現代怪奇ホラー 単発・人形電車

雪子

邪神様が大爆笑した結果がコレだよ!

 龍前りゅうぜん大学。

 つい最近開校したばかりの国策によって造られた学園都市の学校の一つで、歴史はほとんどない。全国的はもちろん、地元でもかろうじて覚えられているかどうか危うい、マイナーな学校である。

 しかし、それは実績がないからであり、これからどうなるかわからない新天地。オール新築の校舎は生徒の間では好評で、学内にいくつかあるカフェテリアの中には屋上テラスも併設され、天気が良い日は外の風に当たりながら、開放的な席で食事やスイーツを楽しめる。近未来的でおしゃれな空間でいっぱいである。

 そんな大学に入学した私こと、瀬戸せと天音あまねは、お気に入りの場所であるテラスで最近はまっているカフェモカをすすり、優雅に日向ぼっこをしていた。

「天音~、天音~、あ、いた」

 天音の名を連呼してやってくるのは、入星いりほし颯太そうた。ハンチング帽を愛用する、ごく一般的な大学生。

 ……だったら、いいなと、常日頃思っている。

 思うぐらいなのだから、入星颯太は普通の人間ではない。

 むしろ、彼が普通の人間なわけがない。

 たしかに彼の性質が、目的なく場を荒らして、その状況を楽しむ、はた迷惑な存在であることも要因の一つなのだが……。

「ふぅ。走ったから、喉渇いたみゃ。天音、となりいいか?」

「いいですよ。何を頼む?」

「そうだみゃぁ~」

 急いできたからか、汗が流れ、帽子の中が蒸したのだろう。入星は席に座ると帽子を脱いだ。

 ピョコ。

 同時に何かが飛び出る効果音。

 音の正体は颯太の頭の上にちょこんと乗っかっている三角のお耳だ。

 普段は帽子の下にある猫耳なのだが、気の合う仲間の前などにはこうやって平然とさらしている。

 ちなみに、三毛である。

「……三毛猫のオスって、珍しいはずですよね」

 三万匹に一匹とされている。

 希少な存在である。

「いきなり豆知識を披露してどうする、天音。あ~、そっか。わしの頭の耳みたいなくせ毛を見て反射的に思い浮かんじゃったのか。もう、これでもわし、気にしているよ。人間、生まれつき背が大きかったり、顔が良かったり、猫耳があったり、二股にわかれた尻尾があったり、千差万別みゃぁ。だから、いちいち、わしを見るたびに思い出したかのように、猫の豆知識を披露しにゃいでくれ」

 などと、どう見ても人外である入星氏は懐から取り出した煮干をスナック感覚でポリポリ食べながら、熱く語っている。

「……どう見ても、猫又じゃないですか!」

「猫又じゃにゃぁい!」

 そんな颯太の服の隙間からニョキと出てくるのは、二股尻尾。

 フーッ! と毛を逆立てている物的証拠。これでどうすっとぼければ、猫又じゃないと言えるのでしょうか?

 一種の奇形扱いにすればなんでも通ると思っているのですか、猫妖怪。

 猫又じゃないと言い張るなら、せめて猫らしい言動と行動を隠そうとする努力をしてくださいよ!

 以上が天音が入星颯太に出会ってから何度も思っていることである。

「まったく。ちょっと見た目が変わっているからって、人が気にしていることをいうのはよくないことだよ。まったく、空気を読めていない天音はダメダメだみゃぁ~」

 正論だけどね。

 天音も妖怪に忠告されるというシュールな光景でなければ、素直にうなずいていただろう。

「天音だって、女なのに、粗暴だって指摘されたらブーブー文句を言うくせに、にゃぁ~」

 気にしていること言ってくれますね、この猫又。

 天音はにらむが、颯太は素知らぬ顔。

 この猫又、神経が図太い。

「……ところで、颯太。急いで私を探していたようですけど、何かあるですか?」

 入星の種族……もとい見た目うんぬんに関してはスルーすべし。

 ここ半年で学びました。

「例の失踪事件を調べていたら、おもしろいことが分かったにゃ!」

 例の失踪事件とは……。

 最近、この龍前大学周辺で起きている、失踪事件のことである。

 死体が出ていなかったため、通告が遅れた、最近大きく取り上げられるホットな話題。

 失踪者は、若い男女。それも見た目が麗しい者ばかりの、ロマンがあふれる事件。開けてはいけない扉を開くような、禁断的で異常な魅力を感じる。オカルト研究サークルに入っている彼らも平静を装っているが、心の中はドキドキと高鳴る。


 ……そう、私こと、天音はオカルトが好きです。

 退屈しなくて済むし、何より知的好奇心が刺激されるからです。

 私のことを知っている人からすれば、幼い時と比べ、おとなしくなったように思われているが、実はそうではありません。好奇心が低くなったわけではなく、空腹を我慢するということを覚えただけに過ぎないのです。

