初恋を諦められるはずがないでしょう

「あ、えっと、これはその」


 慌てふためく自分が情けない。一方葵は平然としている。こんな時は女性のほうが肝が据わっているものだ。


「そう。そういうことだったの」


 優霧は中へ入ると葵に向かって手を挙げた。素早くその手をつかむ。


「よせ。母親に対して何をするつもりだ」

「放してよ。どうして昨日反対したのかやっと飲み込めた。お母さん、光君に一目惚れしたんでしょう。そして光君を奪おうとした。あたしが家出したのを幸いとばかりに光君の家へ押しかけて色仕掛けで迫るなんて最低よ。案の定、女性に免疫のない光君は簡単に篭絡ろうらくされちゃった」

「いや、そういうわけではなくて」

「大丈夫。何もかもわかっているから。悪いのは光君じゃない、お母さんよ」

「そうね。当たらずとも遠からず、かな」

「やっぱり」


 まずいな。話がどんどんこじれていく。こうなったら洗いざらい全てを話したほうがいいだろう。


「優霧、こんな事態になったのには訳があるんだ。玄関で立ち話もなんだから上がってくれ。お茶でも飲みながら話をしよう」


 優霧の膨れっ面は変わらないが、それでも渋々靴を脱いで私の言葉に従ってくれた。両手には大荷物を抱えている。ここで数日過ごすつもりで家出したのは間違いなさそうだ。


 下野家とは比較にならぬ粗末な居間で事情を説明した。優霧は一切口を差し挟むことなく黙って聞いてくれた。


「そう、光君の初恋相手はお母さんだったの」


 話が終わると優霧がポツリとつぶやいた。寂しそうな表情が痛々しい。


「騙すつもりはなかったが結果的に君の心をもてあそんだような形になってしまった。すまないと思っている」

「ううん。あたしが初恋の人の娘だって知らなかったんだから仕方がないよ。それで、20年振りの再会を果たした二人はよりを戻したいからあたしは身を引け、そう言いたいのね」

「ま、まあそういうことになるかな」


 飲み込みが早くて助かる。これで一件落着だな。


「諦めるしかないみたいね。光君もお母さんもあたしの分までお幸せに……なんてあたしが言うと思った?」


 優霧が立ち上がった。寂しそうな表情は一転して決意に満ちた顔になっている。


「お母さん、言ったよね。初恋は絶対に諦めちゃダメって。これはあたしの初恋。だから絶対に諦めない。お母さんは今日からあたしのライバル。光君は渡さないわよ。家にも戻らない。ここに住んでここから学校へ通う」


 おいおい、話がとんでもない方向へ進み始めたぞ。


「何を言っているの。そんなこと許せるはずがないでしょう」

「許すも許さないも関係ない。お母さんが認めてくれるまで絶対に家には帰らない」


 葵に似て優霧も強情だな。猪突猛進な点は親譲りだ。


「なら仕方ないわ。あなたが戻らないのならお母さんも戻りません。ここで暮らします。あたしにとっても光君は初恋の相手。簡単には渡せない。たとえ娘でも容赦しませんよ」

「ふふ、お母さん、自分が見えてないみたいね。皺の目立ち始めた年増女が16才のピチピチギャルに勝てるとでも思っているの」

「優霧こそ熟女の色気がわかっていないようね。本気を出せば中年男なんてイチコロよ」


 二人の間でバチバチと音を立てている戦いの火花が見えるような気がした。私は深いため息をついた。これから大変な日々が始まるのは間違いない。この二人に振り回される日々は当分続きそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼女の母親は初恋の彼女 沢田和早 @123456789

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