爆走・お伊勢参り選手権! 【#宵闇プロジェクト】 (C)Copyrights 2019 中村尚裕 All Rights Reserved.

中村尚裕

【本編】

「遅い……!」

 星空へ伸びる篝火の光。足元に白く玉砂利が鳴く。

 清冽に浮かび上がるのは、伊勢神宮――外宮にそびえる大鳥居。

 その大鳥居を今しもくぐり抜けたのは、極端に長い手足を活かした二人羽織――知る人ぞ知る妖怪・手長足長。神妙な面持ちで背後に礼を残し、これまた神妙に去っていく。

「遅い……!」

 佇む彼女の締まった手首、時を刻むのはシチズンのプロマスタ。クロノグラフの針の下、カレンダが刻む日付は旧正月を指している。

 構えた腕に始まって、その全身を覆うのはドライヴァ・スーツの特徴的なブルー。羽織ったジャケットにもやはりブルー、胸元に映えて黄色く『555』、その下には誇らしげに『SUBARU』のロゴ。

「来た……!?」観衆から密やかに声が湧く。

 眼を上げる――と大鳥居の向こう側。兆した気配が形を成す。

「早くー!」

 彼女が声を向けた先には巫女袴の美少女が一人。競歩よろしく息を弾ませ鳥居をくぐると、慌てて回れ右、深いお辞儀――その背を飾って見事な翼。

「え、女天狗?」「しかも巫女袴!」「やた、カメラだカメラ!」

 観衆が俄然盛り上がる。散発的な素人フラッシュを浴びながら、巫女袴――女天狗がまっすぐ彼女を目指して競歩。

「すばるさーん!」女天狗に弾む息。

「急いで!」彼女――すばるが腕を大回し。導く先に――スーツと同色のラリィ・カー。「もう3分も遅れてる!」

「そんなぁ……!」巫女袴の胸を波打たせ、大きく喘いで女天狗。「もう……限界……!」

「すげー!」「色っペ~!」「カメラだカメラ」

 観衆が別の意味で沸き始めた。それを尻眼にすばるは早足、開けてラリィ・カーの2枚ドア。

「待ってぇー!」

 ラリィ・カーの助手席ドアが開く。女天狗が中へと倒れ込む――やいなや。

「掴まって!」

 鋭いすばるの声を残して、ラリィ・カーは猛加速の中へと消えた――女天狗の悲鳴を曳いて。

「22B-STiだってよ……!」観衆の一人が興奮気味に、「今年はまた熱いなぁ、初詣奉納レース」


「お伊勢参り?」

 すばるが疑問の声を投げたのは、師走を迎える頃のこと。

「はい」巫女袴の女天狗は、背の翼を見せつけんばかりに頭を下げた。「お力をお借りしたくて」

「運び屋の?」青のドライヴァ・スーツ、胸元から白い水着を覗かせて、すばるは首を傾げてみせた。「自前で立派な翼が……」

「神宮を見下ろすと、」女天狗が困ったように笑ってみせた。「バチが当たると聞きました」

「じゃ、」横から訊いたのはやはりレーシング・スーツ、ナヴィゲータを務める疾風。「クルマに乗るのは?」

「助っ人の力を借りるのは大丈夫です」女天狗が広げて地図。「それに、飛べば勝てるというものでもなくって」

「参拝ルート?」すばると疾風が地図に落として眼。

「出発は旧正月の子の刻、外宮の大鳥居」女天狗の白い指が外宮の入り口を差し示す。「走らず飛ばず、自分の足で参拝して――それからが勝負です」

 伊勢神宮には正宮が二箇所ある。一つは天照大御神を祀る内宮。もう一つは豊受大御神を祀る外宮。

 参拝の順序としては外宮を先に、内宮を後から詣でるのが正式とされる。ただし外宮から内宮までは直線距離にして約3.5キロある――が。

「外宮から内宮の大鳥居までは山道を通ります」女天狗の指先はさらに大回りの道筋を示した。「鼓ヶ岳、前山、鷲嶺を南から回り込むんです」

「これを飛ばずに?」すばるが頬を掻く。「自分の足で?」

「天照大御神は宴がお好きですから」微笑んで女天狗。「そこは多少のお眼こぼしが」

