向日葵
朝日奈
1
夏休みの中ごろ、兄が死んだ。十八歳だった。
兄は元々病弱だった。そのため、兄は療養のために、両親が兄のためにわざわざ買って与えた軽井沢の別荘で暮らしていた。その別荘には主治医と家政婦、そして母方の祖父母が一緒に住んでいた。
僕と兄は七つ離れていた。そのせいなのか、それともずっと別々に暮らしていたからか、兄が死んだとき、僕はどうしても実感が沸かなかった。
夏休みには毎年兄の別荘に遊びに行っていたが、兄はずっとベッドの上で本を読んでいて、僕の相手をしてくれたことなどほとんどなく一人で過ごしていたことが多かったので、せっかくの避暑地の思い出も、僕にとってはかすれたものでしかなかった。
といっても、兄との思い出が全くないわけではなかった。兄の機嫌の良い時などは、ちょくちょく話し相手になっていた。兄の話を聞いていると、いつも不思議な気分になるのだった。それは決して悪い感じではなく、むしろ心地良く感じた。兄は、本で読んだことや、軽井沢での生活のことなどについてよく話して聞かせてくれた。
「え? 外に出たの?! 大丈夫なの?」
「外に出るっていっても、体調の良い時だけだよ。それでも、じいちゃんばあちゃんは一人で出るのは危ないからって、一人でこっそりな。もういいかげん子供じゃないってのに。あ、このことあの人たちには言うなよ」
兄はキッと僕を睨み付けた。
「でも、兄さん外で何してるの?」
「それは教えない」
「どうして?」
「言ったら、お前絶対付いてくるだろう」
「いいじゃないか」
「駄目だね。これは俺達だけの『秘密の場所』なんだから」
「ちぇっ……え、俺達?」
兄があまりに自然に発したので、危うくこの言葉を流してしまうところだった。
「そう。『俺達』」
兄は意味ありげにニヤリと笑った。
結局、兄が誰とどこで何をしていたのかを教えてもらうことはなかった。それでも、兄のその秘密めいた話し方は、少なからず僕の興味をそそった。僕は、その『秘密の場所』について考えてみた。何かヒントはないかと、兄の言動をよく注意してみたが、何のヒントも掴むことはできなかった。そのまま、その年の夏は終わってしまい、元の生活に戻った僕の頭は次第にそのことから遠ざかっていった。
――あれはいつの時だったっけ。確か去年か一昨年くらいだったと思うけど……。
僕は兄の部屋を片付けながら考えた。
――今年はこんな形でここに来ることになるなんて。あの『秘密の場所』について教えて欲しかったのに。
窓の外を見てみると、昼が近いらしく、日が高い位置にあった。今日はいつもに増して天気がよく、ベッドのシーツがまぶしく見えた。
僕が見る限り、兄は常にベッドの中にいた。定位置といっても過言ではなかった。だから、兄のいないベッドを見るとなんだか物足りない感じがした。
僕はベッド脇にある机の引き出しを開けた。中には少しのノートや雑貨が入っていた。僕はそれらを少し触ってダンボールに入れた。実家に持って帰るのだ。
二段目の引き出しを開けた。ここには一通の手紙以外何も入ってなかった。
封筒の裏面が表になっていたので、差出人の名前がすぐに目に入った。兄の名前だった。
兄が出し忘れていたものだろうか、宛名を見てみると、そこには僕の名前が書かれていた。
「僕宛?」
今まで、僕が兄に手紙を出したことはあっても兄が僕に手紙をくれたことはなかったので、正直驚いた。
破れないよう丁寧に開けて中身を取り出した。中にはメモ用紙程度の紙が一枚入っていた。そして、それにはたった一言だけ、次のように書かれていた。
青いリボンの麦藁帽子を追え。
「あおいりぼんの、むぎわらぼうし?」
何のことだろう? 兄さんは麦藁帽子なんて持っていたっけ?
僕は庭仕事をしている祖父に聞いてみようと、外に出た。祖父は近所の人と話をしていた。話しかけようと駆け寄ったが、不意に足を止めた。
今、確かに見た。生垣のむこう。走り去っていく大きな青いリボンのついた麦藁帽子。
その瞬間、アレだと思った。
僕はそれが消えた方に向かって駆け出した。
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