後編

「……え、ボールドウィン夫人と子供達が行方不明?」

「ええ、デリック・ボールドウィンの家の中にも居ないのを確認しています」


 帽子屋のショーウィンドウを前にアリシアとトレヴァーは会話していた。


「……なぜ? 開拓団へ放り投げるのはまだ先よ」

「何かを察知したか、金への執着がそうさせたのか……とにかく一刻も早く居場所を探します」

「分かったわ」


 アリシアはそのまま帽子屋に入り、トレヴァーは雑踏の中に消えた。

 そして夜がやってくると、アリシアは茶色いカツラと男物の服を身につけ、そっと屋敷を抜け出した。


「デリック・ボールドウィン……あの男ね」


 アリシアはボールドウィンの家の前で待ち伏せをしていた。しばらくすると小太りの男が家から出てきた。アリシアはそっとデリックの跡をつけていく。


「酒場……」


 アリシアは一旦深呼吸をすると、デリックの入った店のドアを開いた。


「おやあ、坊や。誰か探してるのかい?」

「いや……待ち合わせだ……エールを……」


 アリシアはなるべくぶっきらぼうに短く答えた。店主にあごで示された席に座ると、目の端でデリックを捕らえながら、首をすくめて帽子を目深にかぶりながら安物のエールを啜った。


「……よし」


 安酒にほろ酔いになったデリックを追って、再びアリシアは店の外に出た。小汚い裏通りを通って、デリックはとある家の中に入っていった。


「あの家は何……?」


 アリシアが首を傾げながら覗いていると、後ろからぐいっと襟元を引っ張られた。


「うわっ!」

「……あれは娼館だ。坊やにはまだ早いかな」


 アリシアは思わず振り返った。それは昨晩聞いたばかりのルーカスの声だったからだ。


「アリ……シア……?」


 その顔を見たルーカスの鳶色の瞳が大きく見開かれた。


「なぜ貴方がこんな所に……」

「それはこっちの台詞だ。デリック・ボールドウィンになんの用が?」

「それは……」

「密輸の証拠を掴むまであと少しなんだ。邪魔をしないでもらいたい」

「密輸!?」


 アリシアが思わず大声で聞き返すと、ルーカスはしまったとでも言うように口を押さえた。


「あの男、密輸までしてるんですか……!」

「ああ、ちょっと声が大きい……こちらへ」


 ルーカスはアリシアの腕を掴むと、裏通りのアパートの一室に連れて来た。


「どうした。そんなドアに張り付いて」

「……ここはどこですか」

「私の隠れ家のひとつだ。息苦しくなった時はここに来る」

「なぜ……侯爵様ともあろう人が……」

「君も男爵令嬢なのにそのなりだろう」


 アリシアは何も言い返せなくなってルーカスを見据えた。いつでもこの部屋から出られるよう、ドアノブを握りしめたまま。


「分かった。そのままでいいから話を聞いてくれ。君は何故……あの男を付けていた? 場合によってはロジャーに言わなくては」

「……知人の……あのデリックの妻と養子が行方不明になったんです。何か分からないかと……」

「それを令嬢である君が……?」


 アリシアは黙って目を逸らした。


「あの男、密輸までやらかしていたんですね」

「……ロジャーからの相談だ。美術商と手を組んで国外に出してはいけないようなものまで売りさばいているらしい。決定的な証拠はないがな」


 ルーカスは男装姿のアリシアをじっと見つめた。少年といえばそう見えるが、よくみれば確かに女性だ。普段は露わにならない足の形もくっきりと見えて……。ルーカスは思わず首を振った。


「デリックは私が追う、君は待っていればいい。そのうちに良い知らせを持ってこよう」

「それじゃだめなんです!」


 アリシアは弾かれるように叫んだ。


「……これは、どうしても私の手で決着をつかなければ……私は不幸な女性の為に行動する事をやめません!」

「……見上げた決意だ。だが……あまりに危険だ」


 月の明かりだけが照らす部屋の中で、ルーカスが微笑んだのが分かった。


「……婚約をしないか?」

「え……?」

「もちろんかりそめの婚約だ。事がなったら君の有利な理由をつけて解消しよう。それなら二人で行動しても不自然じゃないし、君はもっと安全にあの男を追う事が出来る」


 アリシアはその言葉を聞いて考え込んだ。アリシアにとってそれは魅力的な提案だった。兄のロジャーは今にも別の婚約相手をあてがってきそうだし、そうなったら今のように自由に動けない。