「低空飛行でも?」疾風に素朴な疑問。

「飛ぶな、とは言われていません」女天狗が顎へ指。「けど、つづら折りの山道に沿って飛ぶのは骨が折れますね」

「山道に沿って?」聞き咎めたすばるが小首を傾げる。

「それが宴の決めごとです」頷きかけて女天狗。「関門をくぐること」

 女天狗が指先でなぞって道筋、“関門”を示す印は無数にある。

「あぁなるほど」疾風に苦い声。「こりゃ飛ぶのはかえって不利だな」

「こういう道には、」女天狗が眼に宿して期待の色。「お二人はお強いと伺いました」

「足は問わずに?」すばるが不敵に笑みを刻む。「徒歩でも牛車でも22Bでも?」

「ええ。受けていただけます?」満面の笑みで両の手を合わせて女天狗。「私、“あすか”です。敬称はなしでお願いしますね」


「きゃーっ! きゃーっ! きゃーっっ!!」

 あすかの悲鳴が車内を駆ける。

「はい口閉じて舌噛むよ!」後席から冷静に疾風の声。「すばる、F100R10DC!」

「了解!」すばるが声を鋭く横へ。「あすか、曲がるわ――よ!」

 つんのめるような減速G――から舵をわずかに右へ。放り出すように尻が流れて左――LSDがトルクを前輪へ。

「――!!」

 あすかの悲鳴をタイアの空転音が掻き消した。

 カウンタ・ステア――前輪のグリップを意地でも残してドリフト。鼻先を横殴り――角の電柱がかすめて右へ。左横腹、“555”のスポンサ・ロゴから交差点へ差し掛かっ――たところでアクセルを抜く。

 ぶん回すようなコーナリングから後輪がグリップを取り戻す。視界が拓ける。街路灯までもが閑静な住宅地。

 クラッチを切る。シフト・レヴァーを叩き落としてアクセル開放。蹴飛ばされたような加速G。


 1990年台に魔法が開示されてからというもの、世界は魔との共存を余儀なくされた。

 以来30年、魔法はカルチュア・スクールで学ぶものとなり、妖怪は単なる異邦人という感覚が近い。

 そして混沌の昨今、妖怪のお伊勢参りは定着して久しい――そう、初詣奉納レースが旧正月の風物詩になる程度には。


 世界に冠たるスバル・インプレッサWRX、さらにその特別ヴァージョン“22B”。

 魔法のテクノロジィを使わず生産された最後のラリィ・カーだが、世界チャンピオンシップを3連覇した実力は伊達ではない。

 EJ22改――専用に鍛えられた水平対向4気筒2.2リッター・エンジンは、小柄に似合わぬ駆動力を発揮する。

 今しも22Bのキャビンに伝わるEJ22改の息吹は、バスの低域からアルトの高域まで滑らかな吹け上がりを見せつけた。

 限界まで贅肉を削ぎ落とされた車体は、並み居るスポーツ・カーより遥かに軽い。コーナリングの慣性を何事もなかったかのように振り払い、あすかの悲鳴さえも呑み下し、22Bは先行するライヴァルへ向けて猛加速。

「あーん速い!」

 あすかの悲鳴を聞き流し、すばるが22Bに右のドリフトをくれた。

「低いィ!」

 外宮の南外縁、鎮守の森が鼻っ面をはたかんばかりに右へ。

「怖いいィィ――!!」

「F20L10DC!」後席、疾風の声が遮った。「あすか、空なんてこんなもんじゃ……」

 すばるが今度は左のカウンタを繰り出した。鼻先数メートルを民家のシルエットが飛んでいく。

「だって疾風さん!」あすかが口元を押さえつつ後席の疾風へ振り返る。「こんな低いの怖……!」

「F30R40DC!」ぶった切った疾風が促して前。「進行方向!」

「前見て!」すばるが一喝。あすかが前を向く。

 眼前に緩くうねって田舎道――を飛ばしてギア・ダウン。ひっぱたかれたようなGで加速しながら、22Bが衝いてイン。ただでさえ宵闇に沈む鎮守の森が、漆黒の壁となって右手を流れ去る。