 雛鳥みたく口を開いてれば、餌を貰える訳でもないのが、幻想怪奇。

 欲しいのなら、自分で掴み取りに行かなきゃいけないのが、ふしぎ発見。

 刺激に飢えている私にしてみれば、オカルトこそ格好の的であり、極上のご馳走なのです。

 そういった意味では、目の前の妖怪も十分射程範囲内なのですが、いかんせん、彼は己をUMAと認めない、がっかり未確認生物なのです。

 認識されていないのは、ないのも同じ。颯太の存在は認識するということの大事さを、教えてくれました。

「失踪者は、みんな失踪直前に電車に乗っていたらしいにゃ。全く同じ電車や時間帯とはいいきれにゃいが、とりあえず、電車に乗っていたみゃ!」

 共通事項は電車、ですか……。

 ずいぶん大雑把ですが、手掛かりがあるかもしれないので、実行あるのみですね。

 それに、ちょうど隣町まで用事があり、電車に乗って向かおうと思っていたのですよ。

「では、これを飲んだら電車に乗りましょう」

 ゆるやかで穏やかな時間はそれはそれで楽しまないといけません、と天音は優雅にカフェモカをのんだ。



 ──龍前駅。

 龍前大学から一番近い駅である。

 そのため、龍前大学生の多くがこの駅を利用している。駅前にはよくわからないがたぶん芸術作品であろう銅像があり、待ち合わせ場所としてよく指定されている。

「よし、乗るかみゃ」

 次の電車が来るまで時間があるので、今は駅のホームで待つしかないのだが、その意気込みだけは評価したい。

 天音がそんなことを思っていた頃だろうか、不意に意識が遠のく。

「あれ?」

 颯太もどうやら同じように意識が遠のく感じがするのか、声を上げる。

「な、なにが起こっているのですか……うわっ!」

 目の前でまばゆい光が発せられる。

「ぶみゃ、にゃぁああ!」

 何か、異様な世界に吸い込まれるような、不気味な感覚が襲ってきたのを最後に、天音と颯太の意識は完全にブラックアウトした。



 天音視点、固定、完了──人形電車、始メマス……。




 意識が目覚めたときから、意味不明な不思議な現象に私と颯太は、取り込まれた。

 そう、電車の中に乗った記憶がないのに、私たちは電車の中にいたのです。

 しかもこの電車は内装は、見慣れたものとは違い、黒と紫をベースにした上に、ソファはゴシック調のクラシカルという、どこのレトロ車内ですか、とツッコミどころ満開な、異様な光景でした……。

