第16話二人と炉

「なんなんだ、これは……」


 思わずこぼれたホルンの言葉は、その場の総意に相応しく思えた。


 確かに、古い小屋ではあった――それなりに底辺の暮らしを経験したホルンであっても、そこを家と認めるには勇気が要るような古さ。

 汚いわけではない、清潔と断言も出来ないがそれでも、得体の知れない伝染病は心配しなくて良さそうなくらいには手入れが行き届いている。窓も割れていないし、クモの巣も多くない。

 少なくとも一時的な寝床としてならそんなに、悪くないレベルだ。ちょっとした振動でギシギシと不穏な鳴き声をこぼす腐りかけの柱に、我慢できるのならば。

 長期的に住むのは無理だろう。というよりも、単純に危険だ。


 だがそれも、『嵐でも来たら危ないかもしれない』程度の危険である。けして、を想定する程度ではない。


 ……鍛冶屋、ギャラシャの仕事小屋は一晩の内に完全に崩壊していた。周囲には木片が飛び散り、柱は折れ、屋根が新たな床板に変身を遂げていたのだ。


「ギャラシャは無事だ、それを聞きたかったのならな」

 朝一番にホルンを叩き起こした老御者が、淡々と告げる。「幸い怪我人はいなかった」

「使われてない小屋だったのかな?」

「いいや、だが、奴がそこらの見習いより多少ましになった頃に建てた小屋だ。仕事はともかく孫まで産まれては、生活には手狭だった――幸いにも」

「全くだ。中に誰か居たら、怪我では済まなかっただろうな」


 小屋は完全に崩壊している。人気がなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。

 だが――。


「だとすると、僕たちに出来ることはそう多くないように思えるが」

 ホルンは首を傾げる。「建て直しに協力するのは構わないが、僕らも金庫の鍵を預かっている訳じゃあないんだ」


 今はまだね、と肩を竦めながら、ホルンはしかし本気で困惑していた。

 率直に言って老人が、自分に何を期待しているのか解らなかったのだ――朝一番に叩き起こすからにはてっきり、誰か怪我以上の被害を受けたのだと戦々恐々としていたのだが。

 そうなったら何とかして、首都への通報を防がなくてはならないところだった。今この時点で、警察の干渉を歓迎できるとは思えない。


 老御者は、説明の代わりに小屋の残骸を指差した――正確には、それを熱心に眺めているミザロッソを、だ。


「どうやら、お前の主人は理解しているようだがな? 気になるなら、聞いてみたらどうだ」

「気になったから、貴方に聞いたんだがね」

「……ふん、どうも本気で知らんらしいな。お前の【お嬢様】も案外薄情だ、黙ってを着させるなんてな」

「……やっぱりこの服に、何かあるのか?」

「気になるなら聞いてみろ。しがない老人に言えるのは、それだけだ」


 だが、と老御者は立ち去ろうとした足を止め、気紛れのようにヒントをこぼす。


「これだけは言ってやろう。その服にはな、


 何なのかは、探してみろと言うように。

 それ以上何も言わずに、老御者は今度こそ去っていった。









「さて、と」


 意図的に大きな声をホルンは選択した。


 一つには、俯き、残骸や地面を見詰めながら跡地をぐるぐると回るミザロッソに気付かせるため。これは、彼女の図太さに無視された。

 そしてもう一つ、小屋は村の外れ、ほとんど森に接するような位置に建っていた。早朝ゆえに人通りはなく、自分たちを連れてきた老御者は既に立ち去っている。

 詰まりは、誰に聞かれる心配もないというわけだ――一応、今のところは。


「気兼ねもいらなくなったところで教えてくれ、?」

「私が何でも知ってると思うのは勝手だけれど。知ってることを教えないケチな女と思うのは、止めてくれない?」

「ケチでないなら性悪だぜ。必要なことを、お前は俺に教えてない」

「失礼ね」

「尊敬だよ、お前は必要なことを調べ尽くしてに及ぶタイプだろうからな」

「……実際、完璧に把握しているとは言い難いわ」


 悪い方の予想が当たっただけ、と苦笑して、ミザロッソは漸く顔をあげた。


「そもそも今回の試験とやら、結局は先代伯爵――『お父様』の独断でしょう? その内容にまで、私は関知していないわ」

?」

「だけど。えぇ、認めるわ。私はクロック家の詳細には少しだけ詳しいから、予想は立てられた。あぁきっと、をさせられるんだろうな、って」

「研修?」

「……どうやらね、クロック家は領地を管理する傍ら、村人とより親密な交流があったようなの。その交流のお陰で、村人たちはクロック家に並々ならぬ感謝と信頼を寄せていたってわけ」


 当然後継者にもそれを求める筈よと、言われるまでもなく予想がついた。


「それこそアンタの言った通り。田舎の老人たちの悩み相談よ、但し解決まで保証する必要があるけどね」

「悩みを共有し、困難を把握し、それを排除する、か。貴族の嗜みってわけだ」

「だから例の暗号もさては、と思ったわけ。村で退屈な悩みを幾つかこなして、本番がやってくるんだろうな、とね」


 どうも、順序は違うようだけれど。

 肩を竦めるミザロッソに、ホルンは片眉を上げて見せる。


「ということは、これが本番ってわけか?」

「多分ね。ほら、これ」

「これは……何か引き摺った跡か?」


 ミザロッソの指し示す地面には確かに、何か重量のある物を引き摺ったような、太い溝が残されていた。


「それに、小屋の残骸を良く見て。確かに壊れてるし所々焦げてはいるけど……鍛冶屋の仕事場が倒壊したにしては、足りないと思わない?」

「確かにな。炉の上にこんなボロっちい木製の屋根が落ちてきたら、全焼していたとしてもおかしくない」

「考えられるのは二つ。炉に火が入っていなかったか――」

「――


 鋼鉄の火番、か。

 しかし、とホルンは首を傾げる。


「俺は鍛冶屋には詳しくないけどさ、炉ってそんな簡単に持ち運んだり出来るものなのか?」

「尋常な手段では、無理だと思う」

「……尋常手段なら?」

「可能だった、ということでしょ。現にないんだから」


 まあ、そりゃあそうか。

 どんな手段か知らないが、実際にここにないのだから手段は存在したということだろう。その手段が何なのかは、考える必要もない。


「どこへ運んだのかはこの跡を追えば良いとして……問題は、炉をどうするつもりなのかってとこだな」

「安いわけでもないでしょうけど、高く売れるってわけでもないでしょうし……」

「とすると、ギャラシャとやらに恨みでもあったか?」

「村唯一の鍛冶屋を潰してでも晴らしたい恨み? どうかしらね」


 確かにその可能性は薄いだろう――これから暫く農具を修理できない不便さと引き換えにする恨みなど、農村には多くない。他に幾らでも、鬱憤を晴らす手段はあるのだから。

 しかしそうすると、村人に動機を求めるのは難しい気がする。

 恨みでさえ引き換えにしないのなら、どんな動機で村人が鍛冶屋の炉をどうこうするというのだろうか。


「……一先ずその線は、考えなくても良いかもしれないな。犯人を見付けて問い質そう、それより炉の行方だ。下手に扱われると、火事のもとだぜ」

「この進路だと、森の方に進んでいるようね」

「なお悪いな」


 まあ、森に火を点けようとはしないと思うが……安心はできない。

 それこそちょっとした事故で、大惨事だ。


「さっさと追い掛けよう、いずれにしろ追い付けば解決だ」


 強引ではあるが、現実においては単純な方法こそ最も効果的なのである。

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魔女と詐欺師 レライエ @relajie-grimoire

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