「……本当に婚約を破棄してくださるのなら」


 アリシアは静かに答えた。その言葉にルーカスは頷くと立ち上がった。


「分かった。では家まで送ろう」

「……はい」


 翌日、ルーカスはアリシアの家まで来て、ロジャーに婚約の許可を取りにきた。突然の話にロジャーは目を白黒させていたが、大層喜んでくれた。アリシアはそれを見て少し胸が痛んだ。


「こちらトレヴァー警視、私の協力者よ」

「ルーカス・キングスリー侯爵だ」

「そ、そりゃどうも……」


 ルーカスの屋敷に呼び出されたトレヴァーは、上背もあって貴族らしい威厳に満ちたルーカスに一瞬怯みながら頭を下げた。


「ボールドウィン夫人と子供達の居場所が分かりました。市内のそれは非道い閉鎖病棟におりました。子供達は併設の孤児院に。どうもでっちあげの診断書を書いたみたいですな」

「まぁ……」

「それではこれを」


 ルーカスはトレヴァーに首都で一番の権威を持つ医者の紹介状と子供達を引き取る旨の書状をしたためて手渡した。


「何かうるさい事を言うようならこれで黙らせてしまえ」


 さらに金貨をトレヴァーに握らせて、病院へと向かわせた。


「ありがとう……ルーカス」

「警視の知り合いまでいるのは驚いたが……君の行動でか弱い女性と子供達が救われたのは事実だ。君は勇敢だ」

「勇敢……私はそんな……」


 アリシアは思わず表情を曇らせた。何故だろう。ルーカスの前では逆に虚勢を張っているのが苦しい。


「どうした?」


 優しい色をしたその目がアリシアを覗き混む。ソファーに座ったアリシアの隣にルーカスは腰を下ろすと、そっとその肩を抱いた。


「君には……何か秘密があるのかな?」

「どうして……そんな……」

「私も秘密があるからさ。秘密はね、時々内側から私を傷つけてくるんだ」

「あの……私……」


 アリシアは言いよどんだ。そして……一筋の涙が頬を伝った。ルーカスはそっと指でその涙を拭うと言葉を続けた。


「私と父は疎遠でね……何故かと言うと、小さい頃に使用人に攫われて私は裏通りで育ったんだ。自分を攫った女を母だと思って……。迎えが来た時は何かと思ったよ。それからはどんな貴族よりも優秀であろうと思って振る舞ってきたが……頑張るほど、誰も本当の私を知らない……そんな風に思ってしまうんだ」

