3
僕は息を整えながら男の子の方を見た。彼は一本の向日葵の下で何かを掘っていた。
その向日葵を見上げてみると、それはこの畑の中のどの向日葵よりも背が高かった。背伸びをして周りを見渡してみると、どうやら向日葵畑のちょうど真ん中辺りに位置しているようだった。
僕は男の子の手元を覗き込んでみた。茶色い土からカラフルな色のものが見えていた。それはお菓子を入れておくような缶に見えた。
はじめはほんの一部しか見えていなかったが、だんだんとその本体を現してきた。
それはやはりお菓子の缶だった。男の子は缶を土の中から取り出して手で土を払うを僕を呼んだ。
「見て」
僕は男の子の側にしゃがみ込んだ。
男の子が缶を開けると、中には向日葵の種と、綺麗な色をした貝殻がいくつかバラバラと入っていた。僕は、この貝殻に見覚えがあった。
それは、去年の夏にこの別荘の近くにある海で見つけて、兄にあげたものだった。
「兄ちゃん見て! さっきこんな綺麗な貝殻見つけたんだ。いっぱいあるから兄ちゃんにあげる!」
家の近くの海は汚くて、このような綺麗な貝殻など見たことがなかったので、あまりにうれしくて兄に報告しに行ったのだ。しかし、兄はそんな僕と僕の手の中の貝殻を見て、
「俺のことは『兄さん』と呼べといっただろう。それから、わざわざそんなもの見せつけに来るなんて、病弱で海にもいけない俺への嫌がらせか?」
と、うっとうしそうに言った。僕は、その時、貝殻を拾ってきたことをひどく後悔した。兄の言い方にショックを受けたのもあるし、兄の言っていることももっともだと納得したからでもある。
あの後、僕は貝殻を放り出して兄の部屋を飛び出した。兄が喜ぶと思ってやったことが、彼を怒らせてしまい、そんな自分が惨めで情けなくて、一刻も早く兄の前から立ち去りたかったのだ。
――あの貝殻。後で兄さんに聞いたら、捨てたって言ってたのに。どうしてこんなところに?
僕がそんなことを考えていると、男の子が缶の中にある種と貝殻について話し出した。
「この缶は僕とイズミの宝物入れなんだ。お互いがすっごく大事にしてるものを一つずつ入れて誰にも分からないように埋めておくんだ。君も持ってるんなら、入れてもいいよ」
僕は彼の言ったことのほんの一部しか頭に入ってこなかった。
宝物? この貝殻が? 兄はあんなに嫌っていたものなのに?
そんなことを考えている間も、男のは説明を続けた。
「この向日葵の種は僕の宝物。ほら、この缶が埋まってた向日葵の種なんだよ。この向日葵はこの中で一番大きい向日葵なんだ。だから、この種もきっと、すっごく大きい花を咲かせるんだ。で、こっちの貝殻はイズミの宝物。イズミが言ってたよ。これ、君があげたものなんだってね。すごく綺麗だよねー。イズミにも何度も自慢されたんだ。どこで拾ったんだ?」
僕は彼の質問には答えずに、彼に聞いた。
「兄さんは、他になんて言ってた?」
「え? うーん……。確か、この貝殻は弟からもらった初めてのプレゼントなんだ、とか。これを見せに来たとき、弟の顔が砂だらけで笑えたとか……。他にもいろいろ話してたよ」
男の子は記憶をたぐり寄せながら兄が言っていたことを話してくれた。
『あいつがここに来るのは夏の間だけだからな。どうにも接し方が分からなくて。この間は悪いことしちまったな。あいつ怒ってるだろうな』
『謝らないの?』
『言っただろう。あいつとの接し方が分からないんだ。どうやって謝ればいいかすらも分からない。実の兄弟なのにな。それに、あいつのことだ。来年にはそんなこと忘れてるだろうよ。でも、……そうだな。もしあいつが来年もそのことを覚えてたら、謝ってみるかな』
「イズミはそう言って笑ってたよ。あ、でも君は覚えてたんでしょ? どうだった? 謝ってもらえた?」
男の子は貝殻を手にとって何も言わない僕の顔を覗きこんできた。
しかし、僕は彼に答えることも、顔を上げることもできなかった。何かが身体の中から溢れてくるのを抑えるので精一杯だった。
不審に思った彼は、心配そうに僕の肩に手を置いた。
「どうしたの? 具合悪いの?」
僕は頭を振って、嗚咽交じりの声で答えた。
「もらって、ない。謝ってなんか、もらってない」
男の子は僕が泣いてるのは兄に謝ってもらっていないからと思っていたらしく、急に立ち上がると、少し起こり気味に言った。
「じゃあ、今からイズミのとこに言って謝ってもらおう。場所は分かるんだろう」
しかし、僕は頭を振ることしかできなかった。
「どうして? 僕もついていってあげるよ」
「でき、ない。もう、ムリなんだ……」
僕は嗚咽をこらえながら男の子に、兄が死んだことを伝えた。
「うそ……」
男の子はその場にしゃがみ込んだ。
「うそだ。病気だったなんて……。だって、いつも、そんな風には……」
どうやら彼は、兄が病弱だったことも知らなかったらしい。おそらく、兄が気を使わせないよう、隠していたんだろう。
「うっ……イズミの、バカァ。今度一緒に川に行こうって言ったくせに」
兄の死をようやく信じたのか、男の子はぼろぼろと泣き出した。袖でゴシゴシと目を擦っている。
なぜ、この子はこんなのに泣いているんだろう。兄とは、赤の他人なのに。
僕は彼に兄のことを聞いてみた。彼は、泣きながらもぽつぽつと話してくれた。
去年の春ごろ、近所の畑でイチゴを盗み食いしていた彼を家からこっそり抜け出してきた兄が見つけたのが出会いだったという。それから、二人は共通の秘密の場であった向日葵畑でよく遊ぶようになった。
彼の話によると、兄は、よく弟である僕の話をしていて、彼とは、僕と年が近いから良くしてくれたのだという。彼は一人っ子で兄弟がいなかったので、すごく楽しかったと言った。
「こんな田舎だから、友達ともあんまり遊べなくて。僕、イズミのこと、本当の、兄ちゃんみたい、思ってたんだ」
男の子が嗚咽混じりに言う。
僕は、いつも、ほんの少ししか兄といることができなかったが、それでも、兄には、他の人にはない心地よさがあった。それに、兄がどんなに僕にぶっきらぼうな態度を取ろうとも、僕は兄を敬遠することはあっても、嫌いになることはなかった。その理由が今、分かった気がした。そして、本当は大好きな人が、もうこの世にいないということにも、ようやく実感が沸いた。
僕は声を出して泣いた。
向日葵畑はしばらく二つの泣き声が響いた。
向日葵はそんな泣き声に合わせるように、風に揺れた。
fin.
向日葵 朝日奈 @asahina86
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