Insomnia Ⅱ

僕はしばらく、その場にぼう然と突っ立っていた。

しかし、何秒経っても何分経ってもその悪夢は覚めない。

僕は、男性の言葉を何度も頭の中で反芻した。

それでも今の状況を改善できる最善の策は浮かんでこなかった。

しょうがなく、僕は男性が投げ捨てていったビニール袋を手に取ると嫌々ゴミを集め始めた。

それでも相変わらず悪夢は覚めないし、全身が汚れていくばかりだった。

しかも、路地に差し込む日の光を遮るように積み上げられたゴミの山は、一向に減ってはくれない。

そうしているうちに時間がたって、路地の入口にトラックがやってきた。

僕は、運転手の顔を見て驚いた。

運転していたのは僕より若い少年だった。

少年は路地の狭い入口に器用にトラックを止めるとわずかに窓を開けて


「早くして」


と不愛想につぶやく。

僕は思わず、少年の言葉を遮るごとくまくしたてた。


「僕は、ここに閉じ込められたんだ。助けてくれないか」


言ってから、気付いた。

もし、僕が逆の立場だったら迷わずトラックで逃げ去るだろう。


「ごめん。違うんだ・・・」


嫌な顔をして今にもアクセルを踏みそうな少年に慌てて僕は言う。

しかしゴミだらけの服を着て、震える声でまくしたてる僕の言葉には大した説得力もないに違いない。

僕がどうしようかとあたふたしていると、少年がため息をついてトラックを降りてきた。


「逃げ出すのは無理だよ。この腕輪には警報装置やGPSが付いてる。町長の許可なく逃げ出すことは不可能に近い」


感情のこもらない声だった。

それでも僕は少年が答えてくれたことに感謝した。

もし逃げられていたら、あと何時間ゴミと格闘し続けていたか想像もできない。

僕が感謝の言葉を選んでいると


「僕の名前はセロ。君はまだここに来たばかり見たいだから、ここのルールを教えてあげるよ」


とセロが微かに笑った。


「僕はチロル。よろしく」


僕も名前を名乗ると片手を差し出した。

しかし、セロはそれを無視するとポケットからリンゴを取り出して尋ねた。


「食べる?」


僕は勢いよく頷く。

まともな食べ物を食べられるのは死ぬほどうれしかった。

まだゴミを集め始めてから三時間しかたっていなかったが、僕はゴミの異臭と重労働ですっかり衰弱していた。

僕はリンゴを一口かじった。


「セロはいつからここに閉じ込められてるの?」


「生まれたからずっと。僕はこの街で生まれたから」


セロは悲しそうにそう言った。

それからセロは僕がリンゴを食べ終わるのを待ってから、この街について話し始めた。


「ここはある金持ちの人が作った街で、来た人たちを奴隷にすることで成り立っているんだ。閉じ込められた人は過酷な労働を強いられる。正直言うと、チロルの仕事場がうらやましいくらいだ。もっとひどい場所はいくらでもある。そして、休んだものにはさらにひどい罰が与えられる。だから休めないんだ」


僕は自分が置かれた現状を理解して絶望的な気分になった。

それでもセロの話は続く。


「でもそんなことをしたら死んでしまうから、労働者の人たちは考えたんだ。見つからなければいいって。この街では、見つからなければどれだけ休んでいても罰を受けることはない。町長たちも実際に休んでいるところを見なければ、後でどんな証拠が出てこようと見て見ぬふりをする」


