第35話 隠蔽術を覚えたいイワシ2

「なっ、旨鰯!? えっ、旨鰯だよね!? ここ、陸地なんだけど!?」

「きゅいるきゃるる」

 ――新種なので。


 と、新種の旨鰯が喋ったところで、冒険者には伝わらないのだが。魅坊の言葉を翻訳する転輪わっかも、イワシの言葉は解読不能のようなのだ。ためだろう。人語を話せるようになりたければ、自らの努力で成し遂げねばならない。


 そう、喋って喋って喋りまくる。それが言語習得の必勝法!


「きゅるきゅるきょっきょっきゃるきょるきゅっきゅっぎょぎょるるるっ!」

「何言ってるのか、まるっきりわかんないんだけど!」


 一朝一夕で人語が話せるようになるわけもないので、ほどほどで止め、イワシは胸鰭の先で開拓村の跡を指した。


「旨鰯さんもあの惨状が気になるかぁ」

「きゅる」

「あそこにはさ、企業戦士シガラマンが何もないところから、魅坊を集めて、土地を切り開いて、そうして出来た開拓村があったんだよ。あっ、企業戦士シガラマンっていうのは私のことね。マホロバと提携しているゲーム会社の社員なんだけど、マホロバには自社のキャラクターが魅として出演しているからさ、その魅坊たちが集まった村を作ろうと思ったわけなのさ」


 企業戦士の噂はコタロウも耳にしたことがある。生き様判定を司るAIが認めて、彼の職業を「企業戦士」にするほど、企業戦士らしい。


「それがさ、一〇日くらい前だったか、ウマツ国を襲った魅の氾濫で、この開拓村も壊滅しちゃったんだよ。シガラマンはその時さ、企業戦士として社内で戦っていた関係で、マホロバにいなかったのさ。全て終わっちゃってから、そのことを知ったんだよね。慌てて駆けつけたんだけど、開拓村はこの有様だし、村民も残っていなくてさ。シガラマン、悲しい」


 魅の氾濫は前兆こそあるものの、催し物のように運営部からプレイヤーへ予告されるわけではない。村や町が襲われた時に、冒険者が一人もいない場合も起こりうるのだ。ナカツ国のナカツ都のように発展すれば、魅坊だけで守りきることもあるのだが、開拓村ではまず無理だろう。


「開拓村の魅坊たちが逃げ延びてくれてるといいんだけど」

「きゅっ!」


 はっと思い出して、イワシは胸鰭で狸の足を叩いた。プレイヤーが作った開拓村には、壊滅した場合に対する救済措置があるのだ。


 基本的に、冒険者に指示されない限り、魅の氾濫が起きると魅坊は逃げ出す。死ぬことはほとんどない。散り散りばらばらにはなるものの、見つけ出して声をかければ、村民として戻って来てくれるのである。


 ただし、これには有効期限がある。日限は二週間だ。


 魅の氾濫が一〇日前に起きたとすれば、後四日しかない。


「きゅきょきゅるるきょるきゃるぎょぎょるきゅりきゅれきゃるるぎょっ!」

「だから、何言ってるのか、さっぱりわかんないんだけど!」


 言葉の壁は厚かった。


 イワシは胸鰭を組んで考えた。かくなる上は、筆談か。手頃な枝がないかと周囲を見回していると、狸が頭をかきながら申し訳なさそうに言った。


「ごめんね、シガラマンは猫人だからさ、旨鰯さんの言葉は理解できないんだよ」


 猫!? 狸の焼き物は、猫の焼き物だった!? 手に持つものは小判か!?


