もとの黒色に戻ったジークの短髪を、宵の風がそよがせてゆく。長い一日が終わろうとしていた。最初に立ち寄った裏路地の酒場の屋上から、ジークは街を見下ろす。かつてないほどの混乱に包まれたアルヴァンの街ではかろうじて暴動に発展した様子はない。が、街の各所で既に数人が殺されているとは聞いていた。


「本当に崩壊させるとはな。気に病むようには見えなかったが」


 背後から投げかけられた声。この酒場の店主だ。


「後悔しているわけではないさ。俺が招いた出来事に、知らぬ振りをしたくない」


 最初に、奴隷の首に刻まれた隷属の印が消えたことに気づかなかった『買い手』が奴隷に殺された。混乱は疑心暗鬼を呼び、反抗の意思なき奴隷を殺す『買い手』も現れた。『売り手』も買い取りを行う奴隷商が崩壊したことで内輪の争いに突入した集団が多く発生しているらしい。奴隷商に関与していなかった街の住民にも被害が出ていることだろう。目を細め、苦しげにジークは呻く。


「……地獄だ」

「もともと地獄だったと言うべきだな。それがこの街だ」


 声の主は、ジークをこの酒場に引っ張り込んだ張本人ことエリスンだ。いつの間に屋上へ上がってきていたのか。


「目を逸らすというなら、それは俺達の罪さ。『買い手』も『売り手』も俺達も、殺されて当然だ」

「お前たちは、それで良いのか?」

「黙って死ぬつもりも、殺されるつもりもないがね。誰かが殺されるのを見過ごすつもりも、だ」


 ジークの言葉に店主が返す。ふと見下ろせば、建物目指して駆けてくる親子連れがあった。格好からして、奴隷だった者たちだ。既に階下には、混乱から避難してきた元奴隷や女子供が大勢匿(かくま)われている。リチルもその中にいるはずだ。様子を見てくると言って店主が縄梯子を下りてゆく。屋上にはエリスンとジークだけが残された。


「なあ、エリスン。お前は、どこまで本当なんだ。人畜無害な吟遊詩人に化けて街を見廻る悪魔の間諜か、苦しむ奴隷に手を差し伸べる善意の住民か」

「ご想像にお任せするよ」


 エリスンがジークの隣にどっかりと腰を下ろす。よく見れば、その背にリュートを背負っていた。


「俺のリュートの師は、楽師として売られた奴隷だった。ガキの頃、柵の内側に奴隷の食料を運ぶ仕事をしていてね。こっそりくすねた食料を渡す代わりに、彼が唯一所持を許されていたリュートを触らせてもらった。それが中央管理局にバレて『支配人』に目をつけられ、あのザマさ」


 リュートの弦を軽くかき鳴らし、エリスンはジークを見上げる。


「なあ、緋色の一族の末裔どの。聞かせてくれ、お前の物語を」

「……先祖の英雄譚のように、愉快な話ではないぞ」

「構わんさ、俺はお前の話が聞きたいんだ。決して他人に口外しないと誓おう」

「英雄譚が象徴する外の世界への、憧れ。少なくともそいつは、お前の真実のひとかけらだと思っておこう」


 遠くから何かの焼ける匂いがする。かすかに耳に届く罵声と悲鳴。破壊された魔王の心臓を埋め込んだ魔剣の柄を、確かめるように二、三度握って。煙くさい空気をひとつ大きく吸い込み、ジークは口を開いた。


「斬った相手の力を我が物とし、受け継がれるほどに力増す魔剣。それを受け継ぐ緋色の一族は、代々契約を交わしている。この街のかつての『支配人』のようにな」

「……魔王の心臓と、か」

「流石に察しがよいな。魔王の心臓は剣と剣を継ぐ者に溜め込んだ力を与える。剣を継ぐ者は敵を斬り続けることで魔王の心臓に新たな力を注ぐ。膨れあがってゆく力の循環さ」

「それの何が悪いんだ?」

「魔王は、全ての悪魔の祖であると。お前も吟遊詩人なら知っているだろう?」


 ジークの手が、何かを探すように彷徨う。それを見て取ったエリスンが、懐から何かを取り出して差し出してくる。小ぶりな酒瓶だ。


「用意のいいことだな」

「話を聞き出すには酔わせるのが一番でね。先に酔って潰れたふうに見せかけるのも効く」

「お前が言うと本当に洒落にならん」


 苦笑しつつもジークは瓶を受け取る。酔いに身を委ねるというのは、本当に便利なものだ。酒で身を破滅させる者が絶えないのも頷ける。これから話す内容も、酒で誤魔化すことなしには思い出したくもない。


