第32話 鳥肉の危機
大小様々な岩が折り重なってできた丘を、真珠砂が小さな滝となって流れ落ちていく。
「そろそろ出てきてはどうです?」
誰か潜んでいるらしい。人影が二つ、丘の斜面に映し出された。
「どうも早くから見つかっていたようだ」
「そのようですね」
「白鳥たるこの身が発する気品の輝きは、なかなか隠せないものだね」
「自己主張が強い家鴨と行動を共にすると、隠れるだけでも一苦労で困ります」
岩陰から、鳥人の二人組が姿を現した。色々と白い人と色々と黒い人、という印象をコタロウは抱いた。多才と表現されることが多い少年だが、実のところ運動音痴であり芸術音痴でもあったようだ。
「くっくっ、狩りの調子はどうです? 獲物を仕留められそうですか?」
アウンが言うところの獲物とは、試験課題の羽綿玉を指してのことだろう。台詞にかけられた揶揄の薬味が、ぴりりと辛く効いている。イワシは胸鰭の先を口元で小刻みに震わせた。
アウンが試験を引っかき回したために、昇級試験の難易度は天を摩するほどの高さになっている。コタロウはここ数時間の所行を振り返り、魚頭を垂れた。九割九分九厘、彼らは羽綿玉を狩れずにいるのだろう。というか、今回の試験、合格できる者がいるのかどうか。
「ははは、やはり君には僕らの目的を見抜かれていたか、参ったな。今、仲間が標的の跡を追っているよ」
なるほど、アウンが解放した羽綿玉の一匹を運よく発見できたが、逃がしてしまい、跡を追っている最中と。もしや、羽綿玉を捕らえているアウンに気づいて、羽綿玉の見つけ方を聞こうとやって来たのでは。見失ってしまったのなら、もはや雲花を片っ端から毟っていくしかないのだが。イワシは胸鰭で胃の辺りを押さえた。聞かれたら謝るしかない。
「僕らの正体もすでに察しているのだろうね。せっかくの機会だから名乗っておこう。長い付き合いになるだろうから、いや、違うな、長く付き合っていきたいから、覚えておいてくれると嬉しいよ。僕の名前はスズシロさ。偽名だけどね」
「余計なことを付け加えますね。初めまして、クロエダです。偽名ですが」
初対面の相手に対する態度としては、毒気混じりの軽口が適切とは言いがたいが、そうすることで人物像を計る秤としているのかもしれない。素の可能性も多分にあるが。
ふと、コタロウは不吉な台詞を思い出した。アウンは鳥人二人を指して「副菜」と表現していなかったか? イワシは最強の捕食者に向けて、精一杯、胸鰭を交差させ、力一杯、罰点を示した。破茶碗の割れ目が微妙な曲線を描く。やはり、副菜とは彼らのことだったらしい。
「この場は譲歩しておきましょう」
やれやれとアウンが落胆の息を吐けば、やれやれとコタロウも安堵の息を吐いた。冒険者狩りの被害者名簿に新たな名を刻むことはどうにか阻止できたようだ。
「それで、そちらの用件は何です? 文句でも?」
アウンの言葉で、コタロウもその可能性に気づいた。なまじっか最凶旧魅が対話できる人型なので、彼の冒険者狩りに反感を抱いた冒険者が、文句を言いに来たとしてもおかしくない。まあ、見目はどうであれアウンは魅なので、冒険者の言い分など相手の身ごと切って捨ててしまいそうなのだが。最凶旧魅の冒険者狩りを止めたい気持ちは、イワシも冒険者と同じだが、いかんせん食われる側の小魚に人間を止められるだけの力はない。
アウンが問えば、スズシロは優雅な身ごなしで手を胸に当て、貴族っぽく目礼した。
「文句なんてとんでもない。こちらが先に怒らせるような真似をしたわけだし、君を咎めることなんてできないさ。挨拶をしておこうと思ったまで」
「きゅる」
アウンを怒らせる、と。人間族と六人族の因縁を察しているかのような台詞に、コタロウは魚眼を輝かせた。これほど早い段階で、マホロバの影たる裏界、その謎に迫る冒険者が現れるとは。開発者として、彼らの動向はしっかり確認していかねばなるまい。
「言うまでもないかもしれないが、僕らの用事は君が片づけてくれた悪党たちにあってね。連中の身柄を譲ってくれたことも含めて、君には本当に頭が上がらない。彼らはこちらで処分するから、後始末は我々に任せてくれたまえ」