「よ、天音。意識は戻ったようだにゃぁ」

 颯太の三角猫耳がピョコピョコと揺れ、風を切る。

 一瞬、犯人はこいつじゃないかと思いましたが、こういう芸当ができるなら、耳としっぽぐらい隠せるかと、思い直しました。

「わし、はじめは妖術かと思ったが、違うと、本能が訴えているみゃぁ」

 妖怪の仕業ではないと、妖怪は訴えています。それを素直に信じるぐらいは、私は颯太と一緒にいますので、ここは賛成することにしました。

「妖怪らしい発想ですね、猫又」

「妖怪ではないし、わしは猫又じゃにゃぁい!」

 まだ、言うか、猫又。

 だけど、私はいつもの調子の颯太にほっとしました。

 むしろ、異様だからこそ、いつもの調子が今はありがたいのかもしれません。

「そんなことよりも、いや~な予感がするにゃぁ。」

 颯太の言う通り、異様な気がする。

 ピリピリと肌が何かを感じる。

 なぜかとあたりを見渡すと、どんどん電車はスピードを上げていくのがわかります。

 そして、私は気が付いてしまった。トンネルに入っているみたいにあたり一面が真っ暗だということに……。

 不気味な列車にいるという異常に心が折れそうになります。



 ──ファーファー、ファラララララァ……。


 突如、趣味の悪い不協和音とともに男とも女とも取れる不思議な声の車内アナウンスが流れた。

「お待たせいたしました。このたびは奈落線をご利用いただきまして、ありがとうございます」

 聞いたこともない縁起悪い線路の名。

 異様な空間の演出としては納得できるものがあるが、恐怖をあおられる身にしては遠慮してほしい。

「この電車は、人形館行きです。次は、無心、無心駅です。心を閉ざせば怖い目に合わなくてすみますよ。キャハハハハハハハ!」

 親切なのか、馬鹿にしているのか。

 電車のアナウンスをアレンジしているところが、妙に腹立つ。

「人形に並々ならぬ思い入れがあるらしいですね」

「やったね、天音。ヒントゲットだにゃぁ」

 どこまでも前向きに。

 これでも、待ちに待った重要な手がかりだ。有効活用するしかあるまい。

 地道に探索して、脱出の糸口をつかまないと、恐らく現実には戻れない。

 クローズド系あるあるである。

「んぅ~なぁにゃぁ。後ろにはいけにゃいなぁ~」

 さっそく颯太はこの車両から移動できるか試したようだ。

 後ろの運転席につながる扉を開けようと奮闘している。

「本当ですか。ふんっ。……ダメみたいですね」

 颯太の言う通り、扉は固く閉まっている。二人がかりでいくら力を入れてもビクともしないところから、行き止まりと考えたほうがよさそうだ。

「手始めにこの車両を調べましょうか」

「オッケー、にゃ」

 ただいま探索中。少々お待ちください。

「ぶな~、荷物台に、雑誌もねぇ! コミックもねぇ! 電車内広告もたいしたものねぇ!」

 何もないことがわかった。

 この車両には重要なヒントが隠されてないことがわかっただけでも、収穫である。

 と、そう思わないとやってやれない。

 こんな車両いやだ~、こんな車両いやだ~、時間を消費させるトラップほど、いやらしいものはねぇよ~。

「と、わかったところで、次の車両にすぐに向かいましょう」

「天音、どうしてそんなに慌てているにゃぁ?」

「わざわざあんな意味深なアナウンスが流れたって事は、時間制限があるかもしれないじゃないですか!」

「そういえば、そうだにゃぁ!」

 私たちは急いで、前の車両のほうにかけこむのであった。


 ──プシュー。

 電車の貫通扉は問題なく開き、あっさりと次の三車両目に入り込むことができた。

「……鍵とか、次の扉に行くために何らかしらアイテムが必要ではないのね」

 何も見つけられなかったところから薄々わかっていたが。

「ふむ。しかも往復できるようだにゃぁ」

 念入りに調べて何もなかったから最後尾には戻る価値はないが、この先の車両のことまでは知らない。もし見落としがあったら車両に戻ることも考えたほうがいいだろう。

「とりあえず時間切れになる前に、この奈落線を止めるヒントになるようなものを見つけないと……」

 改めて、車両を調べる。すると、前のほうの席座に数人座っているのが見えた。

「人?」

「声をかけてみるにゃぁ」

 颯太の意見に賛成だ。無視して車両をくまなく探したらただの怪しい人ですからね。

 もしかしたら私たちよりも先にこの奈落線に飛ばされ、いろいろ調べた結果、何らかの情報を持っているかもしれません。

 印象をよくしたほうがいいでしょう。

「すみませぇーんっぅ!」

 席には顔色が悪い数人がいた。

 しかもピクリとも動かない。呼吸音も感じられない。

 そんな不気味な存在に、思わず颯太は二股の尻尾の毛を逆立てた。

「ぎにゃぁああああ、人が、人がにゃぁっ……」

 怪奇現象に巻き込まれている状態だからか。

 普段の何倍も神経が研ぎ澄まされ、ちょっとしたことでも敏感に感じ取り、なんでも悪いほうに想像が膨らんで、恐れてしまうのだ。

 颯太みたいにパニックを起こしやすくなる。

「颯太よく見てください、これは人形ですよ」

 私は暴れる颯太にビンタ一発。

 ここぞというとき頼りになる精神分析 (物理)である。

「へっあ?」

 一発で颯太を正気に戻すことができた。ほほに見事な紅葉ができたが、そのうち治るだろう。

「び、びっくりしたみゃぁ」

 冷静になった颯太は座席に置いてあるのは、人ではなく人形であると理解したらしい。

「私は驚いた颯太のほうにびっくりしましたよ」

 私と颯太は改めて人形たちを見る。

 粗悪品らしく、あちこちがほつれ、傷がついている。粗大ゴミに出されたマネキン人形といって差し支えないだろう。

 しかし、女性型のマネキンが多く、高級感あふれるエレガントでセクシーなファッションを身につけていて、全体的に艶やかなものだ。

 このミスマッチ感がとても奇妙な印象を私たちに与える。

「うにゅ~。でも、にゃぁんか、いやな感じがする。わしらが車両を調べるのに夢中になっているときに、動いて襲うぞ~ってこともありそう」

 動く人形はホラーの定番である。

「しかし、ほとんどの人形は足を失っていますから、動き出してもたいしたことにならないのでは」

「念動力とかで動かされたらどうするにゃぁ!」

 不思議空間ではありえないとは言い切れませんね。

 ここは慎重に動きましょう。

「それなら、私か颯太のどちらかが人形を見張って、もう一方が調べればいいのでは」

「それにゃぁ!」

 厳選なるじゃんけんの結果、最初のターンは私が車両内を調べることになりました。

「車両の壁に何か貼られていますね」

 この車両には奈落線の路線図があった。

 終点人形館駅までに通過する駅は、無心駅から、末路駅、百足駅、連行駅であることがわかった。

「じゃぁ、気が進まないけど、人形を調べるにゃぁ……」

 颯太は人形たちの衣服を脱がしだしました。

「ちょっとぉおおお、いきなり何をしているのですか!」

 バカ! エッチ! スケベ!

