中編
「ああ……『アリー様』。わたくし、言われた通りにこのブレスレットを肌身離さず身につけていましたの。そしたらなんと婚約者は詐欺師として捕まりました。慰謝料なんてうそっぱちだったんです」
「それは良かったですわ」
次の週、賢く人脈も広い未亡人オルコット夫人のサロンの一角にしつらえた小部屋にて仮面とベールを纏った占い師が大きな水晶を前に微笑んでいた。
「つきましては追加の料金を払いたくて……」
「いえ、もうお代は戴いております。そうですね、どうしてもお礼をという事でしたらあなたのように困った事を抱えたお嬢さんに私の事を伝えてください。私はそういった人を一人でも救いたいのです」
「ああ……ありがとうございます……」
深々と頭を下げて、可憐な印象のご令嬢は『アリー』の部屋を出た。
「本当に徳の高い方ですこと『アリー様』」
「からかわないで頂戴な。オルコット夫人」
「ふふ……それにしても我ながらよく考えたわ。占い師なら秘密の悩みを話してくれるものね?」
部屋に入ってきたオルコット夫人はけだるげに小首を傾げながらアリーの向かいに座った。アリーはため息をつきながら仮面とベールと取り去った。金の髪に空色の瞳。そうアリシアである。
「渡した『幸運のブレスレット』はただのガラス玉。ブレスレットの効果なんてなんにもなくてあなたは彼女達の話を聞いて元凶を取り除いているだけ……場を提供しておいてなんだけど、危なくはないの?」
「協力者がいますから」
「そう……でも、いつまでそうやって自分の手を下していくつもり?」
「……」
「ま、馬鹿な男が多いのは私も同意ですのよ……」
ふふふ、と妖しくオルコット夫人は微笑みながら部屋から消えていった。アリシアは無言のまま仮面とベールを装着すると、次の相談者の訪れを待った。
「あの……よろしいでしょうか……」
「はい……」
次に入って来たのはどこぞの夫人といった感じだった。流行遅れの灰色のドレスを着ていて顔を隠したいのかストールを不自然に首の周りに巻いていた。
「ご相談はなんでしょう」
アリシアは優しい口調で微笑みながら声をかけると、女性は意を決したようにストールを外した。
「私は……エミリー・ボールドウィンと申します。見ての通り……夫の暴力が止むようお祈りをしていただきたく……」
ボールドウィン夫人の首には絞めたような跡が、口元には赤黒いあざがあった。
「なんて……ひどい……」
「酒を飲むと必ず殴るのです。抵抗すると今度は子供達に手をだそうとするので……」
「まぁ……」
「夫とは再婚で、結婚した途端に暴力がはじまりました。はじめは子供達のことも可愛がってくれたので、この人なら……と思ったのですが……亡き夫が築いた子供達の為の積立金を出せとそればかりで」
アリシアの中で炎が静かに燃え上がった。その炎は冷たく、音も立てない。しかし、いつでもアリシアを追い立てる。立ち止まるな、でなければ……と。
「これは『幸運のブレスレット』です……」
アリシアはいつもの様にガラス玉のブレスレットを渡し、ボールドウィン夫人から情報を聞き出した。オルコット夫人が再び現れたのを見て、アリシアはようやく息をついた。
「ふう……あのボールドウィンっていうの……役人ですって。裁判所じゃまともに裁こうとしないでしょう」
「……どうする気?」
「……消えてしまえばいいのにね」
「おお、怖い。でもそうね、消えて貰えばいいかも」
「……オルコット夫人、名案があるのね?」
「ええ。北の開拓団に十年ほど行って貰うのはどうかしら。私のお友達からの推薦状を添えて」
オルコット夫人は表情の見えない笑みを浮かべた。
アリシアとオルコット夫人は顔を見合わせると、けらけらと笑った。サロンの客達は隣の一室から聞こえてくる笑い声に、何事かと振り返った。
「アリシア、準備はできたかい」
「ええ、お兄様」