「先行は!?」すばるの問い。

「――見えた!」疾風の声。

 左手、並行する街路灯に浮かんでひょろ長く妖怪――手長足長。

「その前は!?」

「先行60秒で輪入道!」疾風がマップに書き殴ったメモを拾い読む。「その先55秒、朧車! 先頭が座敷童子、さらに70秒!」


「来たか」手長が右手、ヘッド・ライトへ投げて一瞥。「近道を使いおったな」

「構うな」足長が言葉少なにまた一歩。「我らにあの道は向いておらん」

 二人羽織――という形容が、手長足長には当てはまる。

 手長は腕だけ、足長は脚だけが極端に長い。それぞれ単独ではバランスを欠くところが、互いを補い合えば驚異的なリーチとストライドが手に入る。

「焦ることはない」足長が沈着に重ねて言。「ここからしばらく直線だ――行くぞ」

 脚が伸びた。腕も育つ。一歩の刻みが途端に増す。

「我らを甘く見るなよ、女天狗」手長が片頬でほくそ笑む。「直線に出ればこちらのものだ」


「伸びた!」22Bの後席、左手を垣間見た疾風の声。「あいつら、まくる気だ!」

「所詮は!」すばるが斬り捨てる。「直線番長よ!!」

 緩やかなカーヴを攻めて眼一杯、22Bが全力加速。

「どっちみち、」後席から冷静に疾風。「外宮より高くはなれないはずだ!」

「加速とコーナリングなら!」すばるが切ってクラッチ、ギアをまとめて叩き落とす。「ラリィ・チャンプの目じゃないわ!!」

 EJ22改の咆哮が、高く雄々しく駆け上がる。

「ひ――んん!!」あすかの声が引きつった。


 その時、意識に響いて――女の気配。


「誰?!」加速中のすばるは前から眼を離さない。

「後ろ?!」疾風が後ろへ投げて視線。

「これって……」振り返るあすかに覚え顔。「……まさか!」


 背後に――爆走する細身の女。

『わぁたぁしぃきぃぃれぇぇいぃぃぃぃ?』


「口裂け女だ!」足長に焦り声。

「あやつが?」手長が振り返る。「男を作ったと聞いたぞ!?」

『不~老~長~寿~!』背後、口裂け女が夜気を裂いて追いすがる。

「あやつ歳なぞ取らんだろうが!」足長が地を蹴った。

「まずい!」手長が舌を打つ。「色気が付いたら次は美容だ!」


「100メートル・ラップ――」目測、疾風が切ってストップウォッチ。「――3秒!」

「ちょっと噂じゃ6秒とかじゃなかった!?」並走するすばるが速度計へ眼を落とす――時速180キロ。

「これが……?」あすかが絶句。「……これが……恋の力!?」

「馬鹿言ってないで!」すばるが声を差し挟む。「クランク抜けるわよ!」

 直後、エンジン・ブレーキまでも動員しての最大制動――からのコーナリング。左クランクを抜けた22Bが一般道へ合流を果たす。

「関門通過!」疾風が宣言。

 大胆にすばるがアクセル・ワーク、タコメータが一気に跳ね上がる。

 四輪が地を噛む。最大加速。ギアはそのまま、EJ22改がどこまでも滑らかに吹け上がる。一段飛ばしてギア・アップ、クラッチのロスも最小限にトルクと速度を叩き出す。

 口裂け女の斜め後ろから横並び。

「あすか!」すばるが正面から眼も逸らさず、「煽って!」

「へ?」助手席のあすかが自らを指したまま眼を丸くする。

「応援でも何でも!」疾風から助け舟。「彼女、多分手長足長を追ってる!」

 思い当たったかのように、あすかが向いて左窓。濁流のような闇を背に駆ける口裂け女は――足取りに見せて生命感。

『頑張って!』あすかから心へ響く声。