 変態ですか、颯太!

「天音。言いたいことはわかる。だけど、ここは常識や羞恥を捨て、徹底的に調べるべきみゃぁ」

 たしかに。

「くっ。仕方ないがありません」

 颯太のほうが正論。なら、受け入れ、手伝うのが当然とばかり、意を決した私も近くにある人形の衣服に手をかけると……。

「あ、服だけかと思ったら、下着も着ているにゃぁ」

「何ですか。いやがらせなのですか!」

 目を凝らしながらフル装備している人形の服をはぐなんて、どんなプレイですか、どんな罰ゲームですか、と心の中で悪態をつきながらも、私と颯太はやり切りました。

 結果……。

「手帳、ゲットだにゃぁ!」

 片腕がなく、右横腹に特徴的な蝶の紋様が描かれた人形のバックから、手作りの表紙がかわいらしかった手帳が入っていた。

 らしいというのは、手帳はひどく汚れているからだ。

 粗大ゴミとして出荷されたようなところどころ欠けているマネキン人形たちのように、手帳もまた破損が激しい。

「下着まで脱がさなくても、よかったですね……」

 颯太にのせられ、人形の身ぐるみすべてはがしたことに少し後悔。

 心なしか人形からの視線が痛いような気がするが、気のせいに違いありません。

 あと、破損している手帳にはところどころ赤茶色の液体がこびりついていますが、当てたところで悪い予感しかしないので、思いっきりスルーすることにします。

 鈍感だっていいじゃないですか。だって、世の中知らなくていいこともあるのですから。

「手帳は重要な手がかりが書かれていることが多いですからね、じっくり読みましょう」

「どれどれ。んぁ~……何枚か抜けているし、べっとりしているから読めないところもところどころあるにゃぁ……」

 多くのページは糊でも使っているのかと思うぐらいくっついていたため、はがせず、読みとれなかったが、読めるところだけ読んでみると、だいたいこのようなことが書かれていた。


 変な電車の中に押し込まれてしまった。まだ、脱出するチャンスがあるのよ。××が奪われなければ、まだ……。

 私は、××になりつつある体に恐怖しながらも、行動することにした。


 ムカデに、××を、奪われてしまった。ああ、もう××になるしかないの?

 いや、いや、××でいたい、××になりたくないぃいい!

 いや、いや×、い×、×や、い×、いや、い×、いや、い×、いや、×や、い×、いや×、い×、いや×、い×、い×、いや×……。


 最後のほうはショックのあまりゲシュタルト崩壊でもしたのか、同じ言葉が繰り返されているようだ。

 正直怖い。

 なお、×の部分は手帳の破損状態がひどいので読めなかった箇所である。

「これ以降手帳には重要なことは書かれていないようですね」

 野生の勘がこれ以上手帳の持ち主について考えるのは、やめておけと訴えだしてきたので、私は手帳を閉じた。

「う~む。ムカデっという単語が気になるにゃぁ」

「は、はぁ……。ムカデですか……どちらにしろ、これだけでは見当もつきませんね。ムカデなら環境さえ整っていれば、どこにでもいるようなものですから」

 どこにでもいそうといえば、いそうな生き物である。

「たしかに、ムカデといえば……頭をつぶしてもしばらく動ける。毒もち、死亡例は今のところはないが、かまれたら病院にGOしたほうがいいというイメージにゃぁ」

 私も颯太と同様ムカデに関してはフワッとした知識しかない。

 ただ、こんな意味ありげな場所にある手帳に書き込まれていると、注意した方がいいだろう。

「現段階でこの車両にはもう用はにゃぁ」

「そうですね」

 私たちはとりあえず次の車両に向かう。


 ──プシュー。

 貫通扉を手動で開け、次の車両に乗り込もうとした時、何か長く重いものを引きずるようなズルズルという音と、低く荒い呼吸音を聞き取ってしまった。

「え……」

 不審に思った二人はドアの窓から覗いてしまった。

 それはギロリとしたまがまがしい瞳を持つ人形だった。

 頭は人間の大人サイズであったが、何体分あるか数え切れなかったのでわからないが数多の人形の胴体を数珠のように連結させ、ちぐはぐな手足を胴体に余すことなくくっつけた、長く、大きな、異形な人形。