 コタロウは勢いよく振り返ってシガラマンを凝視した。明かされた真実に、真剣な魚顔で猫人をまじまじと見つめ――小首を傾げた。断然、招き猫ではない。


「そういえばさ、もしかしてさ……旨鰯さんって魅なんじゃ?」


 あ、猫っぽい。冒険者にぴかりと光る猫目を向けられて、イワシは冷汗をかきながら首を横に振った。確かに旨鰯は魅なのだが、旨鰯さんは魅ではない、と主張しておく。


 たとえ、子分に最凶旧魅くすだまがいようとも。


 たとえ、種族が鮨種すしだねになっていようとも。


 魅でないなら、何なのか。それはイワシにも謎である。雑食の人間も恐ろしいが、魚食の猫人だって恐ろしいので、アウンにも冒険者にも狩られない何かを切実に希望したい。


「冗談冗談、冗談だよ。転輪を介してだけど、魅坊とは会話できてたからさ。できないのはどうしてだろうって思うじゃんさ」

「きゅっ!」

「冒険者に友好的な魅が魅坊だもんね。転輪が翻訳してくれないだけで、旨鰯さんは魅坊さ。これ、転輪のバグかな?」

「ぎゅっ!」


 イワシは再び首を横に振った。ただし、今度は高速で。バグとして報告されると、運営部に諸々の悪事がばれてしまう。あらゆる意味で必死である。


「バグでもないのかぁ。じゃあ、何かのクエスト絡みかなぁ」

「きゅる」


 是非とも、クエストに絡んでのものだと思っていてもらいたい。それがこちらもそちらもあちらも幸せになれる方法なので。


 コタロウはシガラマンに筆談で、まだ村民が取り戻せるかもしれないことを伝えた。


「えっ、そうなんだ、知らなかったよ! なるほど、これがクエストなのか!」


 狸人、もとい、猫人はのっそりと立ち上がると、イワシを鷲づかみにした。冒険者の動作は猫のように敏捷だったわけではなかったのだが、それ以上に、コタロウの動作が亀のように鈍重だったため、あっさりと捕まってしまった。シガラマンの行動が予想外だったこともある。連れて行くつもりだとは思わなかった。


「早速、探しに行かないとね!」


 クエストだと思わせた弊害が、まさかこんな形で現れるとは。じたばたと暴れるイワシも何のその、シガラマンはのっしのっしと力強く歩き出した。


 煤けた気配は綺麗さっぱり消し飛んでいた。






 手にイワシを握り締めて、猫人が茸林を歩き回る。コタロウは巾着蟹きんちゃくがにの鋏に挟まれた磯巾着いそぎんちゃくの気分だ。諦めの境地に達したとも言う。


 シガラマンの開拓村は、彼が勤める会社に因んで、名前を「コップン」というそうだ。村民の大半が茸採りを生業とし、様々な種類の干し茸を作っていたらしい。彼が知っているかどうかはわからないが、干し茸の中には稀少な薬の材料になるものもある。ウマツ都の薬屋で売れば、高値で引き取ってくれるだろう。


 ただ、どうもシガラマンは開拓村の跡地で二度目の出発を迎えるつもりはないようだった。


「これを機にさ、開拓村を引っ越そうと思うんだ。心機一転ってね」

「きゅる?」

「干し茸作りは続けるよ。せっかく覚えたスキルを無駄にしたくはないしさ。茸は採取するんじゃなくて栽培しようと思っているんだよね。新しく農作物も育ててみたいしさ」

「きゅい」

「多分さぁ、大きな農園、きっとさぁ、欲しくなると思うんだよね。うん、絶対に。旨鰯さん、いい土地、どっか知らない?」

「ぎょっ!」


 旨鰯さんは冒険者の助っ人ではないのだが。まあ、アウンの冒険者狩りで多方面に迷惑をかけた魚身としては、冒険者へ助言するにやぶさかでない。イワシは両の胸鰭で丸を作って、シガラマンに答えた。


 元開拓村の周辺を虱潰しに巡って、一〇匹、全ての魅坊を探し当てた。マホロバの魅坊は江戸時代あたりの妖怪絵巻から飛び出してきたかのような、どこか笑いを誘われる風貌だが、こちらは特にゆるゆるとして力が抜けるような見目をしている。いわゆる、ゆるキャラだ。少しばかり毛色の違う魅坊なのは、他社のゲームからマホロバにやって来た証である。


 シガラマンに対する村民の友好度が高かったのだろう、比較的短い時間で見つけ出すことができた。そうでなければ、彼らが近場で見つかることはなかったはずだ。


 シガラマンがイワシを両の手の平で捧げ持つ。手を合わせて拝む村民たち。


「旨鰯さん、いえ、旨鰯さま! どうか、新コップン村に相応しい土地へ、我々をお導きください!」


 シガラマンと村民たちから期待の視線が寄せられる。イワシはきりりとした顔つきで、右の胸鰭を真っ直ぐ掲げると、ずばっと北の方角を指し示した。


 茸林の北に、巻松林まきまつばやしと呼ばれる一風変わった松の林がある。幹が螺旋を描く松だ。土地も肥えているし、農作物もよく育つだろう。茸林のように豊富な種類の茸が採れるわけではないが、こちらはこちらで珍しい茸が稀に生えるので、なかなか好条件なのではないだろうか。


 北方のナカツ国へ少しでも近づきたいからこっち、などという私利私欲にまみれた考えは、決して持っていない。


 イワシとシガラマン一行は、巻松林へ向けて踏み出した。





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