第2話
目指す魔女の家は、森に入って半日ほど歩いた中にありました。綺麗な川のすぐそばの水車小屋が、魔女の家でした。
魔女が扉を開けると、そこには目元を赤くした少女がいました。
彼女は、森の中で苦手なクモを見たり、恐ろしい狼の遠吠えを聞いたり、途中のいばらにひっかかってしまって痛くて恐ろしい思いをしてきたのです。
それでも、どうして来たのかという事を、魔女に聞かせました。
どうか、病の兄のためにあなたの涙を分けて下さい。そう、少女は懇願したのです。
きっとすぐ追い返されたのだろうな?
ええ、その通りです。魔女はまたいつもの輩が来たか、とつまらなさそうな顔でドアをぴしゃりと閉じてしまいました。そうして、
「お前にやる涙なんかない、さっさと帰んな」
と、ひどい濁声で言いました。閉じられたドアを、少女は森でこさえた傷だらけの手で必死に叩きました。何度も、何度も。
「お願いします!どうしてもあなたの涙が必要なんです!でないと、兄が…兄が死んでしまうのです」
妹の兄は、どんなお医者様にも治せない不治の病に冒されていました。来年の夏まで命があるかどうか、というところまで来ていたのです。
人を笑わせるのが好きで、病気になってからも自分の事を誤魔化すかのように冗談ばかり言う兄でした。恐らく、村の人々を笑わせて残りの日々を過ごそうとしていたのでしょう。
少女は、そんな兄が大好きで、別れを受け入れられませんでした。
少女の覚悟は固かったのです。応えのないドアを叩くのを、少女はやめません。
「どうか、どうかお願いします!お金はいくらでも払います!それでも足りなければ何でもします!少しだけで良いのです。あなたの涙を、癒しの力を持つ涙を私に分けて下さい!」
涙を分けてくれ、という少女の声が涙声になってきた頃。ようやくドアが開きました。
「本当に何でもするのかい?」
その声は、古い建物がきしむ音にも似ていました。少女は涙を流したままでしたが、強く頷きます。
「それじゃあ、1週間だ。その間は私の言いつけを何でも聞く事。そして、その間に私に涙を流させることができなければ、ここを立ち去ると誓うんだ」
すっかり枯れ切った声でしたが、何とも言えない迫力がありました。泣き虫の少女は、頬に涙の跡を光らせながら何度も何度も頷きます。
「判りました。何でも言う事を聞きます」
少女の決意に、魔女は彼女を家に招き入れました。
そうして、そこから1週間。
少女は魔女の本当になんでも、言う事を聞きました。魔女のわがままな注文の食事を作ったり、家の中を言われるがままに綺麗に掃除したり。
もう何十年も使っていなさそうな古井戸を掃除したり、両手にマメを作りながら、大量の薪を割ったもしました。
そんな仕事を与えながらも、その間。魔女はおよそ普通の人では思いつかないような、とても意地悪な事をしては妹をいじめました。が、それでも妹は我慢して魔女の言う事を聞き続けました。
そんな生活がついに6日間過ぎた時です。少女はついに魔女に耐えきれなくて聞きました。
「どうしてそんなに意地悪ばかりするんですか?掃除をした所をすぐに汚したり、並べた本棚だってすぐめちゃくちゃにするし、どうしてこんなことばかりするんですか?」
少女の問いに、魔女はひどく意地悪そうな顔で笑いました。
「それは、お前が私に涙を流せと言うからさ。それくらいの事はしてもらわないと、私は涙を流せないんだよ」
「でも、今まで来た人々はあなたから涙を得ることができたとは聞きませんでした。1週間もこき使われて何も無く帰って来る人ばかりだったと、街の人々が言うのを私は聞いて来ています」
魔女は絶叫に近い笑い声を立てました。それはそれは恐ろしい声でした。
「お前はどうやら純粋な娘のようだ。ここに来た奴らは、3日目くらいまでは細々と働くが、4日目には仕事そっちのけで、傷の理由や病の訳を、さも同情を誘うように語って聞かせてきた。5日目には、それでも涙をくれないのですかと私を責めたり、怒ったりした。6日目にはさんざ痛めつけられたさ。これでも涙の出ないお前など、鬼に違いない、とね。さすがに7日目になると皆諦めて帰って行くのが普通だったというのに。良いだろう、お前の我慢に免じて教えてやろうか」
そう言って、魔女はローブに隠されていた自分の手を少女に差し出しました。
初めて魔女の手を見た妹は、なんだろうとその手を見ます。よく見ろ、と身ぶりで示された妹が手に触れてまじまじとその手の甲を見ると、古くて、大きな火傷の跡がありました。
「見えるかい?その手の甲のひどい跡が。判るかい?私の苦痛が。これから話すことが、私の涙が出なくなった理由さ」
そうして、魔女はしわがれた声で少女に話し始めたのです。
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