【レクイエム】SFPエッセイ100

 佐和田さんの家でバーベキューをやるからと招かれて、JR逢魔線の拝和に向かった。初めて降り立つ駅で、駅前できょろきょろしていると佐和田さんが車で迎えに来てくれた。てっきり他にも同乗者がいるのかと思っていたのだが、ぼく一人をピックアップするために車を出してくれたらしい。恐縮していると「いいんです、小鳥遊(たかなし)さんを案内したいと思っていたので。ちょっとドライブしましょう」と駅前のロータリーを離れた。すぐにハーレーダビッドソンの店舗が見えてきて、佐和田さんがくいっと顔で指し示した。

 

「あの店、日本で一番ハーレーダビッドソンが売れているんですよ」

「ここが本社なんですか?」

「いえいえ。ハーレーダビッドソン・ジャパンは中野区にあって、ここは一販売店に過ぎません。でもここが一番売れてるんです」

「なんでまた」

「不思議でしょう? それを今からお話しするんですが」佐和田さんは、道路の両脇に広がる何の建物も立っていない巨大な空き地を示して言った。「あ、ほらほらここの敷地広いでしょう?」

「え? ええ」

「ここはもともと昭和航空機工業という会社があったんです。ほら、小鳥遊さんの知り合いがネットにアップしていたじゃないですか。戦争中、女学生たちが勤労動員で飛行機工場で働いていた記録を」

「ああ、あれ! あの工場があったんですか?」

「そう。ここなんですよ」

「へえ~」

「戦後、跡地が切り売りされてこんな感じになってますけど」

 いま車が走っている道路も元はその敷地だった場所を切り裂くように走っているのだという。

「ん? じゃあ、さっきのハーレーの店も」

「そう! そこなんですよ」

 

 聞けば、こういうことだった。戦後、日本では航空機の生産が禁止され、昭和航空機工業も部品の製造しかできなくなっていた。そこに、隣接する旧日本軍の飛行場を接収した横畠基地の米軍兵士たちが目をつけた。彼らは余暇を持て余してバイクに乗ろうと考え、ハーレーダビッドソンを本国から取り寄せた。その組み立てに、昭和航空機工業の設備と技術者を使ったのだ。こうして、この地で日本におけるハーレーダビッドソンの一台目が誕生した、いわば日本のハーレー乗りの聖地のような場所だというのである。

 

「米軍基地のある町ではどこも似たような話があるみたいです」

「そうなんですか。やっぱり基地の影響って大きいんですね」

 佐和田さんはちらっとこちらを見て視線を正面に戻した。

「大きいですよ。基地の影響は」

 

 こうして佐和田さんの案内で、突然の「ダークツーリズムin横畠」が始まった。

 

 拝和市はもともと拝島と昭和という二つの村が合併して市になったこと、だから漢字を一文字ずつとって市の名前にしたこと、戦後は基地と密接に関係しながら発展したこと、横畠基地は拝和市だけではなく、布差市、水帆町、武蔵山村市、葉村市、縦川市にまたがることなどを聞くうち、車は16号線沿いに横畠基地のエリアにさしかかった。ロードサイドには数々の小説や映画に描かれてきた風景が広がる。基地の塀の向こうには映画館やスーパーなどの建物が見えてくる。右手の塀の向こうにはイミグレーションの建物が見える。イミグレーションといっても、米軍の施設であって日本政府は関知していないという。しかし米軍関係者はそこを通過すればそのまま街に出てくることができるし、場合によっては拝和市内に家を構えることもあるらしい。

 

「え? じゃあ、日本の入国審査は受けないんですか?」

「ええ」

「入国審査を受けていない外国人が街中を歩き回ったり、住んだりしているってことですか?」

「そうですよ」

「まさか。それって日本の主権を」

「ありませんよ、そんなもの」

 

 話はそれだけではなかった。東京上空の制空権は横畠基地を利用する米軍機を最優先していて、羽田や成田からの民間機はそれを大きく迂回する航路しか取れないのだという。また、横畠基地に発着する米軍機は平気で近隣の民家の上空を飛ぶが、アメリカ国内ではそんな危険なことはありえないのだそうだ。アメリカ国内では米軍機が民家の上を飛ぶことは法律で禁止されている。でも日本にはその法律がないから民家の上を飛べるというのだ。

「日本の主権は」

「だからないんですって、そんなものは」

 

 横畠基地周辺の5市1町は、いずれもパスポートやビザを持たない外国人が暮らせる街として知られている。その結果、ビザの切れた違法労働者や、密入国者がここに流れてきて住み着くのだという。それだけではない。そういった人と米軍関係者が同棲して子どもを作った挙句、米軍関係者の任期が切れて別れることになり、育てられなくなった子どもが捨てられてしまう。いまや拝和市をはじめ、周辺の市町にはストリートチルドレンも生まれ始めているというのだ。