「それで、何が言いたかったんだ?」

「魔王の心臓と契約を交わすのは、悪魔と契約を交わすのと等しいということさ」

「おい、まさか」

「――所有者が死亡したとき。その魂も力も全て、剣のものになる。魔剣を継いだ者は、魔剣に斬られたものと共に未来永劫剣に囚われ続けるのさ」


 物心ついたころから、声が聞こえていた。幼き日の思い出を、鮮烈な痛みと共にジークははっきりと覚えている。何を言っているのかはよく聞き取れなかったが、誰かを呼び求める声。家の中、声のする方を調べているうち見つけたのは施錠された隠し扉だった。ある日母親が眠った隙に鍵を取り出し、隠し扉に差し込んだ。初めて目にする魔剣は怜悧な美しさを湛えており、血生臭い武器には見えなかった。だから。埋め込まれた魔王の心臓に触れた瞬間、おぼろげに聞こえていた声がはっきりと聞き取れるようになったとき。いっそう恐怖に襲われた。

 ジークの泣き声を聞き、血相を変えて駆けつけた母は。開かれた扉と魔剣の隣で泣きじゃくる息子を見て、全てを察してくれた。


『ごめん、ごめんね。怖い思いをさせたね。大丈夫だから。あなたには、決して手出しさせない。ジークが自由に生きられるように、母さんが頑張るから』


 紅蓮の乙女と呼ばれていた女性は、偉大な母親でもあった。だが、しかし。子を想う心のあまり、ひとつだけ致命的な思い違いを犯した。


(俺は、声が自分を呼んでいたからあんなに泣き叫んだんじゃない。苦しむ声が、怨嗟の声が、解放して欲しいと嘆く数多の声が。継承者たる母さんを呼んでいたから、泣いたんだ)


「――だから、俺は核を壊した。俺のことを心から愛してくれた母親を魔剣に囚わせないために、母親の反対を押し切って魔剣の継承者となると見せかけて。血の滲むような思いで密かに入手した神代の呪具を用いて、魔王の心臓を砕いた。結果として魔剣は力のほとんどを失い、俺は一族と故郷を追放されたがな」


 ジークは手に取った魔剣を抜き、無残に砕けた宝玉を示す。


「お前の髪が一時的にしか染まらないのもそのせいか」

「そうだな。逆に、一時的にでも染まるのが奇跡に近い」


 ジークの掲げる魔剣をためつすがめつ眺めるエリスン。ふと、その目に訝しげな色が宿った。


「おい、この核……昼に見たときよりも僅かに、傷が薄くなっていないか? 他にも欠け落ちた部分もやや小さくなっているように見える」

「アンモーンの分だよ」


 ジークの声に、エリスンはぎくりと顔を上げる。


「魔王の心臓に囚われていた魂は、もういない。古き勇者の代から続く契約は破棄された。剣を振るおうとも魔剣に囚われることはないが、斬ったものの力を取り込む能力だけは残った。魔王の残滓を失った核は、単純に魔力の貯蔵器官として機能しているようだ。力が満ちる都度、宝玉は再生している」