 その姿は余りにもおぞましく、退廃的だった。

「もしかして、これがムカ、デ……?」

 手帳に書かれていたムカデとは、ムカデの生態を模したような不気味な人形という意味だったのだ。

 謎は解けたが、まったくもってうれしくない。

(いやぁああぁあ、ああああぁああ、ああああぁああああ! なんですか、この人形。不気味、怖い、恐ろしい、怖い、怖い、あ、怖いって何回も言っている……とにかく、拒絶ですよ、あんな恐ろしいもの! こんなのと何をしろというの! 逃げたい。逃げましょう。逃げれば。でも、後ろにはこれ以上の情報が落ちていると思えませぇん。前のほうに逃げないと……て、あのムカデをすり抜けて? できますか? しなければいけないっていうのはわかりますけど。わかるイコールできるじゃありません。思った通りのことができたら、みんな何も苦労しませんよって、もしかして、もしかしなくても、絶望的じゃないでぇすかぁあああああ。いやぁああああぁああ、あああぁぁあああ!)

 精神的なショックが強すぎて、口にこそ出していないが、ものすごく長ったらしい悲鳴が頭の中でぐるぐるしている。

 パニック状態の私は、恐怖で体が凍り付いたように動けなくなった。

「失礼したにゃぁ!」

 颯太が呆然とする私をわきに抱え、元来た道を急いでUターン。

 扉をきっちりと閉めて、服をむいた人形たちがいる車両へと戻った。

 しばらくして……。

「こ、怖かったです……」

 なんとか意思伝達ができるまで、私の思考能力が回復した。

「わしも。おしっこちびりそうだったにゃぁ……」

 あのムカデを見たとき、正気度がゴリゴリ削られる音がした気がする。

「ムカデに似た形態だから、ムカデって……そういうこともちゃんと書いてください、手帳!」

 私は顔を青くしてふさぎ込んだ。

「あと、天音。わし、残念ながら、思い出したことがあるにゃぁ。ムカデは肉食だから……あのムカデ人形も人間を食すかも?」

「いやぁああぁぁああ!」

 そして、追い打ちのムカデに関する豆知識である。

 絶叫するしかないじゃないですか、やだぁ!

「唯一人間らしいあの顔で人を食うかもしれない、なんて、怖すぎます。たしかに、あの二つのおどろおどろしい瞳は、いかにも人を殺しそうな目をしていたけどぉぉおおお!」

 しかし、叫んだところで、この状況を打破できるわけがない。

 知恵と勇気でこの困難を乗り越えなければならないし、向き合うのも必要なことだ。

「……と、いうわけで。次の車両に行くためにはどうすればいいか、考えるようじゃにゃぁいか!」

 颯太は悲痛な声を出す。

 何か仕掛けがあるとはわかっていたが、ムカデをモチーフにした不気味連結人形と対面しなければならないとは……恐怖するしかない。

「とりあえず、戦闘は無理でしょう。つうか、絶対、無理、無理ぃ無理ぅ無理~!」

 まだ恐慌状態が残っていたのでしょうか、私は首を横にぶんぶん振りながら叫びます。

 少し大げさに見えるが、実際あの巨体に立ち向かうのは無謀としか言いようがないでしょう。

 たとえるなら、象に挑む蟻です。

 その体格差、覆せるわけがありません!

「現実、バトルは無謀にゃぁ。わしらには逃げの一手しかにゃーてぇ」

 問題はどうやって逃げるかだ。

「で、わしがまず候補に入れるのは……窓から電車の屋根に上って次の車両に向かう」

 ムカデ人形とご対面したくなければ、そもそもその車両に入らなければいい、ということか。

 アイデアとして、悪くない。

「外は暗がりで何も見えませんよ」

 しかし、この電車はずっとトンネルの中を走行している。

 普通の人間ではまず、この暗闇の中で行動できない。

「そんなに暗いか?」

 颯太が窓を開け、外に上半身を出し、じっと見る。

 危なくないか。

 大胆な颯太の突拍子のない行動に私は眉をひそめる。

「え、わし、見えるよ。あ、天音はそんなに夜目がきかにゃぁいのか?」

 颯太はくるりと体を反転される。

 その彼の瞳孔は開いてまんまるになっていた。

 そういえば、瞳が大きく広がるほど、多くの光を取り入れ、暗視カメラのように少ない光をたよりにモノを見ることが出来ると聞いたことがある。

 だが、颯太ほど極端ではない。

「……人間はそんなに瞳孔を開けられませんよ、猫又」

 人間の瞳孔は、最大幅が八ミリメートル、最小幅が二ミリメートル、最大面積が五十平方ミリメートル程度。

 対して猫の瞳孔の幅は、平均すると最大で十四ミリメートル、最小では一ミリメートル以下、面積は最大で百六十平方ミリメートルと、大きく変化し、そのぶん光の調節も可能なのである。

