り替えたらしい。コタロウはこの奇妙な状況を理解した。茶目っけたっぷりで、大変よろしい。と、AIの生みの親は、当初の目的も忘れて胸鰭で拍手した。


 この鴉たちもマホロバの役者としてスカウトしよう、なんて考え出したコタロウを現実に引き戻したのは、シガラマンの言葉だった。


「旨鰯さん、ここに住むのはちょっとどうかと思うんだけど!」


 胸鰭の動きがぴたりと止まる。ここへやって来た目的を思い出して、イワシの額に水玉が浮き上がる。すぐにも垂れ落ちそうだ。


 いやいや、待て待て、落ち着け。鴉をスカウトして他の場所に移ってもらえばいい。若干の焦りの中で、天才と馬鹿が紙一重な結論を弾き出すと、コタロウはシガラマンの手から飛び降りた。


 水饅頭スラスラとためを張る最弱魅の旨鰯では、一メートル以上の高さから落ちると大体墜落死するのだが、子分のアウンによる冒険者狩りのおかげでレベルが上がり、命数もそれなりに増えたので、この程度の高さならば落ちても死なない。加えて、イワシは滑空を覚えていた。


 ――秘技・鰭飛行!


 実際には秘技でも何でもなく、単なるスキルなのだが、そこはかっこつけたいお年頃なのだ。子分たちの呆れ顔に挫けず、金魚鉢から何度も飛び降りた甲斐があった。と、スキル獲得のために行った振る舞いを振り返り、誇らしく思う。アウンの回復薬にたびたびお世話になったけれども。スキルの習熟度が足りず、現状は飛行ではなく滑空になってしまっているが、いずれ雑魚も空を飛べるとイワシは信じている。


 桃飛鼠モモンガアに負けず劣らず、胸鰭と腹鰭を四方に大きく広げ、空中を滑走する。着地に失敗してでんぐり返るのは、レベルを上げたところでどうにもならないリアル運動音痴のさがだった。


 大の字、もとい、木の字をべたんと地面に描いたイワシは、しばらくしてむくりと起き上がった。魚身に付いた土を払い落とすと、開拓民たちが見守る中、鴉に向かって歩き出した。


 こんなこともあろうかと、かねてより日木ひのき大学の動物行動学科チームと共同研究開発していた動物語翻訳機を準備する。試作品第一四七号、名づけて「蒟蒻話こんにゃちわ」。やはり何事も挨拶から始めるべきだろう。表裏のラスボスを子分に持つ親分として、コタロウは気張った。


 鴉の手前で、中腰になる。右の胸鰭を見せるように前へ差し出して、イワシは仁義を切った。


 ――お控えなすって。


 鴉がイワシを見る。


 鴉がイワシへ寄る。


 鴉がイワシをくわえ――飛んだ。


「はいっ!?」


 シガラマンと魅坊たちが仰天の叫びを上げる。


「ちょっ、ちょっと待った、鴉! それ、駄目だから、持ってっちゃ駄目だから!」


 イワシをくわえた鴉が飛び立つと、残りの鴉も後に続く。コタロウは瞬く間に遠ざかっていく地上を呆然と眺めるばかりだった。


 と、その時。眼下の光景がにわかに姿を変えた。


 それはあたかも、呪われた死の大地が浄化されて、瑞々しい生の息吹を取り戻したかのようであった。最後の鴉が地上から離れた直後、吹き抜けた春風に呼び込まれるようにして、巻松林が生き生きとした鮮やかな彩りで蘇ったのだ。イワシの尊い犠牲によって。お姫さまの役所だろうに、台なしにした気がしないでもない。


「えっ? 旨鰯さんって、人柱と言うか、魚柱と言うか、生贄だったの? えっ? 大地の呪いを解くとか、これもクエスト? えっ? でも、あの鴉、本物の鴉だったよね? ええっと? どこからどこまでがクエストだったの?」


 かろうじて、開拓村の引っ越し先を紹介するという約束は果たせそうだ。運も実力の内。終わり良ければ全て良し。新コップン村の再誕を祈りつつ、イワシは胸鰭を振って地上に別れを告げた。


「何が何だか何だけど、とにもかくにも! ありがとう、旨鰯さぁああぁあぁぁん!」


 シガラマンたちに見送られながら、コタロウは大空へ旅立った。






 このまま海を越えて本土まで運ばれやしないかと、戦々恐々の面持ちで眼下の風景を見守っていたのだが、なんとも幸運なことに、鴉の行き先は北隣の中央島だった。中央島、即ち、ナカツ国は、コタロウの目的地でもある。日頃の行いがよかったに違いないと、イワシは胸鰭を口元に寄せて笑った。


 ナカツ国に入り、ナカツ都まで来ると、鴉は徐々に高度を下げていった。冒険協会ナカツ本部の手前で進路を左に変えると、町の西外れで旋回して降りる。ナカツ都管理棟の脇に生えた、背の高いかしの木に留まったかと思えば、ぽいとコタロウは放り出された。