「力は、そのようだな。……魂はどうなんだ」

「さあな。人を斬ったことがないから分からん。これまでに悪魔は数体斬っているが、それが喰らった魂を核から感じたことはないな」


 魔剣を鞘に納め、腰紐から吊り下げる。そろそろ出立する。そう口にして縄梯子へ向かった。


「なあ、ジーク!」


 背後からエリスンの呼び声。


「これで最後の質問だ。お前が故郷に戻る条件が……悪魔を、魔物を斬り続けて。その宝玉を、元のかたちに戻すことなんだな?」


 魔剣を携えた青年は。薄く笑って、確かな頷きをひとつ返した。


「ジーク!」


 酒場に入り、リチルを呼べば壁際から返答があった。再び目の上に包帯を巻き、壁にぴったりと背をつけて待っていたリチルの元にジークは歩み寄る。


「街を出るぞ。城壁の外で夜を明かせば、明日の早朝に砂鯨が来る。それに乗って、また目的地を探す」

「分かった!」


 元気よく返事するリチルを撫でてやる。食料の補充は一日前に済ませてある。路銀は崩壊した建物からくすねてきた。途中からエリスンも、どうせ汚い金だと言わんばかりに金庫の解錠を手伝ってくれたのをジークは覚えている。アルヴァンの街に近いところに、手つかずのオアシスがあるらしいと彼は言っていた。上手くそこを開拓できれば、奴隷だった人間に住居と食料を提供できるかもしれないとも。『支配人』が溜め込んでいた金はその資金に使いたいと彼は言っていた。


(あの男は、本当にその通りにするのだろうな。人々を指揮して、街ひとつ開拓してみせるつもりか)


 なんとはなしにそんな予感がした。或いは。悪魔には逆らえないとはいえ、間諜として奴隷商の体制側に関わり続けてきた贖罪のつもりだろうか。

 リチルの手を引いて去ろうとして、ふとある人物が目にとまった。リチルの隣、壁際にうずくまる老婆。その首にあった文様は完全に消えている。避難民で足の踏み場にも不足するこの状況では、占いの道具は流石に片付けているようだ。蝋燭の火に照らされた老婆の横顔に、重なる面影があった。


『毒を制すは毒のみにて。僭主は砂上の楼閣もろとも沈む』


 悪魔に挑む前日に、老婆の口にした予言を思い出す。街を崩壊させるという部分まで含めて。予言は見事に的中した。


(まさか)


 リチルに少しだけ待っているように言い、ジークは占い師の前にかがみ込む。疑念は強まる一方だ。


「失礼する。貴女は、もしや『暁の星読み』リューティア殿の姉君ではないか?」


 老婆の肩が揺れる。皺の寄った顰め面が上げられた。確かに、ジークの知る女占星術師に似ている。


「そんな仰々しい肩書きは知らんね。あたしの知るリューは、ちんちくりんの駆け出しまじない師だ」


「やはり、貴女が……。かつてリューティア殿から伺ったことがあります。リューティア殿の姉君はリューティア殿に勝るとも劣らぬ未来視の能力を持っていたが、奴隷狩りからリューティア殿を庇って行方知れずになったと」

「庇ったなんて大層なもんじゃない。あんな未熟者に未来を当てさせたら、占術師全員の顔に泥を塗るはめになる」

「リューティア殿は、偉大な占い師として活躍されています。私利私欲で一族に伝わる秘宝を破壊し、故郷を追われた俺に道を示してくれた。俺がリチルと出会ったのも、彼女の予言によるものです」

「そうかい、そりゃよかった」

「……街を、共に出ませんか。リューティア殿は姉君の身を酷く案じていらっしゃいます。俺がリューティア殿のもとまで送り届けます。俺も、彼女に恩を返したい」

「やめとくれ。あんたの自己満足にあたしを利用するんじゃない」


 老婆の強い拒絶に、一瞬ジークは怯む。それにね、と老婆は言葉を続けた。


「この街の住民は、行き場を失ったあたしに良くしてくれた。適当な理由をこさえてあたしに占いをさせて、糊口を凌ぐ手伝いをしてくれた。恵まれるだけの乞食でも、ましてや奴隷でもなく。あたしを自立した一人の人間として扱ってくれたのがこの街の住民なんだ。悪魔が死んだくらいで、あたしはこの街を見捨てない」

「……分かりました。差し出がましい真似をいたしました」


 老婆の瞳には確固とした意思の光が宿っていた。これ以上の説得は無意味と考え、ジークは引き下がることにした。待たせていたリチルの手を引こうとしたところで。老婆の小さな呟きを、ジークの耳が拾う。