 颯太の夜目が利くのは、この猫特有の生態によるものであろう。

「猫又じゃにゃぁい!」

 二股の尻尾を立てて抗議する人外。

 説得力はまるでない。

「あ~、はいはい。じゃぁ、颯太、百歩譲って窓から電車の屋根によじ登れたとしても……そこに何もいないとは限りませんよ」

 電車の屋根にスタンバイしている人外がいないとは限らない。

「しかし、あえて困難に立ち向かったほうがウケるでぇねーか?」

「私たちは芸人じゃないから、そんなサービス精神はいりませんよ!」

 颯太とそんなやり取りをしている中、後ろのほうから大きな物音がしてきた。


 ──バリバリバリバリバリィィイイ!

 窓が割れ、あらゆる金属がひしゃげる轟音。

 後ろの窓から見えるのは無数の手。あっという間にスタート地点の何もなかった最後尾の車両は飲み込まれ、ほんのりと光で照らされた窓が真っ暗になった。後ろの車両すべてがあの異様な手によって握りつぶされてしまったのが容易に想像できた。

「……屋根に、何かあるのは確かですね」

「側面にもある気がするにゃぁ」

 少なくても、鉄を紙くずのようにひしゃげられる手がへばりついているのならば、外に出て次の車両に行くのは危険だろう。

 そして……。


──ファーファー、ファラララララァ……。


 趣味の悪い不協和音が車内に響きわたる。

「はっ、まさか、このアナウンスが時間経過を知らせるお知らせかにゃぁ」

「そうらしいですね」

 警戒しだしたところで、車内アナウンスが流れてくる。

「このたびは奈落線をご利用いただきまして、ありがとうございます。次は、末路、末路駅です。もうなにも話すことも動くこともできない敗者どもをみて、ちびっていな、ぼんくらども。キャハハハハハハハ!」

 恐怖をあおるような物言いで、プツリと音声が切れた。

「……」

 私と颯太の表情が険しくなる。

 不気味な声によるものではなく、前のアナウンスの通り、『無心』となって、窓から生えるように出てきた手を受け入れていれば、楽になれたのではないかと現実逃避してしまった自己嫌悪によるものだ。

 悲嘆を怒りに変えられなくなることに正直ぞっとした。

 精神を封殺し、理不尽をむさぼるように受け入れるようになったら、それを考える葦であるべき人間といえるだろうか。

 あきらめることもまた勇気の一つだとは思う。だけど、精神を壊して、理不尽な死をあっさりと受け入れるのとは違うだろう。

 ギリギリまで、あらがってこそ華というもの。

 じたばたしながらだっていい。乗り越えられるようとする意地があったほうが、人生を楽しめると思う。

 だから、考える。

 奈落線の車両と終点までの残りの駅数無関係ではないようだ。そこから推測すると、このマネキン人形が大量に置かれたこの車両は三両目と思っていいだろう。

 そして、次の駅は『末路』という言葉を当てはめると……。

「そ、颯太……今のアナウンスからすると……」

 私は顔を青くして、ギギッとブリキのおもちゃのようにぎこちない動きで振り返り、席に座るように転がされているマネキン人形に目を向ける。

 心なしか、その顔にはお前たちも敗者になればこうなるのだ、せいぜいあがくがいいと微笑を浮かべているように見えた。

「くっ。なんたる悲劇。しかも無抵抗なことをいいことに素っ裸にするなんて……人間のすることかにゃぁ。許さん!」

「服を脱がせたのは私たちでしょうが!」

 しかし、着けなおそうとはしない。だって、時間がもったいないから。

 悲しいね、時間制限。

「ともかく、現況を打破することが肝心ですね。そういえば、あのムカデ人形は目玉が二つしかないのでしょう。なら、左右対称に動くものを二つ以上同時には捉えられないはずです」

 われながら冴えた発想です。

「なるほど。ムカデ人形の注意を何かで引き付けている間にぃ、次の車両に向かえばいいってわけか。問題は何で引き付けるか、だにゃ……う~ん」

 現在の持ち物。

 マネキン人形からとった手帳。

 野山を駆け回るやんちゃボーイ(大学生)が持っていても、まぁ不思議ではない石や葉っぱ。

 スマートフォン。

 以上。

「くっ。懐の煮干が残っていたら、ソレをばら撒いて注意を引いたものを……」

「猫又のあなたなら十分注意を引けるでしょうね」

 大好物が目の前で舞っていれば、まっしぐらでしょうね。

「煮干がおいしいのは認めるが、わしは猫又じゃにゃぁい!」

 食欲を刺激するようなもので注意はそらせないとなると……。

「ちょっと、もったいないですけど……アラーム鳴らしてムカデ人形の気を引かせているところを、一気に次の車両に行った方が成功しやすいでしょうか」

「いや、ここでこのカードを切るのはもったいなさすぎるにゃぁ。こうなれば、ムカデ人形が気を引いてくれることを祈って……マネキン人形が身に着けていたパンティーをばらまいてみるっていうのは、いかがなものかにゃぁ」

 色欲ですか!