 もぞもぞと鰭を動かして見上げれば、雛鳥のどでかい顔が視界を占領した。思わず魚身が飛び跳ねる。


「ぎょっ!」


 どうやら巣に放り込まれたらしい。ただ、コタロウを運んできた鴉たちは、集団だったことを考えると、おそらくこの巣の持ち主ではないのだろう。鴉はつがいで子育てを行う。繁殖期に群れている鴉は、若かったり弱かったりして番にならなかったものだと聞いた覚えがある。


 疑問に思うのは、親鴉が一向に現れない点だ。余所よその鴉が巣に近づけば、親鴉が雛を守ろうとして襲いかかるところなのだが。この時期の親鴉は非常に攻撃的だったはず。雛鳥の元気もないように見える。いや、明らかにぐったりとしている。何某かの理由で放棄されたということか。


 周囲の枝に留まった七羽の鴉が、こちらの様子を窺ってくる。彼らも同胞の雛鳥を助けたいのかもしれない。親鴉の代わりを巣に連れ帰るとは、なかなか斬新奇抜な托卵ではなかろうか。


 よし、この雛鳥をスカウトしよう。コタロウはマホロバの役者として鴉の採用を諦めていなかった。


 コタロウはアウンを呼び出した。途端、滲む不吉な気配。気のせい、気のせい、と小さな心臓を震わせながら唱えておく。人間の言語を操れるAIは、裏ボスの彼だけだ。運営部に連絡を取らなければならないような事柄が生じた時のことを考えると、おっかなびっくりながら彼頼みになってしまう。先日の冒険者狩りを顧みると、ちょっとどころかかなり、ぞぞぞと体色に青みが増すのだが。


 樫の根元の辺りが、不自然な揺らぎを見せる。光を異常屈折させて、蜃気楼の最凶旧魅アウンが現れた。


 巣から身を乗り出すイワシと、地上から見上げてくる破茶碗われぢゃわんの目が合う。


「で、どの冒険者を狩れば?」

「ぎょっ!」


 開口一番、戦闘狂にぶれはなかった。イワシは慌てて、胸鰭で罰点を作って示した。もはや慣れ親しんだ仕草である。


 アウンに事の次第を説明する。すると、彼は身軽く木を登り、イワシと雛鳥が入った巣を手に取って、言った。


「神さまからのお達しですからね、この雛鳥を立派に育て上げてみせましょう」

「きょきょきゅる」

「くっくっ、子分として立派に、ね」

「ぎょっ!」


 子分を増やそうとするアウンの習性は、魅以外にも適用されるらしい。そうじゃない、と言いたいところだが、マホロバの従業員として鴉を雇おうと考えているコタロウも、どっこいどっこいかもしれない。


 ふと、アウンが気配を変えた。氷刃を思わせる、冷たく鋭い空気。どんな冒険者が相手でも、にたりと笑むのに、珍しい。


「神さま」


 低く呟かれた声に、常の面白がるような響きはない。アウンがすっとコタロウの後方を指さした。示された先は、管理棟の窓だ。


 ――否、管理棟の部屋の中だ。


 コタロウもそれに気づいた。物陰から伸びた、人の足。投げ出されたかのように、床に転がって動かない。周囲には書類が散らばっている。


 人が倒れている!


 巣があった枝から、アウンが一息に飛び降りる。一旦、根元に巣を置くと、イワシだけ掴み取り、管理棟へ向かう。


 各国の各都に置かれた管理棟は、冒険には関わらない裏方の施設である。ここに詰めているスタッフは、AIロボットではなく人間だ。遺失物の保管、迷子の保護、傷病者の救護、ベビーカーや車椅子の貸し出しなど、リアルゲームを陰で支えている。


「あっ、ああっ、あああっ、錬金じゅ――」

「失礼」


 管理棟の中に入ると、アウンを見た受付係が悲鳴にも似た声を上げる。だが、今は応える時間も惜しい。アウンは足早に突っ切ると、受付カウンターに手を突き、決して低くはない台を軽々と飛び越えた。


「関係者以外立入禁止」のマークが掲げられたドアを開け、階段を駆け上がる。樫と管理棟の位置関係を思い浮かべ、当たりをつけた。木の上から見えた部屋は、遺失物保管室の奥、財布などの貴重品が置かれている小部屋だろう。


 目的の部屋の前まで来た。アウンがドアに手をかける。


「ふむ」

「きゅる?」


 なかなかドアを開かないアウンに、コタロウは小首を傾げた。


「鍵がかかっていますね」

「きゅっ」

「窓も鍵がかかっていましたし、ここ以外に出入口はありません。さしずめ、密室ですね」

「ぎょっ!」


 推理小説の王道、「密室殺人事件」の六文字がコタロウの脳裏をよぎる。不謹慎ながら、マホロバ開発者は思った。マホロバは冒険ゲームの舞台であって、推理ゲームの舞台ではないぞ、と。





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そのイワシが黒幕です 九九鬼夜行 @Ippiki_inai

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