「それにね。あたしは、嘘吐きが嫌いなんだ」


 聞こえなかったふりをして。ジークはリチルの手を取り、今度こそ酒場を出た。



 城壁の外部。光明の魔符で照らしながら、布と棒を組み合わせた簡易なテントを作る。すっかり疲れが溜まっていたのか、寝袋に潜り込むなりリチルは寝息を立て始めた。その姿を眺めながら、ジークも肩に毛布を引き寄せる。酒場の店主やエリスンには泊まっていけと勧められたが固辞して、夜を城壁の外で明かすことにした。


(あの街中で、完全に他人の目を遮断できる場所はない。宿屋も満杯だ。もっとも人目につかないのが、城壁の外だった)


 特に、今日は魔剣の力を行使した日だ。魔剣でなにかを斬るか、或いは魔剣に溜め込んだ力を引き出すかした日は――必ず、あれが現れる。眠るこの子の姿を、あれを、他人に見せるわけにはいかない。

 心なしか風の音が強くなる。それに交じり、低い呻き声が聞こえた。


「ォ……オオオ……」


 現れた。ジークはそっと目を伏せる。地面から眠るリチルの身体にまとわりつくように、すがるように伸びるのは幾本もの半透明の手。これでもまだ大人しいほうだ。手の主は、呻き声の主は、幾千幾万の数ではきかないのをジークはよく知っている。徐々に、呻く言葉は鮮明になってゆく。幼き日、魔王の心臓に触れた瞬間に脳裏に流れ込んできたものと同じ数多の声。


「何でもする、何でもするから命だけは!」

「どうして私達が死ななきゃならないの」

「緋色の悪魔! 力を独占し、弱者を虐げるひとでなしが!」

「痛い「怖いどうして」死んだ「はずなのに」なんで」なんで「裏切り「嫌だ「辛い」暗い」ど「うか」助けて「助けて助けて」助「けて助けて「助けて」助けて「助けて助けて「助けて助」けて「助けて」助けて助け「て助け」て助けて「助けて助」けて「助けて」助「け「」「て「助け」て「助け」てた「すけ」


 ころして。


 耳を固く閉ざしていた。毛布にくるまり、ジークは必死に声が過ぎ去るのを待つ。

 煉獄。リューティアの姉君に占いを頼んだあのとき、最後に彼女が口にした単語。魔剣を、それを受け継ぐ一族を表すのにこれ以上はない言葉。

 この悲痛な声が示すのが、悪魔の心臓に囚われるということだと。子供ながらに理解してしまったから、ジークは心臓の破壊を決意した。母親の魂がこんな苦痛を強いられる未来を、どんな手段を使ってでも回避しようとした。その選択をジークは後悔していない。だから、甘んじて代償を背負った。

 悪魔の心臓を砕き、魔剣から力のほとんどが失われたのち。一族の会議の場に引き出されたジークが死を免れたのは、ひとえに母親の必死の命乞いによるものだ。


『この者の行いは、剣の声に耐えうる精神が育ちきらぬ幼少期に誤って剣に触れてしまった事故に由来するもの。事故の責任は全て私にございます。この者に死を与えるのであれば、私も今この場で喉を突いて死にましょう』


 ジークを厳しく糾弾していた一族の者も、剣の継承者である紅蓮の乙女が地に額を擦り付けて懇願する姿に耐えきれなくなったのか。高名な占星術師の下した、魂の代償なしに剣に力を取り戻させる方法があるとの予言に惹かれたのか。五体満足で放免する代わりにジークに課せられた試練が、剣の力を元通りに回復させること。

