PENGUIN

春義久志

PENGUIN

 「そういや見たことないんだよな、ペンギン」

 国営放送の番組CMを見ながらそう呟くと、宇宙人を見たかのような表情を浮かべられた。

 「いいだろ別に。日本に棲んでる鳥じゃねえんだから」

 「1600羽」

 「何さ」

 「日本で飼われてるフンボルトペンギンの数」

 数字だけ言われてもピンとこない。

 「要するに、野生飼育問わず全世界のフンボルトペンギンの約一割が日本にいる」

 「それはなかなか」

 「つまり、それだけたくさんいるペンギンを見たことないお前は、宇宙人に負けないくらいの少数派ってこと」

 「だったらもっと主賓らしく扱え」

 菓子受けの中の柿の種を貪りながら、傍若無人に文句をつけながら話を続ける。

 「海なし県出身って話はしたことあったよな」

 「海水浴行ったことないってのも聞いた」

 「そうなると、身近に水族館なんてのは置いていないのさ。おふくろが、獣臭いのが嫌いなのもあって、動物園も行ったことないし」

 「たいていどっちかくらいはありそうだな」

 「つまり、俺にとってペンギンって鳥は、ドラゴンとかネッシーとかトナカイくらい、非現実的な生き物ってわけ」

 「いや、トナカイはいるだろ」

 「いるの?」

 「どうしていないと思ったの」

 「シカがソリ引いたり空飛んだりするわけないなって」

 「空は飛ばんだろ」

 「飛ばないの?」

 たまらず頭を抱えだしたのを横目に、セピア色の記憶が蘇ってくる。すでに一缶空けたチューハイのせいだろうか。

 「ガキの頃、キミちゃんって女の子と友達だったんだ」

 「いくつくらいの時さ」

 はっきりとおぼえてないが、まだ俺が男だった頃からの知り合いだったのは確かだ。

 「家が近かったし、物心付く前から遊んでたんだよな。写真にもよく一緒に写ってた。おままごとなんかしてても、大きくなったら本当に結婚しようねなんて約束してさ」

 「お前がお嫁さんでか」

 まだ男だったわい。

 「病気で俺が女になって以来、男子からも女子からもオトコオンナってからかわれると泣いたりもするわけさ。まだガキだし」

 「胡座かいてカップ酒を空にする姿からは想像もできんな」

 どうしてこんなことに、などとヨヨヨと泣くふりをする頭をどついた。

 「誰もいないところで泣いてると、どこからともなく聞きつけて、キミちゃんが慰めてくれるわけさ。そんで、俺の泣き言に付き合ってくれるうちに、キミちゃんもつられて涙目になってくるわけ」

 自宅に帰ると黒いランドセルを投げ捨て、自室の机の下に潜り込みベソをかく。決まり事のような日々を、キミちゃんと共に過ごした。

 「南極まで行こうよってよく言ってくれた。私とペンギンしかいないなら、きっと誰もタカちゃんのこといじめないもんって。それは素敵だなって、泣いてた俺も少し笑ってさ」

 そういうキミちゃんはペンギンを見たことはあったのだろうか。今となっては知り様もないけど。

 「小学生のうちにお互いに引っ越して、連絡先もわからんもんなぁ」

 そろそろ、誰かのお嫁さんになってもおかしくない年頃になった。元気にしているだろうか。

 「じゃあ、行くか」

 「キミちゃんところへ?」

 「ペンギンに会いにさ」


 「なんでまたこんなところに」

 「失礼な。これでも23区内だぞ」

 「ほぼ千葉じゃん」

 「夢の国が近くにあるってことは、つまり東京だろ」

 「あってるけど違うって」

 どこにでもありそうな、普通の駅前通りだった。土地勘がないので少し後ろを歩いて付いていく。実家がこっちの方なんだと話しているのを聞いているうちに入り口まで来た。ペットショップに毛が生えた程度だと思い込んでいたので、案外立派で驚く。小動物中心の展示を眺めながら順路を進み、目的地へとたどり着いた。

 「もっとデカイかと思ってたわ」

 少し磯臭い池のそばにある、親子のペンギンを模した募金箱が目についた。あれくらいのサイズがあるのかと思っていた。

 「フンボルトはこんなもんだわな。コウテイに会いたきゃ本当に南極行かないと」

 「そこに連れてってくれればいいのに」

 「ハネムーンはそこにするか」

 「寒いのはやだ」

 どうだと言わんばかりのドヤ顔に感謝を伝えるのが少し照れくさくて、減らず口ばかり叩いてしまう自分が少し情けない。

 「ネットで見たことあるけど、くちばし開くと、歯だかトゲだかがびっしりでおっかないんだろ」

 「お前と一緒だな」

 「どこがよ」

 「口を開かなきゃ可愛い」

 正解のリアクションがわからず、とりあえず二の腕をグーで殴った。

 子どもたちの黄色い笑い声が聞こえる。男の子と女の子が池の傍に駆け寄ってきた。ここは大人らしく、最前列を譲ろう。

 さして広くない池を退屈そうに及ぶペンギンを見つめる、黒くきらめく4つの瞳を眺めるうちに、少しだけ肩の荷が降りたようなそんな気がした。

 やっとペンギンを見れたよ、キミちゃん。

 抜け駆けしちゃってたらごめんねと、心のなかで詫びを入れる。吹き付ける秋風に乗って、この想いは彼女のもとへと届いてくれるだろうか。

 「これでもう、ペンギンを見るたびに元カノのことを思い出すことなどなかろうし、遠路はるばる連れてきたスパダリ様への感謝の念は絶えることないであろう」

 「自分で言うな」

 しょうがない、昼飯くらいはごちそうしてやる。

 「ついでだし、実家寄ってくか?近いぞ」

 「んー、また今度で」

 大した格好をしていないし、さすがに心の準備が出来ていない。

 隣に立つ恋人を横目で見ると、少しばかり不安気な様子。何か口にするのを躊躇しているように見えた。

 「なんだい」

 「聞いたら後悔する気がして言いたくない」

 「言ってご覧。いや、言いなさい」

 睨みつけに観念したように尋ねてくる。

 「キミちゃんのこと、今でも好きか?」

 「もちろん」

 即答した。

 一つ年下なのに俺よりも背が高くて、おままごとで作る料理はいつもオムライス。泣き疲れて肩を寄せ合いながら、いつのまにか一緒に寝落ちしてしまった彼女のことが、大好きだった。

 聞くんじゃなかったとばかりに小さくため息を付いた姿が可愛くて、少し意地悪をしてみたくなる。

 「妬いたかい?」

 「小学生にヤキモチ妬くほど、子供じゃないさ」

 素直じゃないのは、どうやらお互い様らしい。

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