紫陽花たちと歌う夢

星海空太

ある雨の日の出来事

 毎日、生きている意味が分からない。

実際、今も何のためにここにいて、自分が本当にこの世界に必要なのか、

壮大なことを考えているところだった。

毎日代わり映えのない日常。

変えたいと思う反面、変えたくないと思う気持ちの矛盾。

今日は人生について考える日にしようと思ったけれど、

とてつもなく天気が良かったので外へ出ることにした。

特に何の目的もない。ただの気分転換だった。

何となく何か楽しいことはないかなぁ。いつもそう思っている。

自分から行動しないと何も始まらないのはもちろん知っているけれど、

僕が求める楽しいこととは、多分、非現実的なことだと思う。

例えば、空に竜が飛んでいないかなぁとか。

「お前は中二病なのか」と言われてしまいそうだから、

他の人にはそんな事あまり話したことはない。

自分の考えは極力、心の奥にしまって、じっくりと味わうタイプなのだ。



 僕は携帯電話を片手に快晴の街を歩いた。

東京に上京して一年。何となく不安だった大学生活にも慣れ、気づくともう大学二年生。初めての一人暮らしは思ったよりも忙しくて、何よりも毎日生きていくことの大変さを知った。東京は大都会だと思っていたけれど、

この土地は僕の東京に対する想像に反していて良い意味で裏切られた気分だった。

何といっても自然が多く僕の心を休める場所が多かった。

僕が生まれ育った土地は東京に比べるとずっと田舎なはずであるが、

この土地は、どことなく僕の育った土地に似ていた。

武蔵野台地と呼ばれるこの土地は様々な本や映画の舞台となっている。

僕の好きなアニメーション映画の聖地でもあるらしかった。



行く当てもなく駅ビルをうろうろと歩いた。何となく雑貨を眺めては、

おしゃれな商品が多く並んでいるなぁと思いつつ、

購買意欲までには達しなかったので僕は再び街を歩いた。

僕の場合、店で商品を眺めるよりも公園等で考えにふけることの方が好きだった。

日の光を浴びて花が美しく咲き誇る風景を眺めるだけで幸せを感じる。

今は、六月。梅雨の季節で雨が多い。今日の早朝も大粒の雨が降っていた。

僕は寝ていたが窓を開けていたので雨の音がよく聴こえた。

眠りの中でも雨の音や香りがした。

雨の日は憂鬱だけれど何となく安心できるようで、

僕は眠ったまま目を覚ますことができなかった。

僕はふと行ってみたい場所を思い出した。

そういえば、紫陽花の季節じゃないか。

去年、友人が教えてくれたあの場所へ行こう。



僕は、ゆっくりと街の中を歩いた。

目的地は決まったが、約束でもないので別段急ぐ必要がないのだ。

僕は昼間から街を歩く、ごく普通の大学生。

誰にも咎められることもなく、ただひたすらに自由な気分だった。

空を見上げると太陽が眩しくて、空がとてつもなく青かった。

このままずっと、何者にもならず、

僕が、僕らしく生きていけたら、どんなに楽しいだろうか。

そんなことを考え、道を歩いた。

昼間だから道行く飲食店からとても良い香りがする。

お腹がすいてきてしまう。僕は、ふとポッケに手を突っ込んだ。

あ、あった。見事に小さな財布が入っていた。

中には、千円くらいの小銭が入っていた。

僕は、目についた蕎麦屋で昼食をすますことにした。

一番安価な蕎麦を頼んだ。

というのは、思ったよりもメニュー全体の価格が高かったからだ。

僕は、学生という身分で手持ちの金銭も少なかったため、

仕方なく安価な蕎麦を頼んだ。

しかし、この店の蕎麦は今まで食べたことがないくらいとてもおいしかった。

昼食を終え、僕は歩き出した。

辺りでは、おばあさんたちが和気あいあいと楽しそうに話している。

おじいさんは、杖をつきながらゆっくりと歩いている。

お母さんと子供が手をつないで青信号を渡る。

昼間は全てがのどかに感じられる。

本当に時間がゆっくりと進んでいるようだった。

僕は、ゆっくりと歩きながら街全体を見まわし世界を感じた。



特に何も考えず歩いていたら、いつの間にか目的地にたどり着いていた。

予想した通り、紫陽花が見事に咲き誇っていた。

平日ながら紫陽花が見頃ということもあり、多くの人が訪れていた。

僕と同い年くらいの人も数人いたが、圧倒的に高齢の方々が多かった。

本格的なカメラで紫陽花の写真を撮影している人もいて、

何だか楽しそうに見えた。

僕も紫陽花の写真を上手に撮ろうと試みた。

青紫の綺麗な紫陽花を被写体に角度を考えて写真を撮った。

我ながら、なかなか上出来な写真が撮れたと思う。

多くの若者は、こういう写真をSNSに投稿すると思うが僕は誰かにこの写真を見て欲しいという気持ちと、この写真を投稿しても仕方がないような相反した気持ちに駆られた。とりあえず親しい友人にだけ、この美しい紫陽花の写真を送り付けた。

