終章 解き放たれ(っぱな)し裏ボス

第33話 勘違いは続く

 とある森の中。


 幻人は手元の画像に目を落とし、訝しむように呟いた。その画像には、〇と一の錬金術師に接触した人物が映し出されていた。


「この二人組、どこかで見た気が……」


 部下から画像が送られてきたのは、つい先ほどのことである。隠し撮りされた静止画を解析していた幻人は、脳裏に引っかかりを覚えて、しばし指を止めた。


 眼鏡の奥に怜悧な頭脳を持つ、幻人族麒麟キリン属の男だ。上司の命名により、名をオオオニという。麒麟属の角が鬼の角に見えたのだとか。眼鏡を外した途端、睨み据えているかのように凶悪な目つきへと変貌する点をからかったらしい。これは人柄の悪さではなく、視力の悪さが原因である。オニではなくオオオニとしたところに、上司の心情が薄らと窺えなくもない。


 因みに、隠し撮りを行っていた部下は、幻人族蛸入道タコニュウドウ属だった。髪型の変化を期待していた彼は、丸坊主のままだったことに落ち込んだ。刺青にしか思えない肌紋が追い討ちとなって、もはややくざ者以外の何者にも見えない。内心、主人公像選定時に何某かの作為が働いたのではないかと疑っている。同じく上司の命名により、名をタコニュという。不憫に思ってかわいげを添えてやったのだとか。


 錬金術師がマホロバでヒノキ国の防諜機関と接触する。工作員からそう報告を受け、彼らはマホロバに潜入していた。


 錬金術師が相手では、どれほど警戒してもし足りない。探りを入れるために、ごろつきどもを儲け話で巧みにけしかけ、錬金術師を襲わせた。しかしながら、案の定、ごろつきどもは彼に片手であしらわれた。さして期待していなかったとはいえ、マホロバの観光客に一切を悟らせず、事の始末をつけてしまうとまでは、さすがに思っていなかった。だが、何の収穫もなかったわけではない。


 あの見覚えのある二人組……。


 受信機の画面には、男が二人、映し出されている。錬金術師の姿は地物ちぶつの死角にあって撮影できなかったらしい。マホロバは彼のテリトリーだ、たとえ撮影できたとしても信用できるものではない。ここで危険を冒してまで再び撮りに行かせる意味はないだろう。そう結論づけたオオオニは、錬金術師が画像を記憶の隅に片づけた。


 重要事は二人組の正体である。膨大な量の脳内資料から高速で情報検索を行う。どこかで見たはず。どこかで確かに。


 オオオニの視線が意識の外で指輪に彫られた火叉の刻印をなぞっていく。と、その時、彼は唐突に思い至った。


か!」


 コウアンと聞けば、多くの人間が公安警察を思い浮かべることだろう。だがこの時、オオオニが脳裏に描いた相手は、広汎保安情報局である。


 公安警察の関係者ならば、オオオニには即座に気づけた自信がある。一方、広汎保安情報局の方はさほど警戒していなかった。あからさまに言ってしまえば、眼中になかったのだ。


 予期せぬ失態に、眉間が歪む。


 オオオニが広汎保安情報局を警戒するに値しないと判断したのも、そうおかしなことではない。


 広汎保安情報局。政府機関の一つであり、ヒノキ情報機関の代表格である。と、少なくともそう言われてはいる。事実上、権限は公安警察より弱く、権勢も公安警察より弱い、公安警察に押されっぱなしの情報機関である。知名度は言わずもがなだ。他国の人間は元より、自国の人間にさえ忘れ去られている。


 なまじ略称の読みが同一だっただけに、広汎保安情報局の公安警察に対する敵愾心は、めらめらと燃え盛るばかりなのだとか。とある記者は戦国時代の公家と武家にたとえたらしいが、どちらがどちらであるかは明らかだろう。


