仮面の男装令嬢の事件簿~探偵侯爵に求婚されました~

高井うしお

前編

「いやぁ、どれも立派な品だ。肝心のダイヤが偽物じゃなきゃね」

「な、なぜ……それを……」


 男が部屋に戻った時、そこに居たのは男の商売道具の指輪をいくつも手にした少年の姿だった。


「返せ! このこそ泥小僧!」

「そんな事より後ろを見なよ」

「……え?」

「市警の者です。ちょっとお話を聞かせて貰ってもいいですかな」


 男が振り返ると、市警のバッチを掲げた四十がらみの男性とその後ろに数人の男が控えていた。


「トレヴァー、あとは頼んだ」

「まったく……程々にしてくださいとあれほど……まぁいいです。ここは私に任せて早くお帰りを」

「うん」


 捕縛された男を横目に少年は軽やかにアパートを出た。


「つまり……代々伝わる家宝と称して偽ダイヤの指輪を渡して、ターゲットのご令嬢の隙を見て抜き取り、その慰謝料として婚約破棄と金品をゆすりとる……か。やっぱり男ってのはろくなもんじゃない」


 少年の足は上流階級の住むエリアへと進んで行く。その屋敷の一つの半地下の使用人出入り口を開くと、やきもきした様子のその屋敷の侍女のベスが待ち構えていた。


「ああ、まだそんな格好で! すぐに着替えてください。お客様が参っております!」

「はいはい」

「こっちです。裏階段から!」


 少年とベスは裏階段を通って二階に向かい、そっと人気のないのを確認してある部屋に入りこんだ。


「アリシア様……。せめて昼間にその格好は勘弁してください。私の心臓がもちません」

「ん? ああごめんごめん」


 アリシア、と呼ばれた少年は帽子と……茶色い髪のカツラをとった。長い豊かな金髪がその間から滝のようにこぼれる。華奢な少年に見えていたのは透き通るような青い眼をした美しい女性だった。


「ベスこそ、この格好の時は警視トレヴァーの使い走りの少年スコットとして接してくれなきゃ」

「それどころじゃありません。着替えますよ!」


 ベスはアリシアの男物の服を引っぺがすと、薄ピンクの室内ドレスに着替えさせた。


「……これ嫌いって言ったじゃない。ねぇ何をそんなに焦っているの?」

「ロジャーお兄様のご友人がいらしてるんです。先程からアリシア様のお話になって……でもお嬢様はちょっとも帰ってこないものですから、頭痛がどうだと色々言い訳して……」

「それは……悪かったわ、ベス」


 まとめた髪に服と同じピンク色のリボンを結んで、ベスはようやく息をついた。


「早く居間に顔を出してくださいまし」

「ええ、分かったわ」


 アリシアはドレスをつまんで階段を降り、居間へと向かった。


「お兄様……」

「ああ、アリシア。頭痛はもういいのかい?」

「ええ……大丈夫ですわ」

「そうか、アリシアに紹介したい人がいるんだ」


 アリシアの兄ロジャーはきっちりと生真面目に茶色の髪を後ろになでつけている。そのせいでアリシアと同じ青い眼は少し冷たそうに見える。


「私の友人、ルーカス・キングスリーだ。外務省の役人をしていてね。この度三年ぶりに戻ってきたんだ」

「はじめまして、アリシア嬢」


 ロジャーの紹介にソファーから立ち上がったのは背の高い、黒い髪の男だった。鳶色の瞳の少し野性的な印象の彼は、兄ロジャーの他の友人達とは毛色が違うように見えた。


「ルーカスと申します」

「……はじめまして」

「アリシアもお座り。ルーカスは寄宿学校で一時期同室だったんだ。成績優秀で隣国に行った時は国の損失だと……」

「大袈裟だよ」


 ロジャーの説明にルーカスは笑って答えた。


「なぜ戻ってきましたの? その……隣国との関係は今はあまり……」

「アリシア!」


 ロジャーの鋭い声が飛んだ。政治がらみの話題を女がするな、という事だろうか。アリシアは小さく嘆息した。


「父が亡くなってね。領地と爵位を継がなくてはならなくなった」

「来月には侯爵の地位を引き継ぐそうだ」

「そうですの……」


 だんだんと兄ロジャーの魂胆が分かってきたアリシアは早くこの場から離れたくなった。ルーカスはそわそわしているアリシアの様子が分かったのかさっと立ち上がった。


「ロジャー、君の宝物も見せて貰った事だし私はそろそろお暇しよう」

「あ、ああ……」


 館を退出するルーカスに、アリシアは澄まして声をかけた。


「またおいで下さいな」

「ええ。これから社交界でも顔を合わせると思う。美しいアリシア嬢、どうかその際は知らない振りなどなさらないでいただきたいな」

「ま……」


 ルーカスの去り際の台詞に、アリシアは呆然とした。ぽかんと口を開けたままのアリシアは兄に肘でつつかれてようやくはっとした。


「ま、また来てくれ。遠慮なく!」

「ああ」


 そうして風のようにルーカスは去っていった。あとにはイラついた様子のロジャーと困った顔のアリシアが残された。


「アリシア、あの態度はなんだ? こちらは男爵、ルーカスは侯爵家だぞ」


 そう言うロジャーに、アリシアはもう何度目かになる言葉を口にした。


「お兄様、はっきり申し上げます。私は結婚の意思はございません」

「そうやってえり好みしてられるのも今のうちだけなのだぞ。ルーカスは頭も良い。お前が馬鹿な男はいやだと言うから自宅に招いたのに……」

「そういう事では……いえ、なんでもありません。……頭痛がひどくなってきたので下がらせていただきます」

「……アリシア!」


 ロジャーの叱責が背中から飛んで来たが、アリシアは無視をして自室へと戻った。アリシアは結婚なんてまっぴらごめんだった。その理由を……アリシアは兄に伝える事は出来ない。兄ロジャーは自分を心底心配し、愛してくれている……そう分かっているからこそ。

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