夜会の為に着飾った妹の姿に、ロジャーは目を細めた。瞳と同じ淡いブルーのドレスはアリシアによく似合っていた。
「やあ、雪の妖精のようだ。さぁ行こう」
馬車に乗り、向かうのはとある公爵家の舞踏会だ。華やかな広場に案内され、アリシアとロジャーの名が呼ばれた。
「アリシアさん、ごきげんよう。今日もお綺麗だわ」
「私の姪を紹介させて下さいな」
知人の令嬢や婦人が次々とやってくる。一見若く可憐なアリシアは社交界の花であった。
「……ごきげんよう」
その中にはかつて『占い師のアリー』に相談を持ちかけた令嬢もいたが、アリシアは何食わぬ顔で挨拶を交わした。
「良い夜ですこと。アリシア」
「オルコット夫人」
艶やかな紫のドレスに身を包んだオルコット夫人がアリシアの元にやってきた。そして扇で口元を隠しながら囁いた。
「……あの方の行き先、決まりましてよ」
「あら、それはおめでとう」
夫人はそれだけ言うとにっこりと微笑んでアリシアから離れていった。
「意外だな」
「……!?」
その直後、背後から聞こえてきた声にアリシアの心臓は飛び上がった。
「……キングスリー卿」
「どうぞルーカスと」
「……ルーカス、意外とはどういうことですか?」
「いや、その……オルコット夫人は……先駆的だから」
先程の話を聞かれたかと警戒心を露わにしていたアリシアはルーカスのその言葉にこっそりと胸を撫で降ろした。
「……そうですわね。あの方は頭も切れるし人望もあります。私、時々サロンにお邪魔してますの」
「そうなのか……」
「何か?」
アリシアはルーカスの反応を不思議に思って見つめていると、ルーカスはふいに押し殺した笑いをあげた。
「くっくっく……君のお兄さんは、妹は大人しくて内向的だと言うもんだから……」
「……それは私じゃなくて、多分お兄様の好みじゃないかしら」
アリシアのその答えを聞いたルーカスはついに耐えきれずに吹きだした。
「なるほど。アリシア嬢は私が思ったよりずっと魅力的なようだ」
「な、何を……」
「どうですか、私と一曲踊りませんか」
ルーカスの表情は断られるなど、微塵も思ってない顔だった。アリシアは小さくため息をつくと、その手をとった。
「お疲れ様でした、お嬢様……」
「ほんと、疲れたわ」
「素敵な殿方はいらっしゃいましたか?」
「ベス、貴方までそんな事を言うの?」
「だってもう二年です。お嬢様は幸せになるべきです……」
「……まだ二年よ」
アリシアは窓辺に立った。まだ初心だった自分。言葉巧みに呼び出された夜の街……そこでアリシアは強姦されかけたのだ。初恋の相手に。
あわや、というところを助けてくれたのは通りすがりのトレヴァー警視、そして無残に破れたドレス姿を匿い、落ち着くまで寄り添ってくれたのがオルコット夫人なのだ。この事を他に知るのはベスだけだ。
「二年……」
アリシアは泣かなかった。泣く代わりにトレヴァーとオルコット夫人の助けを借りてその初恋の相手の不正をあぶり出し、社交界追放に追いやった。
はじめはそれで終わりのはずだった。しかしアリシアの怒りはまだ治まらない。それからずっと、兄や世間の目を欺きながら不埒な男に制裁を与えてきた。
「……無理よ、少なくとも……まだ……」
アリシア自身もこの怒りの感情にいつまで捕らわれなくてはならないのか、と思っている。しかし、歩みを止めたら泣いてしまいそうで……自分が崩れてしまいそうで。アリシアはそれが怖かった。気丈に見えるアリシアは実はとても臆病なのだった。
「それではまたいずこかの夜会で」
「ええ……」
今夜一緒に踊ったルーカスは立派な紳士だった。兄のロジャーも満足げに二人のダンスを見ていた。だけど……その裏に別の顔が見えた時、また自分は凍り付いてしまうのではないか。アリシアはどうしてもそう思ってしまうのだった。
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