 オオオニもそれらの情報はつかんでいた。だからこそ広汎保安情報局よりも公安警察に目を向けていたのだが、錬金術師が絡んだことで、彼の思考は深読みをした。


 広汎保安情報局の不名誉な噂の数々が、敵の侮りを誘い、警戒の目を逸らす、そのための擬態という可能性もある、と。


 まんまと相手の思惑に乗せられてしまったのかもしれない。公安警察を前面に押し出し、その裏で暗躍する組織。間諜の性質を思えば、ありえないことではない。忍ぶ国ヒノキの国家戦略か。とまで、彼は疑いを抱いた。深読みのしすぎである。


 素早く通信機を操作する傍ら、オオオニは上司に報告を行った。


「ネツァク導師、〇と一の錬金術師と広汎保安情報局の接触を確認しました。先頃につかんだ出所不明の情報ですが、内容の真偽は別として、広汎保安情報局が故意に流したものかもしれません。錬金術師は広汎保安情報局に協力している可能性があり――導師?」


 部下が振り返って見たものは、魅と戯れる上司の姿だった。緑人族靫蔓ウツボカズラ属、名をウツボという。命名に飽きたようだ。


 時折、緑人族は頭に花を咲かせるのだが、今や彼の頭は小花で溢れんばかりになっていた。心なしか、垂れ目がいつも以上に垂れて見える。


 ウツボと相対するのは伝説の雑魚魅、すらっとした喉越しの和菓子、水饅頭スラスラである。


 ウツボは水饅頭に芸を仕込もうとしていた。部下の目を盗み、いつの間にやら一四匹も集めたらしい。九匹を金下段したっぱと、四匹を金中段かんぶと、一匹を金上段どんとして組に分け、金字塔を作り上げようと頑張っている。


「整列!」

「「「「すらっ!」」」」

「…………」

「陣形!」

「「「「すらっ!」」」」

「…………」

「やっべぇ、熱くなってきちまったじゃねぇの、錬金術師どのよ。敵ながら、なかなかどうして、やりやがる。あっぱれ、あっぱ――」

「「「「すらっと?」」」」

「導師」


 眼鏡を外さずとも、麒麟の角は氷寒地獄に住む鬼の角へと変化できるようだった。文字通り鬼気迫る情景をまのあたりにして、上司は身も鬚も縮み上がらせた。






 とある社屋の片隅。


 紙束の高層ビルに占領された自席で、瓦版作りに精を出す社員がいた。


 徹夜明けなのか、化粧っ気がなく、髪型は前衛的だったが、両目は活力に溢れて爛々と輝いていた。


 瓦版と言えば、江戸時代の新聞に相当し、社会の事件を大衆に知らせた。一枚刷りの木版画が一般的だったらしい。彼女が作製中の原版は、さすがに木版ではなく、二一世紀に相応しい機械処理で作り上げられた画像であったが、当時と同様に一枚刷りの形を取っていた。


 入魂の一枚をマホロバの民衆に送り出すこと。それこそが彼女にとって遂行すべき至上の任務であった。であるからして、運営部の乱騒ぎは我関せずの態度で傍観した。


 雷鳴轟く嵐のただ中にいる運営部を尻目に、彼女は二枚の特種とくだね写真を見比べ、唸った。


「うぬぬ、迷う、これは迷うぞ。どちらも捨てがたい、捨てがたいが、最高の一枚を選び取らねば!」


 マホロバは映像が生み出す夢境である。写真機も専用の特殊な物を用いないことには撮ることができない。この特種写真もマホロバ仕様の写真機で撮影されたものだ。


 左側の画像は男二人の戦闘を撮ったもので、右側の画像は男と旧魅の戦闘を撮ったものだった。どちらの写真も臨場感に溢れるもので、見る者の鼓動を高鳴らせることだろう。躍動的な動き、鋭気の一撃、生命力の輝き、戦場の昂揚感、風景さえもその色を変える戦闘の凄まじさ。


 どちらの写真も、片側の男は同一の人物だった。〇と一の錬金術師である――と、彼女は信じている。


「ぬはは、大先生を激写してしまったぞ。地団駄を踏む社長の姿が目に浮かぶわ。写真は一枚たりとも絶対に渡さんぞ!」


 惜しむらくは、男と旧魅の戦闘を撮影していた最中に、流れ矢に当たって死亡してしまったことだ。あの時は本気でくずおれた。返す返すも口惜しい。悔しさのあまり、現界に戻った後、叫びながら社屋の周囲を全力疾走してしまった。


