Insomnia
†夜雪†
Insomnia Ⅰ
僕は、薄暗い路地をひたすら歩いていた。
いったん路地から出ればそこは音楽が鳴り響く派手な街だが、その代償とでもいうかのように街の裏は闇に包まれていた。
まるで舞台裏のようだと僕は思った。
それでも人々は大金をもってこの多くの犠牲の上に成り立った舞台にやってくる。
なぜならここは、多くの人々によって最高のユートピアだからだ。
こうなったのも、三日前の出来事が原因だった。
僕の名はチロル。
ごく普通の十七歳男子だ。
そんな僕がユートピアのうわさを聞いたのはついこの間のことだった。
砂漠のど真ん中にいきなり作られた町。
それを聞いた僕は笑ってこう言った。
「砂漠の真ん中?そんな町、町人もろとも干からびてるんじゃないか?」
しかし、僕にその噂を伝えた友人は真剣な顔で言った。
「違うよ。なんでも金持ちが作った町とかで遊びのために作った華やかな町なんだってさ」
この友人の一言で僕の運命が決まった。
残念なことにとても良い運命とはいいがたいけれど。
そんなわけで僕は両親に行先も告げず、一人ユートピアに旅立った。
僕は暑く乾いた砂漠を一人ゆらゆらと歩いた。
やがて、月が明るくなってきた頃、僕は甘い調べを聞いた。
それを追ってたどり着いた先は、真っ暗な砂漠の中でひときわ明るく光り輝く街だった。
僕は街の入り口に立って街の看板を探したが見つけられず、近くにいた青年に
「この町の名前は?」
と声をかけた。
青年は最初こそ空を見つめてぼんやりとしていたが、僕の言葉に振り替えるとにっこり笑って、
「この町に名前なんかありません。この町は世界中の人々のためのユートピア。ただそれだけでいいんです。複雑な名前などいりません」
と言う。
僕は不思議に思いながらもその街に足を踏み入れた。
それから僕は、その街をゆっくりと堪能した。
その街は十七歳の僕には刺激の強すぎる街だった。
しかし、さすがユートピアと呼ばれるだけある。
僕はどんどんとその街に引き込まれていった僕はカジノで遊んだり、バーに入り浸ったりと心行くままに楽しんだ。僕が家から勝手に持ち出した大金は、すでに半分以下になってしまっていたが僕は気にも留めなかった。
それからしばらくして僕は、バーで美しい女性にあった。
僕はその女性の息をのむほど美しいプラチナブロンドと、深海のような深みのあるブルーの瞳に気を引かれて、女性に話しかけた。
「僕と一杯どうですか?」
普段は、口説き文句など行ったことのない僕だったが、女性の魅惑的な瞳に見つめられているうちに不意に口から出た言葉だった。
するとその女性はグラスを手に僕のテーブルまで近づいてくると、
「ええ、喜んで。でも、一杯だけでなくその後もご一緒してくださるとうれしいわ。私、すぐそこに宿をとっているの」
と笑った。
笑った顔はさらに魅力的だった。
僕はその女性と何時間も語り合った。
やがて、女性は席を立つと僕の手を取って囁きかける。
「これから、私の部屋に来ない?私あなたみたいな人、好きよ」
僕は女性のもとに行こうとして、すんでのところで理性が勝った。
というよりも、怖かったのだと自分で分かっていた。
「ごめん。僕、もうお金がほとんどなくて。帰らないといけないんだ」
少し、言い訳じみて聞こえたかもしれない。
女性はしばらく僕の言葉を考えていたようだが、理解すると信じられないという目で僕を見返した。
が、すぐにすました顔に戻ると一言
「そう、残念ね」
と。
そして、女性は僕を置いてさっさと店を出て行った。
僕はグラスの中に残っていた琥珀色の液体を飲み干す。
それから金を払って店を出た。
勘定の際、財布の中身を除いた僕はさっきの台詞があながち嘘ではなかったことに気づいた。
それでも僕は、最後まで女性の名前を聞かなかったことに後悔した。
僕は街を出ようと思った。
すでに時刻は午前十二時を回っている。
僕はこの華やかな街に背を向けると出口へと向かった。
しかし、僕が出口につく前に運営側の人間だと思われる男性に話しかけられた。
「もうお帰りになるんですか?夜はこれからですよ」
僕はお金がないことを男性に伝えた。
それを聞いた男性は驚いたようにのけぞった。
意味が分からず、首をかしげる僕に男性が言う。
「ここはユートピアですよ。お金なんていくらでも借りられます。ただ、後で返してくれれば大丈夫です」