 打たれたように口裂け女が眼をあすかへ向け――そこへあすかが投げて敬礼。

 眼が笑んだ。返して敬礼、口裂け女がなお加速。


「いかん!」振り返る手長の視界、22Bのヘッド・ライトに口裂け女のシルエット。「あやつ、今宵は冴えておる!」

「この先は山道だぞ!」焦る足長。「参拝競争はあきらめるのか!?」

「おなごに付きまとわれたら――」手長が前へ眼を向けた。「――参拝どころではないわ! 振り切るぞ!」

 意識を左手へ。並走して高速道路――伊勢自動車道。


「逸れた!」疾風に快哉。「手長足長、跳んだ――高速へ逃げる! 進路クリア!!」

「一丁上がり!」すばるがさらにアクセル、22Bは最高速へ。

「次は!?」文字通り飛ぶような速度から、すばるが声だけで訊く。

「輪入道!」後席から疾風。「先行、推定60秒!」


 背後から、清らかな闇に兆して光――。

「速いな」一瞥をくれた輪入道は顔をしかめた。

 牛車の片輪、中央に据わって入道顔。

 ここまで来ると伊勢自動車道が横目に近い。他にはさして人目もなし――、

「仕掛けるなら、今――か」


「みッ見えた!」あすかが正面を差して指。「輪入道!!」

「もう!? ……」すばるの眉に疑問符が踊る。「……速すぎる……?」

 正面、夜道に映えて漆の朱。迫る。人面――眼に光。

「伏せて!」警句を投げてあすかが22Bに急転舵。

 急制動。四輪が軋む。悲鳴を上げてアスファルト。


 ほくそ笑む――。

 ヘッド・ライトに浮かんで輪入道。その頬の笑みに狡猾の色。

「飛ばし過ぎはいかんねェ」

 その横、かすめるように急制動の22B――のブレーキがふと抜けた。エンジン音の覇気が抜け、命でも抜けたような惰性に車体が嵌まる。

「おイタするヤツは、」輪入道に余裕の笑み。「魂を抜いてやらんとな」

 22Bの後へと続き、テイル・ライトを追い越して左。スバル・ブルーの車体に並び、黄色も鮮やかな『555』のロゴ越し、二枚ドア越しに窓を覗き――そこで。

 ――中から掌。

「――――!!」

 魂も千切れんばかりの悲鳴の主は――輪入道。

 すくむ。釘付け。視線の先に掌、その中に――御札が一枚。

 記して曰く――此所勝母之里。

「――なぜそれをォ!?」

 掌の――横に覗いてあすかの顔。そして心に響いて声。

『やり口は先刻お見通し!』舌を突き出し、御札をかざし、『魂を抜くったって、命のないこのコが盾になったら形なしね!!』

 吠えた。エンジン。EJ22改。

 22Bが上げて雄叫び、ここぞとばかりに蹴立てて四輪、置き去りにして輪入道。

「おッおのれ!」

 我に返った輪入道が後を追う――が。

 22Bのリア・ウィンドウに御札。ここにも曰く――此所勝母之里。

「――――ッ!!」

 再び輪入道の悲鳴が上がった。


「撒いた?」すばるが問いをあすかへ向ける。

「これで、」あすかに得意げな頷き一つ、「もう抜かれませんよ。あのコ、この御札には近付けませんから」

「さっすが天狗」疾風に感嘆。「長生きなのは伊達じゃないね」

「ひっど――い!」あすかに抗議の声。「疾風さん今私のこと年寄り扱いした――!」

「だって物知りじゃない」ギアを掻き上げるすばるが声だけ横へ。「妖怪大百科も真っ青」

「花も恥じらう乙女ですってば!」あすかが猛抗議。「妖怪大百科は女のたしなみで……!!」

「知ったのそこ!?」疾風の声に意外の音色。

「突っ込むのそこですか!?」噛み付くあすか。