「うぬぬ、対人戦PvPの高みを見せるなら、左側だが……」


 錬金術師と覇者の対決が写し出された写真へ目をやり、


「うぬぬ、第一回冒協昇級試験の話題に花を添えるなら、右側か」


 錬金術師と翼綿玉の死闘が写し出された写真を手に取る。


「そうと決まれば、至高の一枚に相応しい一言を考えねばな!」


 決意も新たに、瓦版屋は筆を走らせた。この時代この職種には珍しく、彼女はパソコンだと筆が乗らない古臭い人間だった。






 とある官庁の一室。


 窓から射す春陽の斜光を背に受けながら、男がデスクに腰をかけている。椅子に座っているのではなく、デスクのへりに行儀悪く腰かけているのだ。


「それで、錬金術師が我々に協力を?」

『はい、錬金術師どのが囮役に。標的は潜伏先を特定しましたが、接触はしていません。錬金術師どのを狙った不逞の輩も二〇人ほど捕らえました。現在、背後関係を洗い出しています』

「そうか」

『今作戦、錬金術師どのを巻き込む形になりましたが、彼と繋がりができたのは収穫かと』


 デスクの電話機が点灯している。通話の途中だったらしい。声からして、相手は女のようである。


「作戦成功か。錬金術師を巻き込んだことは問題だが……偶然か?」

『いえ、どの時点でなのかは不明ですが、彼は我々の作戦を見抜いていたようです。知らず巻き込まれたのではなく、我々の思惑を踏まえた上でこちらの作戦に乗ってくれたのだと』


 男の組まれた腕に力が入る。しばらく無音の時が流れた。


「……恐ろしいな。錬金術師が科学以外の方面でも優れた手腕を持つことは知っていたが、謀略の才までも持つか。仮にも国家の情報機関である我々が、門外であるはずの彼に読み取られるとは。情けなさすぎて、泣くに泣けないな」

『特筆すべきは、情報を精査する手腕かと』

「そうだな。おそらく、情報の収集や分析といった分野でも、我々に引けを取らない。あるいは、それ以上の技量が彼にはある」

『恥じ入るばかりです。先を行く錬金術師に、一日も早く追いつかねばなりません』

「ああ、その通りだ。後ほど、本件の詳細を報告書にまとめ、私まで提出するよう」

『了解しました』

「ところで……」


 一呼吸分の無言の後、男の語調ががらりと変化した。他者が前後に居合わせていたなら、一卵性双生児かと勘違いしたかもしれない。


「キリちゃん、胃の調子の方はどうよ? 僕は心配で心配でとても心配で」

『まじ、きりきりでぎりぎりっす』


 猫を何匹、否、何十匹被っていたのか、受話器の向こう側も、随分と口調が砕けている。双方とも、厳格な階級社会の、それも決して低くはない地位にいるはずの人間なのだが。


『もう駄目っす、無理っす、一杯一杯っす。あの問題児野郎どもの手綱を締めるなんて、はなから自分には不可能だったんすよ。交代要員を見繕っておいてください、近々必要になると思うので』

「待て待て待て、前途有望な若人が早まっちゃいけない」

『問題児が二人も部下に配属されて以降、前途有望な若人じゃなくなったっす』

「連中の上司を全うすれば、箔が付いて引っ張り凧になるって。もう少し頑張ってみてよ。石の上にも三年って言うじゃないの。今の苦労はいつか必ず実を結ぶからさぁ」

『野郎どもの上に就いて、明日で丸三年っす』

「待った! いやあ、僕としたことが言い間違えちゃったよ。仕切り直そう。石の上にも年って言うじゃないの」

『長げぇ! 言わないっす』

「いやいや、言うって。キリちゃんが忘れているだけだって」


 男は調子のいい台詞を並べ立てた。これを説得と表現しては、説得という語句が怒るだろう。自身の人事異動を諦めたのか、自分の人生を諦めたのか。彼女は上司に対する無駄な抵抗をやめた。