そこでセロは笑って


「これは不幸中の幸いだな」


とつぶやいた。


「でも見つかれば大変なことになる」


セロはここまで言うと言葉を切って、上半身に来ていた色あせたTシャツを脱ぎ始めた。

僕は何が出てくるのか興味津々でセロの様子を眺めた。

しかし、出てきたのは僕の予想を大きく外れたものだった。


「うわっ」


思わず、口走っていた。

それから、僕は悲しそうなセロを見て


「ごめん。悪気があった訳じゃ・・・」


と言葉を濁した。

セロの上半身には火傷の跡が幾つもあった。

酷いものはケロイドになっている部分もある。


「酷い・・・誰がそんなことを」


僕の言葉にセロは何でもないと言う風に服を着ながら言った。


「町長さ。町長が違反した労働者の事を一人で痛めつけるんだ。町長は狂ってる。それだけは確かだ」


僕は、連行されたときに逆らわなくて良かったと、心の底から思った。

やがてセロは


「そろそろ時間だから行かないと。また三時間後に来ると思うよ」


と言ってトラックに乗り込むと、走り去っていった。

残された僕は再びゴミを集めることに集中した。

じめじめとした薄暗い路地は日が昇ってもちっとも明るくならなかった。

そうしているうちにめまいがして僕は路地の隅に座り込んだ。

汗のにおいと周囲の異臭が鼻を刺した。


「君、何で座っているのかね?休んだものには罰を与えるぞ」


僕は突然の声に心臓が飛び出してしまうほど驚いた。

声の主はこちらに近づいてくる。

僕は大急ぎで立ち上がった。

しかし、相手の顔は逆行のためよく見えなかった。

僕は相手が近づいてくるのを背筋が凍る思いで見つめる。

頭の中では先ほどのセロの言葉がうるさいほど響いていた。

やがて、二人の距離が1メートルを切り相手の顔が見えた。

相手は僕と同い年くらいの少年だった。

少年は僕を見るといきなり腹を抱えて笑い始めた。

訳が分からず呆然と立ち尽くす僕に少年は言った。


「その顔、傑作だな」


その言葉で僕はようやく、先ほどの言葉が少年の悪ふざけだったことに気づいた。

さらに少年は言う。


「驚いた?俺はハリソン。俺が町長だったら君、大変なことになってたぜ」


僕は胸をなでおろした。


「驚かすなよ、ハリソン。僕はチロルだ。よろしく」


僕はハリソンに右手を差し出した。

セロとは違いハリソンは、その手を力強く握り返した。


「チロル、調子はどう?」


ハリソンが聞いた。


「最悪だよ」


僕は山積みのゴミを指さした。

するとハリソンは再び笑う。


「そりゃそうだ。この街で調子のよい労働者なんていないからな。それよりも怖い話、聞きたい?」


「怖い話って?」


「この場所にいたチロルの前の労働者の話さ。そいつは逃げ出そうとして罰を受けたんだ。酷い罰だよ。爪をすべてはがされて、何と生殖器まで切り・・・」


「ごめん。やっぱりいいや」


ハリソンの言葉に僕が考えていた怖い話とは違う類のものを感じて、僕はその言葉を途中で遮った。

それから少し不思議に思って口を開いた。


「ハリソンは何でここに来たんだ?自分の仕事場にいなくて平気なのか?」


ハリソンは僕の目を見てにやりと笑った。

「逃げ出すんだよ、ここから」


「でも、逃げだしたら罰を受けるんじゃ・・・?」


僕は不安になってハリソンを見る。

しかし、ハリソンは自慢げに言った。


「俺が逃げてみせる。そして、ここから逃げられるってことを証明するんだ」


「声が大きいよ」


路地に響く声で語るハリソンに僕は言う。

どこで誰が聞いているか、分かったものじゃない。


「あまりに無謀だ。そもそも、この腕の腕輪はどうするの?」


「焼くんだよ」


ハリソンは周りを見渡してから、そっと僕に耳打ちした。


「焼く?」


僕はハリソンの顔をまじまじと見た。


「どうやって?腕輪は腕にぴったりはまってるんだよ」


「ああ。だから腕ごと」


ハリソンは涼しい顔でそう言う。

僕が呆れた顔をしているとハリソンが慌てていった。


「別に腕を燃やそうってわけじゃあないさ。ちょっと火傷するくらいだ。町長の拷問に比べたら、どうってことないだろ?」


僕はハリソンの言ったことをしばらく思案した。

ハリソンの計画は穴が多すぎるように思われる。

大体腕輪が熱によって壊れるかどうかも分からないのだ。

それでも僕はこの命がけの脱出計画にドキドキしていた。

僕はその興奮を悟られないように静かな口調でハリソンに問い掛けた。


「僕も一緒に行っていいかな?僕もここから逃げ出したい」


「もちろん。そのために俺はここに来たんだ」


ハリソンに続いて僕は薄暗い路地を飛び出した。

路地の外はほんの少し前まで僕が遊んでいた華やかな街に他ならなかった。

一人の遊女が僕の腕を取っていった。


「どう?安くしとくよ」


僕はその手を振り払うとハリソンの背中を追いかける。

今の僕にはハリソンの背中がとても大きくてたくましく見えた。

街の中は決して少なくない量の人であふれている。

僕たちは人々をかき分けながら町の出口へ向かって行った。

その途中でハリソンが立ち止まった。

そこはあるホテルの前だった。

高級そうな入り口の両脇には炎が燃え上がる外灯がある。

ハリソンはその前に行くと


「よし、行くぞ」


と小さくつぶやいてその炎に腕輪を当てた。

シューと言う音とともに煙が出る。

そしてハリソンは顔色一つ変えないまま、


「次はチロルだ。頑張れ」


と笑った。

僕は一瞬のためらいの後ハリソンと同じく炎に腕輪を当てた。

焼けつくような痛みが走った。


「ううっ」


僕の食いしばった歯の間からうめき声が漏れる。

それから僕たちは町の外に向かって急いだ。

やがて僕がこの街に入った場所にたどり着いた。

看板もゲートもないが確かにこの街と外の世界の境界線だった。

すぐ近くに出口がある。

でも、前もここで失敗した。

入るときはいともたやすく入ることが出来た。

行きはよいよい帰りは恐いとはこのことだと思う。

僕たちは二人で脱出の一歩を踏み出そうとしたその時、数時間前と全く同じ声の全く同じ言葉が聞こえた。


「どこに行くんですか?」


僕たちは二人そろって振り向いた。

そこには能面のような顔の男が立っていた。

感情を一切出さない声で男はなおも言う。


「働かない怠け者には天罰を下そう」


「奴が町長のルイス・プラットだ」


ハリソンが小声で耳打ちした。

僕たちは町長と共にいた黒服の男たちに街の中央へ連れていかれた。

僕は脱出できなかった悲しさよりこれから起こる事への恐怖で体中が震えた。

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Insomnia †夜雪† @yayukihanagoromo

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