 

「いやさすがにそんなことは」

「これはフィクションじゃありませんよ、小鳥遊さん」

「だってめちゃくちゃじゃないですか。それじゃまるで日本の主権が、あーそんなものないんでしたね」

「全国どこでも基地の街は似たようなものだと思います。ハーレーの話と一緒で。じゃあちょっと寄り道して」

 

 佐和田さんはとあるライブハウスに連れて行ってくれた。16号から少し入った布差市の住宅街の中に一軒だけ派手にペイントされ、昼の光の中でその建物は異彩を放っていた。そこは佐和田さんにとって10代の頃から入り浸ってきた、もう一つの家のような場所なのだという。最初は観客として出入りするようになり、すぐにアルバイトとして働くようになり、やがては演奏者として出演するようになり、かれこれ四半世紀にわたり付き合いがあるという。いまなお基地関係者にも人気の店で、この店で米兵に受けたバンドは基地内のパーティーに呼ばれて演奏するなど密接なつながりがある。

 

「だからぼくらは米兵の一人一人とはフレンドリーにやってきました。でもね、基地のある町が問題を抱えていることを見て見ぬ振りもできません。そこでいま面白いことを考えていまして」

 

 佐和田さんはライブハウスの前で車を止めると、ちょっと寄って行きましょうと車を降りた。日曜午前中のライブハウスの中は、前夜の名残をとどめ酒とタバコの匂いが立ち込めていた。表をほうきで掃いていた小柄な品の良さそうな高齢の女性があとから入ってきた。この人がオーナーなのだという。一見、荒っぽそうなライブハウスとは全然結びつかない雰囲気だ。けれども、口を開くと意志が強そうで、修羅場をくぐり抜けてきた人の凄みが伝わってくる。彼女は翌日ベトナムに向かう米兵たちが、この店で最後の日本円を洗いざらい使い果たすのを幾度となく見てきたのだという。ここはある意味で戦場と地続きの空間なのだ。

 

「この人なの?」オーナーが佐和田さんに確認し、ぼくに手を差し出した。「メイルストロムのリエです」

 メイルストロムというのは店の名前だった。大渦潮のことで、エドガー・アラン・ポーの小説のタイトルからつけたらしい。個人では抵抗する術もない大渦潮というのはどことなく象徴的に思える。ぼくが名乗ると、あなたのことは聞いているわとうなずき、佐和田さんに目配せした。佐和田さんもうなずきぼくに向き直った。

 

「小鳥遊さん、単刀直入に言いますね」佐和田さんは温和な口調で言った。「独立宣言を書いてください」

「へ?」

「5市1町は横畠基地と一体で独立することにしました」

「は?」

「基地とはすでに話がついています。今後は我々が中央政府になります。もう日本政府の勝手にはさせません」

「待って待って。じゃあこのあたり一体がアメリカになっちゃうってこと?」

「違います。横畠基地もアメリカから独立するんです」

「ええ~っ?!」

 

 リエさんが声をあげて笑った。

 

「ぼくらはフレンドリーにやってきたって言ったでしょう?」

「で、でも」

「三沢と座間と横須賀は同調しています」

「いやそんな」

「もう後戻りはできないんです」

「しかしバーベキューは」

「あれは嘘です。小鳥遊さんにここにきてもらうために嘘をつきました」

「まかせて。バーベキューより美味しいものを食べさせてあげるわ」

 

 リエさんがコンロに火を入れた。

 

「ほらリエさんもああ言ってるし」

「けど、なんでまたぼくが」

「だって小鳥遊さん、書いたじゃないですか」

「ほ?」

「SFPエッセイの第1集の一番最後に【レクイエム】って話を」

「そんなの書いたっけ? いやまだ書いてないと思……」

「あの話を読んで、リエさんと相談してここまで進めたんです」

「どんな話だっけ」

「レクイエムの話です。小鳥遊さんが、それまで続いてきた一つの時代へのレクイエムとして、独立宣言を書く話です」

 

 そういうわけでSFPエッセイ第1集「大鉱脈」編はレクイエムで終わる。75年間、だましだまし続けてきた時代への鎮魂歌。ここに来てあちこちにほころびが出てきて、それを無理やり繕おうとして社会全体が崩壊に向かっている時代に訣別する音楽。そして新たに始まる。小さくともインパクトのある国家が出現する。誰も予想しなかった意表をつく形の世界の誕生だ。

 

(「レクイエム」ordered by 中嶋 千恵-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・昭島市・横田基地などとは一切関係ありません。

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虚構エッセイ第1集「大鉱脈」編 高階經啓@J_for_Joker @J_for_Joker

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