 二、三の実務的なやり取りを交わして、男は通話を切った。そうして、彼の思考を占めるのは錬金術師についてだ。


 男はデスクから立ち上がると、窓際に歩み寄った。窓に軽く拳を当てる。この窓に使われている素材は、室内からは曇り一つないガラスに、屋外からは曇りガラスに見えるものだ。窓の向こう側には、ヒノキ国有数の大都市が広がっている。その頭上に薄らと、だが確かに存在している影は、だ。


「〇と一の錬金術師か……」


 一般市民でありながら、その影響力は並の政治家よりもよほど強い。彼が科学者ではなく政治家の道を選び取っていたなら、並ぶ者のいない一大派閥が出来上がっていたのではないだろうか。


 近年、錬金術師は様々な組織からその身柄が狙われている。彼の功績を考えれば、意外とは思わない。


 立場上、男は思い知らされてきた。ヒノキ政府が行う情報活動など、海外の諜報員からしてみれば、穴と隙が至る所に開いているということを。ヒノキ国の防諜技術は列強に比べて二段も三段も低いのだ。専守防衛のためには、何よりまず情報戦で負けないだけの力を蓄えておかねばならない。だからこそ、恐ろしいほど巧みに行われている錬金術師の情報戦術には、畏怖の念すら抱いていた。情報操作に始まり、裏面工作、利害交渉、人脈構築、人心掌握……。


「我々は錬金術師を越えなくてはならない」


 大空の彼方に浮かぶ「大世々葛おおよよかずら」を見上げながら、男は呟いた。


「越えてみせる」






 とある冒険協会の一階。


 コタロウは昇級試験の合格証を覗き込んだ。彼こそが栄えある第一回マホロバ冒険協会昇級試験の第一号合格者である。


 開発者にもかかわらず。


 他の受験者を蹴落とすどころか叩き潰して。


 第一回昇級試験の合格者が自分たち以外にも現れてくれることを、コタロウは切実に祈った。


 ――マホロバ冒険協会昇級試験に受かった!

 ――ランク二・ひよこに上がった!

 ――称号「ぴよぴよ一号」を得た!


 コタロウは開き直った。魚拓神の称号に比べれば、何ほどのことでもない、はず。


 隠蔽術を覚えよう。アウンにも早急に覚えさせなければ。ばれては事だ。一に隠蔽、二に隠蔽、三四がなくて、五に隠蔽である。隠蔽術で悪事隠蔽の悪あがきを目論みつつ、イワシがきゅっきゅっと額の冷汗を水草で拭っていた時だった。


 ふと、兄の顔が脳裏を横切った。


「きゅっ!」

「ああ、そういえば、適当な兄君の適当な依頼がありましたね」

「きゅる」

「そうですか。では、一度、兄君に連絡を入れてみては?」

「るるる」

「肝心の転輪がないと?」

「きゅぽ」

「……私には君の尾鰭に嵌まっているそれが転輪に見えますが」


 破茶碗の割れ目が心の奥底から残念な者を見る形に変わる。


 自分の尻尾を追い回す犬の如く、イワシは見えそうで見えない尾鰭をなんとか見ようとして、その場でぐるぐると駆け回った。ロンリーゲームでもデスゲームでもなかった事実に、恥ずかしさが込み上げてきて、どうにも足を止められなくなった。


 見るに見かねてか、アウンがイワシの尾鰭を抓み上げた時、転輪が警告音を発した。


 ――東風研究所より緊急停止信号を受信。

 ――強制ログアウトまで後一〇秒。


 コタロウの脳裏にタンポポの顔が思い浮かんだ。長すぎる連続作業時間に、彼女が緊急停止ボタンを押したのだろう。きっと怒っているに違いない。


「ぎょっ!」

「くっくっくっ」


 平和である。


 その平和の裏には、大人たちの尊い犠牲があることを、少年はまだ知らない。



 ――物語名[マホロバ]の接続解除を開始します。

 ――物語名[マホロバ]と接続解除しました。

 ――環境名[異界九九〇一]の接続解除を開始します。

 ――環境名[異界九九〇一]と接続解除しました。

 ――またのご利用をお待ちしております!

 ――また、ね?





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