「まさかの死体に鞭打ちするスタイルですか!」

 心なしか、人形たちの視線が痛いような気がする。

 脱がすだけでもかわいそうなのに、加えて追いはぎとなるとさすがに良心が痛む。

「いや、等価交換にゃぁ」

 颯太はポケットの中に詰め込んでいた大きな葉っぱを取り出し、人形たちの局部が隠れるように置きだした。

「アダムとイブファッションってことだにゃぁ!」

 マネキン人形たちは創世記スタイルになった。

「十分ひどいですよ!」

 しかし、これ以上いいアイデアが浮かびそうもないので、颯太の案を決行することにした。

「すみません、あなた方の尊厳はけして無駄にはしません!」

 所詮、自分の身のほうがかわいいのである。


 ──プシュー。

 貫通扉を開いた先に、ギチギチと数多の不揃いな手足を鳴らし、数珠つなぎの胴体を不気味にくねらせたムカデ人形が待ち受けていた。

 それは侵入者を見ると陰惨な笑みを浮かべ、憎しみを宿した毒々しい瞳で見下し、深層心理に刻まれた本能的、生理的な恐怖心を呼び覚ましてくる。

「くっ」

 総毛立つような寒気がする。

 だけど、今回は通り抜けるという意思があり、そのための準備を整え、二号車に足を踏み込んだのだ。

 先代たちの尊い(一方的な)犠牲を無にするわけにはいかない。

 意を決した二人は震える脚を叱咤し、さらに歩み……そして……。

「これでも、くらえにゃ~!」

 颯太は布の包みを両手で振りかざして、思いっきりムカデ人形の鼻先めがけて、投げた!

「ギギギ……」

 口から背筋を凍らせるうめき声を漏らしたムカデ人形は、投げ出された包みが直撃する前に抑え込もうとしたのか、無数の手と足でつかみ取ろうと動き出す。

(うまくいってください!)

 私の祈りが届いたのか、颯太が投げた包みは、手や足をすり抜け、きれいな放射線を描いたのちに、人形の顔面に着地。

 同時に包みのゆるい縛りはほどけ、顔いっぱいにマネキン人形たちから等価交換(強制)した複数のパンティーが舞う。

「グギギギギギ!」

 慌てるムカデ人形。心なしか戸惑いと興奮が入り混じっているように見える。

 どうやら、むっつりスケベのようだ。

 まさか、いろいろ犠牲にしたけど、こんなもので時間を稼げるとは思わなかった。隙あれば、ツッコミの一つや二つぐらいしていただろう。しかし、今は大きな目的がある。

「今にゃぁ!」

「はい、逃げましょう!」

 私と颯太は華麗なスタートダッシュを決め、ムカデ人形をすり抜け、二両目を駆け抜けた。


 ――プシュー。

 こうして二人はなんとか、一車両目にたどり着くことができた。

 後ろ扉をひっかく大きな音が聞こえたが、開くことはなかった。

 三車両目に戻った時も追ってこなかったことから、うすうす感づいていたのだが、どうやらあの不気味なムカデ人形は車両間を移動できないようだ。

 奈落線という魔術空間を構成するルールの一つなのだろうが、その絶対性と徹底性には感心するしかない。

「よし、逃げ切りました」

「やった、わしらは自由にゃぁ!」

 逃げ切れたことはうれしいのだが、やっとの思いでたどり着いた一車両目は側面がへこみ、座席は破れ、こげ茶色の粘液でぐちゃぐちゃ。窓ガラスは割れ、床にガラスの破片が散らばっている。