「大人の事情で処分方法は答えられませんが、腕に縒りをかけて行うとお約束します」
なるほど、彼らは荒くれ者を追う役らしい。刑事だろうか、復讐者だろうか、いや、賞金稼ぎに違いない。刑事ならばもっと堅苦しいだろうし、復讐者ならばもっと殺伐としているだろう。賞金稼ぎがいい塩梅だ。イワシは両胸鰭を天に上げてくるくると回転し、本日二度目の「感動の舞」を踊った。荒くれ者役の彼らといい、賞金稼ぎ役の彼らといい、ここまで役になりきってマホロバを楽しんでくれるとは。
と、感に堪えないコタロウは、彼らが役を演じているわけではない事実に、全く気づかなかった。
会話で言葉を省くことなど誰しも日常的に行っていて、大概は前後の文脈で補完できるものだが、時として食い違うはずの歯車が妙に噛み合ってしまうこともある。悪戯の神が微笑んだのか、行き違う会話に双方とも違和を覚えることはなかった。終始、コタロウたちの立ち位置はゲームの内側で、スズシロたちの立ち位置はゲームの外側であったのだが。
「参考までに、君の気を引くだけの獲物はいたかい?」
アウンは破茶碗の割れ目を細めた。余寒、否、予感に、コタロウは身構えた。
「ええ、目の前に二人」
「ん?」
「は?」
即行、コタロウは胸鰭を交差させた。息が合っているといって良いのか悪いのか。
「――というのは、くっくっ、冗談ですよ」
どうやら、アウンは冒険者狩りを止められた腹いせに、イワシで遊んでいるらしい。
「残念ながら小物ばかりでしたね。毛色の異なる獲物が一匹、いた程度で」
「へえ、毛色の異なる、ね」
鳥人たちの雰囲気がわずかながら変わったように感じて、コタロウは目を瞬かせた。たとえるなら水深が少し深くなったかのような、ちょっと重く、ちょっと冷たく、ちょっと暗く、ちょっとの油断で命取りになる、そんな気配だ。
「最後に一つだけ、君に確認しておきたいことがあるんだ。答えてくれるかい?」
「何です」
「君ならば彼らを残らず叩き伏せることもできたんじゃないのかい? あの一人、僕には君があえて見逃したように思えるのだけど、どうだい?」
「くっくっ、ええ、見逃しました。惜しいと感じましてね。ここで他の有象無象と一緒くたに締めてしまうと、後々不味くなりそうでしたので。あれは場を改めて仕掛けた方が旨みになる」
アウンは戦闘狂である。邪魔が入らない場で、強者との戦いを味わいたい、というわけだ。あの見逃された冒険者は、確かに最凶旧魅から目をつけられてもおかしくはない強者だった。お詫びの粗品進呈名簿に忘れず加えておかねば、とコタロウは記憶に書き留めた。
スズシロとクロエダが短く視線を交わした。注視していなければ気づけないだろう、それはさりげない動作だった。
「そうか、君はそう判断したのか。他ならぬ君の判断だ、重く受けとめさせてもらうよ」
スズシロには珍しく、それは明るさの欠けた声だった。低められた呟きが後に続く。
「……甘かったのは対象に関する調査か」
スズシロとクロエダは姿勢を正すと、改めてアウンと向かい合った。顔つきを真面目なものに変え、一礼する。
「錬金術師くん、色々とありがとう」
「錬金術師どの、諸々の件に関して謝罪と感謝を」
「今日はこの辺りで失礼するよ。また会おう」
「この借りはいずれ」
「クロエダくんが言うと、お礼がお礼参りに聞こえてくるね」
「白鳥を騙る家鴨の耳は欠陥品のようなので、それも仕方ありませんね」
賑やかに別れを告げて、スズシロとクロエダは去っていった。
鳥人たちを見送った後、コタロウとアウンは冒険協会に向かって歩き出した。受験者の生き残りを見ては足を止める最強の捕食者に、最弱の被食者が可及的速やかに胸鰭で罰点を作るのも、もはやお約束の流れだろう。
そんな彼らの後ろ姿を、非常に小さなガラス製の眼がじっと見つめていた。
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