人生旅日記・山の彼方[あなた]にあったもの

大谷羊太郎

山の彼方にあったもの ~ある幼な子の一日放浪記~


  足の向くまま あてどもなしに

  流れ流れて 白髪に変わり

  たどり着いたぜ このシリーズに

____________________


◆前口上の①


 これは昭和の初期、今の東大阪市の住宅地で、実際にあった出来事である。学齢前の長男一人を家に置き、その日、母親は次男を背負って買物に出た。

 用事を済ませて帰宅したとき、長男の姿は見当たらず、家の中はがらんとしていた。

 多分彼は、ちょっと外に出て、家の周りででも遊んでいるのかと、母親は軽く考えた。ところが、いつまで経っても、長男は戻ってこない。近所の人に訊いてみても、だれも彼の姿を見ていないという。

 やがて日も暮れた。そして夜も更けてくる。知らせを受けて、近くに住む親戚たちも集まってきた。不安の中で、とうとう夜が明けてしまい、あとは警察の力だけにすがるしかなかった。

 幸い、翌日になって、長男の所在地点がわかった。一同、喜びの声をあげた。ただ納得できないのは、そこは住いから、ひどく離れていることだ。とても子供の足で歩いてゆける距離ではない。

 それにしても、一人家にいたはずの幼い彼が、なぜそんな遠くに身を移していたのか。

 悪人の誘拐犯が、留守番中の彼を言葉巧みに誘い出し、遠くまで連れ去ったのではない。彼の身柄を移動させたのは、善意の人。この行動に、馬が一頭、協力していた。

 なぜこんな奇妙な現象が生まれたのか。そのいきさつを、だれよりも正確に話せる人物が一人いる。言うまでもなく、その人物とは、一件の主人公、すなわち忽然と家の中から消え去った、長男当人である。

 今回、この話を書きつづるに当たって、その人物を本欄に登場させ、八十年以上も前に体験したことの一切を、包み隠さず語らせることにした。

 早速、本人の口から、当時の記憶を、そっくりそのまま語ってもらうことにする。


◆前口上の②


 この話を開けていただきまして、まことにありがとうございます。さて、留守番中の幼児が家の中から消えて、とんでもない場所にいたという奇妙な一件の体験者とは、なにを隠そうこの私、大谷羊太郎であります。

 早生まれの私が入学した小学校は、伊豆大島にありました。三年生の夏休みまで、そこに通い、埼玉に転校します。入学の前年は、都内目黒区におりました。

 私があの体験をしたのは、東大阪市(当時の布施市)でしたから、それより前のことです。すると何歳になるのかな。学齢前だったのは確かです。

 古い古い思い出なのに、今でもさまざまな場面が、鮮明に蘇ります。これは、折に触れて、ひんぱんに思い起しては、記憶を反芻していたからです。

 目で見た光景だけではなく、そのときの心の動きまでが、ありありと思い浮かんでくるのです。

 さて、話し出す前に、もう一つだけ申しあげたいことがあります。

 実は、これから始まる「一日放浪記」の最後に、私はある変わった体験をしました。この体験は、年齢面では最年少記録だろうと、今でも固く信じています。これから先も、この日本記録は、ずっと保持できると信じているのですが。

 それが何の体験記録なのかは、今は伏せておきましょう。

 念のために言いますと、この記録、自分しか知らない実績、といったものではありません。大勢の大人たちが、そばで私のその姿を見ています。さらに言えば、当日の公文書にも、私の名が書き残されたかもしれません。

 またまた、余計な前置きを重ねてしまいました。では、急いで本題に入ります。


◆ことのはじまり


 父は勤めに出ているし、母も弟もいない。独りぼっちになった私は、座敷に腰を降ろして、所在なげに庭を見てました。

 当時、私たち四人家族が住んでおりました家は、座敷から外を見ると、廊下に続いて縁側があり、その先は小さな庭になります。そこは低い生垣で、家の庭と、その外側に拡がる原っぱとを仕切っていました。

