第18話 アンジュ=サットンとお買い物③



もうごく自然に私たちは手を繋いでいた。楽しかった。本当に。彼に洋服を選んでもらって、カレーなんてものも食べさせてもらって。ここまでは本当に楽しかった。



しかし。



「おっ!神田じゃん!」



その声に今日一日をすべて台無しにされた。



「丁度良いとこに居るもんだな!」


「…」



その男の姿を捉えた途端、彼の体が強張った。私と繋ぐ手に力が籠る。グッと私は引き寄せられて視界が彼の背中で満たされる。



「何してんだよ?」



その男の顔は見えない。でも。私はこの男の声を覚えている。



「俺ら丁度金なくてさー」



この声は。



「神田ぁ一緒に遊ばない?」



あの時、図書室で彼の事を殴った男の声だ。そう男が言った瞬間彼は掴んでいた手で私の事を後ろ手に押す。彼との距離が開く。



「無理」



そう言いながらも彼はその男たちに近づいていく。そのせいで彼と私の距離がさらに開く。



「つれないこと言うなよ」



彼の行動の意図が分からなかった。どうして私と距離を開けるのか。どうして彼らに近づいていくのか。



「お前また前みたいに殴られたいのか」



男があの体の底から震え上がりそうな声を出す。



「いやそれも無理」



こんな声を出す彼は知らない。さっきまで彼は私のすること全てに心底楽しそうに笑っていて。こんな抑揚のない声なんて出すような雰囲気なんて全くなかった。



「いくら?」



ごく自然に。


朝になれば太陽が昇ることのように財布を取り出す彼から目を離すことができなかった。そんな彼を見て男はにやにやと気味の悪い笑みを浮かべる。



「今日はやけに素直じゃん。この間はあんなに抵抗したのに」



彼の質問に男は彼の答えない。彼の背中をぼんやりと見つめた。吐き気がした。圧倒的な悪意を感じた。この男は何なのだ。どうして彼からお金を受け取るのか。彼の背中から男に視線を移す。


後悔した。


男は彼ではなく、私を見ていた。目が合うと男はさらに笑みを深くする。男の悪意に晒されて体が動かなくなる。パッと男から目をそらした私は財布から数枚のお金を取り出す彼を見ていることしか出来なかった。






男は彼からお金を受け取るとすぐにどこかへ行ってしまった。緊張が解けた私は急いで彼に駆け寄って手を握る。



「…」



またこの目だ。何も見えていない何も聞こえていない何も感じていない目。



「か、神田!」



その目は嫌い。その目をする神田は怖い。そのまま私の手を放してこの人ごみの中に消えていきそうで。



「どうした?」



泣きそうになる私を見て彼はフッと一度自虐的な笑みを浮かべる。そして彼も泣きそうな顔をした。大丈夫?なんて聞けなかった。これまで泣いているのは私だった。慰めてくれるのは彼だった。これまでと違う状況に混乱した私はギュッと彼の手を強く握る。



「どうしたんだよ?」



何も言わない私に彼はいつもの呆れた表情をする。多分彼が泣きそうな表情をしたのは数秒の事だったと思う。それなのにその顔が頭の中にこびりついて離れてくれない。



「帰りましょ」



戸惑いながらそう言う私に“そうだな”と彼は少し安心したように頷いた。


私はもう神社には寄るつもりはなかった。電車の中で彼は何か考え込むように外を眺めていたし、そのまま帰ってもいいと思っていた。それでも彼は電車を降りる頃には元の彼に戻っていてそのまま神社に向かった。



「何も起こらないわね…」



神社の周りを一周してみても何も起こらなかった。まぁ、帰りたいという願いよりも私の心を占めていたのが先ほどの彼の様子であることにも問題があるのかもしれないが。



「まぁここに来るだけで帰れるならこの間帰れてるよな…」



そんな私の思いなんてちっとも知らない彼はため息をつきながら神社の階段に腰を下ろす。三回目。



「お前このまま帰れなかったらどうすんの?」



彼のそんな質問にドキッとした。帰ることが出来なかったら…そんなことちっとも考えていなかった。帰れなかったら私はどうするのだろう。



「まぁ帰れるまでは面倒見てやるよ」



さっと青くなった私を見て何のことはないというように彼はそう言う。



「どうしてそこまで優しくしてくれるの?」



ずっと不思議だった。こんな奇妙な女にどうして彼がここまで優しくしてくれるのか。



「へ?」



ぽかんとする彼は自分でも理由が分かっていなかったみたいだ。考え込まれて捨てられても困るのだが。



「お、お前が面倒見ろって言ったんだろ!」



顔を赤くして焦る彼はもうあの男の事を忘れているみたいだった。


忘れているわけないのに。


その顔に安心して私はそうねと頷いた。





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