無題、雨

安良巻祐介

 幻燈「しぐれ鬼」が終わって、外へ出てみると、折しも雨だった。

 まなうらにはまだ、幻燈の色が残っている。

 青い薄紙のつくる水底で、おぼろな人の形を結んで踊っていた、あの、「鬼」――夭折した少年詩人のたましいを想い、そっと傘をさした。

 広げた傘の下へ隠れると、少しだけ鬼の気持ちがわかる。

 かれは、何を唄っていたのだろうか。

 サイレントだったから、かれの声も、詩も、それぞれが想像するしかなかった。

 隣で手巾を握り締めていた女は、娘の好きだったわらべ歌のようだと呟いていた。

 私はと言えば、なぜかずっと、雨の音を脳裏に思い描いていた。

 黒い硝子細工の町の上へ、しとしとと、永遠に降り続ける、囁きのような雨。

 柔らかい席に背を沈め、耳の中に響くその雨に身をゆだねて、気づけば眠ってしまっていたらしい。

 目を覚ますと、部屋には誰もおらず、行燈も引き上げられていた。

 あの青行燈は、江戸の頃、百物語に使われたものを、当時の灯心を入れたまま、持ち出してきたものだと、壇上の誰かが、説明していた。

 ――鬼を映すのには、そういう、ちょっとした工夫の組み合わせが大事なのです。…

 いつの間にかまた閉じていた瞼を、薄く開く。

 傘の下から少しだけ、顔を覗かせてみると、幻燈がまだ続いているような、町のけしきだった。

 紗幕の向こうに霞む、硝子細工の影。

 そこにあるのに、その中へと入ってゆくことのできない、美しい書割。

 雨が降っている。

 鬼が、唄っている。

 あの子は泣いていたのではないか、ふと、そう思った。

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無題、雨 安良巻祐介 @aramaki88

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