120. エピローグ〜先代勇者の名にかけて

「この子、大丈夫なんだろうね? うっかり魔王に戻ったりしない?」


 トリスタがまだ疑わしげにマヤを見ている。ココは笑った。


「大丈夫ですよ。効果は不可逆です。とても強力な呪文ですから。もうこの子は、私たちのマヤのままです」


「……ということは」


 今度は、ジゼルが穏やかに呟く。


「勇者殿は、かつてのイネルに戻ることはないわけだな」


 そう言って俺を見る。俺は肩を竦めた。


「まだそんな夢見てたわけ?」


 トリスタに言われ、ジゼルは苦笑する。


「いや。戻ってきたら歓迎はするが……今の勇者殿と会えなくなるのは少し残念かな」


「少しかよ」


 俺は声を上げて笑った。


 魔王が城や城下町の人々にかけた魔術は、これから解けていくだろう。しかし、俺が「本物の勇者じゃない」という噂……いや、事実は、実際に広まってしまっている。


 今までのように、どこへ行っても「勇者様」として歓待してもらうことはもうないだろう。イネルが作り上げた威光にすがって生きることは、叶わないのだ。


 これからは、「俺」が勇者として、再び人々から信じてもらうために、できる限りのことをやっていかなければならない。


 でも。

 今なら、それもできる気がした。


「たぶん、なんだけど」


 俺は、誰へ話しかけるともなく、そう言った。


「イネルの父親は、イネルにただ昔話をしたんじゃなくて……夢を託したんだろうな」


 一度勇者になろうとした男。そして諦めた男。

 自分の息子との二人旅で、前の世界のことを語り続けた男。

 そして、息子が勇者になって、魔王を倒す日を夢見ていた男。


 イネルは、どう思っていたのだろうか。


 恐ろしく重い夢と希望を背負わされ、息苦しく悩みを抱えていたのだろうか。

 父のことを、どう思っていたのだろうか。恨んでいたのだろうか。


 それとも。


「『勇者とは、最後まで決して諦めない者』……」


 俺は、さらにそう呟いた。


「……イネルは、どっちだったんだろうな」


 魔王に支配されることを恐れ、全てを諦め、放り出し、自分であることを辞め、父や世界の人々からの期待から逃れられる偽の転生者になることで、自分自身を葬り去った、極めつけの愚か者か。


 それとも。


「それは、人に聞かねばならぬほど迷う問題か?」


 ジゼルは言った。


「……こうして、今ここに、勇者様はいるではないですか。諦めることなく」


 ココは言った。


「あんたが最後まで諦めなかったってことは、イネルは正しかったってことさ」


 トリスタは言った。

 俺は、数度頷いた。


 やらなければならないことは、まだまだたくさんある。

 未来を諦めてなどいられない。

 俺に全てを託してくれた、イネルの名にかけても。


「しっかし……いつまでも『あんた』なんて呼んでられないね」


 トリスタが肩を竦める。


「これからは、なんて呼んだらいいんだい? 元イネルさん?」


 俺はにやりと笑って、それから、前の世界の……。

 いや。


 イネルが付けてくれた、俺の本当の名前を告げた。



                     『先代勇者の名にかけて!』終

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先代勇者の名にかけて!〜転生したらクリア直前だったんだが〜 彩宮菜夏 @ayamiya_nanatsu

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