 原っぱの向こうに見えるのは、女学校です。そして目に止まったのが、広場の右端のあたりに、きれいに積み上げられていたトロッコの軌道、つまり線路でした。

 恐らくこの草地に、大きな建物でも建てる準備をしていたのでしょう。大地の草はほとんど消えていて、土が剥き出しになっている。整地工事も終わり、つないで使っていたトロッコの線路もはずして、そこに積み上げ、撤去を待っている。そんな状態だったのですね。

 当時の幼い私には、そのような判断のできる知識などありません。見慣れているいつもの草地と違う光景に、目を惹かれたに過ぎません。

(あのきちんと積んである黒いものは、なんだろう)

 なにかにいったん、好奇心が取り憑りつくと、あとはもうその一事だけに夢中になる。私の持つ悪い性癖が、この瞬間に、むくむくと頭をもたげました。

 それが、あの異常体験を呼び寄せたのてす。

 積み上げてあるものを、もっと近くで、はっきりと見たい。思いつくなり、私は外に飛び出していました。

 あそこまで行って、すぐ近くで眺めてみるだけ。そのつもりだから、身支度などはいらない。履物だって、なんでもいい。時間もかからないし。


 私は家を出ると、広場を横切って、急ぎ足でその場所に近付きました。そして自分の背丈よりも高く、きれいに積まれた線路の山に沿って、視線を上下に動かしながらゆっくりと歩きました。

 積み上げられていたものの裏側に回ってから、ふと私は、視線をわきに向けました。そこには、広場からそちらの住宅地の奥に向って、まっすぐな道が伸びています。

 道の先は、横に並んだ住宅に突き当たって、丁字路になっている。ここでまた私には、新たな好奇心が生まれました。

(あの突き当たりに立って、左右を見たいな)

 当時は多分、この地に越してきたばかりだったのでしょう。なにを見ても、もの珍しかった。私は、引き込まれるように、そちらの道に移動しました。

 道の突き当たりまで来て、また同じ光景を見ることになります。左右いずれの道も、少し先で、そこに建った人家に行く手をさえぎられ、方向を変えている。

 ここでまた、同じ好奇心が私の背を押します。私は左手方向を選び、足を進める。そしてそこでもまた同じ気持ちになって、足を前に進める。

 これは、探検家の心理と同じですね。未知なる地に抱く好奇心です。大人になれば、住宅地の中の様子など、はじめて訪れる地であっても、珍しくもなんともない。子供だからこそ、情熱のとりこになったのでしょう。

 前後を忘れて、歩きつづけるうち、家からは遠ざかってゆきます。やがてそれに気づきました。

(どうやって、お家に帰ればいいんだ)

 むろん、不安感が芽生えます。ここで、世間一般の子供なら、歩いている大人に声をかけて、事情を話すでしょう。必ず、その地点から帰宅できる方法を、教えてくれるはず。

 ところが私は、それをしなかった。ひたすら歩くことに専念した。それも、家からは離れてゆく方向に向って。

 なぜ、そんなおかしな行動をつづけたのか。実は正確には、説明がつきません。どうやら、夢の世界にまぎれ込んでいたようです。お伽の国に、ひょっこり移動してしまった。仕方がない。しばらくは、こうして遊んでみよう。

 不安感を押さえながらも、あわてるでもなく、私は異次元での時間を、楽しんでいたようです。


 だいぶ歩いた末に、住宅街が切れ、幅の広い道に出ました。当時のことですから、そんな広い主要道路でも、舗装などしていない。無造作に、砂利を敷いただけです。

 時折、自動車も行き来するので、私はこの道の端を歩きました。それにしても、理解に苦しむのは、ここでも、わが家のある方向に、背を向けていたことです。

 このときには、自分がすでに迷子になっているのを、確実に意識していました。なのに、ただひたすら、家から遠ざかる方向に、私は歩き続けるのです。

 ここまでお話してきて、私は気がつきました。家を出てから、すでにかなりの時間が経っています。なのに私の記憶の中には、人の姿というものが、ただの一人も浮かび上がってはきません。