 そして、占星術師リューティアの予言が示した地でジークが出会ったのが――完全に殺しきれなかった魔王の残滓を、瞳に宿した孤児だった。


『あのね、私のおかーさんがね、子供だけは助けてって神さまにお願いしたんだって! この目はその証だって、シスターさんが言ってた!』


 無邪気に笑う子供に、ジークは真実を告げることができなかった。どうすることもできず、リチルのいた孤児院を数度訪れるうちに気づいてしまったことがある。


『リチルはね、不気味な子なんですよ。あの気持ち悪い目で見られると、全部お見通しだぞって言われてる気がするんです』

『アンネが院長先生のブレスレットを盗んだのも、トムがディックをいじめてたのもみんなリチルは知ってたんだ。……あたしの秘密も、多分彼女は分かってる。ううん、絶対』

『悪魔の子! お前の瞳が、神の恩寵などであるものか!』


 ――『真実視』の魔眼。それがリチルの母親がはらに招きこんでしまった魔王の残滓が、胎児の瞳に与えた力であった。

 目を合わせたあらゆる存在の真実を、その秘密を看破する力。人間の表に出さない醜い部分まで見通してしまうその力は、ひとりの人間に与えられるにはあまりにも酷なものだった。


(だから、人のいるところでは常に目隠しをさせていた。何よりもまず、リチル自身の心を守るために)


 幼子おさなごの細い腕に、白い背に入れ替わり立ち替わり現れる痣。そして、孤児院の中では誰とも目を合わさないようにいつも下を向いていた少女。それをただ見つめているのに耐えきれなくなったジークは、リチルを孤児院から引きとった。

 行くあてもなく彷徨うように旅をしていた道中に、魔眼を狙った悪魔に遭遇し――リチルは瞬時に悪魔の真名を言い当て、無力化してみせた。


(俺が、リチルの力を利用した悪魔狩りを思いついてしまったのは。果たして幸運か不運か、どちらなのだろうな)


 単純に魔眼のもつ力自体に惹かれているのか、それとも魔王の残滓を感じ取っているのか。リチルと旅をしていると、驚くほど簡単に悪魔が見つかった。悪魔を斬れば、その力が剣のものになり欠けた力を補填できる。その代わり、とでもいうように。魔剣の力を行使する度に、魔剣と魔王の残滓の間に残るかすかな繋がりが共鳴するのだろうか。リチルが眠ると、幼き日に耳にしたのと同じ――煉獄が現れるようになった。苦しみ藻掻き助けを請い、肉体のみならず魂の死をも求める声。それを、眠るリチルは知らない。


(いや。リチルは知っている。間違いなく)


 本人の意思がどうあれ、『真実視』を持つリチルに隠し事は不可能だ。だというのに、彼女は何も気づいていないかのように振る舞っている。他者の秘密に気づいたことを悟られれば、化け物として排除されるから。年端もゆかぬ少女がそんな処世術を覚えるのに、どれだけの悪意に晒され続けてきたのだろうか。

 全て。ジークが魔王の心臓を破壊しなければ、背負うことのなかった運命だ。


『嘘吐きが嫌いなんだ』


 駄目押しのように。ジークの心に浮かんだ老婆の言葉があった。厳密に言えば嘘ではない。ただ、ジークが表だって告げていないだけ。リチルが自身の心を見透かしているのに気づいていないふりを続けているだけ。


(リューティア殿の予言が本当に意味していたのは、遙かに単純なことだった。魔王の心臓との契約自体は破壊できた。だから――魔王の残滓リチルを斬れば、力だけを取り戻せる。すぐにでも、胸を張って故郷に帰れる。母さんと、父さんと、一族の皆のもとに戻れる)


 リチルは、果たして何を思ってジークと共にいるのだろうか。息を詰めてそうジークは思いを馳せる。願いを叶えるには、自分を殺せばいいと。目の前の青年がそう考えていると見透かしたときの少女の心境はいかばかりか。


緋色の一族俺たちの有りようが煉獄だというのなら。ああ――確かに、この世界は最初から地獄だったよ」


 ジークの述懐は、砂漠の夜風に溶けてゆく。煉獄を、地獄を直視することで。逆説的に、そこにある微かな光を守ろうとするかのように。

 血の滲むほど唇を噛みしめつつも、ジークは横になって目を閉じる。リチルの周囲、地の底から響いていた声はいつの間にか止んでいた。


 ――遠い未来で、リチルに己の故郷を案内する。そんな夢をみた気がした。

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煉獄の野辺に咲く花は 百舌鳥 @Usurai0000

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