「ルーカス……なぜそんな話を……?」

「君はどこか同じ匂いがする」

「……」


 アリシアは俯いた。そして次の瞬間には、顔を覆いながら自分に起こった不幸をルーカスに吐露していた。


「……元々、婚約を破棄する理由なんて考えるまでもないのです。貞淑な令嬢などまがい物の姿なのですから」

「アリシア……」


 ルーカスはアリシアの頬をその大きな手で包み混んだ。そして涙に濡れた顔を上に向かせた。


「君は負けなかった。それは誇って良いことだよ」


 ルーカスはアリシアの額に口づけた。そして顔を寄せていたずらっぽく微笑みかけた。


「やはり私達は似ていると思わないか……?」

「ええ……」


 アリシアは初めてルーカスの前で心からの笑みを浮かべた。そのさくらんぼのような唇にルーカスはキスをした。アリシアはまったく抵抗なく、そのキスを受け入れていた。


「さ、あとは密輸の証拠を掴めばデリックもお縄になって一件落着だ」

「そうですね……あ!」

「ん?」


 唐突に大声を出して立ち上がったアリシアをルーカスは不思議そうに見た。


「いけない、私……デリックを北の開拓団に送る手はずを整えていたんです!」

「ええ!? それは……いつ?」

「今日です……」

「大変だ! と、とにかく……港に人をやって……私達はボールドウィン邸の捜索をしよう」

「はい!」


 アリシアとルーカスは慌ててボールドウィン家に急行した。そこにはすでにトレヴァーの手によって救出されたボールドウィン夫人と子供達が家に戻っていた。


「あの……夫に閉じ込められていた私を助けて頂いたと聞きました。ありがとうございます……」

「ああ、お礼はいいから。ちょっとお宅を家捜しさせて貰う!」


 ルーカスは挨拶もそこそこに、デリックの書斎へと走った。


「これでもない、これでもない……」

「あの、おじちゃん……?」


 突然やってきて書斎をひっくり返しはじめたルーカスをボールドウィン家の子供達は不思議そうな顔で覗いていた。


「あ、その箱は触っちゃだめなんだよ!」

「ん? これか?」


 子供達が指差したそれは机の端に置かれた小さな細工箱だった。


「元々、僕のものなんだけど義父様にとられちゃったの」

「箱? 蓋がないわね」


 アリシアが首を傾げている横で、ルーカスはにやりと笑った。


「こういうのは得意なんだ」


 ルーカスは表面の木目を何度かスライドさせてあっという間に開けてしまった。


「……メモだ。隠し金庫の暗号が書いてある!」


 メモの通りに金庫を探し出し、中を開けると、中から帳簿のようなものが出てきた。


「これだ……これで密輸の証拠は揃った」

「港に行きましょう!」


 アリシアとルーカスが港に向かうと、デリック真ん中にして開拓団の船員とルーカスの手の者が揉めている真っ最中だった。


「おいおいこいつは開拓に行くんだよ」

「それはちょっと待ってくれないか」

「お前達! 何を勝手な事をごちゃごちゃと!」


 デリックは互いに引かない男達に挟まれてわめいていた。ルーカスはその間にするりと身を割り込ませると、密輸の裏帳簿をデリックに突きつけた。


「失礼……デリック・ボールドウィン。違法な密輸の容疑がかかっている。ちょっとお話をしてもいいかな?」

「な……なんでそれを……」


 腰を抜かしたデリックがルーカスの手の者に引きずられていく。その様子をアリシアとルーカスは見送った。


「これで本当の一件落着ね」

「ああ……良かった……が一個後悔している事がある」

「なんですの?」


 アリシアはルーカスを見上げた。細い金髪が港の海風になびいている。


「私はうっかりと、事がなったら婚約を破棄すると君に約束してしまった」

「そうでしたわね」

「ところが……私にその気はないんだが……アリシアは?」

「……私もその気は……ないです!」


 アリシアとルーカスは顔を見合わせて微笑み合った。ルーカスはアリシアの腰を抱き上げてくるりと回ると、その唇にキスをした。




 数日後、ルーカスは事件の結果報告にアリシアの兄ロジャーの元を訪れていた。


「いやあ、さすがルーカスだ……見事に捕まえてくれるとは」

「いやいや……」

「それにしばらく立ったら親戚になる訳だし、やっと私も落ち着いて……」

「あの……アリシアは?」

「ああ、アリシアならオルコット夫人のサロンに出かけているよ。不思議と仲がいいんだ」

「そ、そうか……」


 にこにこと笑顔で説明するロジャー。その笑顔を見つめながら、ルーカスは嫌な予感に襲われていた。


「……そうですか、ではこの幸運のブレスレットを授けましょう」

「ありがとうございます。このブレスレットは効果抜群だって聞きました!」

「……ふふふ」


 小走りに相談者が部屋を出ると、その様子を影からみていたオルコット夫人はアリシアに語りかけた。


「……婚約したのにまだやるの?」

「違うのよオルコット夫人。今度は私、人を幸せにするお手伝いをするの」

「……幸せを邪魔してる奴が居たら?」

「……その時はその時ね!」


 アリシアはオルコット夫人に微笑みながら片目を瞑って見せると、また仮面をつけたのだった。




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仮面の男装令嬢の事件簿~探偵侯爵に求婚されました~ 高井うしお @usiotakai

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