 いかにその当時、人けのない場所だったとはいえ、すれ違った人もいるでしょう。歩みの遅い幼児です。何人もの大人が、追い越していったはず。

 なのに、人の姿というものが、まったく記憶から消えています。展開するのは、私だけがいる世界です。まさにこれは、夢物語と呼べそうです。

 しかしこのあと私は、多くの人と接し、視界の中にも沢山の大人たちが登場します。その人たちの姿も、私の耳に入った声も、しっかりと憶えています。

 そう考えたとき、また一つ、やはりこれは、夢物語なのだな、と思い直しました。なぜなら、そのとき私が触れた数多くの人たち、彼らはすべて、恐らくはもう、この世の中には存在していないのですから。

 これは私が五歳ぐらいのときの話。あれからすでに、八十年以上経っている。記憶に現れる大人たちは、みな二十代後半以上の人ばかりですから、今生きている可能性は、とても少ない。

 となると、当時の私を見ていた人で、今も生きている人の確率は、皆無に等しい。もしいたとしても、あまりにも古い記憶だから、私の話の真実性は、立証できるかどうか。

 そう考えると、この話を包み込んだ夢幻の雲は、いっそうその厚みを増します。

 なかば夢見心地で、見知らぬ土地を、どこまでも進んでゆく。この状況を、後年になって私は、有名なあの詩と、結びつけて考えました。


  山のあなたの空遠く

  幸い住むと人の言う


 山の向こうには、幸いが住んでいると人から聞いて、山を越えて見に行った。ところが、そんなものなかった。がっかりして戻ってきたら、それなら「幸い」は、その先の山の向こうにいるんだよ、と改めて教えられた。

 そのときの私の心理。街角を曲がった先に、目を楽しませてくれる珍しいものが、あるはず。もしなかったら、次の角を曲がった先に、きっとある。この心理を繰返して、迷子の深みにはまっていったのです。

 ある有名な政治家が、田舎に住んでいたごく若い頃、目の前に見える山の向こうに、強い関心を抱いたという話を、新聞で読んだことがあります。一つ山を越してみたが、満足出来ず、次の山を越えてみた。

 やはり期待の光景は、現れない。そして次の山と、繰返しててるうち、日が暮れてくる。

 山に向った彼が、帰ってこないとなって、村では大騒ぎ。人数を集めて、探索に向ったと、新聞には出ていました。

 それを読んだとき、つくづく思った。私一人じゃないんだ。山のあなた族は、あちこちにいるんだな、と。

 この政治家の場合は、行先が家族にはわかっていた。私の場合は、それがなかった。

 おっと、また私の悪い癖、本筋を離れてわき道に踏込みました。急いで、もとに戻りましょう。


 どのくらい歩いたものか。心細さが拡がってゆきます。それに加えて、霧のような雨が降り始めました。あたりには建物も人家も消え、郊外の田園風景が拡がっていました。

(このまま、夜を迎えたら、ぼくはいったいどうなるの)

 そう考えながらも、くるりと反転して、家のある方向に向う気が、なぜ起きなかったのか。

 いや、心の中では、起きていたのです。それを立証できる展開が、目の前で起きたときのこと。前方から、乗合バスがやってきたのです。

 私は道路の、左側の端を歩いていた。バスは右側を走ってきました。

(そうだ。あのバスに乗れば、家の近くまで帰れるぞ)

 だれでも考えることを、私も思った。駆け出して、道路を渡ればいい。バスストップもそばに見えています。

 ここが、私の尋常ではないところ。あまり胸も躍らず、すぐに反論がわきあがりました。

(でも、ぼく、お金を一銭も持ってない。お金がなければ、バスに乗れない)

