2
「ハァッ、ハァッ……」
僕は麦藁帽子を見失わないよう必死に走った。帽子をかぶっているのは僕とそう年の変わらない男の子だった。男の子は僕のことには気がついていないようだった。
僕は走りながら考えた。あの男の子と兄とはどういう関係なのだろう。友達? でも年の差がありすぎる。
そもそも本当に兄の言っていた青いリボンの帽子とは、あの男子がかぶっているもののことなのだろうか。僕はだんだん自信がなくなってきた。
そんなことを考えていると、前の男の子が急にスピードを上げた。
「あっ!」
僕は急いで追いかけたが、生垣を曲がったところで見失ってしまった。
僕は歩きながら辺りを見回した。家からだいぶ離れたところまで来てしまったようだ。この辺は村のはずれ近いらしく、民家のほかにいくつか畑が並んでいた。僕は畑にそって歩き出した。都会で暮らす僕にとって、こういった風景はなんとものんびりとした和やかな気分にさせられるのだった。
しばらくさっきまでのことを忘れて歩いていると、急に視界の色が変わった。
「うわぁ……」
僕は目の前の光景に言葉ともため息ともつかない声を漏らした。
それは広大な向日葵畑だった。どの花も高々と空を仰ぎ、太陽の光を浴びている。ほとんどの花は僕の身長よりも高く、足を踏み入れば、途端に自分がどこにいるか分からなくなってしまいそうだった。水色のペンキをひっくり返したような青空をバックに黄金色に輝く向日葵は、なんとも生き生きとしていた。
今までテレビや本では見たことがあったが、自分の目でこのような大自然に触れる機会はなかった。
僕はしばらく我を忘れてその光景に見入っていた。
すると、突然、僕の左側の方の向日葵がガサガサと揺れた。そして、そこから青いリボンの麦藁帽子をかぶった男の子が姿を現した。帽子をかぶっているため顔は良く見えないが、Tシャツから出ている腕もハーフパンツから伸びている足も真っ黒に焼けていた。
――さっきの子だ。
僕はこの時、やっと自分が何をすべきかを思い出した。
男の子が僕のことに気がついた。僕は何を言っていいのか思い浮かばず、しばらく男の子と見つめ合っていた。不意に、男の子がこちらに歩み寄ってきた。
「君、この辺の子? 見かけない顔だけど」
「あ、ぼ、僕は、その……」
急に話しかけられたので、上手く言葉が出てこなかった。すると、いきなり男の子が顔を近づけてきた。
「君、もしかしてイズミの弟?」
「えっ?」
一瞬聞き間違いかと思った。でも、確かに今この子は兄の名前を口にした。僕の表情を読み取ったのか、男の子はにこっと笑った。
「やっぱり。イズミの言ってた通りだ。よく似てるね」
確かに、僕と兄はよく似ていた。兄の小さい頃の写真は、今の僕と瓜二つだった。でも、どうしてこの子が?
僕は思い切って聞いてみた。
「僕の兄を知ってるの?」
「うん。よく遊んでもらってるんだ。ここでね」そういうと男の子は向日葵畑を指差した。「君もイズミから聞いてここに来たの? ここは本当は僕とイズミだけの秘密の場所だったんだけど、君なら大歓迎だよ」
――秘密の場所!
兄が以前言っていた『秘密の場所』というのはこの向日葵畑のことだったのだ。ということは、『俺達』というのは、兄とこの子のことだったのか。
男の子は続けた。
「でも、最近イズミ全然ここに来ないんだよなぁ。いつもなら毎日のように来てくれてたのに。イズミはなんでも知ってて、ホントにすごいんだよ。この辺の植物や昆虫についてなんか知らないものはないって感じだし、歴史にもすごく詳しいし。僕にも本当の弟みたいにすごく優しくしてくれるし。あんないいお兄さんがいて、君がうらやましいなぁ」
僕は彼の話を聞いているうちに、なんだか胸がムカムカしてきた。
うらやましい? 僕が? 僕は兄とは夏にしか会えなかったので、兄のことなどほとんど知らなかった。話をしたりすることはあったが、それほどたくさん話すことはなかった。優しくされたことも、ほとんどなかった。うらやましいのは、むしろ目の前の男の子だ。
僕の気持ちなど露知らず、男の子はなおも続けた。
「この向日葵畑だって、イズミが見つけたんだ。僕は二年位前からここに住んでたのに、イズミに教えられるまでぜんぜん気づかなかったんだ。ここ、観光地でもないから、地元の人以外滅多に誰も来ないんだ。だから知る人ぞ知る秘密の場所ってわけ。すごいだろう?」
男の子は、まるでこの広大な向日葵畑が自分のものであるかのように、うれしそうに言った。
「……うん」
僕は男の子に同調はしたものの、素直に頷くことはできなかった。
「そうだ、君に見せたいものがあるんだ。ホントは誰にも見せるなって言われてるんだけど。イズミには内緒だからな」
男の子はそういうと僕の手を取って向日葵畑につっ込んだ。
「ちょっとっ……」
僕は抗議しようとしたが、畑の中に入った途端、向日葵の葉や茎で覆われてしまい、話すことが難しくなった。
向日葵畑の中は別世界だった。
一応道はあるのだが周りの向日葵に覆われていて、それが道であるのかどうかすら判断し難かった。
「どこまでいくんだ?!」
僕は慣れない足場に何度も転びそうになりながら聞いた。僕達は二人とも駆け足だったが、男の子の方が走るのが速く、僕は追いつくのに必死だった。彼が手を離してくれれば問題はないのだが、目的地に着くまでは離してくれそうにはなかった。
「もう少しだよ!」
男の子はスピードを緩めずに答えた。
さっきから走り続けたせいか、のどが渇いてきた。少し休みたい、と言おうとしたとき、
「あった!」
男の子が叫んだ。それと同時に僕の手も離された。
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