「あーはいはい」歯噛みしたすばるがギアを落とした。「仲いいわねェ二人と、も!!」

 いきなり最大加速。跳ね上がったタコメータがレッド・ゾーンへ踊り込む。身体を置いていかんばかりのGをシートが受け止め、三半規管を戦慄が駆ける。

「きゃーっ速い!」あすかがたまらず悲鳴。「ちょっと速い!! きゃ――っ!!」

「はい黙ってて舌噛むわよ!!」警句に次いですばるの問い。「次は!?」

「朧車!」すかさず疾風。「推定先行50秒!」

「了解!」進路から眼を離さずにすばるの声。「今のうちにまくるわよ!」


 22Bの行き着く先、角を左に折れて県道729号線。

 派手なドリフトを決めたのは、時代がかった牛車の姿。

 ただし牛車を牽く牛の姿はどこにもない。どころか御者の気配すらない。

 あるのは――御者の代わりに巨大な顔。

 その顔――朧車の眼が動く。左手――鋭く光。

 眼を瞠る。血走る。剥き出しの感情が衝いて巨大な口――その声。

『来いぃぃたあぁぁあぁぁ!』

 空気がおののく。地が響く。車輪が勢いよく噛んで地、後に残して土煙。

『おぉぉぉたぁぁぁすぅぅぅけぇぇぇ!!』


「へ?!」すばるの声がすっぽ抜けた。

「は?!」疾風の声から毒気が抜ける。

「あ、逃げた」端的にあすかが声を置く。

「なんで?!」ハモってすばると疾風の声。

『かぁぁぁんんんんべぇぇぇんんんんしぃぃぃてぇぇぇ!!』

 朧車の悲鳴はご丁寧にドップラー効果まで効かせて三人へ。

「私が何をしたぁぁぁ?!」さすがにアクセルは緩めずすばるが突っ込む。

「臆病なんですよ、あのコ」あすかが小首を傾げて、「だってほら、車争いに負けた主人の怨念で妖怪になったって話ですし」

「車争い!?」すばると疾風が食い付いた。「ってことはレースに執着……」

「いえ、場所取りです」あっけなく頷き一つ、あすかが断じる。「ほら、花見とかの」

「せこッ!」疾風がたまらず突っ込んだ。

「なんっつーみみっちい!」すばるが呆ける。

「でもほら、そういう手合いですから」調子を崩す気配もなくあすか。「平和ですよ?」

「なんつー後味の悪い……!」呆れてすばる。

「いやでも、」挟んで疾風。「先行されたら勝ちにならないって!」

「頑張ってくださいね?」小首をかしげてあすかの笑み。「あのコ、逃げ足は速いですよ?」

「なら遠慮なし!」すばるが喝を入れた。「やったろうじゃないの!!」

「えーと、」疾風に苦笑い。「それって自滅行為……」

「え?」あすかが引きつる――正面、迫って曲がり角。

 ――この日一番のドリフトが決まる。22Bが盛大に尻を投げ出しながら急左折。

 助手席のあすかが悲鳴を喉に詰まらせたのは、もはや語るまでもない。


 悲鳴――。

 怯える朧車が加速する。

 県道719号線、南下コース。カーヴが少ないかに見せかけて、実は思い出したように交差点が顔を出すところが玄人泣かせの難所と言われる。

 今しも朧車は車輪を軋ませ派手なドリフトを決めたところ。カーヴのキレも加速の冴えも22Bに劣らない。


「やるじゃない――の!!」すばるがアクセルをわずかに抜いて、直角右折から後輪のグリップを復活させた。

 最大トルクの立ち上がり、パワー・バンドを十全に活かした加速力。さらには280馬力を叩き出すEJ22改の底力と200キロにも迫る最高速度。これらのスペックをもってしても、朧車のリードは思ったほどには詰められない。