 そうだ、とにかく乗って、車掌さんにわけを話せばいいんだ。お金はあとで、親がバス会社に届けると言って。

 学齢前なら、料金を取らないだろう、とまでは頭が回りません。わけを話しても、聞いてはくれないかも、という仮定が生まれる。

 もたもたしているうち、一度止まったバスは、発車してしまいました。

 こうして私は、またもとの歩きにもどります。夜までには、まだ間があったかもしれませんが、空は厚い雲で覆われていて、視界に暗さも漂ってきました。

 あてのないまま、私は歩いた。その速度も、かなり遅くなっていたはず。


 と、私の後方から、荷車の廻る音が近づいてきました。それは、私のすぐ右手で私を追い越しにかかりました。

 でも、抜いてゆかなかった。私のすぐわきで、車輪は回転音を止めました。そして、私の前に、一人のおじさんが現れました。

 おじさんは、私の前に立つと、声をかけてきました。

「どないしたんや、ぼうや」

 地獄で仏とは、まさにこのこと。私は事情を告げました。するとおじさんは、とにかく我が家に連れてゆくから、荷車に乗れ、と言ってくれました。

 この荷車、動力は馬です。当時はこのような荷車を、馬力ばりきと呼んでいました。とても長細い台車で、屋根も囲いもありません。長さのある材木を運ぶ馬力のようです。台車の両端の何カ所かに、棒が立ててあります。

 今は空ですが、ここに長い木材を積むのでしょう。そのとき、台車からこぼれ落ちないよう、積んだ木材を支えるための棒だとわかります。

「いいか、今、荷台に乗せてやるからな、この棒に、しっかりとしがみついてるんだぞ」

 そう言っておじさんは、私を抱き上げます。そして台車の端、立ててある棒のわきに、私を腰かけさせました。

 言われるまでもなく、私はその棒にしっかりと抱きつきます。

 手を離せば、台車の振動で、私の体は道に落ちます。それも知らずに馬力は進む。そうなったら大変と、必死で私は棒にしがみつきました。

 さて、おじさんは馬にまたがると、鞭を一振り、車輪の回転音とともに、私を乗せた台車は動き出しました。

 これは、乗り物用に作られた台車じゃありません。車輪の振動が、じかにお尻に伝わってくる。なにしろ、当時の道路ときたら、舗装などしてません。晴れた日には、埃が舞う。雨になったら、ぬかるみになる。

 道路は、大小の小石がまじった砂利道。鉄輪は、上下に激しく振動する。緩衝装置などなしですから、お尻はその衝撃をまともに受けて、痛くなる。その上、覆うものがないので、勢いを増してきた雨足を、全身で受け止めるしかありません。

 そんな過酷な状態なのに、私は幸せ感に酔ってました。運がよかった、助かった。と、胸のうちで、繰返していました。


◆握り締めた五銭玉


 それから、どのくらい時間がかかったか。そこまでは憶えていません。救い主の自宅に着きました。家族の方たちが、出迎えます。

「帰り道でな、雨の中を、泣きながら歩いてる子がいてな。迷子らしいので、拾ってきたんや」

 私は井戸端に連れてゆかれ、足をきれいに洗ってもらいました。

 濡れた服の代わりに、ありあわせの衣服を着せてくれました。馬も小屋に入って、飼い葉にありついた様子。家の中では、一家団らんの夕食がはじまりました。

 どんな料理が並んだのか、まるで憶えてはおりません。客の私は、問われるまま、迷子になるまでのいきさつを、熱心にしゃべったと思います。

 家具を置いてない三畳ほどの長細い部屋に、寝具を敷いてくれました。そのとき、おばあさんが「ほら、お小遣をあげるよ」と、お金までくれました。五銭玉一つです。

 一銭の所持金もなかったのですから、このお金は大切にしなくては。そう思って、はっと気づきました。私の服には、ポケットがなかったことを。

 こうなったら、しっかりと手のひらに、握り締めているしかありません。その固い決意も空しく、いつしか夢路をたどりはじめると、決意までが意識から消えてしまいました。

 結局、心のこもった贈り物は、あの部屋に置き忘れたわけですが、そのときに体験した人の情けのほうは、握り締めた五銭玉の感触とともに、こうして生涯忘れることはありません。