僕は半ば無理やり連れてこられる感じで街の中央にある建物へ連れ込まれた。
正直、帰らなければいけないと思う気持ちがあった。
しかし、僕の考えはそこにいた男性の言葉で変わった。
事務員らしい中年の男性は愛想よく笑うと
「これをつけていれば、この街のどこででも好きなように遊べます」
と一個の腕輪を差し出した。
それはこの街と同じように華やかな装飾が施された腕輪だった。
僕はその夢のような効果を信じて疑わなかった。
僕はなんの迷いもなく、その腕輪をはめる。
腕輪は月の光の下で青白く輝き、とても僕に似合っていると思った。
しかし、その腕輪が悪夢の元凶になることをその時の僕はまだ知らなかった。
その後、僕は時間を忘れて遊び惚けた。僕が若い女性たちと別れてカジノのゲームをすべて遊びつくして再び外に出た時、すでに東の空が明るくなっていた。
僕は書置きも残さず、出てきた家のことを思い出してそろそろ帰ろうかと思い始めた。
次こそはと本当に出口に向かった。
僕はもう一度ユートピアと呼ばれる街を振り返ってみた。色とりどりのネオンに照らされた街が僕を呼んでいるような気がした。
僕はまたいつでも来れるんだと自分を納得させると、誘惑を振り切って街の外に向かって走り出した。
僕は後ろを振り返ることなく街の境界線を通過する。
瞬間、耳をつんざくような警報が鳴り響いた。
僕は驚いて足を止める。
すぐ後ろで人の声がした。
「どこに行くんですか?」
振り向くと腕輪をくれた男性がいた。
気味の悪い笑いを顔に張り付けた男性がいた。
僕は本当に街の中央で僕に腕輪をくれた優しそうな男性なのか信じられなかった。
しかし、何度見ても同じ顔だ。
違うのは表情だけ。
人間は表情でここまで変われるのかと感心した。
だが、さすがに感心しているわけにも行かず、言葉を選びつつ男性に言った。
今の男性には危ない雰囲気が漂っていた。
「えっと・・・、ダメですか?それとも腕輪を返してからってことですか?」
僕は腕につけた腕輪を外そうとして、自分の力では外れない仕組みになっていることに気づいた。
僕は男性を見る。
男性は僕の言葉をじっくり吟味しているようだった。
「永久にここにいるといいよ。体が朽ち果てるまで」
「え?」
まったく感情を表さない声で男性が言った言葉を僕は聞き返す全く理解できなかった。
「ど、どういう意味・・・?」
脳が男性の言葉についてこなかった。
しかし、男性は僕に理解する時間を与えず、歌うように言った。
相変わらず、まったく抑揚のない声。
「まだ分からないのか?君に拒否権はないんだよ。とにかく、ついてきなさい」
僕は直感的に男性の言葉に従わなければいけないと思った。
ようやく、男性の言葉に追い付いてきた僕の脳がここでずっと遊んで暮らすのも悪くないと思い始めた。
男性について行って十分。
僕は現実がそこまで甘くないことにようやく気付いた。
僕が連れていかれたのは、どこからどう見てもユートピアとはいいがたい場所だった。
こうして僕は薄暗い路地を一人歩くことになった。
男性は言った。
「この路地のゴミをこの袋に詰めろ。三時間に一度、ここにトラックが通る。
それに乗せろ」
僕がその問題の路地を見ると、そこは悪臭の漂うゴミ溜めだった。
「これを僕が一人で?何日かかるかわかりゃしない」
あまりの理不尽さに不平を漏らすと男性はにやりと笑った。
「何日かかかってもいいさ。腹が減ったら、そこのゴミでも食え。お前に一番お似合いだ。休もうなんて考えるな。容赦なく罰が下るぞ」
それから、男性は低い声で笑った。
僕は愕然とした。
そして自分の間違いにようやく気付いた。
僕の最大の間違いはそう、ここに来たことだ。
ここはユートピアなんかじゃない。
ユートピアに見せかけた最悪のディストピアだ。
僕はその人をにらみつけてから聞いた。
「ほかにも働かせている人がいるのか?」
その人は笑った。
嘲笑だった。
「あたりまえだ。そうしないとこの街は成り立たない。常に華やかであり続ける街。それにはそれ相応の犠牲が必要だ」
そして、路地の入口に透明な45Lのビニール袋の束を投げ捨てると、男性はどこかへ消え去ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます