閑話 イワシの大冒険(または大人の休日)

第34話 隠蔽術を覚えたいイワシ1

「かあぁ、かあぁ、かあぁ、かあぁ」


 からすが七羽ほど飛んでいる。擬核ぎかくすだまではなく、生身の、本物の鴉だ。


 ここ、マホロバは、本土から五〇キロメートルほどの沖合に浮かぶ、巨大な人工浮島である。海は元より、陸にも野生動物はやって来ており、そのまま居座るものもいた。


 鴉の中には留鳥もいれば渡り鳥もいるが、彼らは都市でよく見られる種類の留鳥だろう。留鳥でも五〇キロ程度の海なら簡単に渡れるらしい。その一〇〇〇分の一の距離ですら泳げない自信がある身としては、羨ましい限りだ。いや、一〇〇〇分の一というか、一〇〇〇〇分の一というか。


「かあぁ、かあぁ、かあぁ、かあぁ」


 一羽が嘴にイワシをくわえている。こちらのイワシは本物ではなく、旨鰯ウマイワシの映像を被った擬核だ。


 イワシはコタロウが憑依操作する酢橘すだち大の擬核である。最小の擬核だったために、難なく鴉にくわえられてしまった。逃げる間もなく、ぱくりと。


 鴉は優れた視力と色覚を持ち、夜目も利く。人間には見えない紫外線も認識するので、鴉にイワシがどう見えているのか、コタロウにもわからない。雑食性で自然界の掃除屋でもある鴉だが、イワシを食べようと思って嘴にくわえたわけではなさそうだった。本物の小魚でないことは理解しているようだ。好奇心による行動のように見える。とても興味深いのだが、観察する前にしなくてはならないことがある。


 どうにか地上に降ろしてもらわねば……。


 現在、イワシは鴉に運ばれて、マホロバの上空を飛んでいた。なお、行き先は不明である。






 事の発端は、隠蔽術を得るための旅路にあった。


 隠蔽術はスキルの一つである。スキルは虎の巻といった道具を使用して覚えるわけではなく、職業などと同じく「生き様判定」により獲得できる。プレイヤーが特定の経験を積むことで、スキルが発生するのだ。ただ、調薬術や調理術といった物作り関連のスキルであれば、必要となる経験も想像しやすいのだが、隠蔽術となると何をどうすればいいのやら。


 スキル獲得の鍵となる行動がわからない。そんな時はナカツ都の図書館なのだ。冒険者の故郷であるナカツ都には、ゲームの初心者が困った時のために、解決のヒントとなるものを詰め込んでいる。図書館もその一つだった。冒険の手引きが、山積みとなった本の間に挟まっていたり、奥に置かれた棚の上で埃を被っていたりする。しかしながら、冒険の手引きは魅語で書かれているため、手に取っても読めない。司書の魅坊すだまぼんと仲良くなって読んでもらう必要があるのだが……。


「きゃれ、きゃるぎゅるきゅり!」

 ――我、勝ち組なり!


 イワシは両の胸鰭を力強く太陽に向けて掲げた。そろそろ人語を喋りたい、と思いつつ。


 腐ってもタイ、もとい、腐ってもイワシ。魚拓オタク神の称号を持っているので、魅坊との友好度は常に最高なのだ。つまり、冒険に困った時は司書に聞けばいい。


 勇往邁進、イワシはナカツ都へ向けて歩き出した。もちろん、鰭で。


 己の直感が告げたのだ。アウンを足に使えば、何かしら不吉なことが起きると。今頃、彼は彼で冒険者狩りを適度に楽しんでいることだろう。適度であると、コタロウは信じている。


 アウンと言えば、ツクモ社の誰一人として彼について問い質してこないのだが、なぜだろうか。ちょっと、いや、かなり、怖い。いつの間にか、アウンがシークレットな敵キャラクターとして、ツクモ社内でも冒険者間でも市民権を得ていたことも恐ろしい。裏ボスなので間違ってはいないが、何某か間違っている気がする。


「マホロバ色の血湧き肉躍るスポーツ、それが次の研究課題ですか、大先生!」


 と、先日、ツクモ社長から問われたが、あれはいったい何だったのか。スポーツは運動音痴の鬼門なので、研究課題に選ぶことはまずないだろう。主観的にはできているのに、客観的にはできていないという、危うく哲学の分野にまで足を踏み入れそうになる、運動音痴の身に起こる摩訶不思議な事象。オカルトの分野かもしれない、と真面目に考えたこともある。


 結局、問い返す前に別の話題へ移ってしまったため、わからずじまいになったのだが。口まで遅いのも、運動音痴のせいに違いない。


 マホロバのある人工浮島、カウ浮島は全一三島から成る群島である。島の配置から「海に咲いた花」や「海で生まれた結晶」などと表現される。中心に一島、それを囲んで六島、さらにそれを囲んで六島、という二重の正六角形を形成しているためだ。内側の正六角形と外側の正六角形では三〇度のずれがあり、大橋が三角形を描くように隣接する島同士を結んでいる。


 現在、マホロバとして稼働している島は、中心の一島とその周囲の六島、合わせて七島になる。マホロバは基本的に一島一国なので、ナカツ国と言えば中央島を指し、ウマツ国と言えば六時島(南島)を指す。


 開発者の専用施設、マホロバ秘密基地はウマツ国のタンコブ岬にある。まだ冒険の拠点を作ることができていなかったため、開発者の特権で秘密基地から出発したのだが、コタロウは早くもぽっかり開いた計画の穴に気づかされた。


 コタロウは来た道を振り返った。足跡を見て、腹鰭を見る。イワシの一歩はとても小さかった。


 遥か先まで続く前途を眺め、思う。諦めが早いと大概叱られるが、時には潔く諦めることも肝心、かもしれない。


 竜祇タツに運んでもらおうかと考えながら、てくてく歩いていると、道端に倒木を多く見るようになった。あちらこちらの朽ち木に、様々な種類のきのこが生えている。


 コタロウは茸の一つに近づくと、それをじっと見つめた。ぴんと来て、びっくり印が頭上に浮かぶ。平茸ひらたけのような形をしているが、これは月夜茸つきよたけだ。夜になると、ひだの部分が青白く発光する。食用茸に似ているため、毎年のように食中毒者を出している、この国の代表的な毒茸の一つである。


 ウマツ国の茸林きのこばやしに入ったらしい。木に代わって茸が作り上げた林だ。


 見上げるほど高い背丈の茸もあれば、馴染み深い大きさの茸もある。前者は異界の茸で架空のものだが、後者は現界の茸を模倣したものだ。茸博士監修の下、茸狩りの教材としての利用を目的に作られた、茸だらけの林である。


 これは美味しい茸、これは不味い茸、これは食べたら死ぬ茸。と、観察しながら茸林を進んでいると、冒険者の背中が視界に入った。


 冒険者が両膝を抱えて座り込んでいる。俗に言う、体育座りだ。


 そこはかとなく煤けた雰囲気が漂っている。過ぎ去った青春を哀しみ惜しんでいるかのような風情だ。夕暮れ時ならばまだしも、燦々と照る朝日の下にはまるでそぐわない。


 いったい何を眺めているのだろうか。そろりそろりと冒険者の横手に並んだコタロウは、荒れ果てた村の跡を見た。思わず目を丸くする。


 過疎化が進んで打ち捨てられた廃村、というわけではなさそうだった。潰れた家屋、壊れた井戸、荒れた田畑、崩れた溜め池。この村は何かに襲われたのだろう。


 天災に襲われたか、魅に襲われたか。


「一から開拓した村だったのにさぁ。さすがの企業戦士も泣きそう」


 哀愁を帯びた呟きに、コタロウは隣の冒険者を見上げた。


 狸がいた。いや、野生の狸がいたわけではなく、野生の狸に似ていたわけでもない。居酒屋の前によく置かれている、狸の焼き物に似ていたのだ。愛敬のある顔つきに、真ん丸の大きな目。大きな体格に、出っ張った腹。笠を被って、徳利と通帳かよいちょうを持てば、狸の焼き物そっくりそのままだ。


「時々、魅の氾濫が起きて、町に襲いかかるって聞いていたけどさ。何もさ、開拓村にまで襲って来なくてもいいじゃんさぁ」

「きゃるきゅるる」

 ――仕様です。


 ついうっかり、運営部の「伝家の宝刀」がイワシの口から飛び出てしまう。ばっと胸鰭で口元を押さえたものの、時すでに遅し。狸がびくりと身じろぎ、ゆっくりと横を向いた。


 イワシと狸の目が合う。





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