◆若年記録樹立の日


 改めてあの体験を、じっくりと思い返してみると、世の中がいかに現代とは違っていたかが、とてもよくわかります。

 今だったら、機能的な社会の構造が素早く動いて、迷子など直ちに探し出すでしょう。でも、当時は万事がこの調子で廻っていました。

 夕食が終わると、

「疲れたやろうから、今夜はゆっくり寝な。あしたになれば、お家に帰れるからね」

 あとは万事、明日回しです。

 翌日になって、親が私を引き取りにきました。家にもどると、たった今まで、わが家に人が、何人も集まっていたのだと、座敷の様子で推察できました。座布団が散らかり、出前で配達されたらしい食器が、いくつも空になって、乱雑に部屋の隅に置いてあったので。

 さて私は、そのお家で、この日の朝を迎えました。しかしまだ私は、警察の人とは接触しません。

 朝食後、おばあさんが私を、散歩に誘ってくれました。いつもそうしているらしく、赤ちゃんを帯で背中に巻き付けて、外に出ました。

 そして、行き着いた場所が、近くにある飛行場です。と、言っても、広大な敷地ではありません。道路との境は、金網で仕切ってあります。

 私は金網に顔を押しつけるようにして、飛行場なるものを、観察しました。すぐ目の前を、プロペラを回しながら滑走してゆく飛行機。こんな珍しいものを見たのも、迷子になったお陰です。

 それから時間が経ってから、やっと私は家の人に連れられて、交番に行きました。なにがあったのか、交番の回りには、人が集まってました。

 そして今度は、そこから本署に向うことになります。このあたりの記憶は、あいまいですが、鮮明に浮かんでくるのは、一人の警官に伴われて、本署の建物の中を移動する場面です。

 交番のお回りさんは、若かった。しかしこちらの警官は若くはないし、いかめしかった。当時の警官はみなそうでしたが、腰にサーベルを下げていました。動くたび、ガチャガチャと金属音を立てます。

 今は、お巡りさんというと、多くの人は親しみを感じます。しかしあの頃は、そうではなかった。たとえば、夕方になっても家にもどらず、集まって遊んでいる子供たちに、「ごはんなのに、家に帰らないと、お巡りさんに言いつけるよ」と、迎えに行った母親が怒鳴ると、たちまち子どもたちは、「わあっー」と喊声をあげて、みんなそれぞれの自宅に走ったものです。

 このとき私を伴って、署内を歩いた警官も、威圧感にあふれていました。

 さて、彼は私をどこに案内したでしょうか。皆さんの想像外の場所だと思います。彼は階段を降りて、天井は広そうなのに、窓のない閉塞感に満ちた場所に入りました。その部屋の入口の床に立った私は、右手の壁際を見ました。そこには小さなデスクを前に、若い警官が座っています。

 入室してきた警官を見るなり、この若手警官はすっと席を立ち、直立の姿勢になりました。こちらの警官は、顎をしゃくって、「開けろ」と、短く命じました。

 鍵を手に、若い警官は動きました。私の目も、彼の動きを追います。彼は私のすぐ前まで歩いてくると、体を回して、私に背を向けました。

 彼は手にした鍵を使ってから、わきにどきました。私の目の前に、こんな光景が広がりました。左の壁から右の壁まで、そして天井から床まで、いっぱいに鉄の格子が張ってある。

 その格子の向こう側には、所せましとばかり沢山の男の大人たちが座っている。彼らの目は、一斉に私にそそがれました。

 若い警官は、その鉄の格子壁にはめこまれたドアを開けたのだと、わかりました。そして私に、ここに入るんだよ、と言い、手を取ってくれました。

 ごく小さなドアですが、私は子供なので、難なく入りました。でも大人だったら、背をかがめないと、出入り出来ないかな、と思いました。

 若い警官はドアを閉め、鍵をかけました。改めて、私は部屋の様子を眺めました。明るい表情の人はいなくて、みな暗い顔つきです。中には、最初からこちらには、見向きもせず、なにか深刻に考え込んでいる人もいる。

 後年、警察の知識も身について、ここが留置場、つまり私が入ったのは、大繁盛中の雑居房とわかりました。

 前のほうで私が、最年少記録を作ったと言ったのは、この体験をさしています。今後、私の記録を塗り替える若年者が現れるとは、とても思えません。


 そのとき、そこにいた人々は、善人と悪人とにわけたとき、おおむね後者に分類されるのではと、私は思います。しかし、どんな場所であろうとも、心やさしき人が、きっといるものです。