 その凄惨な光景を目にしたため、一気に祝杯を挙げるムードは失せた。

「ぶなぁ……事後かにぃ~?」

 シクシク……私、汚れちゃったの。

「言葉の意味的にはあっているでしょうが、八割はエロいほうにとらえられますよ!」

 颯太が恐怖を乗り越えようと、下ネタでボケ倒しする。その気持ちは痛いほどにわかる。だが、この表現はどうだろうか。

 私が微妙な顔をしていると、颯太はクルリと振り返った。

「で、一応確認するけど、天音。おみゃぁ~は、運転席室に行って電車を止めるか。それとも、人形館という場所に行くか。どちらにするにゃぁ?」

 選択の時間だ。

 私は、決断しなければならないところまでたどり着けた幸運に感謝しつつ、今までの探索で得た情報から隠れているヒントを見つけ出し、推理しなければならない。

 正しければ、生還。

 間違っていれば、ゲームオーバー。

 導き出した答えと心中する、そんな重大な決断が迫られている。

「この空間から出たほうがいいでしょう。末路がマネキン人形なところからすると、人形館まで行ったら改造されそうです」

 一車両目が奈落に引きずられるとは思えないが、この惨状からすると抵抗むなしく連れていかれちゃったとしか思えない。

 私は三車両目でみた物言わぬ先代たちの姿を思い出し、背筋を凍らせた。

「問題があるとすれば、途中下車した後、どこに私たちがいるか、なんだけど……」

「多分、電車の中に戻っているパターンじゃにゃぁいかな。ほら、わしたちなぞの光に包まれて、こんな奈落線に閉じ込められたし」

 いわゆる、夢オチとなるわけですか。

 ホラーにしては一番平和的な終わり方ですね。

「そうですね。なら、運転席室に行きましょう」

 不安が全くないとは言わない。

 だけど、選んだのだから、それが正解だと信じて突っ走らなければいけないのだ。


 ──プシュー。

 車両にいるよりも、列車の車輪がレールの継ぎ目を通過する音が大きく鳴り響く、運転席室。

 電車を止めると選択した天音と颯太はさっそく運転席を見つけると、そこには誰もいなかった。

 この電車は自動運転なのか。それとも魔術で動かされているのか。

 不思議な力で動くということだけははっきりとした。

「と、いってもいまさら、この程度の不思議さなら、驚かにゃいね」

「まぁ、そうですね……」

 私と颯太は運転台をじっと見渡す。いろいろな計器があり、どれをどう動かせば電車が止まるのか、素人では見分けがつかない。

「う、みゃ~。どう操作すればいいのかにゃ~」

 このレバーに書かれている、『前、後、中』や、『前、前扉後、半扉後、切』という文字が何を示しているのかさえわからない。

 とりあえず、運転台のレバーは『前』に設定されているところから、推測していくべきか……。

「マスコンとかブレーキ弁でどうにかすればいいようですね」

 私はスマホを使って、電車運転の仕方について調べていた。

「にゃにっ、それ、使えたのか!」

「試しに使ってみたら、使えました」

 電波が通っているとは思わなかったけど、やってみるものである。

「ぶ、にゃ~。なら、助けも呼べるでにゃぁーか」

「魔術によって電車の中に閉じ込められました。助けてくださいって、電話するのですか?」

 たしかに、間違ってはいない。間違ってはいないのだが……。

「うん、ガッシャンって切られるにゃぁ」

 十中八九、イタズラ電話にしか思われないだろう。

「それで……ネットの情報によりますと……」

 気持ちを切り替えて、私は動画サイトに上がっている、運転方法がわかるビデオを参考に、電車のブレーキを握り、一気にブレーキを強くする。

「急に止まるのは危ないって、あでっ!」

 颯太の指摘通り、本来のブレーキは、徐々にとか、緩やかに~と切り替えていくものなのだが……。

「魔術的な電車だから、強くしないと止まらないのではないかと思ったのですが……」

 などと、自供。

 颯太がブレーキの反動に耐えきれず転び、たんこぶ一つ作ったこと以外のトラブルはなく、電車を停止させることができた。

 同時に一面が一気に明るくなる。

 トンネルの中を抜け出したというよりも、奈落線から解放されたという方が正しいかもしれない。

 ともかく、私たちは無事奈落線から現世へと生還できた。

 その証拠に、あの不気味な電車の中ではなく、光に飲み込まれる前にいた駅のホームへと戻り、日差しが私たちの体を温めてくれる。

「ぶなぁ~、太陽がまぶしいにゃぁ~」

「ええ。そうですね」

 私はおもむろに空を見上げると、青空が広がっていた。

 そして、数メートル先の対向車線からはガタン、ゴトンと通常運転する電車。

 何気ない日常がこんなにも温かく、ありがたいものだと思ったのは今日が初めてかもしれない。

「……すばらしい空です」

 

 ……ちなみに、失踪者たちはこの日のうちに五体満足で集団で見つかり、めでたしめでたしと終わった。

 だが、話にはまだ続きがあって……風のうわさで、全員裸に近い憐れもない姿だったという情報が流れた。

 しかも、男女ともパンツをはいておらず、そのかわり葉っぱが一枚……。

 それに関しては、五体満足という肉体的には問題ない状態で現世に戻れたという功績によって、帳消しにしてください。お願いします!


 ──不思議体験を経て、瀬戸天音より。

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現代怪奇ホラー 単発・人形電車 雪子 @akuta4

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