「さっすが妖怪!」疾風が頬に刻んで笑み。「でもここからはカーヴ続きだ」

「ラリィ仕様を――」すばるが22Bの鼻先を眼前のカーヴ、インへと向ける。「――なめんじゃないわよ!」

 過剰気味の進入速度からフル・ブレーキ。つんのめるように車体が傾ぎ、前輪へと存分に荷重が――乗ったところで。

 ステアリング。車重を預かる前輪が鋭く見せてキレ。強烈な遠心力に抗うのは自慢のビルシュタイン・ダンパ、今にも浮き上がりそうな後輪を巧みに踏み留まらせる。

 ロス最小。重心を乗せてカーヴの脱出経路、ギアを落としてアクセルを踏む。四輪が大地を噛む手応え、下腹に響くような加速G。

「――――!」

 あすかの悲鳴も声にはならない。その前に22Bが次のカーヴへ殴り込む。

「前は?!」歯を軋らせつつすばるが投げて問い。

「詰めてる!」疾風が前方へ眼。「推定――先行35秒!」

「足回りの差よ!」すばるがなお攻めてイン。「カーヴをなめると泣くんだからね!!」


 カーヴの頂点を抜けざま、朧車が見て背後。

『ひぃぃぃ!』

 闇を裂く光芒――22B。その距離感は明らかに先刻より近い。

 カーヴ、滑る――すんでのところで曲がり切る。

 元は貴族の牛車とは言え、平安時代の造りであることには違いない。カーヴに突っ込む勢いが過ぎれば、途端にスピンの憂き目を見る。

 だからと尻尾を巻いて遁走すれば――思いを馳せる朧車に憂い顔。

『ごぉ主ぅ人さまぁぁぁ!』

 主人の怨念――朧車をただ恐怖が駆り立てる。


「伸びた!?」疾風が驚きを滲ませる。「サスもないのに!?」

「宙に浮いてるわけじゃなし!」すばるがまたカーヴをクリアする。「無理が祟ると事故るわよ?!」

「追い付ける?!」青ざめたあすかの声。「あのコ、このままじゃ壊れちゃう!」

「すばる!」促す疾風。「この先交差点! 速度が落ちる!」

「偉い!」すばるの声に力。「ぶん回すわよ、掴まって!!」


 前方、遠く赤い光――テイル・ランプ。

 朧車が見開いて眼。上げて雄叫び。

『見ぃぃぃ付ぅぅぅけぇぇぇたぁぁぁ!』

 なお加速。交差点へ突っ込み、力任せの急減速。車輪の横滑りをものともせず、遠心力をねじ伏せ――ようとしてしくじった。

『ぁあぁぁぁあ!!』

 摩擦が失せる。車輪が滑る。踏ん張りが利かない。車体が外へと倒れ込む。

 ――と、大外。

『間に合った!!』

 衝撃――を残してあすかの声。

『無理しなくて大丈夫!』

 すり抜けた。22B。開けたウィンドウから白い手首、その掌に御札が一枚――記して曰く、『御守 外宮』。

『ゆっくりお参りしてらっしゃい!!』

 あすかの声を心に残して22Bが走り去る。

『あ……!』朧車に怪訝顔――が。『ああ……!』

 転倒を免れた一事を呑み下し、朧車に理解の色。御守の効力で倒れかかる上部を支えられた、その事実。

『あぁぁぁりぃぃぃがぁぁぁとぉぉぉ!』

 感涙。むせぶ。朧車に男泣き。


「ナイス!」振り返って疾風に快哉。「上手くいった!」

 気が抜けたような笑みをあすかが後席へ。「じゃ……!」

「切り替えてくわよ!」飛ばすすばるの声にも色。「前方、テイル・ランプ!」

「見えた、先頭!」疾風が眼を落として腕時計。「座敷童子! エヴォⅣだ!!」


 “エヴォⅣ”――三菱ランサー・エヴォリューションⅣ。世界一の座を22Bと争った傑作車。


「え、なんで?!」あすかに問い。

「座敷童子が!」すばるに闘志。「そうそう速く走れるわけないでしょ!?」

「あっちは福を味方につけてる!」疾風が警告。「なめてかかると……!」

「不足なし!」すばるが遮る。「どこで仕掛ける?!」

「しばらく行けば!」打って返して疾風。「つづら折りの山道だ!」

「了解!」交差点を抜けざま、すばるがアクセル。「口閉じてて! 舌噛むわよ!!」

 加速。22Bの両脇をちぎれ飛ぶ闇が、触れなんばかりに迫って映る。

 22BもエヴォⅣも、最高馬力では当時の自主規制値で頭を打つ。それは即ち、速度勝負の愚を鳴らすに等しい。

 すばるのアクセル・ワークをもってしても、直線でエヴォⅣとの差は縮まらない。

 だが。

「F300L100DC!」

 疾風の声が告げる。県道720号線、山肌を縫うつづら折り。

 数多のカーヴが連なるそこは、まさにラリィ・カーの庭とも言える。

 つんのめるような急減速。前輪へ重心を移してグリップを稼ぐ。イン・コースを攻めて稼ぐは旋回半径、それで抑えて遠心力。グリップと遠心力のせめぎ合う中、吹き飛ぶ寸前の速度を保つ。