 私もここで、親切なおじさんに接しました。中に入ったものの、二十人いたか、三十人いたか、人混みの中でうろうろしていると、声がかかりました。

「ぼうや、こっちにこいや」

 やさしい顔で、ニコニコしながら、手招きしているおじさんがいる。私はためらわずに、そちらに向かいます。おじさんは体を、触れんばかりに寄せ、上機嫌でなにか少ししゃべったあと、

「腹減ってへんか」

 と私に訊きます。なんと答えていいかわからず、黙っていると、

「好きな食い物は、なんや。遠慮なく言うてみい」

 と、私の肩を揺すります。せっかくの好意なのに、黙っていては悪いと思い、「うどん」と、小さな声で答えました。

 するとそのおじさん、顔を入口のほうに回して、「おおい、担当さん」と、大声で呼びました。入口わきのデスクにいた若いお巡りさんが、立ち上がってこちらを向きます。

 おじさんは、うどん一杯、と注文の品の名を告げます。

 そのあと、おじさんが私を相手に、雑多な話を聞かせてくれているうち、なんと出前持ちが、階段を降りてきたのです。

「へえ、お待ちどお」

 出前持ちは、鉄格子のすぐ前まで近寄りました。そして、背を丸めてかがみ込み、下げて来た箱の中から、湯気の立ったうどんの丼を取り出したのです。

 鍵を持った担当のお巡りさんは、デスク前で座ったままだし、どうやってあの丼を、渡してくれるんだろう。

私が気を揉む必要はありませんでした。鳥籠と同じ仕掛けが、この鉄格子にはついていました。丼程度の小物なら、自由に出し入れできる小窓を開け、出前持ちは湯気の立つ私の好物を、迅速に届けてくれました。

 お腹もくち、回りの雰囲気に馴染んできた頃、私はそこから出されました。そして迎えに来た父親と一室で対面。こうして、波乱に満ちた私の「一日放浪記」は、めでたく幕を降ろすことになりました。


◆終りに


 自宅からふらふら迷い出て、この地まで来るような問題児です。親が迎えに来るまでの間に、そっと本署の建物を抜け出して、どこかに行ってしまい、また人騒がせを起こすかもしれない。

 それを防ぐには、外から鍵のかかる部屋に、閉じ込めておくしかない。警察ではそう考えて、一時保護するのに、あの場所を選んだのでしょう。

 もっとも後年、父親はこう言いました。

「あのときは、本当に心配したんだ。留置場に入れられたのは、親不孝の罪さ」

 案外、こっちが正解かもしれませんね。

 一歩、そうしてまた一歩と、前進することで、新しい視界が開け、そこに胸の躍るような発見があるかもしれない。幼稚なそんな空想が、私の歩みを、前に前にと進ませたのです。

 三十代のなかば、ある偶然のきっかけで、江戸川乱歩賞の応募を決意しました。小説を書くのは、ずぶの素人。周囲に相談できる人もいません。

 なのにここから、執拗な挑戦がはじまります。最初の応募から、「すぐ一歩前に幸運が待っている」という信念が燃えていました。以後、落選が続きますが、この信念には少しの揺るぎも生まれません。むしろ年々、思いは強くなるばかり。

 そして遂に、念願が叶いました。よくまあ、五年も性懲りもなく、挑戦し続けたものだと、人にもあきれ顔で言われました。

 しかし、あの強い思い込みがあったからこそ、三十九歳で文壇にデビューでき、四十歳からは、筆一本の生活に入れたのです。

 一旦、なにかに心をつかまれると、ほかのことはすべて忘れて、意識はそれ一本に絞り込まれる。日常生活では、この性格がわざわいして、失敗ばかり引き寄せます。

 本日はまず、この変わった性格のお陰で大失敗した体験を打ち明け、そして逆に、そんな人間だったからこそ、人生が開けたというお話をいたしました。

 皆様のご感想を、もし聞かせて頂ければ、幸いです。ご静聴、誠にありがとうございました。(終り)

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