紫陽花は丁度満開で僕は紫陽花の切なくて、どこか儚いところが好きだった。

僕は紫陽花が咲き誇る道を歩き、紫陽花の世界を満喫していた。

気が付くと、人がほとんどいなくなっていて天気がどんよりしていた。

もしかして天気が崩れるのではないかと思ったときには、もう遅かった。

突然、大雨が降ってきたのだ。

僕は別に服が濡れるのは構わなかった。

しかし、携帯電話が使い物にならなくなるのは勘弁してほしかったので、

とりあえず雨宿りすることにした。

屋根のある所へ行きゆっくりと腰を下ろした。

とてつもない雨の音。少し恐怖を感じるくらいだった。

何だか不気味で、何か起こるのではないか、そんな予感がした。

ふと見ると、僕と同い年くらいの女の子がいた。

お互いに目があってしまい思わず目をそらした。

少し気まずかったが外は大雨で、

僕は傘を持っていなかったので、ここにいるしかなかった。

一方彼女は傘を持っていた。僕はその傘を使わせてほしいと思いつつ、

仕方なく自分の携帯電話の安否を確認することにした。

複数の友人から僕当てにメッセージが届いていた。

今は返信するのが何だか億劫で僕は後で返信することにした。

雨宿りは、とても退屈でいっそのこと携帯電話はここに置いて

雨の中遊んでやろうかと思った。

しかし、流石に僕と同い年くらいの女の子がいる前で雨の中遊ぶというのは無理だった。僕が小中学生くらいだったら許されたかもしれないが、

僕はもう今年で二十歳。成人なのだ。

自由も増えたが、子供の頃のような自由はなくなったのだと僕は改めて感じた。

一人だったらある意味この雨を楽しめたかもしれないが、

人がいるので少し落ち着いているふりをした。

しかし、段々退屈になり、思わず彼女に声をかけてしまった。


「傘使わないの?」


彼女も突然声をかけられて、とても驚いた様子だった。


「うん、実はこの傘、結構穴が開いていて、あまり傘の意味がなかったの。

 それで、雨がすぐやむかなぁと思って仕方なくここに雨宿りしてたの。」


彼女は、ほんのりと笑っているようだった。

僕も思わず笑みがこぼれた。


「僕も、傘がないから雨宿りしてるんだ。

 でも、雨がやみそうにないから、

 もうあきらめて走って家へ帰ろうかと思っているよ。」


彼女は、また小さく笑った。


「私も、走って帰ろうかなぁ。実は傘の問題だけじゃなくてね、

 何となく家に帰っても暇だから雨宿りしてただけなの。

 雨の中走るのはきっと楽しいと思うよ。」


彼女は思ったより僕と近い感性を持っているように見えた。


「じゃあさ、僕と一緒に途中まで走って帰ろうよ。」


僕は何故か幼少期を思い出した。

あの頃の何事も全力で楽しくて、わくわくした気持ちを思いだしたようだった。


彼女が同意したので、僕と彼女は雨の中を走りだした。

しかし、彼女は足を止めた。僕は声をかけた。


「どうしたの?」


「うんう、なんかもう、このまま雨の中で遊びたいと思ったの。

 この紫陽花たちと一緒に雨の中歌って遊びたいって。」


彼女は、雨の中持っている傘を使わずに立ち止まった。

ただずっと空の上を見つめていた。

僕は、彼女が紫陽花のように見えた。

この少女は一体何者なのだろうか。

僕は彼女の名前も何も知らない。


「じゃあ、一緒に歌おう?」


僕は誰もが知っているであろう昔ながらの動揺を口ずさんだ。

彼女は目を輝かせた。まるで子供の様に二人で歌った。

自然の雨の伴奏は、とても力強く僕の心に響いた。

紫陽花たちも、喜んでいるように見えた。

彼女の小さく優しげな声も、僕はきっと忘れないと思った。

あたりの林から大きな風のささやきが聴こえた。

僕は、まるで違う世界に迷い込んだような不思議な気分だった。

彼女の透き通った声が、この大地に響き渡っているようで、

神秘的で、どこか不思議だった。

僕は目をつぶった。自然の声を聴いているような気分だった。



気づくと、僕は公園の屋根のあるベンチで眠っていた。

いつの間にか空は晴れていた。さっきのは夢だったのだろうか。

雨上がりの空は僕をもとの世界に迎えに来たように見えた。

それは不愉快には感じず、どこか安心できるものでもあった。

ふと夢の中にいた彼女の姿を探した。

もちろん、彼女の姿はそこになかった。

どうやら、あの大雨の中での出来事は僕の夢だったらしい。

すると、大きな風が吹いた。

一瞬だけ、夢にいた彼女の歌声が聴こえたような気がした。



この出来事は、他の人に話すことはなかった。

しかし、のちにあの紫陽花の場所には雨の神様がいるということを聞いた。

確かに、あの紫陽花の咲く場所には神社のような場所があった。

もしかしたら、彼女はあの場所の神様で

退屈そうにしていた僕を楽しませようとしただけなのかもしれない。

たとえ違ったとしても、

あの出来事は僕の心に大切な何かを思い出させてくれたような気がした。

僕らしく生きて良いのだという希望をくれた気がする。

今度、またあの場所へ訪れた時は、しっかりとお礼を言おう。そう思った。

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紫陽花たちと歌う夢 星海空太 @lucky-miyazawa

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