「なめんじゃないわ、よ!!」

 22B自慢の足回り。すばる自在のステアリングとアクセル・ワーク。差が詰まる。エヴォⅣの紅白が次第に大きく見えてくる。

「運だけじゃ、」疾風に独語。「コーナは攻められないさ!」

「所詮は4ドア!」すばるに気合い。「車体剛性じゃこっちが上よ!!」

 エヴォⅣの横腹に覗くドアは4枚。この開口面積の分だけ車体剛性は損なわれる。

 対する22Bは執念で減らした2枚構成。この差が現れるのはカーヴでの踏ん張り――つまりは速度限界。

 強気で突っ込む22BがエヴォⅣに並んだかに見えた、その時。

 エヴォⅣの後部ドアが――開いた。

「な……!!」

 ブレーキは間に合わない。挙動を変えて逃げられるほど22Bのコーナリングは甘くない。

 張り付く。凝視。開いたドア。中から小さな影一つ――飛び移る。22Bのボンネット。

「見て!」鋭くすばるの声。この勢いでは進行方向とエヴォⅣから眼が離せない。

 あすかが見た。ボンネット上、大柄なターボ・インテイク――その向こう。

 50センチ、毛はほどほど。それが上げて顔。

「グレムリン!?」あすかの声が裏返る。

「本物?!」問うて疾風。

「本物!!」あすかが声を詰まらせた。「いけない――入っちゃう!」

 あすかの視線を受け流し、グレムリンはターボ・インテイクに姿を消した。

『さてと、運だけではないところを』心にほくそ笑む声。『見せてもらうとしようぞ』

「座敷童子?!」あすかが声を噛み殺す。「じゃ、最初からこれを――?!」

『悪戯の一つも仕掛けんようでは』座敷童子の声が響く。『座敷童子の名折れじゃろ?』

 言い残してエヴォⅣがコーナを抜けた。

 後を追う22Bに――変調。

「グレムリン!」必死にあすかが呼びかける。「お願い、聞いて!!」

 だが――。

「甘い!」すばるが断ずる。

「まだまだ!」疾風の言に自信が滾る。

 風を振り切る専用ボディ。

「こいつにはね!!」すばるの声に笑み。

 謳うEJ22改。

「技術とロマンが詰まってる!!」疾風に自信。

 パワーを受け止める変速機構。

「あ、そうか……!」遅れてあすかに得心。「グレムリンって……」

 すばると疾風の声がハモる。

「技術マニアなんだよ!!」

 職人の手作業という溶接を経て強化された専用ボディ。

 原型の弱点をくまなく克服した専用エンジン。

 “ガラス”とまで酷評された原型から入れ替えたという変速機構。

 ラリィ専用のサスペンション。

 製造原価ほぼそのままで発売したというメーカの意地。

 横腹のスポンサ・ロゴ『555』を16進数で表したとされる『22B』の由来に至るまで。

「策に!」疾風が。

「溺れたわね!」すばるが。

 EJ22改が吹け上がる。

 ボディが遠心力に抗い。

 サスペンションが地を踏みしめる。

 四輪が地を噛む。

 コーナを抜ける。

 大外――からエヴォⅣを抜き去る。闇に刻んでスバル・ブルー。

「お先!!」

 22Bが一気に躍り出た――トップへ。


「優勝ぉ!!」

 伊勢神宮、内宮入口の大鳥居。参拝を済ませて最初に出てきたのは――巫女袴。

「おめでとう!」出迎えたすばるがあすかとハイ・タッチ。

「ありがとうございます!」あすかが深々と下げて頭。「私、決めました!」

「何を?」すばるに怪訝顔。

「あのですね……」あすかが耳打ち。

「就職希望!?」すばるの声が裏返る。

「はい!」あすかが清々しく下げて頭。「よろしくお願いします!」

「ってナヴィゲータは間に合ってるし」すばるが逸らした視線の先に22B、グレムリンと戯れる疾風の姿。

「妖怪対策ならお役に立ちますよ!」胸を張ってあすかが笑みつつ力こぶ。「グレムリンも懐きましたし、私の知識とツテがあれば鬼に金棒!」

 首をひねったあすかが潜めて声。「で……どこがいいの?」

「え、だって……」あすかが頬を赤らめて、「あの……結構頼れるし……」

「そう?」すばるが首を傾げた。

「……力強いし……」あすかの声が先細る。

「そんなに?」すばるが訝しむ。

「……ひねりが効いてて……」

「え……?」すばるが疾風を振り返る。

「……グレムリンまで……」あすかが指を絡める。「その……虜にしちゃって……」

「まあ、」すばるが頬を掻く。「仲はいいみたいね」

「だから!」あすかが顔を上げた。瞳の色が濡れている。「私、もう離れません!!」

「そ、そこまで!?」すばるがたじろぐ。「ちょっといい?! 早まっちゃだめよ、若いんだから!」

「そりゃ年下ですけど!」あすかが言い募る。「あんなにされたら……私……!」

「何ですって?!」疾風を振り返るすばるに殺気。「ちょっと今……」

「もう我慢できないんです!」すがるような、あすかの眼。「一緒にいさせて下さい――22Bと!!」

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